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担当者が語る! 洋楽レジェンドのココだけの話

ワム!【前編】「アイドル的なイメージに惑わされるけど、実は最初からとんがっていた」

2020.11.10

世界中で聴かれている音楽に多くの影響を与えてきたソニーミュージック所属の洋楽レジェンドアーティストたち。彼らと間近で向き合ってきた担当者の証言から、その実像に迫る。

今回のレジェンドは、冬の季節の定番曲『ラスト・クリスマス』で知られるワム!。80年代にティーンを中心に人気を博し、日本ではカセットテープのCMにも出演したジョージ・マイケルとアンドリュー・リッジリーによるポップデュオの魅力を、ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル(以下、SMJI)佐々木洋に聞く。

前編では、デュオのソングライター、ジョージ・マイケルの魅力や、ワム!ファーストアルバムまでの楽曲を振り返る。

ワム!(Wham!)

(写真左から)ジョージ・マイケル/1963年6月25日生まれ、2016年12月25日没。イギリス出身。アンドリュー・リッジリー/1963年1月26日生まれ。イギリス出身。1981年、バンド仲間だったふたりで結成。1982年に『ワム・ラップ!(楽しんでるかい?)』でデビュー。『ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ』『ケアレス・ウィスパー』『ラスト・クリスマス』などのヒット曲がある。3枚のアルバムを発表し、1986年に解散。

 

  • 佐々木 洋

    Sasaki Hiroshi

    ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル

    1996年よりSMJI所属。11月11日発売のワム!『ジャパニーズ・シングル・コレクション:グレイテスト・ヒッツ』を担当。

ワム!のジョージ・マイケルを見て、逆に衝撃を覚えた

ジョージ・マイケル

──佐々木さんがワム!を知ったのはいつごろでしたか。

僕は中学生くらいから洋楽を聴いてるんですけど、リアルタイムだとワム!より先にジョージ・マイケルのソロ曲を聴いたんです。キラキラした80'Sポップが好きで、1986〜1987年ごろから洋楽のチャート番組とかラジオを聴き始めたんですが、たまたまテレビの洋楽番組でジョージの『アイ・ウォント・ユア・セックス』(1987年)のミュージックビデオ(以下、MV)を見たんですよ。

そしたら、モノクロで女の人のお尻がずっと映ってるいかがわしい世界観が気になっちゃって(笑)。その後に『フェイス』(1987年)のMVを見て、それがめちゃめちゃかっこ良くて、「なんだこれは!」って衝撃を受けました。

──『フェイス』は、アコギのカッティングが冴えるかっこ良い曲ですね。

ティアドロップのサングラスに細身のデニムで、ジュークボックスの前でギターを弾いてるMVがすごくカッコイイって思いました。当時、マイケル・ジャクソンの『BAD』と『FAITH』がほぼ同時に出て、世のなかは『BAD』で大騒ぎだったんです。僕は今マイケル・ジャクソンも担当してるので言うのもなんですが(笑)、当時は完全にジョージ派でした。

その後、アルバムの『FAITH』を買って聴き込みましたね。洋楽を聴き始めて30年以上経ちますけど、僕のなかで『FAITH』とブルーノ・マーズのファーストアルバム『Doo-Wops & Hooligans』(2012年)は、ポップアルバムとして非の打ちどころがない作品だと思ってます。

アルバム『フェイス』(1987年)

──そこからワム!を辿っていったんですか。

はい。音楽番組の過去のヒット曲特集で初めてワム!を見ました。もともとワム!から入った方は、キラキラしたアイドルだったジョージがソロになって“ザ・セックスシンボル”になったことにびっくりされたと思うんですけど、僕は「あの『フェイス』のジョージが甘いキャンディポップをやってる!」って逆に衝撃を覚えました(笑)。

──確かに入り口が逆だと、“『ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ』って何事!?”ってなりそうです(笑)。

まさにそういう感じでした(笑)。最初に『ラスト・クリスマス』(1984年)のMVを見て、「すごく良い曲だな」と思って、同時に『ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ』(1984年)を見たんです。「これジョージ? 短パン!?」って感じでした(笑)。

ただ『ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ』も、『フェイス』とは全然雰囲気は違いますが、僕が好きな80'Sポップだったので、それからワム!のアルバム『メイク・イット・ビッグ』(1984年)を買ったんです。

ブルー・アイド・ソウルの枠に収まらない“ワム!ポップス”

アルバム『メイク・イット・ビッグ』(1984年)

──ジョージ・マイケルのファンから見た『メイク・イット・ビッグ』はどうでしたか?

やっぱり捨て曲がないなって思いましたね。ジョージ・マイケルはモータウンとかR&Bが大好きで、ワム!も大枠としてはブルー・アイド・ソウル(白人アーティストが、R&Bやソウルなどブラックミュージックへのリスペクトを込めて表現した音楽ジャンル)に入ると思うんです。でも、ワム!の音楽はブルー・アイド・ソウルの枠に収まらない、唯一無二の“ワム!ポップス”だなって感じます。

『フリーダム』(1985年)は、ウォール・オブ・サウンド的な残響感があって極限まで甘酸っぱいし、キャンディポップだけど曲全体にすごく世界観がありますよね。サビも“I don't want your freedom”って中学生でもわかる単語が使われてて。でも当時は、「自由はいらないって歌ってるけど、自由欲しくないのかな?」なんてことを思ってました。

──実は、君を自由にしたくないって恋愛の束縛の歌だったっていう。

そうだったのかって、後になって知りました。『ケアレス・ウィスパー』(1984年)は、イントロからして子ども心にいやらしい曲だと思いましたね(笑)。あと、熱烈なファンの間では一番人気の『恋のかけひき』(1984年)とか、『メイク・イット・ビッグ』は、いろんなタイプの良い曲が満載だなって思いましたね。

──『恋のかけひき』の粘っこいグルーヴは今聴いても最高です。改めて、ワム!の活動スタートですが、1982年に『ワム・ラップ!(楽しんでるかい?)』でイギリスでデビューして、1983年のファーストアルバム『ファンタスティック』で世界的に大人気になりました。彼らが活躍した80年代前半から中盤は、MTVが開局したり、デュラン・デュランやカルチャー・クラブなどのブリティッシュ・インベージョンが巻き起こっているころでした。

ワム!がそういうなかのひとつだったというのは、僕は後から知りました。

アルバム『ファンタスティック』(1983年)

──『バッド・ボーイズ』(1983年)で全米チャートをざわつかせて、次のシングル『クラブ・トロピカーナ』(1983年)で大ブレイクするという流れでした。

日本は、海外とシングルリリースの順番が違うんですよね。日本では『クラブ・トロピカーナ』を先にシングルとしてリリースしています。その後、彼らが出演していたマクセルのCMの放映に合わせて、CMで使われた『バッド・ボーイズ』のシングルをリリースしてるんです。そのタイミングでプロモーション来日して、テレビ番組などにも出ていました。

ジョージはアンドリューと出会ったことで出口を見つけた

ジョージ・マイケル

──そうなんですね。『クラブ・トロピカーナ』は、ファンクとラテンの要素がある陽気なファンカラティーナの曲調で、MVもトロピカルなリゾートの雰囲気で。

MVを見たとき、ジョージの白いビキニパンツが衝撃的でした(笑)。

──まさに衝撃ですね。

ちょっと気恥ずかしい感がしてしまうほど(笑)。今回リリースするワム!の『ジャパニーズ・シングル・コレクション:グレイテスト・ヒッツ』のライナーノーツを、80'Sポップスに詳しい西寺郷太さん(NONA REEVES)にお願いしているんですが、ジョージはギリシャ系移民の2世で、本名はジョージじゃなくてヨルゴス(ジョルジオス)なんです。だから、あの格好もすごく似合ってるんじゃないかって書かれています。

──地中海の普段着みたいな。

確かにそういう見え方もするんですよ。あと、あの撮影のときに、ジョージが相方のアンドリューに自分がゲイであることを言ったってことが、最近イギリスで発売されたアンドリューの自伝に書かれています。そのときは、アンドリューは「そうなんだ」って普通に受け止めたそうですが。

──ふたりは古くからの友達ですし、気付いてたかもしれないですね。

もともとジョージは、超内向的で超インドアなタイプだったんですよね。中学時代にアンドリューと出会うんですけど、アンドリューはクラスの人気者だった。内向的なジョージはアンドリューの真似をすることでクラスに溶け込んでいって、注目されることに喜びを感じていくんです。

それに、ジョージはソングライターとしての才能はあったけど、どうやってそれを世に出せば良いのかが自分ではわからなかった。それが、アンドリューと出会ったことで出口を見つけたんです。アンドリューとバンドを組んで必死についていく、あるいは模倣することで、ようやく自分の音楽を世に発表できるようになるんです。

『ラスト・クリスマス』は10年連続ランキング入り

──言ってみれば、アンドリュー・リッジリーがいたおかげで、アーティストとしてのジョージ・マイケルを世のなかに解放できたわけですよね。そして、音楽史に残るクリスマスソングの大定番『ラスト・クリスマス』を生み出しました。

『ラスト・クリスマス』は1984年にシングルで出たんですけど、日本では1988年12月にCDシングルになって、そこからもチャートに何度も入ってくるんですよね。

──80年代終わりから90年代頭にかけて、日本では映画『私をスキーに連れてって』(1987年)が公開されたり、ガーラ湯沢スキー場(1990年開業)ができたりでスキーブームになって、ゲレンデで『ラスト・クリスマス』と松任谷由実の『恋人がサンタクロース』が絶対流れるっていう感じでした。でも、何がきっかけで1988年にシングルリリースされたんでしょう?

ワム!のデビューから解散の時期って、ちょうどアナログレコードからCDに切り替わる時期だったんです。解散した後に全作品CDで出たんですよね。そのタイミングで『ラスト・クリスマス』もCDシングルでリリースされたと思うんです。

──そのころ8㎝の短冊CDシングルが次々出ていましたね。

それがかなり売れて、1989~1998年のオリコンの年間シングルランキングで10年連続トップ100に入ってるんです。

「ラスト・クリスマス」8㎝CDシングル

「ラスト・クリスマス」日本版アナログシングル

──それはすごいです。ワム!の楽曲についてさらに振り返っていきましょう。

ワム!時代の曲のほとんどをジョージが作ってるんですけど、まずデビュー曲『ワム・ラップ!(楽しんでるかい?)』からしてすごいなと。これはジョージのオタク魂なのか、先見の明なのかわからないですけど、1982年にイギリスのアーティストがラップでデビューするってすごい話じゃないですか?

──1982年は早いですよね。当時アメリカのブラックミュージック・シーンで盛り上がり始めたばかりの、最先端の音楽ですからね。

しかもめちゃめちゃカッコイイ。そういうところにも、ジョージのセンスが感じられます。デビューで今から世界に出ていくぞ! って息巻いているときに、しかもブリティッシュ・インベージョン華やかなりしときにラップでデビューするなんて、才能と勢いがないとできないですよ。

ラップが全米ヒットチャートに入ってくるようになったのって、たぶんRUN DMCの『ウォーク・ディス・ウェイ』とかビースティ・ボーイズのファースト『ライセンス・トゥ・イル』とかで、どっちも1986年なんです。ワム!ってアイドル的なイメージに惑わされるけど、実は最初からとんがっていたんですよね。

──ふたりはよくクラブで遊んでいたらしいですが、“ダンスフロアで鳴っている最先端のヒップホップを、自分たちもやっちゃおうぜ”って感じだったのかなと想像できますね。

そうですね。ただ、ジョージが面白いのは、その最先端のラップを『ワム・ラップ!(楽しんでるかい?)』『ヤング・ガンズ(やりたいことをしようぜ!)』(1982年)の最初のシングル2曲だけでパタッとやめちゃう(笑)。とがったファーストアルバム『ファンタスティック』を経て、次のアルバムでは絶妙に“チューニング”してくるんですよね。

後編へつづく

 

文・取材:土屋恵介

関連サイト

オフィシャルサイト
http://www.sonymusic.co.jp/artist/Wham/

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