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芸人の笑像

AMEMIYA:笑いと悲哀のギター芸人が今日も歌う理由【前編】

2021.10.28

ソニー・ミュージックアーティスツ(以下、SMA)所属の芸人たちにスポットを当て、ロングインタビューにて彼らの“笑いの原点”を聞く連載「芸人の笑像」。第9回は、昭和のスターのごとき白スーツ姿でギターをかき鳴らしながら歌う、“冷やし中華、はじめました~”で知られるAMEMIYAにインタビュー。歌声の渋いイメージとはまた違うマシンガントークで、ここまでの道のりと現在の日々を率直な言葉で語った。

前編では、お笑い養成所に入ったきっかけから、最初に組んだコンビを解消するまでのストーリーを明かす。

  • AMEMIYA

    アメミヤ

    1978年11月10日生まれ。千葉県出身。血液型AB型。身長175㎝。趣味:サウナ、読書。特技:作詞作曲、水泳。

学年一面白い奴に「俺もついていって良い?」

一芸に秀でている人は強い。そして、その一芸は身を助ける。コロナ禍でエンタテインメント業界も苦境を迎えていると言われて久しいが、今、“芸は身を助く”という言葉を一番実感しているのは、たぶん、この人なのだろうと思う。

白いスーツに、胸元をはだけた派手な開襟シャツ。昭和のスター然とした装いでアコースティックギターを掻き鳴らしながら、ラーメン店の店主の積み重なる不幸なエピソードを、並外れた声量と情熱的な歌声で“冷やし中華、はじめました~♪”と、とことんシリアスに熱唱するシンガーソングライター芸人・AMEMIYA。その姿は、青春の苦悩と憤りを世の中にぶつけた伝説のアーティスト、尾崎豊に重なると言う人もいる。

コミックソングであるにもかかわらず、笑いとともに人生の悲哀が滲み出る、唯一無二の歌ネタ芸。お笑いタレントでありながら、本格派アーティスト顔負けの感動を与えてくれるAMEMIYAの芸人人生は、将来の進路に悩んでいた高校卒業のころ、同級生とともに吉本興業の養成所、東京NSCに入所を決めたところからスタートした。

「昔から僕は、音楽もお笑いも好きでした。当時、ミュージシャンで好きだったのはウルフルズさんで、お笑いはダウンタウンさんがものすごく流行っていた。人を楽しませることが好きだったから、ジャンルにこだわりはなくて……要するに、テレビで見る芸能人に憧れていたんですね(苦笑)。だからバンドとお笑い、どっちが良いかな? と。正直、自分としてはバンドをやりたかったんですけど、一緒にやってくれる友達がひとりしかいなかったので、バンド活動は無理。そんなときですね、学年一面白い奴が、NSCに行くって言うんです。『あ、じゃあ俺もついていって良い?』と、一緒に入っちゃいました(笑)」

そんな軽いノリでお笑い養成所への入所を決めたAMEMIYAの進路を、母親は受け入れなかった。

「芸人なんて! という考えもあるにはあったんでしょうけど、それより何より、僕は子ども好きなので、当時は保育士になるのも良いなと思って、ちゃんと受験もしていたんですよ。4年制の大学は全部落ちましたけど、短大には受かってて、既に母親が入学金を振り込んでくれていたんです。でも父親が、お笑いの学校でも良いじゃないかと言ってくれたんですよ。あれには僕も驚きました。だって、高校時代は新聞配達以外のアルバイトは禁止されてたり、めちゃめちゃ厳しい人だったんですから(笑)。無口で照れ屋でものすごく無骨な人が、僕のやりたいことを応援してくれた。父なりの優しさだったのかなと思いますね」

難関のネタ見せオーディションで一発合格

そんなプチ波乱の末、のちに監督・脚本家として活躍することになる西条みつとし(現・TAIYO MAGIC FILM主宰)とAMEMIYAは、東京NSC3期生となり、コントを主体とした芸風の、“ノンストップ”というコンビを組む。養成所の同期には、トータルテンボス、山田ルイ53世(髭男爵)、アクセルホッパーこと永井佑一郎、現在はYouTuberとして人気のはいじぃらがいた。自ら望んで入った養成所だったが……。

「相方とコントを始めたのは良かったんですけど、なんかこう、お笑いコンビってなんか違うんじゃないかな……みたいなことは、そのころから感じてたんですよね。学生時代に部活もやったことのなかった僕には、NSCの先輩後輩関係の厳しさもピンとこなかったし、相方はお笑いをちゃんと勉強してたけど、僕はお笑いの“お”の字も知らなかった。『フリって何?』『ボケは知ってるけどツッコミってどうやるの?』みたいなレベルで。やっぱり音楽のほうが良いな、バンドがやりたいなと思いだしちゃって」

当時はダウンタウンが大ブレイクを果たし、松本人志のストイックな芸人人生論が書かれた著書『遺書』の影響もあり、「お笑いで大成するヤツは根暗で尖ってるほうが良い、みたいな風潮もありましたよね」とAMEMIYAは振り返る。

「でも僕はそういう人間じゃないから、お笑いやるのは違うんじゃないか? という気持ちがどこかにあったんですよ。だから、NSCを卒業して1年後には、相方に『お笑いコンビ、辞めさせてもらえないかな』と言ってました」

当然、相方はAMEMIYAを説得。AMEMIYAも自分からついていくと言った手前、途中で投げ出すのも気が引け、とりあえずコンビをつづけることで落ち着いた。ただ、当時の吉本興業は自分たちに合わないと感じていたふたりは、新天地を求めて、都内のお笑いライブに足を運ぶようになった。

「とにかく新しく事務所に入りたいから、いろんなライブを観てみようと思ったんです。そんななかで、ワタナベエンターテインメントが主催していた若手ライブは、シャカさん、いつここ(いつもここから)さん、18KINさん、パラシュート部隊さん、スパローズさんとかがいて、めちゃめちゃ活気がありました。そのころは『ボキャブラ天国』が大人気だったから、ネプチューンさんの影響もあってワタナベのライブは大人気。『ここだったら自分らのネタもウケるんじゃない? 俺たちルックスも悪くないし』って、また勝手に思っちゃって(笑)。それで、結構難関のネタ見せオーディションを受けたら、一発合格できたんです。同じ日に合格したザブングルが、ワタナベの同期でした」

そこからはコンビ名を“ノンストップ”から“ノンストップバス”に変え、心機一転で活動をスタートする。AMEMIYA本人も言うように、彫りが深く二枚目なAMEMIYAとベビーフェイスの西条は、ルックスの良さもあって、お笑いファンの女子にキャーキャー言われる存在になっていく。

「当時のワタナベライブは徹夜組が出るくらい人気だったし、若手には女の子の追っかけもたくさんいました。僕も、ライブの雑用スタッフをやってるときからファンレターをもらってたくらいで(笑)。なので、ライブに出るようになってからは、ほかのコンビが嫉妬するくらい人気があった。オープニングの出演者紹介で名前が呼ばれただけで、『キャーーーッ!』と大歓声が挙がりましたね。ちょっとトークライブやるよって言ったら、すぐ100人くらいお客さんが集まったし」

当時、彼らがやっていたコントは、AMEMIYAいわく「“あの世へ行くエレベーター”とか“絵のなかに閉じ込められる”とか、設定にストーリー性があって、笑わせどころは小ボケなオシャレコント。ラーメンズさんに近い世界観」だったそうだ。

「ネタは全部相方が書いていたんですけど、そういうオシャレなのがいけ好かないみたいな理由もあったのかな。当時は僕らも周りもみんな若いし尖ってたから、芸人仲間は相当僕らにムカついてたと思う。“女ウケ”だって言われてバカにされてましたしね。事務所のネタ見せでも男が絶対笑わない。僕はそれが本当に嫌でした。あと先輩からは、公園で女の子の前でパンツを破られるとか、笑いにはなるもののちょっと度を越してるんじゃない? と思うイジリがあったりもして……内心の悶々がどんどん膨らんでいきました」

だが、「決して先輩たちにムカついてた、とかじゃないんです」とAMEMIYAは言う。

「自分に自信があったんでしょうね。プライドも高かった。自分にはもっと可能性があるし、絶対もっとテレビとかで売れるはずなのに、なんでこんな目に合ってるんだ? って思ってたんですよ。根拠のない自信で。で、なぜそうなのか? と考えていったら、自分のなかで“お笑いコンビなんてやってるからだ!”という結論になっちゃって。ワタナベに所属して4年経ったくらいですかね。相方にもう一度、コンビ解消を告げました」

積もり積もったものが一気に爆発

コンビを解散しようと考えた背景には、ほかにも理由があった。

「一度、事務所ライブで、親子のフォークデュオというネタをやったんです。AMEMIYAがギターを弾く子ども役で、父親役の相方がボーカルで、最後はミュージカル調になるという。そのネタがかなり評価されたんですよ。(渡辺)ミキ社長にも褒められて。それがめちゃめちゃうれしかったんです、高校時代からギターを弾いて作詞作曲もしてた僕には。でも相方は、ノンストップバスとしてのイメージがあったんでしょうね。『ギターを使うネタはもうしない』と言われちゃって。僕はギターネタで手応えを感じてたけど、相方のビジョンではそれはあり得なかったんですね」

さらにもうひとつ、当時のAMEMIYAには音楽ネタにまつわる転機が訪れていた。

「そうこうしてるうちに、ピンでギターを弾いて歌うお仕事をいただいたんです。テレビ東京の、やるせなすさんと浅香唯さんがMCだった『やるヌキッ!』という深夜番組で。僕は路上ライブでエッチな替え歌ばかり歌う、“エロシンガーZ”というキャラクター。関東ローカルでしたけど結構視聴率も良く、裏番組の『はねるのトびら』に勝ったこともあったらしい。それを芸人さんたちが見てて、『エロシンガーZ、めっちゃオモロイな』と言ってもらえたし、ライブでやると下ネタだから男にめっちゃウケるんですよ。やっと男が笑うネタに出会えた。なのに、コンビのときはギター芸がやれない……。複雑な心境でしたね」

さまざまな理由が重なって、ある日、「コンビ解散だ!」と、一気にAMEMIYAが爆発した。

「ほんと、積もり積もったものが一気に来ましたね。もう我慢できないって。絶対に解散するために、“こいつはもう、引き止めても無駄”と思わせたくて、事務所でいきなり『アイ・アム・ミュージシャン!』って連呼したんです、サングラスをかけて(笑)。『ほんとはお笑い好きじゃなかったんだよな!』って言ったら、唖然としてました。後々、自分がお笑いを大好きなことにちゃんと気付くんですけど、そのときはただただ何かに怒って……やっちゃったんですよ。急に僕が爆発したもんだから、偉い人に、『好き勝手しやがって!』と、人生これで終わりだくらいの怒られ方をして。4年間お世話になったワタナベエンターテインメントから出ていくことになりました」

 
後編へつづく

文・取材:阿部美香
撮影:塚原孝顕

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