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なぜボウイはNYを愛したのか。レーベル担当者に聞く、ボウイとNYの深い関係【特集第3回】

2019年1月8日、世界中で功績を作った大回顧展「DAVID BOWIE is」のデジタルコンテンツ化第一弾として、スマートフォンAR(拡張現実)アプリ(iOS・Android対応)が発売!

Cocotameでは同アプリが開発された街であり、デヴィッド・ボウイ(以下、ボウイ)自身ゆかりの深い、ニューヨーク(以下、NY)との関係を探るべく、特集第3回は、ソニー・ミュージックレーベルズ ソニー・ミュージックジャパンインターナショナルの白木哲也に「デヴィッド・ボウイが愛したNY」について話を聞いた。

NYへの憧れ

――もともとイギリス出身のデヴィッド・ボウイ(以下、ボウイ)ですが、NYとはゆかりが深く、1992年に移り住み、逝去地でもありますね。

ソニー・ミュージックレーベルズ
ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
ゼネラルマネージャー 兼 マーケティング2部部長
白木哲也

白木:最初に彼がNYを訪れたのは1971年なんです。これは『世界を売った男』(1971年)という3rdアルバムのプロモーションで行ったようなんですが、それ以前から、憧れの地だったようですね。まだそれほど有名ではないころ、当時のマネージャーであるケンピットがNYから帰ってきたときに、ボウイに渡したアルバムがあって。そのうちの1枚がザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのデビュー・アルバムだったんだそうです。ボウイはそのアルバムに結構衝撃を受けたようで、収録曲「I’m waiting for the man」をコンサートのラストでカバーするようになったんです。ボウイはボブ・ディランのことも大好きだったでしょうし、ザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンドやルー・リードを知って、よりNYのグリニッジ・ヴィレッジ界隈に興味を持ったことは間違いないですね。

――1971年以降は?

白木:ライブで何度も訪れていますが、NYでの初めてのライブはカーネギー・ホールで行なった1972年「ジギー・スターダスト・ツアー」ですね。米紙「ニューヨーク・タイムズ」に書かれていた記事だったと思うんですが、ボウイはその際、エルヴィス・プレスリーのライブをマディソン・スクエア・ガーデンで観ているんです。それこそボウイが『ジギー・スターダスト』で自身も纏っているようなジャンプスーツをエルヴィスもキメていて、それが強力な印象として残っていたようです。以前からNYは刺激を受ける街だと感じていたようですね。

――まずはエルヴィスだったんですね。

白木:特にあの時代の人たちにとって、エルヴィスは偉大ですよね。あと、ボウイが初期に所属していたレーベルがエルヴィスと同じ、RCAなんですよ。RCAの偉い人がボウイをエルヴィスのコンサートに連れて行って、最高の席で観たようで、そういう状況もあったのかもしれないですけどね。

『ダイアモンドの犬』(1974年)など、NYでもレコーディングをしていますが、このころはまだイギリスのほうがメイン。『ヤング・アメリカンズ』(1975年)や『ステイション・トゥ・ステイション』(1976年)はどちらかというとNYよりLA。その後は、ベルリンをはじめとするヨーロッパでベルリン三部作、80年代は『レッツ・ダンス』で爆発的なヒットを記録した流れがあるんですが、ボウイ=NYのイメージは、やはり1992年以降かな。記録的な大ヒット作を出している時期ではないんですけど、93年から2003年の10年の間にアルバムを8枚も出しているほど多作なんですね。『アースリング』(1997年)では時代を象徴するドラムンベースを取り入れていたり、最後のアルバム『ブラックスター』(2016年)では、現代のNYジャズ・シーンで最先端のミュージシャンたちと一緒に、またガラッと違うことをやっていたりして。そういう意味ではクリエイティブ活動がやりやすかったのではないでしょうか。

スーパースターたちの交流

――NYはボウイが初めて訪れた時代から「自由」と「アート」を象徴する街ですね。

白木:そうですね。ボウイにとってNYに住むということは、「自由」であるということ、(音楽を含む)「アートの街」であること、このふたつが大きかったんだと思います。60年代のザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ルー・リード、70年代にはジョン・レノン、パティ・スミス、そして彼らと交流のあったアンディ・ウォーホルらが創作活動していたNYは、最先端のアートが生まれていた。ボウイもウォーホルの「ファクトリー」を1971年に訪問しています。ボウイのアート的な感覚がNYで花開いたというわけではないと思うんですが、ボウイ自身がもともと変化し続けるアーティストであり、NYで何かが生まれ、それをリアルに体験して、刺激を受けていくなかで、NYへの憧れは何度も更新していたと思います。実際、過ごしやすかったんじゃないかなと思います。ボウイは、NYに移り住む前から、音楽以外にアートにも接点があって、昔の美術品なども含め、いろんなものをコレクションしているんですよね。そういう一面は、大回顧展「DAVID BOWIE is」にも出ていましたが、NYに住んで以降の彼の作品や収集においても、NYという街は大きく関わったと思います。

――才能が集まり、実際に交流がある街だったのですね。

白木:おもしろいエピソードがあって。ジョン・レノン(以下、ジョン)とボウイは「フェイム」(1975年)という曲で共作しているんですけど、その曲はグリニッジ・ヴィレッジにあるエレクトリック・レディ・スタジオという有名なスタジオでレコーディングされています。そこで二人の交流がはじまったんですね。

ボウイは、1999年にボストンのバークリー音楽院から名誉博士号を授与され、そのスピーチしたときにジョンとのエピソードが出てくるんです。ジョンがハウスハズバンド時代に海外のどこかでボウイがジョンに会ったとき、ある子どもがジョンに寄って来て「ジョン・レノンさんですか?」って聞いてきた。それでジョンは「違うよ、それぐらい金持ちだったらいいなと思うけど」って答えたら、子どもはサッと去っていったみたいなんです。それを見たボウイは、すごくいいフレーズだと思って、自分のものにしたそうなんですね。「デヴィッド・ボウイですか?」「違うよ。それくらい金持ちだったらいいなと思うけど」って。その後、あるとき、NYのソーホーで「デヴィッド・ボウイさんですか?」と声をかけられた。それで同じように答えるんだけど、「嘘つけ、僕くらい金持ちだったらって思ってるんだろう!」って言ってきたのがジョンだったっていう(笑)。そのくらい、NYって普通にジョン・レノンとデヴィッド・ボウイが歩いているような街だったんですよね。そうやって偶然会っちゃったりするほど気軽で、それを周りの人も大して騒がないような街なんだろうなって。

――スーパースターたちも住みやすいということでしょうか?

白木:そうだと思います。それは、ジョンをはじめあらゆる人たちが同じようなことを言っています。実際に追いかけられるようなこともないし、干渉しないということなんでしょうね。

日本とボウイとニューヨーク

――ボウイは日本にも縁が深いと言われていますが、白木さんのボウイとのエピソードを教えてもらえますか?

白木:僕のNY×ボウイ体験として、一番思い出深いのは2002年ですね。2002年にボウイがソニーミュージックに移籍してきて初めてリリースしたのが『ヒーザン』というアルバムでした。当時、部下だった小沢(暁子)(参考記事:大回顧展「DAVID BOWIE is」デジタルコンテンツ発売! 立役者に聞くデジタルアーカイブ化の背景【特集第1回】)がボウイを担当することになったのですが、アルバムの取材も、新しい写真もない状況下で「プロモーション、どうしよう!?」ってなっていたんです。そこで小沢が「『ヒーローズ』のジャケットを撮っている鋤田さんとのフォトセッションだったら、やってくれるかもしれない」と言い出して、NYオフィスに投げかけたら、なんとOKが出たんですね。それでバタバタとセッティングして。小沢は取材なども入れていたので前乗り。鋤田さんと僕は、遅れてNYに飛んで、フォトセッションへ。

これが本当に印象的で。僕もボウイに会うのはそのときが初めてだったんですが、本当にシンプルなスタジオで、まず、ボウイが歩いてきて、最初に鋤田さんのところにいくんですよ。それで、鋤田さんと挨拶するや、いきなりフォトセッションが始まっちゃって。「こういうのはどう?」「こういうのはどう?」ってボウイがやりはじめるんですよね。鋤田さんは日本語がメインで英語をそれほど喋るわけではないんですけど、ボウイとは目と目で会話していて。時間は決められているので「もうそろそろ……」ってなっても、ボウイも「え、これだけでいいの?」、鋤田さんも「もうワンカット撮りたい」ということでギリギリまでセッションは続くんですけど、アーティストとアーティストの対峙ってこういうことなんだな、すごいなって思った瞬間でした。
そして実際に、世界共通のアーティスト写真が撮れました。

撮影が終わったあと、鋤田さんが紹介してくださって、初めてご本人に挨拶することができました。

――そのときはどうでしたか?

白木:「会えて光栄です」みたいなことを言いましたけど「ずっとファンです」ということまでは言えなかったな(笑)。でも、その撮影場面を見ることができただけで感動的でしたよ。スタジオは、ウエスト・ヴィレッジにある「インダストリア」というところでしたが、スロープ階段になっていて、そこをボウイが登ってくるんですけど、それが、だんだんと、スローモーションで、風が吹いているみたいに見えるんですよ(笑)。そのときの私服は、ジャージのようなスポーティな感じで、それも印象的でしたね。日本のレコード会社としては、プロモーション用のフォトセッションができたことは本当に大きなことでしたが、それがソニーミュージックとしても最初で最後のフォトセッションだったので。それは、本当に小沢が偉かったと思いますね。

――それが、大回顧展「DAVID BOWIE is」の日本展開催につながって、さらに、今回のデジタルアーカイブ化につながるわけですからね。

白木:本当ですよね。いちファンとして、日本展が終わってから寂しさを感じていたのですが、NYを最後にその後どこに行っても観ることができなくなってしまうわけです。それを、昔では考えられなかった、今のテクノロジーで残そうという発想はすばらしいですよね。簡単にはいかないことも多かったと思いますけど、小沢もちょうどNY赴任になって、いろんな運と縁が重なったのではないですかね。ボウイも、今、生きていたら、絶対に喜んだと思います!

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スマホ向けARアプリ「David Bowie is」のティザー映像公開!

スマホ向けARアプリ「David Bowie is」アプリ公式サイトにて、ティザー映像が公開。

(以下、テキスト訳)

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カルチャー史上最も影響力のあるアーティスト、デヴィッド・ボウイの生涯と作品を展示し、世界で記録的成功を収めた大回顧展「DAVID BOWIE is」がデジタル化され、永遠不滅の作品として甦る。

ボウイ72回目の誕生日であった日に、「David Bowie is」のスマホ向けAR(拡張現実)アプリ(iOS・Android対応)が発売されることが決定した。

高解像度で記録された400点以上の作品(ボウイの衣装、スケッチ、メモ、手書きの歌詞、ミュージックビデオ、絵画)などが、はっとするような臨場感あふれるAR(拡張現実)の環境で体験可能になったのだ。巡回展では展示されなかった数十点以上の作品もアプリのために追加されている。

「David Bowie is」スマホ向けARアプリでは、ショーケースのガラスや他の観客を気にすることなく、より身近な環境で展覧会の一部始終を鑑賞することができる。自分の自由なペースに合わせて鑑賞し、お気に入りの作品に直接飛ぶこともできるのだ。アプリ内のお気に入り作品をコレクションして保存することも可能だ。そう、このアイコニックな展覧会は永久にあなたのものとなるのだ。
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