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芸人の笑像

バイきんぐ、アキラ100%ら人気お笑い芸人の“育ての親”が築いた、笑いのSMAイズム【番外編】

2020.02.13

テレビのバラエティ番組や賞レースなどで存在感を見せる芸人を数多く擁するソニー・ミュージックアーティスツ(以下、SMA)。ほかとは違う芸風で個性を放つ彼らを育てるのは、2004年に同社初のお笑い部門立ち上げを実現させた平井精一。後発だからこその独自の育成方法を実践してきた平井が築いた“SMAイズム”とは。

  • 平井精一

    Hirai Seiichi

    ソニー・ミュージックアーティスツ

    渡辺プロダクションを経て、1998年、SMAに入社。2004年にお笑いの部署を立ち上げた後、現在に至るまで多くの人気芸人を育てている。

立ち上げは、逆風とは言わないまでも「好きにやれば?」

アキラ100%

──バイきんぐ、ハリウッドザコシショウ、アキラ100%など、SMAには多くの人気お笑い芸人がいます。全体では何人ほどの芸人が所属しているのでしょうか?

平井:現在、僕が手がけているプロジェクトは3つあります。今名前を挙げていただいたキャリアの長い芸人が所属する“NEET Project”に約90人、若手が所属する“HEET Project”に約65人、占い師など文化人的枠な“KEET Project”に数人ですね。

──SMAで、お笑いプロジェクト第1弾となる“NEET Project”を立ち上げたのは2004年12月だったそうですが、そもそものきっかけは?

平井:もともと僕はワタナベエンターテインメントでお笑い芸人のマネージャーをやっていて、30代で音楽の世界も見てみたいとSMAに入社したんですね。しばらくは音楽の宣伝周り、主にテレビ局を担当していたんですが、2002年にSMAが、俳優や文化人が所属していたSMS(旧ソニー・ミュージックスターズ)を吸収合併して総合プロダクションになった。それで“30代の人間は好きなことをやれ!”という気運が高まって、僕が当時の部長に「お笑いを始めませんか?」と提案したのがきっかけです。2004年の11月のことでした。

──SMAにとってはチャレンジですよね。社内の反応はどうでした?

平井:逆風とは言わないまでも「好きにやれば?」という感じで(笑)。お笑いは、圧倒的に強い事務所さんもいらっしゃるので、開拓が難しい分野だという共通認識は当然ありました。最初から大きなプロジェクトにはできませんから、僕が宣伝の仕事との兼務で、ひとりプロジェクトとしてスタートしたんです。それが2004年の12月1日です。

少数精鋭の専門店ではなく、いろんな芸人がひしめく百貨店

──不躾ですが、当時、勝算はありました?

平井:そうですね。なくて始めるわけにはいかないですからね(笑)。ただ、音楽事務所だったSMAは、お笑いとしてはかなり後発。なので、ほかの事務所と同じ事をやっても絶対にダメだと思って、違う視点から、芸人を集めようと思いました。

当時の東京のお笑い事務所さんは、少数精鋭だったんですよ。養成所で若い芸人を育てて、良い芸人を所属タレントにしていく。なので、芸人の得意分野やカラーもおのずと似てきます。例えば人力舎さんなら、コントがめっぽう強いとか。だったらSMAはその逆をいこう。少数精鋭の専門店ではなく、いろんなタイプの芸人がひしめいている百貨店を作り、とにかく分母を増やす。そこで良い芸人を売っていこうと。都合が良いことに、ほかが少数精鋭なので、そこからあぶれたフリーの芸人はたくさんいる。みんな定職もなくフラフラしてるわけです。だったら、そいつらを集めてしまえと。

──だからNEET(=ニート) Projectという名前もできたんですね(笑)。

平井:そうですね(笑)。と同時に、マニフェストを作っていました。2005年の4月からは、実力で勝ち上がっていくランク制のライブを定期的にやる。春にはテレビの番組レギュラーを取る。NHKの『爆笑オンエアバトル』に出られるようにする。そこで、昔付き合いのあったお笑い関係者にも声をかけて、“芸人募集”の文字を入れたライブのチラシを、よそのお笑いライブで撒き始めたんです。やる気がある人なら、誰でも受け入れますと。

そしたら、芸人の間で「ソニーミュージックがお笑いをやる」という噂が口コミでパッと広がり、ライブを始める4月の段階で、49組も集まりました。それくらい芸人があぶれていた。だから最初から年齢層も高めで。ほかの事務所でうまくいかなかった、失礼ながら芸人ランクで言えばB級以下の、酸いも甘いも噛み分けた連中が集まりました。

コウメは、毎回あの白塗りをして来る真面目な子でした

──Aランクではない。それは事務所としては不利なのではないですか?

平井:だからこその伸びしろがあると思ったんです。関西は別ですが、そもそも東京では、小中高生のときに学校で人気者だったおもしろいヤツは、芸人になろうなんて思わない。明るく元気でおもしろい人間は、良い企業にちゃんと就職して出世していくんです。うちに来た連中は、そういう人たちを横目に、マニアックに“こういうのおもしろいよな”とコツコツやってきた人間だらけ。でも、だからこそ真面目にネタを作り続けていく人を育てられる。うちに来て一生懸命やれば、形になるんだ。そういう人と、同じ釜の飯を食いたいと思いました。

──コツコツ真面目な人が花を咲かせられる。うれしい言葉ですね。

平井:コウメ太夫は、まさにそういう芸人です。最初はコンビで、ピンになって今の芸風を始めたんですが、当初は彼のネタ見せ相手の作家が「それじゃ売れない」と言って意見が合わず、コウメが辞めたいと言い出したんですね。

コウメ太夫

でもコウメは唯一、ネタ見せの場でも手を抜かず、毎回、あの白塗りをして舞台衣装をきちんと着て来る真面目な子でした。それが辞めるのはもったいない。そこで別の作家に担当を替わってもらい、最後に決め台詞で「チクショー!!」と言う芸風が完成したんです。そしたら、ライブを観に来た『エンタの神様』のスタッフの目に止まり、2005年の夏、瞬く間にスターになった。僕は“来る者拒まず、去る者追わず”でずっとやっていますが、「辞めるな」と引き留めたのは唯一、コウメ太夫だけですね。

観客投票が一番わかりやすいし、芸人も納得できる

2019年末に行なわれた“第13回ホープ大賞”で司会を務めるバイきんぐ

──先ほどのマニフェストにもありましたが、平井さんのお笑いプロジェクトは設立当初から、定期ライブで観客による投票制でランク分けをし、下剋上していくというものでしたよね。NEET Project、HEET Projectがそれぞれライブを開催し、上位5組が上のランクに勝ち上がります。さらに、毎年年末にSMA芸人が全員参加し、その年の新ネタでトップを競う“ホープ大賞”も観客投票ですね。普通は事務所や作家さんらがおもしろいと思う芸人に注力してライブを開催し、売り出していくのが一般的に思えますが、そうしないのはなぜですか?

平井:そもそもは、僕がお笑いの現場をしばし離れていたので、当初、時代のニーズとして何が当たるかわからなかったからというのが大きな理由。もうひとつ、前歴を反面教師にしたということもあります。売れっ子を抱えてしまうと、ライブの集客のために、新ネタが書けなくてもとりあえず出しておけ、とにかく売り込めとなって、新人にまったくチャンスが与えられなくなってしまうし、実力も蓄えられない。それは絶対に嫌でした。芸人は実力社会でありたい。であれば観客投票が一番わかりやすいし、芸人も納得できますからね。

──13年前からは常設のライブハウス“千川 Beach V(びーちぶ)”を運営しています。常設小屋を持っているお笑い事務所はそう多くないですし、“びーちぶ”はキャパも100人以下。興行的にリスキーではないですか?

平井:僕が“びーちぶ”で興行を成功させるつもりがないから(笑)。うちにとってライブハウスは、あくまでも育成の場。キャリアを重ねたフリーの芸人ほどプライドが高いので、そういう人間の鼻を折るには、お客さんの評価が最適なんです。実際にウケないとなると、もっと良いネタを作ろう、となりますから。

Beach V(びーちぶ)

東京都豊島区要町3-11-3
ラルジュ大映 B1F

ライブスケジュールはこちら
 
 
 
 
 
ライブではとにかく新ネタで勝負してもらう。そのために月3本は絶対にネタを作ってもらってます。新ネタを常に見せられる場があり、ネタ作りのルーティーンがあることで、常におもしろいことにアンテナを張れる芸人になれる。マネジメントする側は何においても、芸人がどういう環境なら良いネタを作れるか? という基本に戻らないとダメだと思うんですね。だから、会社には怒られそうですが(笑)、ビジネスを考えないライブを続けています。最近は、ほかの事務所さんから「常設小屋を持つにはどうしたらいいか?」と相談されることもあって、僕の考えは間違ってないのかなと思いました。

もっと良い部分を、発想を転換しながら引き出す

──その生で観るお客さんによる修練の成果が、コンスタントに賞レースに絡んでスターを生み出すことに繋がっていると思います。

平井:たしかに、『キングオブコント』で決勝まで行ったロビンフッド、だーりんず、『R-1ぐらんぷり』で頑張っているマツモトクラブ、キャプテン渡辺なども、今も定期ライブに出続けています。ネタを作っていかないと次に進めない、そうやって次のステージが見えてくるということをわかってもらわないと、やはりダメなんですね。バイきんぐも“びーちぶ”のライブで成長したコンビです。

ロビンフッド

だーりんず

マツモトクラブ

キャプテン渡辺

──それもすべて平井さんの戦略ですか。

平井:今までのお笑い事務所のやり方を反面教師としてやってきたこと、すべてが戦略になったのかなと思いますね。一番はやはりライブ。今は移籍しましたが、響が『爆笑レッドカーペット』で売れたときも、その前に“裏SMA”といって、漫才師はコント、コントユニットは漫才、漫才で出たいコンビはボケとツッコミを替えて新しい可能性を引き出すというコンセプトのライブを立ち上げました。そこで生まれたのが、長友(光弘)の女装だったんです。彼のなかではかなり違和感はあったと思いますが、それをやって爆発的に売れた。芸人のもっと良い部分を、発想を転換しながら引き出すことは、日頃から心がけていることですね。

ただし、時代の変化が激しいなか、今まではダメだったというネタも、それをダメだと言い切ってはいけない気はします。だから僕は、自分ひとりで判断しないでお客さんの目を信用している。生活態度などの人としての部分は厳しく言いますけど、ネタに関しても、その人のやる気に関しても、自分自身で気づいてもらえる場だけは、ちゃんと提供したいなと思います。
 

ある日、「2カ月に一度新ネタを6本やるライブをやれ」と急に平井さんに言われ、ほぼ強制的にやる羽目になった。とてもしんどかったけど頑張って続けていくうちに、今までとはネタの構成が少しずつ変わっていき、少しずつウケ始め、その4年後『キングオブコント』で優勝した。あのライブがなければ、平井さんのあの一声がなければ、僕たちはまだバイトをしていたかもしれません。(バイきんぐ・小峠英二)
 

バイきんぐ/小峠英二(写真左)、西村瑞樹(右)によるコンビ。1996年に結成。SMA NEET Project所属。2012年『キングオブコント』5代目チャンピオン


SMAに関わってくれた人、全員に売れてほしい

──最近は、お笑い第7世代という言葉も流行し世代交代が騒がれていますが、平井さんはそこはどう感じていますか?

平井:誤解を怖れずに言えば、怖くない。うちの芸人にも、「第7世代がもてはやされているけど、怖くはないよ」と言っています。その理由は、ネタ以外のトークスキルをまだまだ磨けていないから。うちの芸人たちはおっさんなので(笑)、いろんな経験をしてきてるから話すネタも豊富だし、定期的に『すべらない話』のようなトークライブを開催して、腕を磨いています。出川哲朗さんが不動の人気を獲得できているのも、出川さんのしゃべりのスキルに時代が追いついてきたから。小峠が多くの番組に呼んでいただいているのも、彼にしかないトークスキルがあるから。MC業が芸人に託されることが多くなる今後は、さらにトークの力は要求されるようになると思いますね。それには、おっさんの人生経験も活きてきますよ(笑)。

──今後は、“NEET Project”を筆頭にSMAのお笑いプロジェクトをどうしていきたいですか?

平井:まずはSMAに関わってくれた人、全員に売れてほしいですよ。それには賞レースで勝つしかない。そしてトーク力をつけて、番組に呼ばれるようにならなければいけない。バラエティはとても単純明快な世界なんです。その上で、その芸人にあった着地点を探して売ってあげたい。それが僕らの仕事、テクニックだと思うんですね。マネジメントの仕事というのは、自分の力量ひとつでそれが可能になるので、とてもやりがいがあって楽しいです。ライブで精進していいネタを作ってもらう、そのお膳立てをするのが僕らの仕事なので、そこは今までどおり追求していきたいですね。

インタビュー・文/阿部美香
撮影/干川 修

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