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連載Cocotame Series

芸人の笑像

錦鯉:最年長ファイナリストとしてSMAから初のM-1決勝進出を果たした、オジサンふたりのストーリー【前編】

2021.01.21

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ソニー・ミュージックアーティスツ(以下、SMA)所属の芸人たちにスポットを当て、ロングインタビューにて彼らの“笑いの原点”を聞く連載「芸人の笑像」。

第5回は、『M-1グランプリ 2020』でSMA NEET Project所属芸人では初の決勝進出、しかも最年長ファイナリストとしてネタ以外でも注目を集めた錦鯉が登場する。

芸人の間では「売れる」と言われながら、長らくブレイクを果たせなかった錦鯉。前編では、その紆余曲折と苦悩を語る。

  • 長谷川雅紀

    Hasegawa Masanori

    1971年7月30日生まれ。北海道出身。血液型O型。

  • 渡辺 隆

    Watanabe Takashi

    1978年4月15日生まれ。東京都出身。血液型O型。

何の目標もなくフラフラと芸人をつづけていた

センターマイクに辿り着くやいなや大きく手を広げ、大声で「どーもー! こんにちは~!!」と客席に呼びかけて次々に空気を読まないバカバカしいギャグを連発する49歳、芸歴26年の長谷川雅紀。真面目でお堅いサラリーマンふうの風貌で、長谷川の大ボケに淡々とツッコミを入れながら、相方のスキンヘッドに強烈な一撃を食らわせていく42歳、芸歴21年の渡辺隆。SMA NEET Project所属芸人としては初めて『M-1グランプリ 2020』の決勝ステージに立った錦鯉は、M-1史上最年長ファイナリストという称号とともに、子どもから大人まで年齢性別を問わず爆笑を誘うポップな芸風で、一躍注目を集めた漫才コンビだ。

錦鯉の結成は2012年のこと。長谷川は、北海道の札幌吉本時代はタカアンドトシとほぼ同期。高校時代からの友人とコンビで活動後に上京し、SMA NEET Projectに所属した。いっぽうの渡辺は、平成ノブシコブシやピース、南海キャンディーズの山里亮太ら人気芸人を輩出する吉本興業の養成所・東京NSC5期出身で、SMA NEET Project所属後は現・だーりんずの小田祐一郎とのコンビ・桜前線として活躍していた。2010年初頭、ほぼ同時期にそれぞれがコンビを解散。同じ事務所の芸人同士として以前から交流を温めていたふたりに、ひょんなことからコンビ結成の話が持ち上がったのだという。

「(長谷川)雅紀さんに声を掛けたのは、僕からでしたね。前のコンビを解散して1年ほどピンでやっていたんですが、ずっとコンビでやってきていたから、ひとりコントをやってもうまくいかず。そもそもピン芸は向いてないなと思ってたんです。ほんとに何の目標もなくフラフラと芸人をつづけていたんです。そんなときに目に入ったのが雅紀さん。前から仲も良かったし、ひとりでやるよりは誰かと一緒にやるほうが良い。『一緒にやりましょうよ』と軽い感じで声を掛けて今に至る……本当にそんな感じなんですよ」(渡辺)

「そのとき、僕はもう40歳。僕もピンでやっていてもいまいちで、確かにうまくいってなかったんです。(渡辺)隆もそうでしたけど、テレビに出る仕事があるわけでもないし……。事務所の人や先輩にハッキリと口に出したりはしなかったですが、内心では芸人を辞めるきっかけとしては、ちょうど良い時期かなと思っていたところでした」(長谷川)

芸人として紆余曲折を経たふたりが、“ひとりでやるよりふたりのほうが良いんじゃないか?”となんとなく組んだのが、錦鯉の出発点だった。

「だから、本当に軽いノリ。隆に誘われたときも、『ちょっと考えさせてくれ』もなく、『あ、イイねぇ!』と(笑)。なので、初めてふたりきりで居酒屋で今後の話をしようとしたときも、『俺らなら絶対、天下獲れるよ!』もなければ、『このふたりならM-1行けるよ!』という熱い話もない。お互いドラマの『北の国から』の大ファンだったので、その話ばっかりしてました。ただ、このふたりなら、単純に面白くなりそうとは感じてました。隆はツッコミの腕もあるしどっしり構えていて、僕はワチャワチャやってる『コロコロコミック』みたいじゃないですか(笑)。その対照的なギャップがきっと面白くなりそうだなと。事務所のほかの芸人からも、面白いふたりが組むなら面白いんじゃないかという声もありましたし」(長谷川)

外国人が錦鯉を爆買いしてるというニュースを見て「じゃあ錦鯉だ!」

そんな“なんとなく”生まれた錦鯉は、事務所ライブのほかに、都内で開催されている、2千円、3千円の身銭を切って出演するフリーのお笑いライブに、年齢も芸歴も20年近く違う後輩芸人たちと並んで出るようになる。錦鯉という印象的なコンビ名も、ライブに出るために渡辺が“なんとなく”決めたものだった。

「ライブの主催者から『コンビ名を教えてください』と電話がかかってきたんです。そのとき、外国人が錦鯉を爆買いしてるというニュースをちょうどテレビで見ていて、『じゃあ錦鯉だ!』……というので決まっちゃいました(苦笑)」(渡辺)

お笑いにストイックに向き合う者だけが手にできるM-1ファイナリストの称号を得たふたりではあるが、結成当時の話を聞けば聞くほど、気負いがない。自分たちの笑いを信じて、マイペースに飄々とお笑い界を渡り歩いてきたように見える。そう告げると、ポーカーフェイスの渡辺が「もしそんなふうに見えるとすれば……僕らの性格がちゃんとしてないからじゃないですかね?」と苦笑し、長谷川は「手に職がないから芸人を辞める勇気がなかっただけ。お笑い以外に好きなものもないし……ダラダラ芸人をつづけてきちゃっただけなんですよ」と、大きな瞳を見開いて大きな声で笑う。そして、芸人だからこそ見られる夢があることを知っているから、40歳を過ぎてもお笑いをつづけることができたのだと言う。

「もし芸人を辞めて違う仕事に就いたとしても、その先ってなんとなく見えちゃうじゃないですか。年収がこれくらいで、定年まで働いてもこんな感じの人生だなって。でも芸人をつづけていたら、本当にわずかな光が差して、そこで一発当たれば人生が激変することを知ってるんです、とくに僕らSMA芸人は。『キングオブコント』で優勝したバイきんぐ、『R-1ぐらんぷり』で優勝したハリウッドザコシショウやアキラ100%を見てきているので、なんとなくそういう夢を見つづけられているのかもしれないですよね」(長谷川)

そんなふうに芸人としての再スタートを切った錦鯉のふたりだが、すぐにめざましい結果を残せたわけではなかった。2012年の結成当時は、『M-1グランプリ』がいったん終わりを迎え、それに代わる賞レースとして『THE MANZAI』があったが、芳しい成績を残すことはできなかった。だが、そんな彼らが転機を迎えたのが、2015年。2014年までの『THE MANZAI』では1回戦、2回戦敗退がつづく足踏み状態だった彼らが、2015年に復活した『M-1グランプリ』予選で、初めて準々決勝に進むことができたのだ。なぜ急に躍進できたのか? そのきっかけはふたつあったと渡辺は言う。ひとつは“ハリウッドザコシショウからのアドバイス”だ。

「2014年ごろまでの僕らのネタは、やってる内容は今とそんなに変わらないんですけど、雅紀さんがバカを隠していたんですよ(笑)。当然、声も大きくなかった。普通にスッと出て、普通に漫才を始めてました。そんなとき、雅紀さんがハリウッドザコシショウに言われたんですよね。『お前はバカなんだから、もっとバカを出していけ』と。じゃあ、一番バカに見えることって何だろう? と考えたら、おじさんがバカみたいに元気に挨拶するのが一番だなと思ったんです」(渡辺)

「当時、隆に『最初からでっかい声で元気に挨拶しろ』と言われたことは、なんとなく覚えてますね。そこで始めたのが、出だしの『こーんにーちはー!!!』というアレです。普通の大人なら、大声でバカな挨拶をするとお客さんが引くんじゃないかとスベるのを怖がると思うんですけど、僕は全然平気。スベってもいいやと思う。その思い切りが、今の僕らの漫才スタイルにつながりましたね」(長谷川)

初対面の博多大吉から「錦鯉面白いじゃん、すぐ売れるよ!」

長谷川がバカを思い切りできるようになったのには、もうひとつのきっかけがあった。錦鯉を語る上では欠かすことのできない“自己破産事件”だ。

「当時の僕は夜中にバイトをして、朝になると丸一日パチンコやパチスロをやりつづけていて100万円くらいの借金を作っていたんです。毎月毎月、アルバイトしたお金の8割くらいを返済に持っていかれていて、ほんとに首が回らない状態でした」(長谷川)

「なので雅紀さんはいつもお金の心配ばかりで、漫才してても上の空。本当にかわいそうだったんです。だから僕が言ったんですね、だったらいっそ自己破産しちゃったほうが良いって。それでネタ合わせ中に弁護士を探して電話した。いざ自己破産したら、声も大きくなって顔も明るくなった。本当にそこからです、ちゃんとネタがウケるようになったのは」(渡辺)

そこから心機一転で挑んだ『M-1グランプリ 2015』では準々決勝まで駒を進め、2016年以降も連続して準々決勝、準決勝へと進むことができるようになったが、決勝のステージはまだ遠かった。しかし、ライブによく足を運んでいるお笑い通や、同じ芸人たちの間では、錦鯉の評判はめきめきと上がっていた。2015年に博多華丸・大吉が行なったライブ『華丸・大吉がはじめて会う5組の芸人たち』では、ネタを見た初対面の博多大吉から「錦鯉面白いじゃん、すぐ売れるよ!」との賛辞が贈られた。

「そのライブの様子がネットニュースになって、ちょっと話題になったんです。その後、華大さんがおすすめする漫才コンビだということで、僕らがたまにテレビに出るときは、わざわざ番組スタッフが華大さんのところに取材に行き、『錦鯉についてひと言コメントをお願いします』みたいなことが、5、6回あったんですよ。後日、『毎回、“あいつらは面白い、売れる”と言いつづけてるんだから、いい加減売れてくれよ』とぼやいていたと、人づてに聞きました(苦笑)。でも無名の僕らにとっては、それがとても励みになった。一度しか会ったことのない僕らを推薦してくれる華丸・大吉さんの顔に泥を塗っちゃいけないと思っていたので……」(長谷川)

「ちゃんとご挨拶して、お詫びと感謝の気持ちをお伝えしたいんですよね。そのためにはもう少し僕らが安定感を出せるようにならなきゃいけないなと、今も肝に銘じています」(渡辺)

2018年に放送された『ENGEIグランドスラム』では、芸歴15年以上のキャリアを持つ芸人を対象にした“芸人1000人が選んだまだ売れてないけど本当に面白い芸人ランキング”企画で、三拍子やラバーガール、オジンオズボーン、トータルテンボスらテレビで活躍中の面々に交じって、ほぼテレビに出たことがない錦鯉が第7位に選ばれた。

「あの企画もめちゃめちゃうれしかったですね。ランキングの10位まではほとんどが吉本の芸人さんで、僕らだけが本当に無名。ライブで会った後輩芸人が、『アンケートに名前書いておきました!』なんて言ってくれて、照れくさいながらもうれしかったです」(長谷川)

「そんなふうにいろんな方が、“錦鯉が売れるのを待ってるよ!”みたいな感じにはなってたんですけど……僕らがなかなかそこに行けなかった。準々決勝、準決勝からのM-1の壁は本当に厚かった。焦りと言うよりは、申し訳ない気持ちでいっぱいでした」(渡辺)

後編につづく

文・取材:阿部美香

※この取材は2020年12月28日に行なわれたものです。

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