連載

プロが集い一切の妥協なく完成させた音――『MDR-M1ST』開発秘話【後編】

2019.9.10

Interview

注目ワード
MDR-CD900ST
MDR-M1ST

Technology

レコーディングスタジオをはじめ、音作りのプロたちが自らの仕事を磨き、音楽を仕上げるために使用するモニターヘッドホン。そんなプロ御用達のヘッドホンに、新たなモデルが加わった。それがソニーとソニー・ミュージックスタジオが共同で開発した『MDR-M1ST』だ。

ハイレゾ音源にも対応し、これからの音楽制作に必須の新世代ツール。その誕生の裏側には約4年半もの歳月をかけて音を作り込んでいったエンジニアたちの姿があった――。

「Tech Stories」の連載3回目は、『MDR-M1ST』の開発中心メンバーに集まってもらい話を聞く後編をお届けする。4年半という異例の開発期間を費やし、ついに完成した新世代のモニターヘッドホンを前に、開発者たちは何を想うのか? 彼らがプロと呼ばれる理由がここでも垣間見られる。

 

音を磨き上げるために6人のスタジオマンが集結

前編からのつづき)「とりあえずベースとなる音は完成したので、ここからは僕ひとりの意見ではなく、ほかのスタジオマンにも音を聞いてもらってブラッシュアップしていくことにしたんです。スタジオエンジニアはそれぞれ得意とする音楽ジャンルを持っていますし、音に対する感性も世代によって違う。中堅どころからベテランまで、私を含めて6人のスタジオマンに開発プロジェクトに参加してもらいました。」(松尾順二)

ソニー・ミュージックソリューションズ
ソニー・ミュージックスタジオ
レコーディングエンジニア
松尾順二

『MDR-M1ST』の基準となる音を完成させるため、既に2年が経過している。ここからさらに音を磨き上げて行くにあたって、松尾(順)ひとり納得させるのですら容易ではないのに、個性が異なり、それぞれが強いこだわりを持つスタジオエンジニアの耳を全て納得させないといけない。松尾(順)からの提案は、越えなければいけない壁とは言え、潮見にとってはあまりに酷な状況だったのではないだろうか?

「皆さん、ご自分の意見は絶対曲げませんからね(笑)。でも、実際に話を伺っていると、それぞれ違うことを話されているようで、深く掘っていくと実は同じポイントを指摘されていることがわかってきました。音を言語化するのは難しいことです。それでもお互い忌憚なく話していくなかで、おぼろげながら音の形が見えてくる。この感覚を得られるまでは大変でしたが、勉強になることも多く、私としては楽しみながら作業ができました。」(潮見)

ソニーホームエンタテインメント&サウンドプロダクツ株式会社
V&S事業本部
商品設計部門
商品技術1部2課
潮見俊輔氏

例えば、ひとりのエンジニアが高音域をもっと伸ばしてほしいと言う。潮見は調整してそのエンジニアからOKをもらうが、ほかのエンジニアからは低音域が抑え目になった、中音域がさみしいという反応が来る。あちらを立てればこちらが立たずとは、まさにこのことだろう。しかし、当初は言われるがままに調整していた潮見だが、各エンジニアが感じていることを自分のなかで翻訳できるようになってからは、作業がスムーズに進むようになったという。

「皆さんがよく言う“もうちょっとグッとくる感じ”という表現を理解するのが一番難しかったですけどね(笑)。」(潮見)

松尾(順)の“感覚的な表現”を理解するために費やした2年の歳月が、潮見の地力を底上げしていたか。いつの間にか彼は、6人の音のマイスターたちの感覚も理解できるようになっていた。

スタジオエンジニアたちの異常なまでの音の聞き分け力

松尾(順)をはじめとしたスタジオエンジニアが音を感覚的に表現しているというが、彼らの耳が常人の感度でないことのエピソードをお伝えしておこう。語ってくれたのは、ソニーとソニー・ミュージックスタジオが共同で開発した初のインイヤーモニター『MDR-EX800ST』の開発者である松尾伴大だ。現在は耳型職人の活動で得た知見を存分に活かして、一人ひとりの耳に極上のフィット感を提供するテイラーメイドイヤホン「Just ear」のプロジェクトリーダーも務める彼が、自身の開発当時の記憶からこんなエピソードを披露してくれた。

MDR-EX800ST開発者
ソニーホームエンタテインメント&サウンドプロダクツ株式会社
V&S事業本部
V&S事業部
新規ビジネス事業室
松尾伴大氏

「僕らは音の調整をするとき、必ず機械で音響特性を測りながら作業します。これは、自分の耳の感覚と実際の物理的データにズレがないかを確かめるために行なっているのですが、我々は常に音響特性グラフを見ながら聞いているので、変わったポイントを把握できます。でもスタジオエンジニアの方々は、自分がマスタリングに関わった楽曲を聞くだけで“1週間前の試作機から6.3kHzのところが1dB高くなっているね”と周波数帯とどれくらい感度が変わっているのかを的確に言い当てるんです。さらに衝撃的だったのが、ほぼ最終量産品の状態で製品検査レベルの許容範囲を確認するために10台の試作品を持って行ったのですが、音を聞きながら“これはいいね”、“これはだめ”と振り分けていって、結局半数以上NGが出ました。正直どれも指摘を受けて聴き込んで、やっと僕が認識できるレベルの微妙な違いです。一般の方には絶対にわからないと思います。でも、プロが求めているのはこの精度。実際に、この微細な誤差でも生じてしまうなら、ソニー・ミュージックスタジオが開発に協力した商品として売り出すのにOKは出せないと言われました。これはもう工場で作業測定設備を一から作り直さないとダメだということになり、実際そうなりました。そして、それが今ではソニーの音作りのスタンダードになっています。」(松尾伴大)


 

開発チームにメカ設計という最後のピースが加わる

潮見と6人のスタジオマンによる音の作り込みが進むなか、各エンジニアが理想とする音に近付いてきた段階で、ソニーからプロダクトマネージャーとして徳重賢二が参加。

徳重はソニーでアクティブスピーカーやコンスーマー用マイクの設計を手掛け、5年ほど前からヘッドホンの開発チームに参画。オーディオ機器の構造を熟知したエンジニアであり、『MDR-M1ST』開発チームに最後に加わったメンバーでもある。徳重の参加によって、今度は部材の選定や生産のプロセスについての協議が始められた。

ソニーホームエンタテインメント&サウンドプロダクツ株式会社
V&S事業本部
商品設計部門
商品設計1部4課
課長
徳重賢二氏

「『MDR-CD900ST』と同様に、10年、20年と愛用されるモニターヘッドホンを生み出すのが我々のミッションでした。そのため数年後に調達できなくなるような可能性のある部材は一切使わないことを前提に、音質はしっかりと担保できるものを潮見ともディスカッションしながら選定していきました。さらに耐久性と強度に関してもこだわっていて、プロの現場でハードに使われることを想定して、徹底的にメカの部分を作り込んでいます。」(徳重)

レコーディングはアーティストたちの感情表現が爆発する場でもあるので、取り扱いが多少乱暴になることも想定される。ちょっと落としたぐらいで壊れてしまうような強度では、プロの道具として日々の酷使に耐えられないのだ。この点について徳重は製品テストの基準を厳しくして、部材だけでなく製品の構造としてもより壊れにくい工夫を施すことで完成形へと高めていった。そしてもう一点、徳重が心血を注いだことがある。それが装着性だ。

「ソニーがこれまでのヘッドホン開発で蓄積した技術や経験、そして人間工学の知見を投入して、録音作業で長時間装着していても疲れない着け心地が実現できたと思います。これを実現するために、潮見たち歴代の耳型職人が採取した耳型のデータも活用しましたし、頭部についても数百というデータから最適な形状を導き出して、最終的には多くの人に装着アンケートも行なって詰めていきました。ちなみに重量は215g(ケーブル含まず)で、『MDR-CD900ST』と比較すると15g重くなっています。ただ、実際着けてもらうとわかりますが、『MDR-CD900ST』や同じような重量のモノと比べても重いとは感じられないと思います。そう感じられるような装着性を実現させていますので。」(徳重)

このほかにもメカの構造に対して、スタジオ側から細かい要望が入ったという。

「演奏や作業で体を動かしたときに、ヘッドホンのパーツ同士が当たったり、カチカチ音が鳴ってしまうと、マスタリング作業のときにノイズと間違えてしまうことがあるということで、可動部にシリコンリングを入れてメカノイズを軽減させています。あとは、こすれて塗装が剥げてしまうと見栄えが悪いので、樹脂のところは敢えて塗装にしていなかったり、スライダー部はステンレスにPVD処理を施して表面硬度を向上させ、耐摩耗性も高めています。」(徳重)

装着感を調整するスライダー。ここの耐摩耗性を高めるためPVD処理が施されている。

音だけでなく、メカの視点でもプロ仕様。『MDR-CD900ST』がスタジオで使用されるようになって30年以上、その間一度として仕様や部品に変更はなかったが、長く使われれば使われるほど改良すべき点も見えてくる。『MDR-M1ST』は、最新の技術を取り入れ、その改良点を一つひとつ丁寧に解決していった。その点では『MDR-CD900ST』から明確な進化を遂げたと言えるのではないだろうか。

濃密なコミュニケーションがもたらした新世代の音

この30年でヘッドホンに関連する技術や部材は格段に進歩している。しかし、開発のスタイルは『MDR-CD900ST』が生まれたときとまったく同じ。今回もまた人と人の結びつきと、音のプロ同士の切磋琢磨によって、新たなモニターヘッドホンが誕生した。

音楽をもっと楽しく聴きたい、聴いてもらいたいという互いが共有する想いのもとに、レコーディングからマスタリングまで一貫したハイレゾ環境を実現する『MDR-M1ST』。その魅力やポテンシャルについて、改めて開発の中心メンバーに語ってもらった。

「スタジオの方たちと話しているなかで、音楽の大事な要素というのは中音域に8割以上凝縮されているということを教えてもらいました。『MDR-M1ST』は音楽を聴いた瞬間に自然とそこに耳のフォーカスがいくような音の作りになっていると思います。なおかつ、いったん気持ちを落ち着かせて聴くと、高音域から低音域まで過不足なく、絶妙なバランスで鳴る、まさしくモニターヘッドホンになったと思います。音の分離感や見通しも良く、フォーカスが合った音が近くで聴こえるという印象もありますので、ぜひ多くの人に聴いて確かめてもらいたいと思います。」(潮見)

「最初からコンセプトにしていた、音がひずまずにクリアでレスポンス性能が高いモニターヘッドホンが誕生したと実感しています。スタジオ作業は長時間に及ぶことが多く、大音量だと耳が痛くなって疲れてしまうのですが、『MDR-M1ST』は音量を上げなくてもバランス良く聴けますし、楽器の音色もきれいにハッキリと聴き分けられる。音楽をずっと聴いていたい人にも最適なヘッドホンだと思います。」(松尾順二)

「余分は省き、細部までプロ仕様として突き詰めているので、一見すると地味だと感じる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、実際手に取り装着していただくと、素材やモノとしての良さを実感してもらえるのではないかと思います。丁寧に作り込んだこと、かつプロのスタジオで道具として使えるような強度と耐久性を感じ取っていただけたらうれしいですね。それと久しぶりにソニー・ミュージックスタジオのエンジニアの方たちと密にコミュニケーションを取り、永く使ってもらえそうな製品を作れたことが、私にとっても大きな財産になりました。」(徳重)

全員の音楽に対する強い想いがやり遂げさせた

ソニーとソニー・ミュージックスタジオによる30年ぶりの挑戦はお互いに多大な経験をもたらしたはずだ。そして、携わったエンジニアたちのこれからの仕事にも大きく影響を与えていくことだろう。

「ソニーとソニー・ミュージックスタジオのエンジニアが協力すると、やっぱり良い音ができるということを改めて実感しました。『MDR-M1ST』は最終的に4年半という開発期間がかかっていますが、ひとつの商品開発に3年も4年も付き合ってくれるメーカーなんてほかにありません。潮見さんは本当に苦労されたと思いますが、そのかいあって『MDR-M1ST』は新世代モニターヘッドホンと呼ぶに相応しい完成度になったと思います。それと、プロジェクトとして途中で挫けず、完成まで辿り着けたのは、同じソニーグループであることと同時に、今回開発に携わったメンバー全員、音楽が大好きで、アーティストたちが生み出す素晴らしい音楽を、良い音でリスナーの方々に届けたいという共通の想いがあったからだと思います。今後もこうした関係を続けていって、もっと多くの人に素晴らしい音楽を届けていけたら最高ですね。」(松尾順二)

「入社する前のソニーのイメージは、“ソフトもハードも一緒になって何か新しいこと、楽しいことを生み出せる会社”でした。そして、今回の開発はまさにそれを具現化したようなプロジェクトで、自分も参加できて本当に楽しかったですし、エンジニアとして良い経験をさせてもらいました。音楽に限らず、さまざまなエンタテインメントを生み出すソニーミュージックグループと、それを観たり、聴いたりするハードを作り出すソニーが一緒にモノづくりをする。この文化があれば、今後も皆さんに素晴らしい体験をご提供できるのではないかと感じました。」(潮見)

次回は、『MDR-M1ST』の開発に携わったソニー・ミュージックスタジオのエンジニア6人に集まってもらい、完成した『MDR-M1ST』の音の評価を中心に話を聞く。彼らにとって仕事の“道具”となる『MDR-M1ST』は新たな相棒となるべき存在となったのか? 彼らの言葉から『MDR-M1ST』の真価が引き出されていくはずだ。

文・取材:油納将志
撮影:篠田麦也

ソニーとソニー・ミュージックスタジオが共同で開発した新たなモニターヘッドホン『MDR-M1ST』

ハイレゾ音源にも対応する、新たなモニターヘッドホン。音作りのプロたちの技術の粋を結集して開発され、新世代の音作りに欠かせないツールとなる。

価格:オープン(2019年8月23日発売)

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