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芸人の笑像

や団:お笑い通も一目置く、ネクストブレイク芸人の急先鋒【前編】

2020.03.27

ソニー・ミュージックアーティスツ(以下、SMA)所属の芸人たちにスポットをあて、ロングインタビューにて彼らの“笑いの原点”を聞く連載「芸人の笑像」。第3回は、2020年ブレイク必至と噂されるトリオ芸人・や団(読み方は“や⤴”“だん⤵”。サッカー界のレジェンド“ジダン”と同じ音調が正解とのこと)。

学生時代のグループ結成から現在のメンバー編成になるまでを、三者三様の語り口で証言。そこに至るまでの日々は、不思議なめぐりあわせに満ちていた。

  • 本間キッド

    Honma Kid

    1982年12月23日生まれ。埼玉県出身。血液型AB型。

  • 中嶋 享

    Nakashima Toru

    1982年6月23日生まれ。新潟県出身。血液型A型。

  • ロングサイズ伊藤

    Longsize Ito

    1981年3月22日生まれ。神奈川県出身。血液型A型。

軍団名を付けたくて、自分たちを“ヤ団”と呼んでいた

SMA NEET Projectのなかで、今年こそ大ブレイク必至と目されている3人組コントグループがいる。その名は“や団”だ。今年1月、ネクストブレイク若手を集め、お笑い通から最も注目を浴びるコンテスト『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』内の“山-1グランプリ”で優勝。ダウンタウンの浜田雅功をして「100点満点」と言わしめた。

そんなや団が、自らつけたキャッチコピーは“弾丸コント”。リーダーを務める本間キッドが敬愛する、甲本ヒロトがボーカルを務めるザ・クロマニヨンズのヒット曲「弾丸ロック」にあやかり、3人の勢いの良さやネタの爆発力といった、彼らのコントの魅力が詰め込まれている。

グループ名そのものも実に印象的だ。

「もともと、僕となかし(中嶋 享)は同じ私立の中学・高校の幼馴染みで、一緒にバスケ部に入っていた友達同士。もうひとり、背の高いヤツと仲良し3人組だったんです。で、友達同士のちょっとカッコ良い軍団名を付けたくて、僕が勝手に自分たちを“ヤ団”と呼んでいて。中学3年生のとき、その3人でバスケの3on3の大会に出ることになって、申込書のチーム名に“や”だけカタカナで“ヤ団”と書いたのが、トリオ名のそもそものきっかけですね」(本間)

「“や”をひらがなにしたのは、それよりずっと後で。僕らが大学4年のときかな。当時、なんかおもしろいことをしたくて、東京都内をうろうろしながら、ビデオカメラでくだらない動画を撮ってたんですね。今でいうYouTuberみたいなもんですね。そのときに、本間と入った高田馬場のラーメン屋の名前が“渡なべ”。漢字とひらがなの組み合わせって新しいなと思って、“ヤ団”を“や団”に変えたんです(笑)」(中嶋)

名前の理由も、「ウィキペディアには、毛利元就の三本の矢の逸話が由来だと書かれてますけど、それも落語家をやってる先輩の発案を、『その由来、いいっすね!』と拝借しただけ。ファンの方がそっちを広めてくれただけで、じつは嘘です(笑)」と本間は笑う。

芸人になって、本間と一緒に漫才をやりたかった

メンバーが語るように、や団の成り立ちは、仲間同士の遊びから始まったものだ。日本大学附属の中高一貫校で同じバスケ部だったはしゃぎ好きの仲良し3人組は、その後もワイワイと仲間うちでおもしろいことをやりながらエスカレーター式で同じ大学に進学。

別の学部を志望したため本間は静岡、中嶋は東京で大学生活を送ることになる。だが、これも運命か。ふたりは言葉にすることこそなかったが、内心ではそれぞれが“芸人になりたい”欲を密かに募らせていたそうだ。

「僕は電気工学科に進んだんですけど、大学1年のときにもう勉強がわからなさすぎて、芸人になろうと思い始めたんです。本当は本間と一緒に漫才をやりたかったんですけど、本間は静岡。しょうがないから、大学の友達をひとり、ボケの相方にしようと鍛えていたんです。でも本間のことも諦められない。だったら3人でお笑いをやるのがいいなと、時々、静岡に遊びに行っては、本間との仲も繋ぎとめてました」(中嶋)

中嶋の当時の相方というのが、後に3人でや団を組むことになる海野健太郎。3人でトリオを組むなら本間と海野にも仲良くなってもらわなければと考えた中嶋は、海野の父親のつてで、ロック好きの本間が絶対に行きたがるであろう人気音楽フェスのチケットを餌にふたりを引き合わせ、意気投合させるきっかけ作りまで画策したそうだ。

一方、本間も、大学在学中から、舞台役者か、昔から好きだったお笑いか、はたまたミュージシャンか……と「表現者になりたい」という思いをずっと抱いていた。そして大学卒業の時期には、表向きはサラリーマンになる様子を見せながらも、自身の思いに従う決意を既に下していたという。

「一応親の手前もあるので、ちゃんと就職活動をしたし、内定も3つほどもらってひとつは研修にまで通って、親を騙し続けたんですよ(笑)。でも、大学を卒業する3月に就職をナシにして、芸人になるぞ! と決めて、とっとと東京に戻ったんです。その頃には、中嶋たちとお笑いをやるつもりだったんですけど……僕が4年でちゃんと卒業したっていうのに、なぜかあいつらはふたりともお笑いやるためにわざと留年してて、まだ大学生をやってるんですよ! 俺は就職も蹴って、やる気満々だったのに! まぁ仕方ないんで、そのままトリオ組みましたけどね」(本間)

誰でも出られるフリーのお笑いライブからのスタート

こうして意思疎通が図られていたのか、いなかったのかは微妙な……しかし、おもしろい友達と好きなお笑いをやっていこうと決めた3人は、本間が昔付けた“や団”のグループ名で活動をスタートする。

「僕らは養成所に通っていたわけでもないので、最初は誰でも出られるフリーのお笑いライブに1、2回出るところから始めたんですね。まだまだ若いから、そんなにおもしろくもなかったですけど。やっていたのは、今と同じようなコントでした」(中嶋)

「最初はフリーでしたけど、やっぱりどこかの事務所には入りたい。僕はネプチューンさんが大好きだったから、ワタナベ(エンターテインメント)さんにネタ見せに行こうと思ってたんですけど、友達にピン芸人を始めた人がいて、その人が“SMAがお笑いを始めたから、今のうちに入っちゃったほうがいいよ”と教えてくれたんです。それもそうだなと面接に行ったら、会ってくれたのが平井(精一)さん。偶然にも平井さんは日大の先輩で、ワタナベ時代にネプチューンさんを育てた人だった。“ネプチューン好きなのか、いいな!”と言ってくれて、この事務所がいいと思ったんです」(本間)

それが2005年の4月。2004年12月に立ち上がったばかりで、面接だけで入れる事務所としてフリーの芸人たちに有名だったSMA NEET Projectに、や団は籍を置くことになった。

観客投票によるランク分けで芸人たちが切磋琢磨する“トライアウトライブ”にも、や団は第3回から参加。ベテラン勢が多かった約50組の所属芸人のなかでもダントツに若かったや団の勢いのある芸風は、さっそく観客の心を掴み、着々とランクアップ。トップランクグループの常連となっていた。

そんなある日、2007年のことだ。順風満帆と思われていたや団に、予期せぬ出来事が起こる。大学時代から夢を共有してきた海野が、脱退を表明したのだ。

「中嶋はまだ大学生を続けていたんですけど、海野が6年で大学を卒業して、彼女と結婚したいからもう芸人を辞めると言い出したんですよ。せっかくいい感じで来てたのに、“うわー、ダメだ、どうしよう!”と本間とかなり慌てましたね」(中嶋)

「中嶋と2人でや団を続けていくという選択肢は、まるでなかったですね。僕は3人でやるコントが絶対に良かった。だから、どうしてももうひとり、メンバーを見つけたかったんです」(本間)

土曜日のネタ見せの日に伊藤が来るのを張っていた

そんな焦る2人にアドバイスを送ったのが、NEET Projectの生みの親である平井精一だった。

「平井さんが、“うちの一番下のランクでビリを取ってるピン芸人がいる。ネタは全然おもしろくないけど、華があるし、演技力がある。お前らが書いたネタなら、そいつに合うかもしれない”と教えてくれたんです」(中嶋)

それがや団第3の男となる、ロングサイズ伊藤との出会いだった。伊藤はダウンタウンに憧れ、高校卒業後に浅草で人力車を引くアルバイトをして吉本興業のお笑い養成所、東京NSCに入学して漫才師を目指すが、「真面目に学校に通って勉強したお笑いなんてダサい」と養成所に通わなくなり、わずか2カ月ほどでドロップアウト。一度は芸人の道を諦めてサラリーマン生活を送るが、やはりお笑いを諦めきれず、インターネットで知ったNEET Projectの門を叩いたという経歴を持っていた。

「まずは、本人を捕まえて話をするのが先決と、毎週土曜日のネタ見せの日に伊藤が来るのを待って、張ってたんですよ。ところが、1週目も2週目も現われない。平井さんに『伊藤が来ないんですけど……』と伝えたら、『まずいな。もしかしたらアイツ、このままフェードアウトして辞めちゃうかもしれないぞ!』と言うんですね。それはヤバいと慌てて伊藤の連絡先を教えてもらって、直接電話をかけたんですよ。『や団と言いますけど、良かったら一緒にやりませんか?』って」(本間)

いきなり、や団加入を打診された伊藤はというと……

「ちょっとビックリしましたよね。当時の僕は、絵が好きだったからフリップ芸をやったり、陣内智則さんみたいなひとりで何かにツッコむコントをやったりしてたんですけど……まぁウケはどれもイマイチで。ネタ見せに行かなかったのも、風邪を引いてたという理由だけでなく、面倒くさいなという気持ちが半分あった。ちょうど“これからどうしようかな?”と考えてた時期にもらった誘いだったから、じゃあ、一緒にやってみようかなと加入を決めたんです。あと……や団とは面識はなかったけど、一度事務所のライブで観たことがあったんですね。そのときに客席から本間さんに向かって“てっちゃーん!”って声援が飛んでて。そんなに人気ある人達と一緒にやれるなら、それもいいなと」(伊藤)

後に、その声援は、たまたま本間のバイト先の友人がライブを観に来てはしゃいでいただけだったと発覚。「人気あると思ったのは、まったくの錯覚だったんですよ(笑)」と伊藤が言うと、3人が声を合わせて笑い合う。

「でも、さすがにや団はトップ集団にいて、僕は最下層。それまでお客さんが誰もいないなかでネタをやっていた自分としては、いきなり華やかな舞台だし、ピン芸しかやってなかったので、グループコントも初めて。それはもう、ビビりましたね。ただおもしろいことに、前のメンバーの海野さんと僕は、背格好がほぼ一緒で。遠目で見ると変わりがないから、メンバーチェンジに気づかないお客さんもけっこういたみたいでした(笑)」(伊藤)

こうして、旧メンバーの脱退でトリオ体制の崩壊という一大事を乗り越えたや団は、ロングサイズ伊藤という新しい仲間とともに再スタートを切る。

文・取材:阿部美香
撮影:尾藤能暢

関連サイト

SMA NEET Project HP
https://neet-project.com/profile/yada-n/

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