ボブ・ディラン【後編】「短いフレーズも格言的でかっこいい。生きる力を与えてくれる」
2020.07.08
世界中で聴かれている音楽に多くの影響を与えてきたソニーミュージック所属の洋楽レジェンドアーティストたち。彼らと間近で向き合ってきた担当者の証言から、その実像に迫る。
第1回は、ロック&フォーク界の大御所中の大御所、ボブ・ディラン。2016年にミュージシャンとして世界で初めてノーベル文学賞を受賞し、2020年7月8日には、受賞後初となる全曲オリジナルのニューアルバムを発表する。
今回語るのは、長年の担当歴を持つソニー・ミュージックレーベルズ ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル(以下、SMJI)の白木哲也。
前編では、ボブ・ディランのライブにまつわる逸話や、本人との遭遇エピソードなどを明かす。
ボブ・ディラン(Bob Dylan)
1941年5月24日生まれ、ミネソタ州出身。1962年、アルバム『ボブ・ディラン』でデビュー。1963年に発表したアルバム『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』に収録された楽曲「風に吹かれて」を始め、フォーク、ロック史に残る名曲を多数発表。グラミー賞などの音楽賞の受賞と殿堂入りに加え、ピューリッツァー賞特別賞の受賞や大統領自由勲章を授与されるなど、その功績は枚挙にいとまがない。2016年にはノーベル文学賞を受賞。2020年7月8日に、8年ぶりとなるオリジナルアルバム『ラフ&ロウディ・ウェイズ』が日本で発売される。
白木哲也
Shiroki Tetsuya
ソニー・ミュージックレーベルズ
ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
マーケティング2部 ゼネラルマネージャー
1998年に初めてボブ・ディランを担当。2004~2007年は、ソニー・ミュージックダイレクトでカタログ担当として紙ジャケの制作などに携わる。2007年からSMJIに所属。2016年までの間に、ブートレッグ・シリーズや紙ジャケなどのカタログを含め、通算101タイトルものボブ・ディラン作品を手がける。
――今、新型コロナウイルスの影響で世界中に激震が走っています。国内外問わず、音楽活動への影響も大きいですが、ボブ・ディランについてはいかがでしょうか?
日本での活動において一番影響が大きかったのは、4月1日からZepp DiverCity、NHKホールなどで15公演を予定していた来日公演が中止になったことですね。この日本公演が今年のツアーの一発目だったのですが、結局6月以降の北米ツアーも中止になったので、やはり新型コロナウイルスは、ツアーへの影響が一番大きいです。
――ボブ・ディランは、現状開催されている配信ライブイベントなどへの参加は今のところないですよね?
そうですね。レディー・ガガがキュレーターで、ポール・マッカートニーやザ・ローリング・ストーンズなども出演していた“ワン・ワールド:トゥギャザー・アット・ホーム”とかオファーがあってもおかしくないとは思いますが。でも、基本的にテレビでのパフォーマンスすらしないので、やらないでしょうね。
――“ワン・ワールド:トゥギャザー・アット・ホーム”は自宅からの配信というのも魅力でしたが、それもボブ・ディランの場合は考えにくいことですよね。
当然、自宅を見られるのも入られるのも、場所を知られるのも嫌でしょうね。ただ、彼がチャリティライブに関して消極的かというとそういうことではなくて、過去には“ライヴ・エイド”や“ファーム・エイド”(ともに1985年)などにも出演していますし、チャリティソングの「ウィ・アー・ザ・ワールド」(1985年)にも参加しています。日本だと1994年に奈良・東大寺で行なわれた“GME '94 ~21世紀への音楽遺産をめざして~ AONIYOSHI”とか、いろいろと出演していて、決して全否定ではないんです。
ただ、ディランへのオファーは到底叶わないんです。ボブ・ディランってよく“ロックの神様”“フォークの神様”とか呼ばれたりしますけど、普通、神様ってお願いしたら叶えてくれるかもしれないじゃないですか。でも、ディランには絶対通用しない。ディランへのお願いは決して叶わないものなんです(笑)。
――(笑)本当の神様のほうが叶えてくれるよ、と。
でもおもしろいですけどね。ディランの場合、すべてにおいてそうなので。ファンだったら“こうしてほしい”“こうあってほしい”とか思うじゃないですか。僕らのようなレコード会社の人間だったら、宣伝活動でも独自の取材や撮影がしたいとか、担当になったらそのアーティストに近付きたいとか。僕も“会ったら何を話そうかな”とか最初は思いましたけど、そういうことは一切考えてはいけないんだっていうのを、担当になって初めてわかりました。
――実際、白木さんのようにレコード会社で担当されていても、ステージ以外では会えないんですよね?
もちろんです。昔はそうでもなかったのですが、僕が担当したころからは来日時もいつもシークレットで、本当に誰にも会わない。長年担当して、来日も何度か経験していますが、ほかのアーティストみたいに本人に挨拶なんてできませんし、楽屋にすら入れませんから。僕が1998年に担当になって、会えたのは2001年の来日時に30秒だけですね。
――30秒!?
2001年の日本ツアーに同行した際、ある会場でツアーマネージャーに「この時間、この場所に立ってろ」って言われて、そこはディランがステージからバックステージに戻る導線の、ちょうど中間地点くらいのところだったんですね。真っ暗のなかで立っていたら、アンコールが終わって暗がりからトコトコ歩いてくる影が見えてきて、ツアマネがパッと彼を止めてくれて……。
僕は挨拶をしつつも何がなんだかわからないままとりあえず握手だけはした。暗闇だからほとんど見えていなかったけど、ニッコリと一瞬笑ったかも? っていうことと、たった今ものすごいライブをやってきた人とは思えないほど“プニョプニョ、ポニョポニョ”な手だったという記憶くらいです。
ディランは、ライブですらお客さんに媚びないですからね。「日本の皆さん、こんにちは」とか言わないですし、数年前のZeppで一言「アリガトウ」って言ったことがあったんですが、みんな驚いてそれだけでニュースになったくらい(笑)。ライブを終えて、最後に出てきてお辞儀をする代わりに、会場中を仁王立ちで睨みつけるんですよ。歌舞伎でいう見得のような感じで。「今日の俺、どーだ?」みたいな。そして、会場中を見回して、お客さんを確認してからステージを去るっていう。
――なんだか、謎が多いというか。本当に不思議な方ですよね。
つかみどころがなくて、ミステリアス。でも、そこが魅力でもあるんですよ。あまのじゃくで、みんながこっちに流れてくるっていうと、スッとひいてどこかへ行ってしまったりして、逆へ逆へ行こうとする。そういうところは作品やライブにも反映されているし、ディランの人生そのものである気がします。
ライブはその日限りのもので、毎回違うものになる。原曲を崩すのが当たり前、でも現在進行形の曲の姿がそこにある。コール&レスポンスやお約束みたいなものはまったくないし、それを許さない。ボブ・ディランのライブのおもしろさは“毎回違う”“原曲から崩す”だけでなく、“同調させない”ことにもあるんです。
――そうやって自分のペースで生きているアーティストの新曲、ニューアルバムが、世界的に未曾有のことが起きている2020年に出るというのにも驚きました。
もう79歳ですし、僕はオリジナルアルバムなんてもう出ないんじゃないかって思っていたんですよね。2012年の『テンペスト』が最後かなと。それが8年ぶりのオリジナル楽曲として「最も卑劣な殺人」を3月27日に配信リリースして、続いてアルバムも出すとなって、それがこのコロナ禍の2020年というのは、やっぱり僕らとしては何か意味合いを考えてしまいますよね。本人は絶対にそうは言わないでしょうけど(笑)。
――本作のシングルカット曲「最も卑劣な殺人」は、1曲で16分54秒という大作ですね。この長さはボブ・ディランの楽曲のなかでも過去一ですよね?
過去一ですね。ただ、これまでにも長い曲はたくさんあって、昔から10分超えは結構あるんです。『ブロンド・オン・ブロンド』(1966年)という名盤に入っている「ローランドの悲しい目の乙女」という曲なんて、2枚組レコードでA面、B面、C面、D面とあるじゃないですか。そのD面全部を1曲で占めてしまっていたり。
1997年にグラミー賞をとったアルバム『タイム・アウト・オブ・マインド』にも「ハイランズ」という16分31秒の曲がありますが、それを今回あっさりと越えました。
イントロ、Aメロ、サビみたいな、お決まりの曲構成ってあると思うんですが、「最も卑劣な殺人」はそういうものもなく、とにかく言葉を17分近くにわたって詰め込んでいる。言うべきこと、伝えたいことがいっぱいあったということだと思うんですよね。
――最初にボブ・ディランの曲の長さが話題になったのは、1965年の「ライク・ア・ローリング・ストーン」ですか?
そうですね。史上最高のロックソングと言われている曲ですが、あれは6分くらいの曲(6分10秒)。当時2、3分のシングル曲が多かったなかで、6分越えの曲をシングルカットして、それでも全米2位にはなったんですよね。この曲を収録するアルバム『追憶のハイウェイ61』(1965年)は、その当時の尖った感じもかっこよくて、予備知識がなくても聴けば良いアルバムだとわかるので、初めてボブ・ディランを聴くという人にもおすすめですね。
――普通は曲が長いと“メディアで曲がかかりづらい”とか“マーケティング的に展開が難しい”とか考えそうなものですが……。
1960年代は特に音楽を聴くといったらラジオがメインだった時代でもあるので、6分のシングルというとオンエアしづらいでしょうし、レコード会社は絶対に反対したと思います。でも、ディランにとっては、そんなの関係ないというか。「最も卑劣な殺人」もそうですが、できた曲がこの長さだっただけで、何がいけないわけ? って感じなんでしょう。
レコード会社のマーケティング的にどうのこうのとか、このタイミングにこういう曲を出したら最高ですよとか、そういうことじゃないんですよね。本人は “ここで出すと売れるよね”とか絶対考えないんで。長いこと担当していましたが、そういうことは一番通用しない人がディランですから。僕らはよかれと思って、“こういうことをしてくれるといいな”とかあるんですけど、一切お構いなしです(笑)。
でも今回のように、全世界がこのような状況にあるなかで新作が届けられたり、これまでも2001年9月11日の、アメリカ同時多発テロが起きた日にアルバム『ラヴ&セフト』が出たり、本人が意図していないところで、何か偶然が必然になっちゃうというか。結果的にそういうときにディランの歌が必要になってくるんです。
文・取材:古城久美子
日本オフィシャルサイト
http://www.sonymusic.co.jp/bobdylan
海外オフィシャル・サイト
https://www.bobdylan.com/
『ラフ&ロウディ・ウェイズ』特設サイト
http://www.110107.com/bobdylan_roughand
ハイレゾ全15タイトル プライスオフキャンペーン(2020年7月17日まで)
https://bobdylan.lnk.to/Hi-ResAW
『BOB DYLAN 日めくり・リリック・カレンダー』
http://www.sonymusic.co.jp/artist/BobDylan/info/512352
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