辻野学のイズム:ヒットにはツキが必要――そのツキを呼び込むために必要なもの
2024.07.29
音楽、アニメ、ゲーム、キャラクター、ソリューションなど、幅広いエンタテインメントビジネスを手がけるソニーミュージックグループで、各ビジネスを統括するマネジメントクラスが自身の“エンタテインメント・イズム”を語る。
今回は、1996年にソニーミュージックグループに入社し、現在はソニー・ミュージックエンタテインメントの取締役執行役員として、音楽ビジネスおよびアーティストマネジメント部門を統括する辻野学が登場。入社の経緯、音楽ビジネスを通じて学んだこと、刻々と変化と進化を遂げるエンタテインメント業界でヒットを生み出すための“イズム”と、業界に求められる人材像を語る。
辻野 学
Tsujino Manabu
ソニー・ミュージックエンタテインメント
取締役執行役員
ソニー・ミュージックレーベルズ
代表取締役執行役員社長
記事の後編はこちら:辻野学のイズム:ヒットにはツキが必要――そのツキを呼び込むために必要なものとは?
――レコード会社からスタートしたソニーミュージックグループは、音楽ビジネスのみならず、多種多様な分野でエンタテインメントビジネスを展開しています。そのなかで、辻野さんは音楽業界でキャリアを重ね、現在は音楽ビジネスおよびアーティストマネジメント領域を統括する立場です。ソニーミュージックグループには新卒で1996年入社ということですが、まずはこの会社を志望した動機を教えてください。
学生時代は報道関係の職業を志望していて、就職活動に関してもアナウンサーを中心としてジャーナリズム関係をいくつか受けていました。ただ、遊んでばかりいて大学で他人より1年多く勉強していたこともあり、親から「夢を追いかけるのも良いけど、業種を絞りすぎない就職活動も考えなさい」と言われてしまいました(苦笑)。そこでほかの業種も模索したなか、ソニーミュージックグループも受験することにしたんです。
当時のソニーミュージックはCD全盛期で、ドラマ主題歌として久保田利伸 with ナオミ・キャンベルの「LA・LA・LA LOVE SONG」が大ヒットしていたり、JUDY AND MARYが気鋭のアーティストとして注目を集めていたり、PUFFYがデビューしたのも1996年でしたね。
――音楽業界を目指していなかったというのは意外です。
確かに最初から目指していた業界ではなかったんですが、母が音楽大学卒のピアノ講師で、ビリー・ジョエルのアルバム『ニューヨーク52番街』をよく聴いていて、私自身も洋楽を中心に音楽は大好きでした。学生時代には、1,000枚近くのCDを保有していたと思います。
そういう嗜好もあり、ソニーミュージックにはとても親しみを覚えていて、結果、良いご縁をいただくことができました。ちなみに、音楽業界の企業を受験したのはソニーミュージック一社のみでした。
――入社後の歩みについても教えてください。
入社当初は、典型的な学生気分が抜けていない、生意気な“あかんたれ”で、とにかく他人と群れない、小心者のくせに態度はでかい、最悪な新入社員だったと思います。最初に配属されたのは、営業本部の東京営業所でした。当時は、音楽の会社に入ったのだから、やはり宣伝、制作系を手がけたいと思っていたので、配属が決定したときは、営業という職種にあまり納得はしていなかった記憶があります。
ですが、初めに営業職、その後、洋楽、邦楽の宣伝や販売推進など、特に数字やプロモーションの面で音楽のセールスを考えなければいけなくて、制作のヒットを横から見られる部門を経験できたのは自分にとって非常に勉強になりました。音楽ビジネスに対して視野を広げることができましたし、ヒットを作るためのアイデア、その発想法についての礎が、このときにできたと思います。
そういった部署異動を経て、いざ2005年、MASTERSIX FOUNDATIONという音楽レーベルで制作の現場に携わることになったときも、音楽制作以外で培ったさまざまな経験が、徐々に役立つことになりました。
――音楽制作以前のキャリアにおいて、特に印象深かった経験を教えてください。
今でもとても良い経験だったと思っているのは、入社1年目の営業時代にまったく自分の趣味趣向にはない演歌拠店のセールスを担当させてもらったことです。店長さん、オーナーの皆さんはご年配で、当初はなんだかイメージしていた音楽業界と違うなと思いました。
でも、実際に仕事をご一緒させていただくと、皆さんとても温かくて、優しいんですね。私のような駆け出しの新人社員でも話を聞いてくれて、ちょっと風邪ひいて咳をしていたら帰りにのど飴を渡してくれる。我々がビジネスとしていたのはあくまで音楽ですが、その現場を支えているのは、細やかな人と人との触れ合いだということを、このときに気づかされました。
もうひとつ、自分を変えた大きな思い出は、2年目に大阪営業所に配属になり、当時関西エリアで一番の売り上げを誇るタワーレコードの梅田店を担当させてもらったことです。エリア最大の店舗とのお付き合いでいかにヒットを生み出すか? にチャレンジできたのは自分にとって大きな糧になりましたね。
――今はインターネット上を中心とした多種多様な場でヒットが生まれますが、当時は店頭でCDをいかに売り上げるかが、ヒットを作った時代ですね。
はい。セールスごとに明確な売り上げ目標の数字があるので、それを達成するための店頭キャンペーンがとても大事な時代でした。いろいろな施策を模索しているなかで、ある日、新譜ではなく色褪せない洋楽の歴史的名盤を、平台を使って大きく展開したらどうなるのだろう? と考えたんです。
店長さんに相談すると、面白い試みだからトライしてみようと快諾いただけて、キャロル・キングの名盤『つづれおり』を数百枚納品して全国で数十万枚売れる新譜と同列に平積みすると、初期納品の2~3倍のセールスが達成されました。店舗キャンペーンとしては挑戦的な施策でしたが、発想の転換がヒットづくりにつながるという手応えを持てたきっかけになりました。
その後、洋楽、邦楽の宣伝を経験したあと、再び営業に戻るのですが、今度は日本一の売り上げを誇るタワーレコード渋谷店の担当になりました。そこでも梅田店での経験が生き、店頭発信のヒットづくりのノウハウを自分のなかで確立できた気がします。
また、営業だけでなく“宣伝”での経験で、ヒットの創出に対する意識改革もできました。さらに、いわゆる数字、予算を管理しながら販売施策などを仕掛けていく“販推”担当としての経験も、現在のように会社の経営に携わるようになって、改めて役に立つ経験ができたと実感しています。自分にとって今の下地を作ってくれた時代でした。
――そして2005年、当時のソニー・ミュージックレコーズのMASTERSIX FOUNDATIONレーベルに異動し、いよいよ音楽を作る側になります。
はい。MASTERSIX FOUNDATIONレーベルでA&R(アーティスト&レパートリー:音楽アーティストをさまざまな面でサポートしながらヒットへ導く音楽業界の業種)になりました。既に30代も中盤にさしかかるような年齢でしたから、初めてクリエイティブ職に就くタイミングとしては、遅いほうだったと思います。
――MASTERSIX FOUNDATIONレーベル時代の印象的なクリエイティブについて教えてください。
営業、宣伝時代にそれなりにヒットのサポートをしたという自負と自信もあったので、満を持して“制作でも活躍できるだろう”なんて軽く考えていたのですが、実はA&Rになってから2年間、まったくヒットを生み出せませんでした。これには焦りましたね(笑)。
――30代なかごろですから、組織のなかでも中堅のポジションになりつつある時期ですよね。
いや、めっちゃ現場ですよ(笑)。そして、自分にはA&Rの才能がないのかもと完全に自信を失いかけていたときに、ひょんなことで初めて音楽ランキングで1位を獲得し、着うたフルも約200万ダウンロードというヒットが生まれました。それが、RSP(アールエスピー)という関西出身の6人組ユニットによる「Lifetime Respect -女編-」という楽曲です。
この曲は、三木道三(現:DOZAN11)さんの大ヒット曲「Lifetime Respect」を女性目線からカバーしたアンサーソング。当時の日本にはアンサーソングという文化がまだなくて、その後数々のヒットが出て定着するのですが、それを日本で実践してみました。
――その発想は、どこから生まれたのでしょうか?
洋楽の宣伝時代に見聞きした企画が原点で、そこから出てきたアイデアでした。TLCの「ノー・スクラブス」をニューヨークのヒップホップ・グループ、スポーティ・シーヴズが、男性視点からのパロディ風アンサーソングとして「ノー・ピジョンズ」という楽曲をリリースしていたのを思い出したんです。
RSPのメンバーと同じく、私自身も大阪生まれで原曲が大好きでしたので、アンサーソングとして、作詞・作曲を含めて原作者の三木道三さん自身の大ヒット曲を女性目線でリプロダクトしてほしいとお願いしました。
これが功を奏するのですが、あまりにヒットに恵まれてない被害妄想もあって、実は「Lifetime Respect -女編-」がなぜヒットしたのか自分でもわかりませんでした。そこで自分が深く関わった初ヒットを企画面、クリエイティブ面、宣伝面から多角的に分析、研究したことで、その後、徐々にヒットの作り方が見えてきました。
――誰かのヒットから学ぶことが大切なのですね。
ヒット作には、次のヒットを生むためのヒントが必ず隠れていますからね。ただ、そこには罠も隠れているんです。他人のヒットを分析して、ただ真似るだけでは、例え売れたとしてもオリジナルを超えることは絶対にできない。オリジナリティがあるということはアーティストにとって、とても重要なことですから、他人のヒットを咀嚼し、担当するアーティストの個性や自分が持っている武器を上手くかけ合わせて差別化を図ることによって、よりヒットは大きくなるのだと思います。
――現在の音楽のヒットにおいて、時代を超えて普遍的なもの、変わらないものはあるのでしょうか。
普遍なのは人の営みに寄り添う歌詞ですね。歌詞の作り方は、昔も今もそんなに大きく変わっていないんじゃないかと思います。ただし、流行る歌詞のジャンルは変化してきています。私がA&Rだった時代は、流行歌の歌詞は恋愛が中心でしたが、今は例え恋愛要素があったとしても、もっと個人の人間性を深堀りした歌詞が若いリスナーの共感を得ていると思うんですね。
人の内面、生きる辛さや苦しみ、痛みが描かれている歌詞が、とても増えていると感じていて。おそらく今の若い人たちの悩みの核が、人と人との複雑な関係性、そこで感じる心の痛みといったものにシフトしているような気がします。近年、若者の心を掴んでいるボカロPの楽曲などは、まさにそういう心情を歌った歌詞が多く、だからこそ多くの共感を得ているのではないでしょうか。
――リアルではないところに人間関係が構築されるSNSの発達も、影響しているのでしょうか。
間違いなく影響していますね。デジタルの発達によって、人と人が生身でコミュニケーションを取る機会は減っていますが、SNSを通じたコミュニケーションの時間はどんどん増えていますよね。
LINEやメールなど文字のみの会話だと、相手の真意は捉えにくいものです。面と向かって話しているなら気にしないようなことも、画面越しだと気になってしまう。無駄な悩みを抱える機会が増えてしまったように思います。
手軽にコミュニケーションができること自体は良いのですが、手軽だからこそ安易な文面を送りやすかったり、何でも共有しすぎて本当に言いたいことが伝わらなかったりしますよね。そういう苦しみや悩みが、今のヒット曲の歌詞には、確実に反映されている。昔からよく言われることですが、まさに“音楽は時代の鑑”だと思います。
後編では、ヒットを生み出すための持論と会社の経営に携わる者としてのこだわりを聞いた。
文・取材:阿部美香
撮影:干川 修
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