クラウドエンジニア:異色の経歴、異色の採用を経て始まった、エンタメ業界でのITエンジニアのキャリア
2026.08.25


さまざまなエンタテインメントビジネスを手がけるソニーミュージックグループで、専門的な知識とスキルを持って働く技術者(エンジニア)に話を聞く連載企画。
第33回は、ソニー・ミュージックソリューションズ(以下、SMS)が運営するソニー・ミュージックスタジオ所属のマスタリングエンジニア・石橋香に話を聞いた。
目次

石橋 香
Ishibashi Kaori
ソニー・ミュージックソリューションズ
――レコーディングされた音源を配信やCD、レコードなどの各メディアに適した音に整え、最終的なマスター音源を作成するのが、マスタリングエンジニアの仕事。詳しい業務内容は、同じソニー・ミュージックスタジオ所属のマスタリングエンジニア・酒井秀和さんに聞いていますが、石橋さんが音響エンジニアという仕事に興味を持ったきっかけは何でしたか。
もともとライブ会場の音響を扱う、いわゆるPA(公衆伝達:Public Address)エンジニアのカッコ良さに惹かれて、長崎から上京して音響技術の専門学校に入ったのが直接のきっかけです。
ただそこに至るまでは、音楽一筋というわけではありませんでした。子どものころにオルガンやピアノを習いごととしてはやっていたんですが、その後は高校までソフトボール部一本で。ただ音楽はいつも聴いていて、進路を決めるときに一番興味を持っていたのがコンサートPAだったんです。
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――音響エンジニアを目指す人で、きっかけがコンサートPA志望だったという話は多いそうですね。
私もそうでしたけど、やはりコンサート会場で目にする機会が多い職種で、ボタンやフェーダーがたくさんついた卓を操っている姿がカッコいいんですよね(笑)。
ただ、PAエンジニアは機材の搬入、搬出も自分たちでやるので、それなりに向き不向きがあるんです。私は運動部に入っていたから体力には自信があったんですが、重いものを運ぶ腕力がないと結構厳しいなと、専門学校の実習で実感しました。
さらに専門学校では、PAだけでなくレコーディングや電気系の学科もあって。そのなかで“マスタリング”という作業を初めて知ったんですが、そういえば……と思い当たることがあったんです。
――何でしょうか?
親がオーディオ好きだったので、家にいろいろな音響機材があったんです。それに影響を受けて、私もアナログレコードをレンタルしては、カセットテープに録音していて。そのとき“いかにいい音で録音できるか?”を、結構、追求していたんです。
当時は、詳しい理屈はわかっていませんでしたが、グラフィックイコライザーを使って音を調整したりしていたので、マスタリング作業を学んだときに“あれ? 私がやってきたことってマスタリングかも?”と気づいたんですね。
小さいころから“いい音”で音楽を聴くことに興味があったし、そちらの方が私には向いていそうだと、マスタリングエンジニアに方向転換しました。
――石橋さんはソニー・ミュージックスタジオの前、ほかのスタジオに勤務していたそうですね。
はい。専門学校を卒業してからBMGビクター傘下のBMGスタジオに勤務していました。その後、会社の体制もいろいろと変わり、ソニー・ミュージックエンタテインメントに吸収合併されることになったのを機に、2009年からソニー・ミュージックスタジオ勤務になりました。
BMGスタジオ時代は専用のマスタリングスタジオがなかったため、仕事は洋楽のコンピレーションアルバム制作などが主でした。だからオリジナルの新譜をイチからマスタリングする作業はあまり経験がなくて。マスタリングの手順などはソニー・ミュージックスタジオに移ってから学ぶことが多かったですね。
――環境の違いは感じましたか?
初めは驚くことばかりでした。ソニー・ミュージックスタジオはレコーディングからミキシング、オーサリングなどを一気通貫で行なえる大きなスタジオだというのもありますから、まず作業のバックアップ体制や機材メンテナンスがとてもしっかりしていました。
扱うアーティストの数も全然違いますし、機材の種類も豊富、業界で有名なエンジニアさんも多い。専門分野がはっきりしていて、業種それぞれにプロフェッショナルがいるのも特徴だと感じましたね。
――マスター盤制作で石橋さんが多く手がけるジャンルはありますか?
前の職場で洋楽やコンピレーション物を多く扱っていた経歴もあってか、洋楽アーティストの旧譜リマスターや、レガシー物のコンピレーションボックスなどを担当することが多いですね。
なので音楽ジャンルとしてはさまざま。洋楽のポピュラーミュージックから、日本の演歌、映画音楽、アニメ音楽まで幅広くやらせていただいています。
ソニーミュージック以外のアーティストを担当させていただくこともあり、コロナ禍のときには、BMGスタジオ在籍時に担当者とお付き合いがあったオフコースの周年記念ボックスのリマスターをコツコツやっていたことも印象的です。
――ちなみに、石橋さんはどんな音楽が好きですか? 石橋さんのルーツ・ミュージックを教えてください。
自分がプライベートで作っているプレイリストは、いろんなジャンルがありすぎるんですが(笑)、なかでも映画のサウンドトラックは好きでよく聞きますね。もともと映画が好きなので、休みの日は映画鑑賞に出かけることが多いです。
思い返せば、最初に音楽を好きになったきっかけも映画でした。『ネバーエンディング・ストーリー』が大好きで、その音楽を担当していたのが、ジョルジオ・モロダー。そこから電子音楽が好きになり、邦楽だとYMOやTM NETWORKもよく聴いていました。自分でもシーケンサーで打ち込みをして遊んだりしていましたね。
――長いキャリアのなかで石橋さんが感じてきた、この仕事の醍醐味や思い出を教えてください。
自分が好きで聴いてきた作品を手がけている方々と、お仕事をご一緒できたときはご褒美をいただいた気持ちになりますね。
あるコンピレーションアルバムのチェックに、昔から好きな作曲家の方が立ち会いに来られたことがありました。その方は映画音楽もたくさん書かれていらっしゃるので、その映画のお話をすごく熱く語ってくださったことにも感動しましたし、私が過去に担当した作品を知っていてくださったこともうれしかったです。
長年この仕事をしていると、そういうご縁をいただくことも多くて、続けてきて本当に良かったなと思える瞬間です。
――ほかに印象的なエピソードというと?
音にこだわりのあるアーティストさんとのやりとりも印象深いですね。マスタリングでは、なかなかOKが出ず、締め切り直前まで何回もマスターを作り直すことがあります。
クライアントのオーダーも“やっぱりちょっと違う”とか、“これじゃノレない”といった感覚的な表現であることが多いので、調整しながら“これならどうですか?”と根気よくやりとりをしました。
一番長かったときは、1曲で足かけ2日間かけて5回くらいやり直しましたね。でも、その分、最終的にOKが出たときは“鍛えてもらってありがとうございます!”という気持ちになります。どれだけ経験を積んでも、まだまだ勉強になることばかりですね(笑)。
――仕事としてやりがいを感じることが多そうですね。
それは、本当にそうですね。まず完パケができた時点でうれしいですし、それが無事に世に出て、喜んでくれるリスナーの方々の声を見聞きしたときは、「この音楽に携われて本当に良かったな」と思います。
また、記念碑的なコンピレーションアルバムなどでは、自分が知らなかった隠れた名曲が入ることも多くて。そういう曲を発見したときは、音楽ファンのひとりとして、うれしくなります。
――石橋さんがマスタリングエンジニアとして、最もこだわっていることは何ですか?
マスタリングは、音楽制作の仕上げの工程であり、最後の砦です。ここで不備、不具合を見逃してしまうと、そのまま商品として世に出てしまいます。
聴く人、ファンの方々をがっかりさせてはいけないので、頭から最後まで「ここって何かヘンじゃない?」と感じさせないものを作らなければいけない。その曲に没入できる音を作り上げないといけないというのが、一番大事なことで。
いろいろなものを、きれいにお化粧して整えるイメージですね。音、音響を作るだけでなく、音楽の監視役という意味合いも大きい仕事です。
――そこで必要とされる資質は、何だと思いますか?
まず、いろんな音楽を聴いていることですね。そうじゃないと、クライアントが望んでいること、何が良くて何が悪いのかがわからないですから。あとは、何かミスをしてもめげないこと。もちろん反省は必要ですが、少し図太いぐらいのほうがいいかもしれません(笑)。
――石橋さんも現場でたくさん怒られましたか?
そうですね……数えきれないほど(笑)。でも、アーティストやディレクター、プロデューサーは、ちゃんとイメージがあってオーダーしていることだし、現場に入って自分がそれを求められる立場になったら、何とかして要望に応えなくてはいけない。
もし、そのときにスキルが足りなければ事前に調べたり、先輩に聞くなど、その場でどうやって対応するか考える必要があります。大事なことは現場での対応力。だからこそ、この取材を受けた全員が言っていると思いますが、コミュニケーション能力が重要なんですね。
ただ、勘違いしてほしくないのは、そういったコミュニケーション力を含めて、最初から何でもできる人なんているわけがなく、キャリアを積み重ねてこそなんです。
先ほど言った、クライアントからの抽象表現のニュアンスもそう。いきなり「そこは星がきらめくような感じ」と言われたって、どんな音にしたらいいかわからないですよね?
新人のころに「ダメ」と言われると、「自分には向いていないのかも?」と思ってしまいがちですが、そんなことはまったくなくて。この仕事は、経験を積むことでスキルが身についていく仕事であると認識してほしいです。長くやればやるほど経験値が上がり、それに伴って自分のなかの引き出しが増え、相手も信頼してくれるようになる。本当に音楽が生まれる瞬間、現場を見たいなら早く諦めないことも大事だと思います。
――この連載では音楽制作にまつわるさまざまな音響エンジニアに話を聞いていますが、例えばレコーディングエンジニアと、マスタリングエンジニアでは性格が違ったりしますか?
わかりやすく違う部分はあると思います。ただ、それは性格というよりも仕事の性質による違いかもしれません。
レコーディングはチームで行なう作業なので、現場にはアーティストやミュージシャン、ディレクター、プロデューサーなど多くの人が関わります。そのためレコーディングエンジニアには、周囲と円滑にコミュニケーションを取りながら進行できる力が求められます。
いっぽう、マスタリングは完成に近づいた作品とじっくり向き合いながら、細かな確認や判断を重ねて仕上げていく仕事です。クライアント立ち合いでのマスタリングも多いですが、ひとりで集中して作業する時間も少なくありません。
そのため、レコーディングエンジニアは人と関わる時間が比較的長く、マスタリングエンジニアは音と向き合う時間が比較的長い傾向にあります。そうした仕事環境の違いが、それぞれの働き方や得意分野に現われているのかもしれません。
――これからマスタリングエンジニアを目指す人に、アドバイスをするとしたら?
音のトレンドというのは回り回っていくものなので、昔の音楽を含めて、いろんな音楽を聴いている人が、引き出しを多く作れると思います。
マスタリングの仕事は特に、自分の好き嫌いに関わらず、いろんなジャンルの音楽を手がけることになるので、自分がいつも聴かないような音楽も聴いてみる。そこで、知らなかった曲を発見する面白さを感じられるなら、この仕事に向いていると思います。
――今はサブスク時代なので、プレイリストなどで知らない音楽も探しやすくなっていますからね。
そうなんです。自分の好きなジャンルに偏りすぎず、一歩引いた目線で音楽業界全体を見てみる、広がりを持てるように意識しておいたほうがいいですよね。
“私はアニメは見ません!”“映画は見ません!”と決めつけず、一度体験するとそれに付随する音楽を好きになるかもしれない。とりあえず、何にでも挑戦してみようという心持ちでいるといいのかなと思います。
私のこれまでの経験でも、好奇心旺盛でいろんなものを見て聴いている人は、伸びるのも早かったです。与えられたことをやるだけでなく、自分からいろんなものを探し回っている人は、伸びしろも大きいと思うので、ぜひ若いうちからいろんな経験を積んでいってほしいと思います。
文・取材:阿部美香
撮影:干川 修

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