イメージ画像
イメージ画像
連載Cocotame Series

芸人の笑像

スタミナパン:男子中高生が笑うようなネタが一番僕らっぽい【前編】

2022.08.17

  • Twitterでこのページをシェアする(新しいタブで開く)
  • Facebookでこのページをシェアする(新しいタブで開く)
  • LINEでこのページをシェアする(新しいタブで開く)
  • はてなブックマークでこのページをシェアする(新しいタブで開く)
  • Pocketでこのページをシェアする(新しいタブで開く)

ソニー・ミュージックアーティスツ(以下、SMA)所属の芸人たちにスポットを当て、ロングインタビューにて彼らの“笑いの原点”を聞く連載「芸人の笑像」。

第16回は、おじさん芸人の存在感が強いSMA内では十分若手と言える30代コンビ、スタミナパン。『キングオブコント2022』では、順調に準々決勝まで駒を進めている彼ら。SMAのライジングスターとも言うべき注目株の素が存分に表われるインタビューをお届けする。

前編では、それぞれのバックグラウンドからSMAに所属するまでのストーリーを聞く。

  • スタミナパン

    Sutaminapan

    (写真左より)麻婆/1989年7月20日生まれ。神奈川県出身。身長169㎝。体重115㎏。トシダタカヒデ/1989年6月7日生まれ。千葉県出身。身長178㎝。体重58㎏。

SMAにもイキのイイ若手がいる

さまざまな個性が集い、今やお笑い界のメジャーファミリーのひとつになったSMAお笑い部門。ハリウッドザコシショウやコウメ太夫、錦鯉などの人気者に“追い付け追い越せ!”とばかりに、次世代を担うSMA芸人として今注目したいのが、ふたり組のコント芸人・スタミナパンだ。現在、予選が着々と進行している『キングオブコント2022』では2回戦を突破。そうそうたるコント師たちに交じって奮闘中だ。

メンバーは、達磨の逆さ絵にも似た茶目っ気のある髭面と、おにぎり体型の巨漢が特徴のボケ担当・麻婆(まーぼー)と、麻婆とは対照的に眼鏡をかけた文学青年風のルックスとスラリとした体型が特徴のツッコミ担当・トシダタカヒデ。ふたりは同じ1989年生まれの33歳。錦鯉を筆頭に40代、50代の超ベテラン勢が活躍するSMAにおいて、「ほかの事務所と違って、芸歴10年ちょっとの僕らは、世代としてはむしろ少数派」だと言う。

最近は、ベテラン芸人の活躍を見てSMAを志望する若手や、やす子のようになぜか20代前半でSMA所属になったという変わり種もいるが、他事務所なら一番ボリュームゾーンであるはずの30代芸人枠がエアポケットのようにぽっかり空いているのもSMAならではだ。

「だから、SMAにもイキのイイ若手がいるってことは、大きく書いといてください!」とふたりは笑う。それゆえ、これまで本連載『芸人の笑像』で話を聞いてきた芸歴20年を超えるベテランたちとは、お笑いに目覚めたきっかけや憧れの芸人も少し違っている。

ボケ担当の麻婆は、鹿児島県奄美大島生まれの神奈川県藤沢市育ち。“麻婆”という芸名は、本名の前川真風(まえかわ・まさかぜ)が由来で、子供のころからずっと“マー坊”の愛称で呼ばれてきたからだという。少年時代からお笑いが好きだった麻婆。彼の心に残るお笑い番組と言えば、くりぃむしちゅー、中川家、おぎやはぎらが出演していたあのコント番組だった。

「中学生時代、『リチャードホール』をめっちゃ見ていたのを覚えてます。リアルタイムでも見ていましたけど、TSUTAYAとかでDVDを借りて見ていた印象も強いですね。多分、僕らより上の世代なら、まずダウンタウンさんが挙がると思いますけど、僕らはそれより下なので、『リチャードホール』のおぎやはぎさんや劇団ひとりさんがめちゃめちゃ面白くて、彼らのラジオを聞くようにもなりました」(麻婆)

青春時代に自然とお笑いに親しんでいた麻婆。学生時代は「一軍中の準一軍? で、生徒会もやっていたイケイケな子でしたね。今より全然痩せてましたし(笑)」と振り返る。だが、自ら「お笑い芸人になろう」と思うようになったのは、意外と遅い。

「20歳くらいですね。じつは僕、高校を出てから一度、就職をしてるんですよ。もつ鍋屋で働いていたんですけど……トラブって辞めまして(苦笑)。どうせなら、前から好きだったお笑いをやってみようと、ワタナベエンターテインメントの養成所、ワタナベコメディスクールに1年間通ったんです。普通は4月の新学期から入所するものですけど、僕が思い立ったタイミングは時期外れで。ワタナベだけは10月入所の募集があったので、そこしか入るところがなかったんですよね。スタミナパンのウィキペディアの“来歴”の欄には、ふたりともワタナベコメディスクール13期出身と書いてあるんですけど、それは嘘。僕しか通ってなかったので、誰か修正してくれないかな(笑)」(麻婆)

ちなみに、ワタナベコメディスクールの同期には平野ノラや薄幸(納言)がいたという。

「でも僕はスクール卒業時にはワタナベエンターテインメントには所属できなくて。一応学校にも行ったんだからお笑いはつづけたいと思い、スクール在学中に同級生と組んだコンビでフリーで活動を始めて、解散しては新しいコンビを組んで、また解散して……を繰り返してました」(麻婆)

麻婆とやるようになってからツッコミに

いっぽうのツッコミ担当・トシダタカヒデは、千葉県習志野市出身。「将来は芸人になるんだろうなと思って生きてきた」と語るほど、幼少期からお笑いの世界にどっぷりとハマっていたという。

「小っちゃいころから、親父と毎週『笑点』を見るのが日課で、落語や漫才や大喜利なんかの演芸全般が好きだったんです。で、物心ついた小学校後半くらいで大好きになったのが、コント番組の『笑う犬の冒険』。その後は『オンバト』(爆笑オンエアバトル)にハマり、中学生のころには、同じ『オンバト』好きの相方を見付けてコンビを組んで、壮行会のときとか全校生徒の前でショートコントをやってました。で、世間的には『M-1グランプリ』が復活し、高校で新しい相方ができて……と、ずっとお笑いはやってましたね」(トシダ)

10代からコンビを組んで人前でネタを披露するほどのお笑い好きで、芸人になると決めていたトシダ。普通なら、高校卒業後すぐにお笑い養成所に入ってもおかしくはないが、彼が選んだ進路は大学進学だった。

「それにも理由があったんです。“大学に行ったら、お笑いをやっても良い”と親から言われたので、家から一番近い大学を選んだら、そこが理系で。学費がバカ高いってことにあとから気付くんです。しかも指定校推薦だから、もう断れない。仕方なく奨学金を560万円くらい借りまして! 今やっと残り400万円くらいまで減りました(苦笑)」(トシダ)

お笑いをつづけるために借金生活をしながら大学に進んだトシダは、高校時代の相方と組んでいたコンビ“ロブソン”で、各大学のお笑いサークルの猛者が集う学生芸人界でしのぎを削り、テレビのバラエティ番組にも出演。2012年には“全日本お笑い選手権 お笑い全日本カップ2012 学生芸人日本一決定戦”で優勝も果たした。

「自分で言うのもなんですけど、大会の優勝って相当なもんだと思うんですけどね。同学年の同期だと真空ジェシカの川北(茂澄)とかトンツカタンの森本(晋太郎)が一緒なんですけど、当時は一緒にラジオをやったり営業に行ったりもしてました」(トシダ)

その後トシダは、大学を卒業することで親への面子も保ち、フリーの芸人コンビ、ロブソンとして活動をスタート。23歳になったころ、 “アラスカの女”というコンビでフリー芸人として活動していた麻婆と初めて出会うことになる。

「確か『おはスタ』だったと思います。寝てる女の子を笑わせて起こす企画のオーディションがあって。たまたま、僕の相方と麻婆の相方が知り合いだったんで、そこでちゃんと挨拶をして、それからは芸人仲間としての付き合いをしていた感じですね。ま、僕らロブソンは学生芸人コンテストの優勝歴もあるわけで、そのオーディションも僕らは合格できたんで、実力の差はあったわけですけど(笑)!」(トシダ)

「そんなふうに言ってますけど、僕はそもそも学生芸人コンテストの優勝っていう経歴こそ、詐称なんじゃないかと若干疑ってるんですよ。だって、真空ジェシカやトンツカタンがトシダさんの名前を出したり、エピソードを話しているのを一度も聞いたことがないですからね(笑)!」(麻婆)

まるで漫才中のようなトークが繰り広げられる、息の合ったやりとりが日常から当たり前になっている。そんなふたりがスタミナパンを結成したのは、彼らが24歳、2014年のことだった。

「結成のきっかけは、ほんとによくある話で。ちょうど同じくらいのタイミングで前のコンビを解散し、お互いにいろんな人に声を掛けてやってみて……というなかのひとりではあるんです。多分、最初に誘ったのは僕なんですけど……前の相方が僕の好きなタイプのツッコミではなかったんで、ちゃんとツッコんでくれる人が良いなと思って声を掛けたんですよ。とはいうものの……トシダさん、当時のコンビではボケ担当だったんですけどね(笑)」(麻婆)

「そうなんですよ。麻婆と一緒にやるようになってからです、ツッコミに回るようになったのは。だから平場だと僕らの話ってネタとは正反対で、僕がボケで麻婆がツッコミ。今年の6月から、stand.fmという音声配信アプリで『スタミナパンのラジパン極』というトーク番組をやってるので、それを聴いてもらったら“ネタと逆じゃん!”というのがよくわかると思います(笑)」(トシダ)

もともとはボケ体質のトシダが、役割を変えてまで、麻婆とコンビを組んでも良いと思えたのには、理由があった。

「当時の僕は、ロブソンを解散してから4~5人、お試しで相方を変えてやってみたんですけど、やっぱり何か違って。こいつ(麻婆)と組むまでは、相手が年上か年下のどっちかだったんで、どっちもなんか気を使っちゃうんですよね。先輩相手だと意見が言えないし、年下は年下で対等に話せない感じがして。でも麻婆は同い年だから、気を使わなくて済むなと思ったんですね。それに僕とは体型も正反対だから、並んだときの見た目も面白くて良いかなと」(トシダ)

SMA入りは周りの先輩から止められた

互いのコンビ解散後、“コンビ芸人あるある”とも言えるお試し感覚で、フリー芸人・スタミナパンとして歩み出した麻婆とトシダタカヒデ。今でこそ息の合ったコンビ芸を披露しているが、結成当時のふたりの関係性は相当危うかったようだ。

「公式には2014年の12月に結成なので、コンビとしては8年目になりますけど、2~3年目まではめっちゃ喧嘩してましたね。ホントに解散したいと思った時期は、何回もありました、僕は」(トシダ)

「喧嘩ばかりしていた」と聞くと、単に性格が合わなかったから? と思ってしまうが、そう単純な話でもない。お笑い芸人だからこその理由があった。それは……「ネタがウケなかったから」。

「最初の2年くらいは、自分たちでもはっきり感じるくらい、面白くなかった。いくら一生懸命やってても、やっぱり結果が出ないとイライラするんですよね。しかもお互い、ウケないのは全部、相方のせいだと思い込んでいるから、タチが悪いんですよ(苦笑)」(麻婆)

「ただそれも……ちょうど3年目くらい? SMAに入ったころですかね。1個良いネタができて、喧嘩の数も減っていった気がします」(トシダ)

やっとライブでもウケるネタが作れるようになったという2017年ごろ。麻婆がお笑い養成所を出て、トシダが学生芸人を卒業してから、ずっとフリーで活動をしていたスタミナパンのふたりに、初めての“事務所所属”という転機が訪れる。

「そもそもお客さんにウケるネタを作ろうにも、まず試す場がなかったんですよ、当時。フリー芸人の集まるライブに出ようとしても、せいぜい2~3カ月に1回、出られるか出られないかだったので、そんなにのんびり待ってられない。じゃあ、どこか事務所に入るしかないなと、探し当てたのがSMAで。皆さん言ってると思いますけど、SMAなら誰でも入れてもらえるというのは有名だったので、もう行っちゃうか! となりまして。履歴書を書いて平井(精一)さんの面接を受けたら、その日に所属が決まって……噂通りでしたけど『マジかよ!?』とビックリはしました」(トシダ)

「でも、SMAに行くと言うと、周りの先輩方にはかなり止められましたよね。僕ら20代後半だったんで、まだ若いんだから、もうちょっとほかを経験してからでも良いんじゃないか? って(笑)」(麻婆)

2017年あたりのSMAは、2012年にバイきんぐが『キングオブコント』王者になり、2016年にはハリウッドザコシショウが『R-1ぐらんぷり』で優勝を果たし、徐々に知名度はあがっていたものの、トシダいわく「面白い先輩方はたくさんいたけど、当時のSMAはまだまだ“芸人の墓場”と呼ばれていた時期」だった。

「ちょうど僕らが入った年にアキラ(100%)さんが『R-1』を獲って、事務所も調子がどんどんあがっていった感じでした。僕らにとっても、SMAにそのとき入れたのは、すごく良いタイミングだったと思います」(トシダ)

後編につづく

文・取材:阿部美香

関連サイト

公式サイト
https://sma-owarai.com/s/beachv/artist/h016?ima=5612(新しいタブで開く)
 
YouTube
スタミナパンのアゲパン
https://www.youtube.com/channel/UCY0iYZ94rb1kKkMqeGOhvIw(新しいタブで開く)
 
Twitter
麻婆
https://twitter.com/mabo198907(新しいタブで開く)
 
トシダタカヒデ
https://twitter.com/katanarashino(新しいタブで開く)

連載芸人の笑像

  • Sony Music | Tech Blogバナー

公式SNSをフォロー

ソニーミュージック公式SNSをフォローして
Cocotameの最新情報をチェック!