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音楽カルチャーを紡ぐ

武部聡志インタビュー:「普遍性と時代性を兼ね備えたポップス。その先駆者が筒美京平なんです」【前編】

2021.03.23

音楽を愛し、音楽を育む人々によって脈々と受け継がれ、“文化”として現代にも価値を残す音楽的財産に焦点を当てる「音楽カルチャーを紡ぐ」。

日本のポップス界に数々の名曲を生み出し、惜しくも昨年逝去された作曲家・筒美京平。今回は、そんな彼のトリビュートアルバム『筒美京平SONG BOOK』で総合プロデュースを務め、「卒業」(斉藤由貴)ほか数々の筒美京平楽曲の編曲を手掛けた武部聡志へのインタビューを届ける。

前編では、筒美京平との出会いや間近で見てきた彼の素顔、筒美楽曲の魅力を語る。

  • 武部聡志

    Takebe Satoshi

    国立音楽大学在学時より、キーボード奏者、編曲家として、数々のアーティストの楽曲に携わる。また音楽プロデューサーとして、松任谷由実のコンサートツアーの音楽監督や、一青窈の作品などを手掛ける。筒美京平楽曲では、「卒業」(斉藤由貴/1985年)、「あなたを・もっと・知りたくて」(薬師丸ひろ子/1985年)、「夜明けのMEW」(小泉今日子/1986年)などを編曲した。

筒美京平(つつみきょうへい)

1940年5月28日生まれ、2020年10月7日没。2003年、紫綬褒章受章。アニメ『サザエさん』の同名主題歌に代表される、国民的メロディを生んだ作曲家。グループサウンズから歌謡曲、アイドル曲、J-POPまで、幅広いサウンドを手掛けた。楽曲提供したアーティストは、ジュディ・オング、岩崎宏美、近藤真彦、KinKi Kidsなど、枚挙にいとまがない。

筒美京平との出会いは斉藤由貴の「卒業」

――『筒美京平SONG BOOK』の制作は、武部さんが中心となって進められたということですが、どのようにスタートしたのでしょうか。

『筒美京平SONG BOOK』トレーラー#1

企画を立てたのは2019年のことなんです。2020年5月28日に(筒美)京平さんが80歳の誕生日を迎えられるということで、そこをめがけて傘寿のお祝いのアルバムを作ろうと思い立ちました。で、まず相談したのが、本間(昭光)くんと、松尾(潔)くん。3人でカフェに集まって、どんなアルバムにしようかといろいろと話をしましたね。

その時点で僕が漠然と思っていたのは、名曲中の名曲が揃っている京平さんの作品をただトリビュートとして並べるのではなく、京平さんのクリエイターとしてのDNAを受け継ぐプロデューサーたちが、アーティストと向き合って作るアルバムにしたいということでした。プロデューサーとアーティストが、いわゆるガチンコでお見合いをする形です。

アルバム1曲目の「人魚」を歌ったLiSA(写真左)と武部聡志。

――そこを軸にされたわけですね。

そこで、そのふたりにつづき亀田(誠治)くんにも声をかけたりして、少しずつ企画を進めていました。ところが、昨年はコロナ禍で思うように制作に入れなかった。そうこうしているうちに京平さんの訃報が届いて、傘寿のお祝いが一転、追悼的意味合いのアルバムになってしまいました。

とは言え、軸は変わりません。京平さんの作品に大きな影響を受けてきた我々プロデューサー陣が一斉に集まり、天国の京平さんに届けるアルバムを作ろうと、そんな思いで取り組みました。単なるカバーではなく、それを歌うアーティストに一番相応しい装いを施していく。プロデューサー同士がそこでしのぎを削る作品にしたかったんです。

――アルバムの詳細にいく前に、武部さんにとっての筒美京平さん像をお聞かせいただけますか。そもそもの出会いは、斉藤由貴さんの「卒業」でしょうか?

そう、それが最初です。シングルのリリースは1985年2月21日でしたが、レコーディングは1984年。そこで、筒美京平さん、作詞の松本隆さんというゴールデンコンビにお会いしました。まだ僕は駆け出しのぺえぺえで、京平さんからしたらどこの馬の骨ともわからない人間。そんな若者に編曲を任せて、どの程度やれるのか、たぶん京平さんには好奇心もあったと思うんです。ある意味テストされていたような気がします(笑)。いっぽう僕も、天下の筒美京平、松本隆の作品ですから、とにかく持てる力を全部出そうと思って臨みました。

――レコーディング現場では筒美さんとのやりとりも?

もちろん、ありました。まず、デモテープを聴かせていただいて、打ち合わせをして、その後、オケ録り(演奏のレコーディング)はもちろん、歌入れを含めたすべての現場に足を運んでくださいましたね。たぶん、「卒業」に関しては、京平さんも松本さんもすごく思い入れがあったと思うんです。デビューしてこれから色合いが決まっていくアイドルに、当時のアイドルらしからぬ曲をぶつけてきたわけですから。

――たしかにそうですね。「卒業式で泣かない」という、透明感のなかに芯の強さを思わせる歌です。

由貴ちゃんの人物像は、あの曲で決定づけられたと言っても過言じゃないですよね。そして、おふたりともそのイメージに対して、すごく自信を持っておられたと思うんです。歌入れでも京平さんは的確なアドバイスをなさっていました。のちに由貴ちゃん自身が、「筒美さんの言葉で、歌手としてやっていく覚悟みたいなものができた」と言っていましたね。

次の世代で日本のポップスは完成する

――ポップス界における筒美京平さんという存在に、武部さんはどのような印象をお持ちでしたか?

僕は、小学生のころからグループサウンズを聴いて育った世代なんです。もちろん、そのころから筒美京平の名前は知っていました。昭和の歌謡曲が、いわゆる“歌は世につれ世は歌につれ”だった時代。国民全員がヒット曲を共有していた時代でした。今回のアルバムでもカバーした「また逢う日まで」も、「魅せられて」もそう。そんな数々の名曲を世に送り出されていた京平さんが、「僕の次の世代で日本のポップスは完成する」とおっしゃっていたんです。

「魅せられて」(1979年/ジュディ・オング)

――“次の世代”というのは?

僕を含めた今回のプロデューサー陣がそれにあたると思います。京平さんは、歌謡曲に自ら洋楽の匂いみたいなものを持ち込み、日本のポップスと言える新しいスタイルを生み出した。それが熟成してのちにJ-POPとなるわけですけど、それを完成させるのは自分のひとつ下の世代だと、そこまで見越して考えていらっしゃったんです。

――次の世代に未来を託されていたんですね。武部さんご自身も、託されているものがあると感じてましたか?

すごく感じていました。というのも、昭和歌謡全盛のころは、京平さんご自身が編曲もなさっていたんですが、ある時期から、ご自分は曲を書くことだけに専念して、編曲はそのとき一番勢いのあるフレッシュな才能に託されるようになった。ご自分にはない感性を色づけとして加えていくことで、京平さんのメロディが時代を超えて生き残ったんだと思うんです。

――そういうやり方を、筒美さんはあえて選ばれたんですね。

もし、ご自身が編曲家としてもずっとやっておられたら、ここまでヒット曲を量産することは難しかったんじゃないかなと思うんです。編曲を“次世代”に託してくださったことで、我々はすごく育てられましたね。

――ほかの人に託すというのは、創作意欲が旺盛な人ほど難しいんじゃないかと思うんです。

そうですね。僕自身、自分の作った曲を別の人が編曲するというのはあまりイメージできないです。でも、そうしたほうが、自分には思いつかないアイデアやサウンドが生まれる可能性はある。自分でやったら自分がこうしたいという形にはなるけれど……。たぶん京平さんは、自分の予想を超える新しいものに出会いたいという思いが強かったんでしょう。

常に“アーティストファースト”で作る姿勢

――筒美さんはメディアにあまり出られない方だったので、存在がベールに包まれているイメージがありました。武部さんからご覧になって、どんな方でしたか?

筒美さんとお仕事をした方は皆さん、「スタイリッシュで素敵な方」とおっしゃるんです。もちろん、それもあるんですが、いっぽうで、僕が思う筒美京平さんというのは、すごくシャイな方でした。自信満々でやっているという感じではなかったですね。どこかこう孤独と闘いながら曲を作りつづけていた人だと思います。

――やすやすとではなく、一つひとつ「これでいいのだろうか?」と自問自答されながら曲作りと対峙されていたんでしょうか。

すごく努力しておられたと思います。ものすごい数の音楽を見聴きされていたでしょうし、オファーがきたアーティストのことも一生懸命分析されて、この声にはどういうメロディが合うだろうかと常に考えながら作っていらっしゃったと思います。“職人”ですよね。

筒美さんを「天才」と呼ぶ人はいるかもしれないけれど、僕からしたら、やっぱり努力の人で、職人なんです。アーティストにとって一番歌いやすくて、かつ、そのアーティストが一番輝くためにはどんな曲が良いかと、“アーティストファースト”で作っていらした方。その姿勢は僕も大切に引き継いでいます。何か迷ったときは、そのアーティストにとって何が一番かに立ち返りますね。

――筒美さんは作曲家というだけでなく、プロデューサーの目線もお持ちだったんですね。

稀代のメロディメイカーというだけでなく、アーティストファーストで曲を作り、そのアーティストを通して、世の中に何かを訴えかけていくということをなさっていたと思います。

――そういう意味では世の中とも闘っていた?

時代が何を求めているだろうか、この言葉をこういうメロディに乗せたらみんなが勇気づくんじゃないだろうか、というふうに考えていらっしゃったと思います。だからこそ、あれほど国民的なヒット曲がたくさん生まれたんですよ。

――ご一緒にお仕事をされて、音楽的に学ぶことも多かったですか?

たくさんありました。まず、デモテープを聴かせていただくんですけど、そのなかに、歌のメロディとは別の、例えば、イントロであったり、間奏であったり、歌中のちょっとしたオブリガート(主旋律の合いの手となるような助奏)などの絶対に変えてはいけない部分と、逆に、“自由に変えても良いよ”という部分があるんです。その京平さんのメッセージをどれだけ汲み取れるか、毎回テストされている感じでした。

――前述の「テストされているような」とは、そういうことだったんですね。

はい。絶対残さなきゃいけないと感じたところは残して、自由にやって良いと感じたところは僕なりの解釈でアレンジする。その“答案用紙”を持ってスタジオに行くわけです(笑)。そうすると京平さんが、「あ、なかなか良いじゃないの」とか「ここはもっとこうしたら?」とか言ってくださる。「このメロディに追っかけのコーラスを入れると効果的ですよ」などと具体的におっしゃることもありましたね。

――実際の曲を例にとると?

例えば、小泉今日子さんの「夜明けのMEW」。“愛をごめんね”という歌詞の「“ごめんね”を追っかけにしてみたら?」と現場で指示してくださって、あのような仕上がりになりました。そうそう、斉藤由貴ちゃんの「卒業」は、サビの入り口の“♪ああ”は当初なくて、“♪卒業式で”と拍頭で入るメロディを書かれていたんです。でも、それだと由貴ちゃんがうまく歌えなかった。それで急遽京平さんが、“♪ああ”を加えることを提案なさったんです。それで由貴ちゃんはスムーズに歌えるようになりました。

アーティストが歌いやすいようにというのを徹底しながら、なおかつ、キャッチーであることも譲らない。そのふたつを同時に考えていらっしゃいました。そういった細かい部分が、そのアーティストに曲がフィットするかしないかに大きく関わってくるんですよ。

――武部さんはそれを間近で見て、肌で感じてきたわけですね。

僕の比じゃないほど京平さんとご一緒された船山基紀さんや萩田光雄さんなど先輩アレンジャーにはかなわないですけど、僕らは僕らなりに、次世代として京平さんのイズムみたいなものを受け継いでいきたいと思いながらやってきましたし、今でもそう思っています。

 
後編へつづく

文・取材:藤井美保
撮影:荻原大志

商品情報

『筒美京平SONG BOOK』
3月24日リリース
 

 
【収録曲】
人魚<オリジナルアーティスト:NOKKO>/LiSA
東京ららばい<オリジナルアーティスト:中原理恵>/片岡健太(sumika)
木綿のハンカチーフ<オリジナルアーティスト:太田裕美>/橋本愛
ブルーライト・ヨコハマ<オリジナルアーティスト:いしだあゆみ>/アイナ・ジ・エンド(BiSH)
卒業<オリジナルアーティスト:斉藤由貴>/生田絵梨花(乃木坂46)
また逢う日まで<オリジナルアーティスト:尾崎紀世彦>/北村匠海(DISH//)
サザエさん<オリジナルアーティスト:宇野ゆう子>/miwa
魅せられて(エーゲ海のテーマ)<オリジナルアーティスト:ジュディ・オング>/芹奈・かれん from Little Glee Monster
シンデレラ・ハネムーン<オリジナルアーティスト:岩崎宏美>/一青窈
さらば恋人<オリジナルアーティスト:堺正章>/前田亘輝(TUBE)
ドラマティック・レイン<オリジナルアーティスト:稲垣潤一>/JUJU
君だけに<オリジナルアーティスト:少年隊>/西川貴教

関連サイト

『筒美京平SONG BOOK』特別サイト
https://www.sonymusic.co.jp/Music/Info/kyoheitsutsumisongbook/
 
武部聡志オフィシャルサイト
https://www.htmg.com/management/satoshi-takebe/

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