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連載Cocotame Series

佐野元春THE BARN20周年特別企画

「佐野元春『THE BARN』20周年企画」当時の担当ディレクターによる“今だから語れる制作秘話”<後編>

2018.04.03

  • ソニー・ミュージックダイレクト
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90年代に入り、追随を許さない孤高のロッカーとなった佐野元春の制作チームに新ディレクターとして仲間入りしたのは滝瀬茂。まもなくして佐野元春プロモーションチームに赴任したのが、現在、ソニー・ミュージックダイレクトでMOTOアーカイブワークスの担当ディレクターを務める福田良昭。佐野元春キャリアのエポックメイキングとなった「THE BARN」誕生を、現役ソニーミュージックスタッフのなかでいちばん近くで見ていた制作マンと宣伝マンである。

二人に「THE BARN」にまつわる20年前の日々と、新生「THE BARN DELUXE EDITION」への想いを語ってもらった。

―― 福田さんはいつから佐野さんの宣伝担当になられたのですか。

福田 1992年からです。販売促進部でテレビ担当をしていたこともあったので、滝瀬さんが話されていた「SOUND ARENA」への出演がまさに制作チームと一緒にやった最初の大きな仕事でした。あのときに、佐野さんは初めて福田という奴がソニーにいるんだって記憶されたんじゃないかと思います。そのとき滝瀬さんは、佐野さんの横にいて精神的なサポートをしていたという感じでしたね。僕はさらにそれを横から見ていました。

ソニー・ミュージックダイレクト ストラテジック制作グループ 制作一部 部長 福田良昭氏

ソニー・ミュージックダイレクト ストラテジック制作グループ 制作一部 部長 福田良昭氏

滝瀬 福ちゃんも大変だったよね。いろいろあったから(笑)。

 ウッドストックでの合宿録音

―― お互い佐野さんと仕事をしていくうえでの距離感や呼吸を習得しながら、本題でもある「THE BARN」に向かっていきます。ウッドストックのベアズヴィルスタジオでの合宿録音 はどういう経緯だったのですか

滝瀬 ジョン・サイモンがプロデュースすることがまず決まりました。でも、どこでレコーディングするかというのはその時点でまだ決まっていなくて。佐野さんがジョン・サイモンと話をしているうちに「僕のメンバーをウッドストックのスタジオに連れて行きたい」ということになったんです。

その前にジョン・サイモンは一度東京に来ているんですが、一口坂スタジオでセッションをして、バンドメンバー全員と会って、どういう曲をやりたいのか、というミーティングをしました。一度会っておかないとお互いのアプローチが分かりませんからね。

ジョン・サイモンはTHE HOBO KING BANDそれぞれのミュージシャンとしての特徴や個性を掴んでアメリカに帰ったはずだし、バンド側はジョン・サイモンというプロデューサーはこういう人だっていうのを把握できたはずなんです。

いきなりウッドストックではじめましてだと上手くいかない場合もあるじゃないですか。そのリスクは東京のミーティングで回避できましたね。

ソニー・ミュージックダイレクト マーケティンググループ企画開発部所属。アナログ盤専門レーベル「GREAT TRACKS」プロデューサー 滝瀬茂氏

ソニー・ミュージックダイレクト マーケティンググループ企画開発部所属。アナログ盤専門レーベル「GREAT TRACKS」プロデューサー 滝瀬茂氏

―― そのとき福田さんは。

福田 この時点で宣伝としてはまだウッドストックでの録音は想像もしていませんでした。次のアルバムがどんなものができるかということは事前には聞いていなかったですね。ウッドストック云々というのを耳にしたときには、すでに佐野さんが渡米中だったような気もします。

―― 滝瀬さんだけがどんなアルバムになるか分かっていたのですか?

滝瀬 分かってないですよ。それまでは佐野さんが迷ったら聞かれる立場だったけど、「THE BARN」は担当した佐野さんの作品のなかで、音楽的な関わりが一番薄いアルバムです。

さっきも言ったようにこのアルバムのプロデューサーはジョン・サイモンと佐野さんなんです。音楽的なことは二人で決めるので僕の役割はそれほど無いし、ましてやバンドのレコーディングだからkyOnも佐橋もいましたからね。

―― 音楽以外の役割が多かったとか。

滝瀬 たくさんありました。担当ディレクターとしてこのレコーディングに関わる外国人すべての人と契約を結ぶ必要があり、国際部とやり取りして英字契約書を作ってもらいました。スタジオの予約確認から食事、レンタカー、エアチケットの手配も自分でやりました。

直前の芝浦スタジオでのリハーサルが終わったら、現地で使う楽器を専門の業者に頼んでウッドストックまで輸送する大事な仕事も。海外レコーディングの経験はありましたが、初めて行く場所だったので不安な気持ちではありました。

―― 行く前が大変だったんですね。

滝瀬 いや、行ってからも大変でしたよ(笑)。佐野さんやメンバーと一緒に成田から飛行機で発って、NYからバンをチャーターして3時間くらいでウッドストックに着きました。着いてからは、まず部屋割りと食事の手配。

今回のドキュメンタリーDVDでも触れている佐野さんの有名な回想とかぶるけれど、向こうで最初に会ったのは本当に鹿だった(笑)。

本当に楽器が届くのか心配していましたが、大きいトラックがバーっとスタジオの敷地に入って来て、すごく安心しましたね。すぐに全部降ろして、みんなでレコーディングができるようにセッティングしました。

―― 体育会系の合宿の面倒を見るマネージャーみたいですね。精神的にも肉体的にもキツかったでしょうね。

滝瀬 東京でのレコーディングでも、自宅に帰っても寝るだけで、ほぼ合宿状態でした。毎日、夜中までレコーディングをして、それが何ヵ月も続きました。

「THE BARN」のほうがむしろ朝から晩まで佐野さんやメンバーの近くにいられるし、メンバーが何時間も遅れて来ることもないわけだし、起きてこなければ起こしにいけるんだから(笑)ラクっちゃ楽。しかも、3週間で終わらせなくちゃいけないという期限もありますからね。

―― 逆によく眠れた?

滝瀬 佐野さんとマネージメントスタッフは車で5分ほど離れたスタジオのメインの建物に泊まってもらい、メンバーと僕はスタジオ横のアパートに泊まりました。

僕は小田原豊(ドラムス)さんとルームシェアしていて、レコーディングは毎日夜の12時くらいに終わるんですが、彼は愛されキャラなのか、いろんな人が夜中にぞろぞろ集まってくるんですよ(笑)。

小田原さんはニューヨークに慣れているから、スーパーに行ってもこのパンがおいしいとか、このジュースがいいとか、毎日僕の朝ごはんも作ってくれました。目を覚ますと「パン焼けたよ~」とか。目玉焼きを作ってくれたり。気がつけば3週間ほぼ毎朝、小田原さんのご飯を食べてました(笑)。

―― バンドメンバーと毎日同じ空気を吸うことで、現場で生まれたアイデアもたくさんあったのではないですか。

滝瀬 ザ・バンドのガース・ハドソンや、ラヴィン・スプーンフルのジョン・セバスチャンも参加してくれたし、どこかで名前しか聞いたことのないような人たちが来たり、ビデオ撮影があったり、朝5時起きでジャケット用写真を撮ったり、目まぐるしい時間でしたね。

いまだからこの「THE BARN」はこういうアルバムだと多くの人が説明できるかもしれませんが、向こうでやっているときはまったく分からない。ましてやリズム録りだけのときはちゃんとした形にもなっていないからよく分からなかった。

そこにソロギターがかぶさって、キーボードをダビングして、歌が入って。そうして最終的な形になっていくわけで、テーブルに置いてある設計図はないわけですよ。佐野さんの頭にしかない。

佐野さんの頭にだって、明確なものがあるわけじゃなくて、奏でて、聴いて、ジョンやメンバーに相談して、じゃあこれを入れよう、やっぱりあれにしてみる? の繰り返しなんですよね。

―― ちょっとスリリングな時間ですね。

滝瀬 最終ゴールが見えていないという意味ではそうかもしれません。いま、自分はすごいものを聴いているなっていうときは何度かありました。ゾクって。このギターソロすごいなっていうのも。

でも楽曲として、これがのちにどういう扱いをされるかっていうのは、まったくその場では想像できないし、レコーディング中にそんなこと考えたことはないですね。

でも、いまから思うとこの場に居れたことは貴重な経験だったし、その作品を20年後にまた自分が関わって復刻するなんて、まったく考えなかった。坂本龍一さんの「ラストエンペラー」のレコーディングをしているときにアカデミー賞を受賞するなんて全く考えていなかった。アルバムを作っているときって、そういうものなんですね。

―― 日本にいた福田さんの耳にはいつごろ「THE BARN」の音は届いたのですか。

福田 いつだったかという時間的な記憶は正直ないのですが、最初に「THE BARN」を耳にしたのは社内試聴会だったと思います。僕ら販促にしてみると、これは非常に宣伝しづらい、メディアに仕掛けづらいアルバムだった記憶があります。「え、どうする!?」というのが、電波系宣伝スタッフ全体を包んだ空気感だった気がしますね。

――「HEY! HEY! HEY! MUSIC CHAMP」に佐野さんが出演して、それこそ海岸を散策していた時に佐野さんを遠くから見つめる野生動物に向かって「こっちへ来いよ」と呼びかけたことをダウンタウンに激しく突っ込まれていましたね。そのあとTHE HOBO KING BANDとも出演していました

福田 ダウンタウンが動物に食いついたのは面白かったですね。宣伝の僕の立場で言えば、少しはプロモーションの力になれたかと思う。でも、「THE BARN」をどうやって売るかということに関しては、当時はまったく分からないというか、難しかった。

 「THE BARN DELUXE EDTION」の制作

――「THE BARN」が90年代後半の時代に逆行していたからでしょうか。

福田 滝瀬さんも話されていたように、今の視点から振り返れば「THE BARN」が佐野さんのキャリアのなかでどういう位置づけかは明白ですが、20年前の時点では難しいアルバムだったと思います。有り体の言葉で言えば「すごい深い絆のなかでそれぞれが良いセッションをやったロックンロールアルバム」という認識でしたね。

「THE BARN DELUXE EDTION」を今回制作するにあたって、打ち合わせのたびに佐野さんが当時のことを話してくれました。滝瀬さんからも話を聞きました。今日のような関係者取材に同席して、THE HEARTLAND解散以降に佐野さんがたくさんのものを背負いながら「フルーツ」を経て「THE BARN」に向かうことを知りました。

20年経って初めて理解が深まったアルバムです。自分なりに良さは分かっていたはずなのに、もしかしたら本当の良さを分かっていなかったようにも感じましたね。

写真左から、福田良昭、滝瀬茂

――「THE BARN DELUXE EDITION」発売はその良さを伝えるためでもありますね。その手段のひとつとして豪華な写真集も同梱されています。

福田 当時撮影された未公開写真が今回多数発見され、それをベースに構成した156ページの大きな写真集が出来ました。実際に現地に同行取材された音楽評論家の能地祐子さんが編集を担当してくれています。

写真の質感もすごく良いんです。紙焼きとポジフィルムもあった。紙焼きも良い状態で残っていて、今は印刷技術が向上して復元状態もすごく良いんですよね。当時の紙焼きをただデジタル化するのではなく、そこに色調補正もしっかりと入っています。

現地で佐野さんが見た色を具現化できたと思うと、本当に上手くいって良かったです。多くのファンの方に見てほしい写真集です。

滝瀬 ちなみに撮影はアメリカを代表するフォトグラファーのエリオット・ランディと、日本を代表する写真家・宮本敬文。この二人を起用することは佐野さんが決めていたんです。

早朝、湖に撮りに行ったのですが、前日の夜中の3時ぐらいに東京のEPICから電話があって、「今日そっちで撮影あるんだよね? 撮影する前にさっきFAXした契約書に必ずサインもらってね」と。

海外の人は契約をちゃんとしておかないと権利の問題になったときに困るので、渡米前に頼んでおいたのですが、送られてきたのが直前で夜中の3時でした。

―― 同梱されるBlu-ray『「THE BARN TOUR‘98 LIVE IN OSAKA」 2018 REMASTERD EDITION』の経緯を教えてください。

福田 「THE BARN」を携えての全国ツアー(1998年1月~4月)の最終公演、大阪フェスティバルホール公演(3月29日)の模様を収録しています。当時VHSとDVDで「THE BARN TOUR ’98-LIVE IN OSAKA」として発売していました。

今回20年ぶりに発見されたアーカイブを基に、最新技術によるレストア・リマスターを施し、可能な限り良質の映像と音に仕上げ「2018 REMASTERD EDITION」としてBlu-ray規格での再現を試みました。

マスターテープ発見の際、当時の商品に未収録だった「マナサス」の演奏シーンも発見され、本作に特別収録しています。当時大きな話題となった、ジョン・サイモン、ガース・ハドソンとの歴史的共演も今では語り継がれるトピックスのひとつですね。

―― さらに同梱されるDVD「THE WOODSTOCK DAYS」 も貴重ですよね。

福田 レコーディング現地にて撮影されたインタビューを含んだ映像素材を、当時のEPICが編集、制作したドキュメント映像です。1997年秋に行なわれたクラブ・サーキット・ツアー「アルマジロ日和」のオープニング映像としても公開されていたものです。1997年12月21日にNHK-BSでも同じ素材を編集した番組が放送されています。

その後20年間も所在不明だったマスターテープが今回偶然発見され、大阪のライブ映像同様、レストア・リマスターされて本作品に収録しました。レコーディングメンバーの素直な表情や貴重なインタビューで構成されているので写真集とはまた違った楽しみ方をお届けできたと思っています。

 アナログ盤での再発

―― 今回の「THE BARN DELUXE EDTION」の最大の特徴はアナログ盤で再発することだと思いますが、これはお二人のアイデアですか。

滝瀬 2016年に「GREAT TRACKS」から最初の3枚(「BACK TO THE STREET」「Heart Beat」「SOMEDAY」)をアナログで出すという仕事があったときに「THE BARN」についても話は出ていました。「THE BARN」のアナログを出すのなら、20周年盤にしようって。

福田 そういう周年的な下地はあったものの、半分はハプニング的なリリースアナウンスでしたね(笑)。2017年1月9日にタワーレコード渋谷で佐野さんとパイドパイパーハウスの長門芳郎さんと能地祐子さんのインストアトークイベントをやりました。

長門さんを含むこの三人は「THE BARN」に関わっていたことから、トークの中で突然佐野さんが、今年は「THE BARN」が20周年だから、20周年のアニバーサリー盤を出すって言ったんです。会場は拍手喝采。翌日の音楽ニュースにもなりました。

―― 中身はまだ決まっていなかったということですね。

福田 でも滝瀬さんが担当されているアナログレーベル「GREAT TRACKS」がウチにはありましたから。アナログで発売する価値や意義、その意味合いが、今のほうがはるかにあると思いましたね。アナログ制作に精通した滝瀬さんのはからいで、実際にすごく良い音になっているし。

滝瀬 当時もアナログは出ていたんですけどね。アナログ製造中止になってから10年くらい経ったころだから市場としてもいちばん冷え込んでいた時期で、どこでプレスをするとかのこだわりもちょっと薄かったですよね。今回はバーニー・グランドマンのカッティングで米国プレス盤です。

福田 テッド・ジェンセンによる2016年リマスタリング音源を採用しています。アナログ盤ということもありLPサイズの8ページのインナーノーツを封入しました。長門芳郎さんの関連人脈録や萩原健太さんによる「THE BARN」全曲解説など充実した内容になっています。

―― 佐野さんも今回のアナログの音は満足されていましたか。

福田 ええ、満足していただけました。

―― やはりお二人は、今はこの音で「THE BARN」を聴いてほしいという気持ちですか。

滝瀬・福田 はい、ぜひ聴いてほしいです。

滝瀬茂(たきせ・しげる)
1980年音響ハウス入社。数々のレコーディングにアシスタントエンジニアとして参加し、1985年MIDIレコードへ転職。坂本龍一、矢野顕子、大貫妙子、EPO他のレコーディング・エンジニアとして活躍。1991年EPIC・ソニーに転職後、佐野元春の制作ディレクターを担当。

福田良昭(ふくだ・よしあき)
1984年ソニーミュージック入社 。EPICレーベルの洋楽・邦楽で主に宣伝・マーケティングの仕事に携わり、小室哲哉(ソロ作品)、岡村靖幸、大澤誉志幸らを担当。2005年ソニー・ミュージックダイレクトに異動、カタログ・企画盤の制作を担当する。

佐野元春ソニーミュージック オフィシャルサイト(新しいタブで開く)
佐野元春「THE BARN DELUXE EDITION」特設サイト(新しいタブで開く)

「THE BARN DELUXE EDITION」

■発売予定日:2018年3月28日
■規格:BOXセット
(1Blu-ray+1DVD+アナログレコード+写真集)
■完全生産限定盤
■価格:14,000+税
■品番:MHXL 43-46
■発売元:ソニー・ミュージックダイレクト

インタビュー・文/安川達也(otonano編集部)

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