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芸人の笑像

SAKURAI:2020年『R-1』ファイナリストに踊り出たギター芸人の芸歴21年間【前編】

2020.02.27

ソニー・ミュージックアーティスツ(以下、SMA)所属の芸人たちにスポットをあて、ロングインタビューにて彼らの“笑いの原点”を聞く連載「芸人の笑像」。第2回は、現在バラエティ番組で特異な存在感を放ち、『R-1ぐらんぷり 2020』決勝進出を決めたSAKURAI。まだウィキペディアも作られていない(インタビュー時)彼の素顔に迫る。

徳島県で生まれ育ったSAKURAIは、“おもしろくない人”だったと言う。そんな彼がお笑い界の入り口に立つまでには、曲がりくねったストーリーがあった。

  • SAKURAI

    Sakurai

    1978年10月26日生まれ。徳島県出身。血液型A型。趣味=音楽鑑賞、特技=サッカー。2005年よりSMA NEET Projectに所属。コント・漫才コンビを経てピン芸人に。『R-1ぐらんぷり2020』ファイナリスト。

スタジオでみんなが“なんだコイツ?”と思っていた

オールバックヘアにビッグフレームのサングラス。革ジャンにスキニーパンツでキメたいでたちで、「みんなにどうしても伝えたいことがあるんだ!」とネタを繰り広げる、ポーカーフェイスのギター芸人・SAKURAI。そんな彼が一躍脚光を浴びたのは、2019年11月に放送された人気バラエティ番組『有田ジェネレーション』(以下、有ジェネ)だった。

ネタの“イントロ”とも言える部分で激しくギターを掻き鳴らす姿は、まるで反骨精神にあふれたロックンローラー。だが、いざ口から出てくるのは、誰も気にすることのないほんの些細な“あるある”ネタだ。声を張り上げシャウトするもその声は小さく、見目姿とはうらはらな“らしくなさ”が思い切り漂ってくる。すべてがミスマッチ感にあふれたSAKURAIの芸風は、じつに新鮮だった。しかし誰もSAKURAIを知らない。なんともフレッシュな逸材の登場に、衝撃を受けた視聴者も多かったはずだ。

「スタジオも全員そうでしたね。MCの有田(哲平/くりぃむしちゅー)さんはもちろんですけど、『有ジェネ』レギュラーの小峠(英二/バイきんぐ)さんも同じ事務所ですが、僕がピン芸人になる前に事務所内のライブで同じステージに立たせてもらったくらいで、接点もほとんどないし……。僕が今でもネタの相談をする桐野安生と、TOKYO COOLさん以外、ほかの事務所の芸人さんもスタッフさんも、誰も僕を知らなかった。みんなが“なんだコイツ?”と思っている雰囲気がすごかったです(苦笑)」

“あるある”をネタにする芸人は数多いるが、まるでクイズのように仕込まれた構成の新しさもさることながら、出演者と視聴者をさらに驚かせたのは、SAKURAIが新人ではなく、40歳を超えた芸歴21年のベテランだったことだ。SAKURAIがスタジオで感じた“なんだコイツ?”の声なき声を視聴者目線で翻訳すると、“こんなおもしろい芸人が、今までどこに埋もれていたの?”という素朴な問いだったに違いない。

“笑わせた”快感が、高校卒業時も忘れられなかった

そんなSAKURAIの出身は徳島県。芸人を目指すことを意識したのは、高校時代のことだったという。

「生まれが四国なもので、大阪のお笑い番組がテレビでよく流れるんですね。学生時代は千原兄弟さん、ジャリズムさん、今は同じ事務所のハリウッドザコシショウさんが吉本興業時代にやっていたG☆MENSとかを見ていて、自分もお笑いをやりたいな、と思ったのがきっかけといえば言えばきっかけ……ですかね?」

お笑い芸人になりたい、しかも大阪のインパクトあるお笑いに憧れる人なら、さぞかし学校でもおもしろい人だったのではないかと聞いてみると……

「いやっ……えっと……今振り返ると、おもしろくない人でした(笑)。でも中学のとき、友人にすごくお笑いが好きなヤツがいて、そいつに誘われて学校の文化祭で漫才をしたんですね。当時、大阪で活躍していた、ぴのっきをさんというコンビが有名だったので、その方々のネタを丸ごとカバーしたら、やってるほうが引くくらいウケたんです、700人くらいいる前で。今思うと、もともとのネタがおもしろいし人気もあったので、箸が転んでもおかしい年ごろの中学生は、当然爆笑なんですよ。でも、その“笑わせた”快感が、高校を卒業するころになっても忘れられなかったんですかね。なので、芸人はやりたいけれど、周りの目も気になるし、やりたいとハッキリ言う勇気はなかったですね」

トツトツと優しい口調で話すSAKURAIからは、確かに“俺が俺が!”と前に出て行く芸人らしさは感じられない。芸人になりたいと言い出す勇気がなかったという言葉にも、ついうなずいてしまう。

「うちは母ひとり子ひとりの母子家庭なんです。しかも母親は、テレビもラジオも一切見ないし聞かない人なので、芸能の世界にまったく興味がないし、知らないんです。だから、『俺がお笑い芸人になりたいと思ってるって言ったらどうする?』と、かなり遠回しに聞いたことがあるんですが、『そんな危ない世界、行かないほうがいい、やめたほうがいい』と即答で。そうなると、本気でなりたいと思ってるんだとは言えないじゃないですか。じゃあとりあえず、一度は就職して親を安心させて……と就職を決めました」

高校卒業後に彼が勤めたのは、東京に本社を構える大手印刷会社の子会社。故郷の徳島を離れ、単身、埼玉県の工場で働くことになる。

「母親には徳島県内にいてほしいとは言われましたけど、親元を離れたいという気持ちもあったし、大都市への憧れもあった。みんなは進学も就職も、遠くても大阪に行くんですけど、僕は東京に行きたかったんです。それを高校の先生に話したら、『東京ではないけど、東京の一駅先に求人があるよ』と紹介してくれたのが埼玉の工場で。今思うと、全然一駅先じゃないですけどね(笑)。でも、仕事が厳しすぎて1年で辞めて、忙しすぎてお金を使うヒマもなくて貯金も100万以上あったので、しばらくぷらぷらしてました」

雑誌で見つけた、パソコン専門学校のお笑いタレント科へ

親元も定職も離れ、埼玉県で一人暮らしをしながら1年ほどフリーター生活をしていたSAKURAI。これからどうしよう? 自分は何になりたいのか? そこで彼を現実に引き戻したのは、中学の文化祭の漫才でみんなを笑わせた記憶。少年時代に夢見ていた“お笑い芸人”への憧れだった。

「やっぱり……お笑いやりたいなって思ったんですね。はじめは吉本興業がやっている養成所、東京NSCに行こうと思ったんですけど、応募締め切りが1月とか2月で。もう春になろうとしていたから間に合わなかったんです。そんなとき、雑誌の『お笑いポポロ』で代々木にあった専門学校の広告を見つけたんです。もともとはパソコンの専門学校なんですけど、そこがなぜかお笑いタレント科を作っていて。そこだけはまだ生徒を募集していた。もうここしかないと思って、バイトをしながら通いました」

発声、演技、ダンス、ネタ見せと、お笑いタレント育成の場らしい一通りの授業はあったものの、厳しい鍛錬というよりは「先生もお笑いを教えるのは初めてで。僕ら生徒が20歳くらいで、先生も20代半ば。年も近いからみんな仲良くて、遊んでいた記憶のほうが強い」と言う。

「一応30人くらいは生徒がいたので、毎月、相手を変えながらネタを考える実習みたいなものもやっていて。そのネタ見せの授業が終わったら、先生に連れられて高田馬場の雀荘にみんなで行って、3卓くらい占拠して麻雀を教わるんですよ。で、朝まで麻雀して『よっしゃ、代々木に戻るぞ!』みたいな生活を1年間してました。でも結局、お笑いの専門ではない学校。入学前には、卒業後は大手の事務所に入れますという謳い文句があったんですけど……そんなことも一切なく。生徒が辞め、先生も辞め……で、2年続いたお笑いタレント科自体がなくなっちゃいました(笑)」

専門学校からお笑い事務所に進む道も断たれ、再び路頭に迷うことになったSAKURAI。だが、芸人になる夢は諦めきれなかった。

「10人ほど残った仲間で話し合い、“じゃあ、俺とお前でコンビ組むか”みたいな感じで相方を見つけて、それぞれで事務所のオーディションを受けては落ち、誰でも参加できる都内のお笑いライブにチケットノルマ代を払って出るけどさほどウケない……を繰り返してましたね」

スベれば相方のせいで、ウケれば俺のおかげ

そのときに組んだ相方が平澤トヨト氏。現在は地元に戻ってネットビジネスを成功させているそうだが、もともとSAKURAIと同じ専門学校の同期。麻雀、パチンコ、スロットと荒れ狂うくらいギャンブルをやっていた経験から、コンビ名をギャンブラーとつけた。

「当時は僕がツッコミで、何の特徴もない普通の漫才やコントをやってましたね。でもあのころの僕は、今思うとずいぶん酷かった。超マイペースだし、協調性がまるでない。ネタは相方が書いてくれてたのに、スベれば相方のせいで、ウケれば俺のおかげだと、偉そうにしてたんです、すごく。だから、相方もさすがに“お前とコンビなんかできるか!”と堪忍袋の緒が切れて“解散だ!”となる。僕もピンでネタをやってみたり、ほかのコンビに入れてもらったり、誰かと新しいコンビを組んだりするんですけど、周りに合わせられない人間なので、全然長続きしない。しばらくして、またトヨトから『やっぱりもう1回やるか』と言ってくれて、元のサヤに戻る。くっついたり離れたりを10年間で4回ほど経験しました」

ギャンブラーがフリーで活動するなか、SAKURAIが26歳になるころに出会ったのが、今所属するSMA NEET Projectだった。

「SMAはオーディションもなく、面接すれば誰でも入れると聞いたので、それは良いなと受けたんです。でも同時期に、ある中堅の芸能事務所オーディションにも受かっていて、どっちに入るか2択でした」

そこでSAKURAIたちが選んだのは、“来る者拒まず、去る者追わず”の精神で、型破りにフリーのお笑い芸人を集めていたSMAだった。

後編はこちら

インタビュー・文/阿部美香
撮影/塚原孝顕

関連サイト

SMA NEET Project HP

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