ドラマーからラッパーへ。異色の転身を遂げたあっこゴリラが爆誕するまで<後編>
2018.08.01
今後さらなる注目を集めるであろう、気鋭のアーティストの実像に迫る連載企画「Artist Profile(アーティストプロファイル)」。連載第6回でクローズアップするのは、ラッパーとして精力的に活動するあっこゴリラ。
ガールズバンドHAPPY BIRTHDAYのドラマーあっことして2011年にデビュー。その後、バンドは2015年に解散し、2018年4月にあっこゴリラとして、バンド時代と同じレーベルから再デビューを果たす。ドラマーからラッパーへ異色の転身を遂げたあっこゴリラはどのように誕生したのか。幼少期のころからバンド時代、そして現在に至るまでをインタビュー。前編・後編の2回にわたってお届けする。
──あっこさんは、幼少のころはどのような子どもでしたか。
あっこゴリラ:わりと一匹狼というか、気が強くて、あんまり群れるタイプじゃなかったですね。グループには所属しないタイプ。マイペースに、かけっこやバスケを頑張ったりしていました。
──当時、興味を持っていたことは何でしょう。
あっこゴリラ:そろばんとか塾とか、なんでも自分から「やらせて!」って親に言って、ソッコーで辞める、みたいな(笑)。でも、ピアノとバレエだけは続いたんですよね。あとはラジオでJ-POPをよく聴いてました。
──そのふたつが長続きしたのはどうしてですか。
あっこゴリラ:バレエは小学校の6年間やって、ピアノは18歳ぐらいまでやっていました。ピアノは自分で好きな曲を選んで弾くっていうのが楽しくて、マイペースだから続いたんじゃないかな。バレエもストーリーとか役とかあってちょっと楽しかったんで。
──習い事が今の活動に繋がっていることはありますか。
あっこゴリラ:すごい繋がってますね。特にバレエは人前に立つ勇気、役に入ること、舞台を作って見せるっていうことが、今のラッパーという表現スタイルに通じると思います。
──HAPPY BIRTHDAY(2015年に解散)ではドラムを担当されていました。ドラムを始めたきっかけは?
あっこゴリラ:小1ぐらいのときにテレビで8ビートの叩き方をやっていて、家で菜箸とボールを使って見よう見まねでやっていたんです。それと小学校の音楽室にドラムセットがあったので、教科書に載っている曲にドラムを乗せる、みたいなのを小1でやっていました。でも、ドラムは遊びでやっていたので、小学校で辞めました。そこからは全然やってなかったんですけど、高校卒業するぐらいにまたドラムを始めました。
──その頃聴いていた音楽はJ-POPが中心ですか。
あっこゴリラ:小学生から中学生ぐらいまではJ-POPと両親の影響でザ・ビートルズとかマライア・キャリー、マイケル・ジャクソンを聴いてました。高校になると日本のオルタナ・ロックに興味を持つようになって、ナンバーガールとかBLANKEY JET CITYとかをちょっと後追いだったんですけど知るようになって、CDを買うようになりました。
──組まれていたバンドもそんなオルタナな感じだったんでしょうか。
あっこゴリラ:そうですね。ナンバーガールとかブランキーはだいたいコピーしました。そういうドラムが叩きたかったので。
──あっこさんからみんなを誘ったのですか。
あっこゴリラ:逆ですね。小さい頃はほんとマイペースだったんですけど、途中からみんなに合わせる側の人間になったんです。高校のときもそうで、みんながギターやりたい、ボーカルやりたい、ベースやりたい、あれ、ドラムが誰もいない。じゃあ、あっこやんない? みたいな。そういえばドラムは小さいときにやってたなって、思い出して。
──みんなに合わせるようになったきっかけは?
あっこゴリラ:小学生のとき、バスケ部に入っていたんですけど、合宿でひとりだったんですよ。同級生はいっぱいいたんだけど、ずっとひとりでした。
──それはいつ頃まで?
あっこゴリラ:小5までですね。バスケ部にもうひとりマイペースな子がいたんですけど、その子が風邪で合宿を休んで、え、マジで!?みたいな(笑)。マジでひとりじゃんあたし、終わったー、合宿3日間どうしよう! みたいになって。
でも、バスケ部のボスが、あっこを仲間に入れない? って言ってくれて。そこからみんなが急に「あっこー♪」みたいになった。それまでみんなとけっこうバチバチだったんですけど、そこから社会を知る、みたいな(笑)。ひとりも寂しかったんで、ちょっとうれしかったですね。そこから、空気を読むとか、みんなに合わせるようになっていって。「絶対秘密だよー」っていうことは、言っちゃいけないんだ! とか(笑)。
──いわゆる女子の世界を知るということですね。
あっこゴリラ:そうそう、そういうの全然知らなかったので。女子の世界をひとつずつ学んでいきました。でも、最初はおもしろかったですけど、高校ぐらいで、あれ何かおかしくない? ってなりだして、ちょうど高2ぐらいからまたひとりの世界に入っていきました。
──でもバンドは誘われてやった?
あっこゴリラ:それはメンバーが普通に友達だったので。でもバンドやったぐらいですね。
──高校を卒業したあとも音楽をやっていきたいと思っていたんでしょうか。
あっこゴリラ:そこまでは考えていなかったですね。どっちかと言うと、何かをやりたいんだけど、何をやりたいか分からなかった。馬力はすごいあるんだけど、この馬力をどこに充てたらいいかが分からず、とりあえず何でもやってみようと。
──そのなかのひとつが音楽だった?
あっこゴリラ:はい、そうでした。
──それからHAPPY BIRTHDAYをやっていくことになります。
あっこゴリラ:そうですね。HAPPY BIRTHDAYの前にも友達とちょっとしたバンドみたいなのをやっていたんですけど。ちゃんと人に知られるようなバンドは、HAPPY BIRTHDAYが初めてでした。
──デビューした頃を振り返ると?
あっこゴリラ:私はドラムが下手で、しかも我流だったんです。ベースと合わせることから始めるぐらいの初心者レベル。しかもオルタナ・ロックに影響を受けたドラムのスタイルだったので、歌モノ、ポップスのドラムはどういう感じに叩けばいいんだろうって、aikoさんの曲をコピーしながら学んでいったり。いっぱい練習して、ふたりで良いものにしていかないと! という気持ちで頑張っていましたね。
──だんだん楽しくなっていった?
あっこゴリラ:そうですね。でもやっていくうちに、自分はそっちじゃないんだろうなとは思っていたんですよ。
──そっちじゃないというのは、HAPPY BIRTHDAYのポップスのスタイルが?
あっこゴリラ:はい。でも、いつかこれが自分の糧になるって思っていたんです。このバンドで有名になったら、自分の好きなサウンドも追求できるときが来るかもしれないと。そのためには基礎も大事だし、そうなるかもしれないチャンスを与えられているわけですから、ありがたく受け止めて努力しようと思ったんです。でも、すっごい我慢していた。
そうして精神的な限界がきて、バーッて爆発してラップを始めることになったんです。結果、当初思い描いてた道筋じゃなく、自分の好きな道を自分で切り拓いて突進していったという感じになった(笑)。
──これを叩いていればいつかは次に行けると思っていたけど、その前に爆発しちゃった?
あっこゴリラ:その前にっていうよりは、そうやって信じて頑張っていたんですけど、なかなかバンドもうまくいかなくて。バンドが活動休止になるちょっと前ぐらいから、モヤモヤを発散するように自分を出すようになってきたんですよね。
──通常のライブだと、前にボーカリストがいて、自分は後ろでその背中を見ながら叩いている。でも、自分がいちばん前に立ちたい、と考えるようになった?
あっこゴリラ:前に立ちたいとかじゃなかった。もうちょっと切羽詰まってて、どっちかと言うと、自分は価値がない人間だ、みたいに自分を下げて考えるようになっていったんです。
──それはバンドの活動中に、少しずつ思うようになっていったのでしょうか?
あっこゴリラ:絶対に成り上がってみせる! みたいな野心もありながら(笑)、理想と現実のなかでうまくバランスが保てなくなってきて、すごく自分を下げて、自分のことを常に侮辱してるような状態になっていった。お前ごときがって。だから、自分がフロントに立ちたいっていうよりは、そうやって自分を虐げすぎちゃって、バランスが取れなくなっていっちゃったんですよね。
それが行き過ぎると、何が好きで何が嫌いなのかも分かんなくなってくる。いろんなことが判断できなくなるぐらいになっちゃって。変な話、もう呼吸が苦しいぐらいの感覚だったんです。ラップを始めたのもバンドのためだったんですけど、それと同時に家でもラップをするようになっていった。ワーーー! という気持ちをぶつけるように。まさに衝動ですね。
後編では、あっこゴリラとしてのソロ活動からHAPPY BIRTHDAYの解散、そして今後について語ってもらった。
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