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芸人の笑像

キャプテン渡辺:競馬芸人で終わらない。ピン芸人としての矜持【後編】

2022.06.25

ソニー・ミュージックアーティスツ(以下、SMA)所属の芸人たちにスポットを当て、ロングインタビューにて彼らの“笑いの原点”を聞く連載「芸人の笑像」。

第15回は、お笑い部門創成期から所属する生粋のSMA芸人、キャプテン渡辺。『R-1ぐらんぷり』ファイナリストも経験したピン芸人は、現在、これまでの経験をいかし馬券師としても活躍中。そんな彼の異色の経歴と、芸人としての想いを聞く。

後編では、ピン芸人としての順調な滑り出しと競馬芸人としての活動、そして、今見つめる未来を語る。

  • キャプテン渡辺

    Captain Watanabe

    1975年10月20日生まれ。静岡県出身。身長182㎝。趣味:競馬、パチンコ、パチスロ、麻雀、映画鑑賞、漫画を読むこと。特技:関節技。『ウイニング競馬』(テレビ東京/BSテレ東)出演中。

頑張っても借金は減らないし、舞台でもウケない

前編からつづく)2005年、キャプテン渡辺を新メンバーに迎えた旧バカラが名前を変え、SMA NEET Project所属の3人組ユニット“キラッキラーズ”が誕生。芸人モードにようやく軌道修正した彼は、トリオでの活動をつづける。しかしこの時期は、本人いわく「芸人人生の一番の暗黒期」だったという。

「当時はそんなに思っていなかったんですけど、思い返すと今までで一番辛くてつまらなかったなぁと。まず、とにかく金がなかった。実は22歳から、競馬で作った借金がずっと膨らんでて、30歳になったころには250万円くらいになってたんじゃないですかね。東京でも鬼のようにバイトはしてたんですけど、利子しか返せない状態で」

その鬼のようなアルバイト生活と並行したキラッキラーズの活動も、キャプテン渡辺にとっては辛く厳しいものだった。

「これね、当時の豆山を知ってる人なら全員納得してくれると思うんですけど、アイツは自分ではほとんど何もしないくせに、“お前らは稽古しろ!”みたいな感じでね(笑)。朝から毎日バイトして、ライブにも出て、夜中の1時、2時……ヘタしたら朝まで稽古して、ほとんど寝ないでバイト行って……っていう生活が、何年もつづいたんです。しかも、そんなに頑張っても借金は減らないし、舞台でもウケない。それでもこういう性格なんで意外とヘラヘラしてたんですけど、今思えば、あの時代はつまんなかったなって思いますね(苦笑)」

そんな悪循環がつづいた末、2010年1月にキラッキラーズは解散。キャプテン渡辺はピン芸人としての活動をスタートさせることになる。ちなみに、当時から“ほかで挫折を味わった中年芸人が最後に辿り着く場所”と認識されていたSMA NEET Projectは、彼の目にどう映っていただろうか。

「うーん、なんですかねぇ。良い印象も悪い印象もなかったというのが本音ですかね。僕は大阪にいたけど、吉本(興業)さんとかほかの事務所に所属したこともなかったし、今もずっとSMAにいる。生粋のSMA芸人なんですよね。そういう色のないまま入ったのも良かったのかな? 周りからは、おやじ芸人の吹きだまりみたいに思われていたかもしれないけど、ずっとフリーでふらふらしてた僕なんか、吹きだまり以下の人間ですしね(笑)。そんな僕をずっと一貫して応援してくれてる親にも、ほんとに申し訳なかったし、感謝してます。僕は3人兄弟の次男で、長男がちゃんと実家の美容院を継いでくれたから、自由にさせてもらえたっていうのもあるのかな(苦笑)。大阪から東京に来るときも、引っ越し代まで出してくれましたからね」

キラッキラーズ解散後、ピン芸人となったキャプテン渡辺は、自らのギャンブラーとしての経験を元に、あるある漫談のネタを作り始め、徐々に頭角を現わしていく。

「ギャンブルのあるあるネタをやろうとしたきっかけは……ピンになる前から(松本)りんすとなんとなく話をしていたんですよね。競輪ネタでテレビにも出ていた競輪小僧という芸人が、当時から競輪場のイベントによく呼ばれていたのを見ていて、ライブだけじゃ食べていけなくても、そういう営業ネタがあればやっていけるんじゃないかと。そこで、りんすが『お前は、パチンコのネタやれば?』と言ってくれまして。キラッキラーズのネタでパチンコ台の『海物語』に出てくるサムの格好をしたら、バカウケしましてね。それを漫談としてピンでもつづけていたら、あれよあれよと浸透していきました(笑)」

『R-1ぐらんぷり』でも、それを改良したクズ漫談で勝負をかけ、トリオを解散した翌年、2011年の大会ではファイナルに進出。今でこそ、さまざまな芸人がダメ人間エピソードで笑いを取っているが、キャプテン渡辺のクズ漫談はその先駆けとも言えるだろう。

「自分で言うのもなんですけど、クズあるあるって、まだ誰もやってなかったんですよ、当時。だから、お客さんも新鮮に思って見てくれたし、すごくフレッシュだったから、ウケたんだと思うんですね。僕もね、今ならコンプラに引っかかる内容があったかもしれないけど、なんせ自分の経験談を話しているわけだから、やってて一番体重が乗るし、めちゃめちゃ楽しい。トリオのころは、全員の力で笑いを取ってるイメージでしたけど、ピンになり、自分ひとりのしゃべりがウケたら……ものすごく気持ちが良くてね(笑)!  今まで俺はお笑いをやっている“つもり”だったけど、本当のお笑いの楽しさってこういうことなんだな! と思えたんですよ」

あのころは、もう“売れた!”と思った

今、競馬番組や自身のYouTubeチャンネル『キャプテン渡辺 くず競馬チャンネル』などで発揮されているトーク力も、コンビやトリオのパッケージングされたネタではなく、ピンとなってからのフリーな漫談で花開いた能力だ。

「ひとりでしゃべり倒すのは前から好きだったんですけど、おそらくSMA内でも、キラッキラーズの3人のなかで僕が一番面白くないヤツだと思われていたんですよ。誰も僕を認めてないくらいの。ただ、ライブのトークコーナーで話すジャック豆山の悪口は、やたら評判が良かった(笑)。狭いSMAのなかではありましたけど、コイツ、実はトークができるヤツなんだ! と、豆山の悪口で知られていった感じなんです(苦笑)。僕はひとりですべてを担うピン芸人の人は本当に大変だし、すごいとずっとリスペクトしていたので、まさか自分ができるなんて想像もしてなかったんですけど……今となってはもう、ピン以外考えられないですね」

斬新なクズ漫談で、ピン芸人になってわずかな期間で『R-1』ファイナルという大舞台を2度経験し、テレビ出演も増えた。当時は、どんな心境だったのだろうか。

「いや、あのころはね、もう“売れた!”と思ったんですよ(笑)。ライブでも手応えがあったし、もう“売れる人の勢い”だったんで。でも、そこで“完全に売れた!”まで行き着けはしなかった。なぜかというと、ビビっちゃったんですね、売れるということに。いろんなところに出ていくたびに、“あれ? これで良かったんだっけ? 俺どうしたら良いんだっけ?”と思っていた。ピンになりたてだし、自分にまだ全然自信もなかったし……ネタはできても、ひな壇トークで話を振られたらどう返して良いかわからないとか、いわゆる“平場”の立ち居振る舞いは不安だらけ。

だから自分のなかでは、2011年、2012年と2回『R-1』の決勝に行けたことがゴール、みたいな感覚もありましたよね。その後も『R-1』には2020年まで出つづけましたけど、まぁ出ました、くらいの感じがずっとあって。正直、あんまり『R-1』に良い思い出っていうのはないかもなぁ(苦笑)」

“競馬芸人”と言ってもらえるのはうれしいけど……

そんな“売れきれなかった”時期にいたキャプテン渡辺に、2012年、今となってはとても重要な、大きな転機が訪れる。テレビ東京/BSテレ東で放送中の、土曜日のJRA中央競馬中継番組『ウイニング競馬』のパネラー兼中継MCとしてレギュラーに抜擢されたのだ。1990年代半ばから、パチンコ、パチスロとともにのめり込んでいた競馬が、漫談以外でもついに仕事となる日が来た。

「学生時代の後輩が今も一緒にやっているFD(フロアディレクター)さんと知り合いで、『“ウイニング競馬”で芸人を探してるみたいですけど、キャプテンやります?』と言われて、もちろんやりたいと。で、まぁ行ったんですよ、それこそプロデューサーとか、アナウンサーさんとかがいろいろいるところに。でも僕は、こんな面接ごときでテレビのレギュラーが決まるわけがないと思っていたから、めちゃめちゃリラックスした状態で競馬についてヘラヘラしゃべってたら……決まっちゃった(笑)」

当時は競馬専門誌での連載も好評だった。2011年、オルフェーヴルが完勝した有馬記念の3連単馬券で180万円越えを獲得したりと、馬券師としての実績も高く買われた。ちなみに、彼が抱えていた多額の借金も競馬で返済したそうだ。そして、この『ウイニング競馬』への出演をきっかけに、彼の仕事はネタよりも競馬関係へとどんどんシフトしていった。

「競馬の仕事が楽しかったこともあるんですが、それだけが理由でもなくて。さっき『R-1』にあまり良い思い出がないと言いましたけど……2回目のファイナルでバカスベリしたのが、自分のなかでは結構トラウマというか、衝撃だったんです。あれだけライブでウケてたネタが、テレビでこんなにスベるなんて! と。これからはテレビを意識したネタをやんなきゃダメだよな……と考え出したら、フォームが崩れちゃいまして。ピンになって最初の2年は、とにかく自分の好きなことだけネタにして、自分が面白いと思うことだけやってたら、ライブでもウケたし、すごく楽しかったんですね。でもテレビ向けのネタにシフトチェンジしてからは、ネタを作ること自体が楽しくなくて、なんなら苦痛に思えてきたんですよ」

今もライブに出れば、キャプテン渡辺のクズ漫談はコンスタントにウケる。だが、ピン芸人としてデビューしたころほどの爆発的な笑いを生むのは、難しくなったと言う。

「お客さんにとっては、“面白いけど、いつものキャプテンだね”くらいのイメージだと思うんですよ。それも悪いことじゃないんですけど……結局僕って、尻を叩かれないと何もやらないタイプなんですよね。だからこの10年、自分で新ネタライブを立ち上げたりもしてるんですが、なかなか会心の出来にはなってない。やっぱり、お笑いって難しいもんですよね(苦笑)」

いっぽう、競馬の仕事は順風満帆だ。今や、競馬ファンでキャプテン渡辺を知らない人はまずいない。この記事の写真撮影を行なった競馬開催日の東京・大井競馬場でも、場内の行く先々で「最近、調子良いですね!」「いつもキャプテンさんの予想、参考にしてます」「応援してます、頑張ってください!」と、老若男女、多くの人に声を掛けられていた。すっかり“競馬芸人”として、地位を確立したように見える。

「“競馬芸人”と言ってもらえるのはうれしいですし、僕なんかが仕事で競馬に関われるなんて思ってもなかったんで、ありがたい限りなんですけど、やっぱりなんでしょうね……もうちょっと芸人として売れたいなと(苦笑)。競馬人としての立場もなんか中途半端なんですよ。評論家ほどの知識はないし、自分なりのやり方で予想して馬券は買うけど、予想家と言えるほどでもない。なので一応、競馬芸人を名乗るしかないんですが、今のままじゃダメだなってほんとに思います。もちろん、競馬の仕事はめちゃめちゃ楽しいんで、一生つづけていきたいですけど、趣味を仕事にするにはもうちょっとレベルを上げたいし、芸人としても『アメトーーク!』の競馬芸人回に普通に呼ばれるくらいにはならなきゃね」

だからこそ、「ここ7、8年は競馬のほうに仕事が偏ってますけど、今年はちゃんと単独ライブもやるつもり」だと、芸人としての野望も見せる。

「コロナ禍だったこともあって、しばらくちゃんとライブに出られてなかったですし、単独公演もここ数年やってなかったので、この夏はぜひやろうと。テレビは、憧れていたダウンタウンさんと一度は共演してみたいという気持ちはありますけど、昔のようにどうしても出たいネタ番組というのもピンと来ないんで、そうなると自分で単独を仕掛けていくしかないですからね。どんなネタにするかはこれからですけど、漫談だとしてもただのエピソードトークにはならないよう、ピン芸人としての原点に一度立ち返り、ライフワークにできるようなネタを探っていきたいですね。……といっても、まぁやってみなきゃわからないので(笑)、楽しみにしていてもらえたらうれしいです」

文・取材:阿部美香
撮影:塚原孝顕

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