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連載Cocotame Series

SYOアーティスト・吉川壽一が挑む新しい「書」の世界

2019.01.29

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NHK大河ドラマ『武蔵』や人気漫画『バガボンド』『ジパング』の題字を手がけ、「奎星賞」「毎日書道展グランプリ」など、錚々たる受賞歴を持つ書家・吉川壽一。その名声は国内に止まらず、UAE・ドバイの砂漠にてヘリコプターで作品展を鑑賞する“SYOING”や、パリ・エッフェル塔下での大書、中国・天安門前で45m×15mに及ぶ大揮毫を観衆の前で披露するなど、“SYOアーティスト・吉川壽一”は、精力的かつスケールの大きな活動を続けている。

そして2018年12月27日(木)~2019年1月18日(金)まで、京都の世界遺産「下鴨神社」舞殿にて、舞殿をぐるりと囲むようにトリコロールカラーの十二支と鴨長明の和歌をしたためた展示『舞殿ぐるっと四周囲トリコロール十二支~幸運をもたらす八咫烏~迎新展』を開催。多くの来場者の目を楽しませた。吉川壽一のトリコロール十二支の作品制作と、彼が手がける新たなSYOの現在とこれからについて話を聞いた。

フランスのトリコロールカラーを特注し、色彩豊かな「SYO」に挑戦

“SYOアーティスト”として、「書」の新たな美の世界と書文化を世界規模でクリエイトする吉川壽一。彼の活動は現在、2017年にマネジメント会社・八笑を通じて全世界での事業化におけるエージェント権を獲得したソニー・クリエイティブプロダクツ(以下、SCP)が精力的にサポートしている。

そんな吉川壽一が世界遺産「下鴨神社」で作品を展示するのは、2016年に開催された参道が光のアート空間になる作品『呼応する木々-下鴨神社 糺の森』&『呼応する球体 - 下鴨神社 糺の森』展以来、二度目となった。

国の重要文化財である「舞殿」には、今回と同じく十二支を題材にした作品を展示。境内に広がる「糺ノ森」には、下鴨神社と縁の深い、鴨長明の和歌の揮毫作品が多数展示されていた。

そして今回は、フランスとも縁があり、世界的に活躍する吉川壽一らしく日本とフランスの修好160年を記念した、2019年の干支である「亥」をメインに、初詣の時期に福を呼ぶ干支をフランスゆかりのトリコロールカラーで「書」にするという、独創的な作品展が実現した。

――今回、世界遺産「下鴨神社」の舞殿で十二支を題材にした作品展を開催されるのは、2016年に続き二度目となりましたが、今回も非常に個性的な作品展示となりましたね。

吉川:2016年には、下鴨神社の糺の森に10mほどの作品も展示させてもらいましたが、お宮としては十二支を置くのは珍しい試みで、とても面白い展示だと思います。また、前回は真夏の展示だったので、創作環境としてはベストではなく、制作期間も短かったんですが、今回は約2カ月かけて、地元の福井から京都にも何度も通い、しっかりした形でやらせてもらえたので、ありがたかったですね。

――世界遺産に作品を展示するという企画自体も非常に意欲的です。

吉川:ええ。普通なら場所を提供してもらうことも難しいそうですが、良いご縁がありまして。加えて、宮司さんがとてもご理解のある方だったので、今回も実現できました。

――今回は、「書」を墨一色ではなく、トリコロールカラーで彩っていることもユニークですね。

吉川:以前、パリのエッフェル塔で作品を書いたことから、フランスとのご縁があったんですが、今回はフランスの駐日大使にお会いしたとき、フランス国旗の色であるトリコロールカラーで「書」を書いたら、甚く感動してもらったので、ぜひこれをやってみようと。

私としても、多色で書くことは今までやってこなかったので、良い機会でした。青と白と赤を、「書」としてどう燃焼させられるか、どんな表現に持っていけるのかを課題としながら取り組みました。

――トリコロールの顔料も特製したと伺っています。

吉川:青と赤は、フランス国旗の正式な色を再現するよう、塗料メーカーにお願いして、特別に作ってもらっています。そこに、西洋の感覚も踏まえてゴールドやシルバーも配置し、日本らしい赤と青の金箔の顔料の「書」も加え、豪華に彩りました。

――いわゆる干支で使われている文字、漢字に加え、下鴨神社に縁の深い鴨長明の和歌を配置し、「書」になじみのない人が観ても、文字の持つ優美さ、美しさを迫力ある絵画のように堪能できる作品だと感じました。さらに作品の下部には、引用された和歌がフランス語に訳されていましたが、先生は作品自体を多言語で表現されることが多いと伺っています。

吉川:鴨長明の句は、干支と直接ちなんでいるものではないんですが、大きな文字にしたときに映える句を選ばせてもらいました。彼が遺した歌はフランスでもとても人気がありますからね。

それと、私はよく海外の展示会では、日本語に英語や現地の言葉も沿えて作品にしています。やはり、現地の言葉も交えた方が作品への理解度が高まりますから。

――2019年の干支である「亥」のコーナーには、「寿」と「福」を連ねた作品、下鴨神社に縁のある「八咫烏」を描いた作品も飾られましたね。

吉川:「寿」と「福」は、これをご覧になった皆さんに「百福百寿」を持って帰っていただきたいという想いから、100個の「寿」と100個の「福」を書いています。「八咫烏」の方も縁起が良く、八咫烏を「日」という字に見立て、横に「月」を書いて「明」という字になるように。八咫烏がついばむ月・運を、持って帰ってもらおうという意図で書きました。

――では、今回の制作で苦労されたところはどこでしたか?

吉川:まず、トリコロールカラーが上手く出せるかですね。この作品は、紙ではなく布に書いているんですが、普通、布はほとんど墨が滲まないんですけど、今回は顔料との相性もあって、滲みが出てしまったんです。

ただ、作品としては、その滲みは既存の「書」にはないもので、ちょっと曖昧なところが表現的に面白いものになったんじゃないかと思います。

――特にこだわられたことは?

吉川:いわゆる仮名の「書」としては、じつはもっと上手に書けるんですが(笑)、今回は「書」を専門的にご覧になってる人ではなく、神社に参拝に来られる多くの人の目に触れる作品。あえて変体仮名や草仮名のような、一般の方になじみのない仮名を使わず、読みやすい字にこだわって書きました。

これは、私が「書」を書く上でよく経験することなんですが、変体仮名や草仮名で書いても、一般の方にはまず内容を読み取ってもらえないんですね。10万人、20万人に見てもらう場所には、それにふさわしい書き方というのがあるのではないか、という試みでもありますね。

伝統的世界を開かれたものに! 問われる「書」の芸術的品格とは?

――私たちのように普段からなじんでいない人間には、「書」と聞くだけで、理解するのが難しいイメージを持ってしまいますが、その点を吉川先生はどうお考えですか?

吉川:まさにそうだと思います。「書」の展覧会に行っても、読めない漢字がずらっと並んでいるだけに見えてしまう。違う芸術ジャンルの人からしても、不思議な光景だと思いますね。実際、「読めない字を書き続けて、いったい何をやってるの?」と言われることもありますよ(苦笑)。

――先生はご自身の活動のなかで、そういったことも変えていきたいとおっしゃっていますね。

吉川:もちろん伝統的な「書」の世界も大事にしていかなければいけません。しかし、芸術のひとつとしてとっつきにくくなってしまっては、その世界観を理解してくれる人も減っていってしまいます。もっとわかりやすい形で「書」の美しさや表現としての面白さを伝えていける方法論も考えないといけないと感じています。

社会がテクノロジーの進化によって、どんどん開かれているのに対して、書の世界はそこに追いつけていない気がしますね。であれば、自分はそのなかにいるのではなく、もっと開かれていきたい。それが、自己表現、自己実現を目的とする芸術家の在り方なのではないかと考えています。

――なるほど。ところで、昨今は映画やアニメ、漫画などで「書道」をテーマにしたエンタテインメント作品が増え、若い人のなかでも「書」に興味を持つ人が増えていると聞きますが、この状況はどうお考えですか?

吉川:もちろん、若い人たちが書道に興味を持ってくれるのはうれしいことです。さまざまエンタテインメントでテーマにされることも、「書」の世界を広げるのに重要だと思います。その上で、作品に品格を持たせることも忘れてはいけないとも思いますね。

――「書」における品格とは、どういったものなのでしょうか。

吉川:主に作品としての遠近感や立体感に表われるのですが……「書」を自分のものにしていない人は、お手本となる字を横目で見ながら、書き写すだけになってしまうでしょう。そうすると、筆に心拍がのらず、作品に“高さ”が出なくなります。

――筆が躍動感を失ってしまうということですか?

吉川:心拍がこもっていれば、自然と筆で紙を打ち付ける書き方になるんですね。そこに書き手のリズムが出てくるんです。だから私は常々、「書」は「書く」ものではなく、「打つ」ものだと言い続けてきました。これはなかなか理解されないですけどね(笑)。

ですから、これからの若い人は、自らの心を込めた“高さ”のある「書」を志してほしいと思います。

――私たちは「書」というと、まず思い出すのが学校の書道の授業です。お手本通りに綺麗に止め、跳ねをなぞることが、上手な「書」だという教育を受けてきました。

吉川:そうですね。だから、「書」に親しみ、より楽しく鑑賞するためには、皆さんが学校で習う書道教育から変えていかなくてはいけないんです。

「書」には3,500年の歴史があるんですが、なぜそれだけ長く歴史があるかというと、文字ひとつの書き方の成り立ちにも変遷があるからなんですよ。「あ」という字は、家のなかに女の人がいて“安心”だという意味の「安」の元になった篆書(てんしょ:古くから伝わる漢字の書体の一種)から、デコラティブな隷書・八分隷(れいしょ・はっぷんれい:画数の多い篆書を簡素化して直線で構成された文字)へと変わっていきました。

その昔、文字は木や石に書かれていましたが、布が登場すると横幅が使えるので、字も横に流れるような書体へと変わっていきます。そこから、さらに読みやすい形に、少し規律正しく整えていくことで、楷書、行書、草書へと変化していったんです。これが中国での本来の字の変遷なんです。

ところが日本には、何千年の歴史のなかで細かく変化していった過程をすっ飛ばして、楷書、行書、草書などが一気に伝来しました。そこで使いやすい文字だけを発展させて、平仮名として定着させたんです。

こういった文字の変換過程を教えずに書道の授業が進むものですから、なぜ線がこう流れるのか、なぜここに点が打たれ、字のなかに空間ができるのか? ということが、理解できないまま子どもたちは書かされてしまうんですね。

――たしかに書道の時間に、そこまで詳しく習った記憶がありません。

吉川:「書」、とくに仮名などは、文字のなかに空間を抱えているから美しい。書く人が筆を運ぶ呼吸が、美しい空間を作り、そこに品格が生まれるんです。だから、心拍とともに打たれる「書」の空間は、ものすごく強くて明るいんです。

――手本をなぞっただけの「書」からは、その生き生きとした空間は生まれないということですね。

吉川:そういうところを、ちゃんと意識して書かないと、良い「書」にはなりません。「書」を観賞するときも、そこを意識して観ると、より楽しさと理解が増すと思います。

以前、教養番組で小学生に字の成り立ちを教えたことがありますが、やはり幼い頃からそういう知識を持っていると、書くこと自体が楽しくなると思うんですね。落書きでもいいので、楽しく字と親しめるやり方がある。それをもっともっと、作品を通してお見せしたい。墨一色でなく、色を使えばもっと楽しく字は書ける。昔々は、「書」はもっと自由でしたし、身近にあったものです。皆さんが「書」の基本を知り、その上で新しいスタイルを作っていけたら、もっと身近で楽しめる芸術になると思います。

吉川壽一だからこその多様性あふれる「SYO」と「SYOING」

――新しい形の「書」を広める活動として、吉川先生はこれまで、中国・天安門、パリ・エッフェル塔下、UAE・ドバイ砂漠などの海外で、巨大な揮毫をライブで行なう「SYOING」にもチャレンジされてきました。なぜ、揮毫をライブで行なわれるのでしょうか。

吉川:単純にライブの方が何をやっているのか伝わりやすいからです。ただ、正直に言えば、私のような書家は、今は、他にいないんですよ。誰も追随しようとは思わないのでしょう(苦笑)。

「書」の世界は伝統的な徒弟制度のなかで、それぞれの立場がある。でも自分がやりたいことはそれじゃない。先ほども述べた通り、芸術家として開かれた存在でありたいと思っています。

――だから、吉川先生は「書家」という肩書きではなく、ご自身を「SYOアーティスト」と言われるんですね。

吉川:ええ。私の作品は今、「SYO」という言い方で伝えています。以前は「SHO」と書いていたんですが、吉川壽一の頭文字の「Y」を入れたいなと思ったんですね。さらに「Y」の文字を「VICTORY」の頭に文字を取って「V」と「I」の組み合わせに分解して、色を変えた表記にしてみたり。実は細かいこだわりがあるんですよ(笑)。

さらに言えば、これからは、絵画の世界で言うところのニューペインティングに匹敵する言葉がないかと探しています。ライブによる「書」も私は「SYOING」と表現してきたんですが、もっと新たな世界共通語を作れないかと。そうすれば、世界中でもっと日本の「書」をアピールできると考えています。

――国内での活動も精力的に行なわれていますが、最近では、棋士の羽生善治名人やファッションデザイナーの菊池武夫さんとのコラボレーションなども話題になりました。

吉川:違う業界の皆さんとご一緒する機会は、これからも増やしていきたいですね。他業種とのコラボレーションでは、もっと面白い形が作れそうな気がするので。

――2017年からは、SCPとエージェント契約を結ばれたので、さらに新しいスタイルでの「SYO」に挑戦できる環境も整ったのではないでしょうか。

吉川:せっかくソニーグループとのご縁をいただいたので、AIやVR、ARなどの最新テクノロジーで、文字を使った新しい映像表現にも挑戦していきたいです。映像技法と協働して、大きな会場で文字が浮き出たり、立ち上がったりというようなことも、今なら可能ですからね。

あとは……ロケットに乗り込んで宇宙で書くのも面白そうですね(笑)。荒唐無稽の話だと思うかもしれませんが、実際、ロケットに「書」を書いてみないか、という話が挙がったことはあったんですよ。ただ、墨の分だけロケットの重量が重くなるから、そのときは物理的に無理だということになりましたが、いつか実現したいですね。

――今後のさらなるご活躍に期待します。最後に伺いたいのですが、先生にとって「書」、「SYO」の魅力とは?

吉川:固定した「書」を志向する方は多いですが、私が書に最も感じている魅力は、多様性です。多様性というのは、多彩ということでもある。様々な書体から生まれる表現の多様性は、本来は自由なもの。字の表現をグッと凝縮していったところに、私の本心が表われるのかも知れない。「これだ!」と思える字の表現を、多彩に追求していくことが、私が「SYO」を続けていく理由なのかなと思いますね。

『舞殿ぐるっと四周囲トリコロール十二支~幸運をもたらす八咫烏~迎新展』展示作品

■八咫烏あかるい「明」の字は、日(太陽)と月から形作られる。日の中にいて、月(=ツキ・運)をついばむのは、神魂命の化身「八咫烏」。

■亥と福寿2019年の干支「亥」を囲んだ、書体の異なる100の「寿」と100の「福」。中国では古くから、独自の芸術文化として、長寿を願う「百寿図」が伝えられている。

■猪
「ながむれば千千にもの思ふ月にまた我が身ひとつの蜂の松かぜ」(鴨長明)

■子「枕とていづれの草に契るらむ行くをかぎりの野辺の夕暮」(鴨長明)

■丑
「松しまやしほくむあまの秋の袖月はもの思ふ習ひのみかは」(鴨長明)

■寅
「はつせ山鐘のひびきにおどろけば澄みける月の明け方の空」(鴨長明)

■卯
「ながめてもあはれと思へ大かたの空だにかなし秋の夕ぐれ」(鴨長明)

■辰
「夜もすがらひとり深山の槇の葉に曇るも澄める有明の月」(鴨長明)

■巳
「住み侘びぬいざさば越えむしでの山さてだに親のあとを踏むべく」(鴨長明)

■午
「袖にしも月やどれとは契りおかず涙はしるやうつの山ごえ」(鴨長明)

■未
「いかにせむつひの烟の末ならで立ちのぼるべき道もなき身を」(鴨長明)

■申
「見ればまづいとど涙ぞもろかづらいかに契りてかけはなれけむ」(鴨長明)

■酉
「たのめおく人もながらの山にだに小夜ふけぬれば松風の声」(鴨長明)

■戌
「石川や瀬見の小川の清ければ月も流れをたづねてぞすむ」(鴨長明)

取材・文/阿部美香
撮影/篠田麦也

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