イメージ画像
イメージ画像
連載Cocotame Series

音楽ビジネスの未来

牛尾憲輔が手掛ける『チェンソーマン』サウンドトラックのために開発されたAIが示す可能性【後編】

2023.08.30

  • Twitterでこのページをシェアする(新しいタブで開く)
  • Facebookでこのページをシェアする(新しいタブで開く)
  • LINEでこのページをシェアする(新しいタブで開く)
  • はてなブックマークでこのページをシェアする(新しいタブで開く)
  • Pocketでこのページをシェアする(新しいタブで開く)

聴き方、届け方の変化から、シーンの多様化、マネタイズの在り方まで、今、音楽ビジネスが世界規模で変革のときを迎えている。その変化をさまざまな視点で考察し、音楽ビジネスの未来に何が待っているのかを探る連載企画「音楽ビジネスの未来」。

今回は、TVアニメ『チェンソーマン』の音楽制作のために開発されたAIツールをフィーチャーする。原作で描かれた骨太なストーリーをTVアニメとして見事に描き、圧巻のアクション描写と併せて高く評価される『チェンソーマン』。そんなアニメの世界観を、破壊と混沌を具現化したような曲の数々で力強く支えたのが、牛尾憲輔の手掛けるサウンドトラックだ。そして、この劇伴には、ソニーコンピュータサイエンス研究所(以下、ソニーCSL)が開発したAIツール「ChainsawGAN」が使われている。

「ChainsawGAN」とはいったいどんなAIツールで、いかにして生まれたのか。牛尾憲輔を含め、プロジェクトに参加した4人に、開発のバックステージや、AIと音楽についての考えを語ってもらった。

後編では、『チェンソーマン』のサウンドトラック制作における「ChainsawGAN」の役割を通して、“クリエイターにとってAIとは何か?”というテーマを深掘りする。

  • 牛尾憲輔プロフィール画像

    牛尾憲輔

    Ushio Kensuke

    音楽家、プロデューサー。2008年にソロユニット“agraph”としてデビューアルバム『a day, phases』をリリース。2012年以降は電気グルーヴのライブサポートメンバーとしても活動する。2014年、TVアニメ『ピンポン』で初めて劇伴を担当。以降、映画『聲の形』『サニー/32』『リズと青い鳥』『モリのいる場所』『麻雀放浪記2020』、Netflixにて全世界配信されたアニメ『DEVILMAN crybaby』『日本沈没2020』、TVアニメ『平家物語』など数多くの劇伴を手掛けている。

  • ハビエル・ニスタール・ハーレプロフィール画像

    ハビエル・ニスタール・ハーレ

    Javier Nistal Hurlée

    ソニーコンピュータサイエンス研究所-パリ

  • 松阪郁子プロフィール画像

    松阪郁子

    Matsusaka Ikuko

    ソニーコンピュータサイエンス研究所

  • 鷹羽晴子プロフィール画像

    鷹羽晴子

    Takanoha Haruko

    ソニー・ミュージックパブリッシング

クリエイターの音楽作りを助けたい

──(前編からつづく)ここまでは、牛尾さんが『チェンソーマン』のサウンドトラック制作にAIを活用しようと考えるに至った経緯と、発想の原点になったドラム音自動生成AI「DrumGAN(新しいタブで開く)」の成り立ちを伺いました。その発展形と言える「ChainsawGAN」の開発および使いこなしについて、さらに掘り下げていきたいと思います。

牛尾:その前にちょっと質問なんですが、ハビエルさんはなぜ「DrumGAN」のような面白いツールを作ろうと考えたんですか?

ハビエル:一番大きいのは、僕自身がビートの強い音楽が大好きだということです。ハウス、ブレイクビーツ、ヒップホップといったジャンルの音楽の作り手にとって、例えばバスドラムの音色や質感は、どんなリズムを刻むのかと同じくらい重要じゃないですか。

ハビエル画像1

牛尾:まったくその通りですね。

ハビエル:最近では多くのクリエイターが、ネット上のサンプルライブラリから用途に合った音源を探してきて、それを加工して独自のドラムサウンドを作っています。でもそれって、実はとても手間がかかる作業なんですね。気分にしっくりくるサンプル音源が見つからないケースもあるでしょうし。さらに、著名な曲を使えば巨額のサンプリング料がかかります。そういった状況を改善できて、幅広くクリエイター方々の音楽作りをサポートできればという想いがまずありました。

牛尾:よくわかります。「ChainsawGAN」の使用感からも、ハビエルさんのそういうビジョンや意志は強く伝わってきましたので。

牛尾憲輔画像1

──そこで牛尾さんは「DrumGAN」のサンプルデータをチェンソーの音に差し替えることを思いついたと。

牛尾:はい。AIのシステムは既に確立されて、実際に動いているわけですから。あとは格納されているデータを変えれば、いろんな応用がきくだろうと考えました。

リズムをチェンソーの音として出力

──「DrumGAN」をベースに、「ChainsawGAN」という『チェンソーマン』のための生成AIを作るにあたって、ハビエルさんはどういった部分に苦労されましたか?

ハビエル:牛尾さんがおっしゃった通り、AIのシステム自体はもうありますから、完成イメージはすぐに浮かびました。新たな音のサンプルを「GAN」に学習させることで、チェンソーのランダムなノイズを、あたかもドラムのように自由に扱えるようにできれば良いと。その上で苦労したのは、やはり音のサンプル数が少なかったことですね。

牛尾:
チェンソーの音なんて、どのシェアサイトにも上がってないですからね。

ハビエル:そうなんです。そこは鷹羽さんをはじめとするソニー・ミュージックパブリッシング(以下、SMP)のプロジェクトチームの協力もあって、何とか解決できました。

鷹羽:著作権をクリアしつつ必要なデータを集めるのは、結構大変でしたね。

──牛尾さんは実際の劇伴制作において、「ChainsawGAN」をどのように使ったのですか?

牛尾:例えばある楽曲に「ズダダズ、ズダダズ」というリズムを用いたいとしますよね。このビートは基本的に僕の感性から出てきたものです。で、これを「ChainsawGAN」から生成される音色を使って「ズダダズ、ズダダズ」というリズムは変えずに、チェンソーの音として構成しなおす。「シュグゥワジャギャ、キュジュワジュ」みたいな具合で。それがどういう音色になるか、僕にはまったくコントロールできないというわけです。

牛尾憲輔画像2

──なるほど。まさに牛尾さんが最初に定めた“メチャクチャ”という基本コンセプトを体現するアウトプットが得られるんですね。

牛尾:そうですね。ただ、作曲時には「ChainsawGAN」を通して出てきたチェンソーの音をそのまま使うのではなく、加工したり切り刻んだりして、楽曲のなかに深く埋め込んでいます。

――確かに、完成したサウンドトラックを聴いても、わかりやすくチェンソーの音が鳴っている感じではないですよね。

牛尾:通奏低音として“混沌”という要素を溶かし込む感覚に近いかもしれません。

鷹羽:個人的には、そこに一番感動しました。最初はどうしても、何曲目のどのパートに「ChainsawGAN」が使われているのかなって探してしまったけど(笑)。サウンドトラックを聴き込むうちに、そんなにシンプルではないレイヤー構造が見えてきて。

松阪:私も同感です。プレゼンした側の想定を軽々と超えていた。当たり前の話ですが、音楽家、クリエイターの創造力ってやっぱりすごいんだなと改めて実感しました。

松坂郁子画像1

無限に試行錯誤できるAIのメリット

──素人的な質問ですが、本物のチェンソーの音源を細かくサンプリングしてドラムサウンドを作るのと、従来のサンプリングとは根本的にどこが違うのでしょう?

牛尾:従来のサンプリング手法でも、近いことはできると思います。でもそれだと膨大な手間と時間とコストがかかりますよね。もし仮に10分のチェンソーのサンプル音源があったとしても、使いたい部分はたったの数秒かもしれません。

特徴的なスターターの音というのは頭にしか入っていないはずですし、しかもドラムの音色は、10曲あれば10曲すべて違います。ひとつのドラムセットもスネア、キック、シンバル、タムなど異なる音で構成されている。これらすべてにフィットするチェンソーのサンプル音源を自力で探してくるのは、現実的には不可能です。

ハビエル:そうなんです。「DrumGAN」を考えた理由もそこにあります。

牛尾:「ChainsawGAN」が面白いのは、AIがさまざまな音色を生成するので、最適解が出てくるまで無限に試行錯誤ができることです。例えば、チェンソーのスターターの「ブルゥゥゥン」という音もそう。直感的なインターフェースでピッチや音色を変えられるので、無限のバリエーションが得られます。この違いはやっぱり大きい。少なくとも、このAIツールがなければ、『チェンソーマン』の劇伴の納期には到底間に合いませんでした。

──ハビエルさんは、サウンドトラックを聴いていかがでしたか?

ハビエル:シンプルに胸が躍りましたね。すごくノイジーで暴力的な楽曲もあれば、とても静かで美しい曲もあって、サウンドトラック全体が非常に重層的にできていると感じます。それと同時に、あふれる音のケイオス(混沌)を統合する不思議な力が働いていて。そういった音のあり方自体が、『チェンソーマン』という物語のナラティブ(語り口)を体現している印象でした。

sweet dreams(Chainsaw Man Original Soundtrack)Music by kensuke ushio

牛尾:そう言っていただけると、すごくうれしいです。もちろん、ひとつの作品にはさまざまな要素が含まれます。当然『チェンソーマン』のサウンドトラックも、「ChainsawGAN」というひとつのツールだけで成立しているわけではありません。だけどチェンソーの唸りみたいな金属的で怖ろしいノイズって、1音あるだけですごく存在が際立つんですね。

僕はもともと自分の資質を、旋律やコード、リズムではなく、サウンドの作曲家だと思っていまして。究極的にはたったひとつの音だけで、観客にさまざまな感情を喚起できるような……。

ハビエル:非常に興味深いです。

牛尾:はい。そういうサウンドトラックを作りたいと、いつも考えています。その意味で「ChainsawGAN」は間違いなく今回の劇伴のエッセンスになってくれました。

クリエイターの創造性を拡張するツールとしてのAI

──牛尾さんは今回、改めてAIの可能性をどのように実感されましたか?

牛尾:そうですね。少なくとも非常に刺激を受けました。「ChainsawGAN」のようなツールはこれまで存在しませんでしたし、AIの進化自体、まさに日進月歩ですから、想像もできない可能性を秘めている気がします。そもそも人間とAIって、アウトプットに至るアプローチが真逆なんですね。これは実際に使ってみて、肌で感じたことですが。

──と言いますと?

牛尾:人間の創作行為は、言うなれば加算型です。何かを表現したいという欲求があり、それを原動力に、ああでもない、こうでもないと試行錯誤を重ねて、作品を積み上げていく。いっぽう、AIにとっての生成はそうやってゼロから何かを生み出すことではありません。むしろ逆で、膨大な組み合わせからひとつの可能性を抜き取ってくる。言ってみれば、ホワイトノイズにも似た無限の状態から、作品を削り出してくるイメージに近いかもしれません。

ハビエル:はい。概念としては、まさにその通りですね。

牛尾:いずれにせよ、人間には絶対できない作り方なので、そこも面白いと言えば面白いですよね。あとは一人ひとりのクリエイターが、その“予測できなさ”をどう作品にいかせるかだと思います。僕たち音楽家にとってAIはあくまでツールであり、大事なのはできた曲ですから。

牛尾憲輔画像3

ハビエル:本当にそうですね。AIは大量のデータを学習し、あらゆる可能性を比較検討して最適解を導き出すのに長けています。いっぽう、私たち人間のように「なぜ?」という問いから出発し、少ないデータから豊かな可能性を創造することは、AIにはできません。

牛尾:そもそも音楽にとって最適解って何だ? という問題も大きいですしね(笑)。囲碁や将棋のように勝ち負けの明確なゲームとは同列には語れない。

ハビエル:そうなんです。「こういう音の組み合わせが好まれる傾向にある」という確率論は導き出せても、それは音楽のクオリティとは関係がありません。僕も牛尾さんと同じで、AIはクリエイターの創造性を刺激し、増幅するツールであるべきだと思います。

例えばAIによって必要な音源を簡単に生成できれば、そこで得られた時間と労力を“何をどう作るか”という、より本質的な問いに振り分けることができますし、それが本来の在り方ではないかなと。

ハビエル画像2

──AI技術が進歩しても、音楽作りの根本は変わらない。その根本の部分にクリエイターが集中できるよう、アシストするのがAIの役割だと?

牛尾:僕にとって今回の「ChainsawGAN」はまさにそういう存在でした。従来の手法だとサンプリング作業におそらく1週間はかかっていたところが、たった15分でできてしまう。これって純粋に歓迎すべき進化ですよね。

ハビエル:そういうAIによる音楽の民主化をもっともっと進めたいですね。僕はあらゆる人間のなかに、音楽を育む力があると信じています。誰もがクリエイターになれる可能性を秘めている。AIがそこに力を授け、手段を与えれば、一人ひとりが内側から湧き出る思いをサウンドで表現できるかもしれない。その橋を、僕は架けたいと思っています。

──AIと音楽について、とても納得できるお話です。

松阪:音楽系AIの研究営業をしていると、どうしても“ボタンひとつでフル尺の楽曲を自動生成してくれる”みたいなイメージを抱かれることが多いのですが、私たちソニーCSLが一番大事にしているコンセプトは「AI as a tool」。まさに牛尾さんがおっしゃったように、クリエイターの創造性を拡張するツールとしてのAI開発なんです。

ですから今回、おふたりがこういう形で出会い、互いの個性、スキルをいかし合う形で素晴らしいサウンドトラックが生まれたのは本当にうれしい。理想的なコラボレーションだったと感じています。

鷹羽:まったく同感です。こういう全員にとってハッピーな事例をもっと増やしていくために、私たちSMPがやるべき仕事はたくさんあると思っています。そのひとつが、新しい表現を積極的に模索しているクリエイターと最新テクノロジーの接点を積極的に作っていくこと。松阪さんがおっしゃった「AI=自動作曲」みたいなイメージを変えていくには、やっぱりクリエイターの皆さんがAIを活用して魅力的な作品、素敵な楽曲を世に出していくのが一番なのかなと。

集合画像2

──そこはソニーグループ全体が掲げる“クリエイターのためのテクノロジー”という文脈ともマッチしますよね。

鷹羽:はい。加えて、私たちには音楽出版社としての使命も当然あります。著作者の権利をしっかり守りつつ、クリエイターの皆さんが安心して創作に打ち込めるように環境を整備することもすごく大事ですよね。昨今、生成AIと著作権の問題が世界的に注目を集めていて、「本当に使って大丈夫なの?」と不安を抱いている人もいると思うんです。そこは常に最新の動向をキャッチアップし、クリエイターの皆さんに正確な情報として提供していきたいと考えています。

──AIの登場で、著作権ビジネスの在り方も影響を受けるかもしれませんね。

鷹羽:そうですね。従来は誰がこの作品を作ったのか、何の疑いもなくわかりました。もちろん著作権の本質は変わらないはずですが、今後AI技術がより進化すれば、著作者の姿が今より見えにくくなる事態はあり得ますよね。そのころには音楽の成果物より、意図や発想などに重きが置かれるかもしれません。

先ほどのハビエルさんの言葉を借りるなら、「なぜ?」という問いを立てられるのは人間だけです。その価値を決して損なわないためにも、何が本当のクリエイティブバリューなのか、問いつづけることが大切だと考えています。

「チェンソーマン」劇伴を手掛ける牛尾憲輔が語るAI「ChainsawGAN」(Short)

文・取材:大谷隆之
撮影:干川 修

リリース情報

牛尾憲輔『Chainsaw Man Original Soundtrack Complete Edition-chainsaw edge fragments-』

『Chainsaw Man Original Soundtrack Complete Edition-chainsaw edge fragments-』
牛尾憲輔
価格:3,630円

関連サイト

TVアニメ『チェンソーマン』公式サイト
https://chainsawman.dog/(新しいタブで開く)
 
牛尾憲輔 公式サイト
http://www.agraph.jp(新しいタブで開く)
 
ソニーコンピュータサイエンス研究所
https://www.sonycsl.co.jp/(新しいタブで開く)
 
ソニー・ミュージックパブリッシング
https://smpj.jp/(新しいタブで開く)

連載音楽ビジネスの未来

  • Sony Music | Tech Blogバナー

公式SNSをフォロー

ソニーミュージック公式SNSをフォローして
Cocotameの最新情報をチェック!