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連載Cocotame Series

The Band ~始まりの場所~

KANA-BOON:自分たちの原点、ライブハウス“三国ヶ丘FUZZ”での思いを胸に10周年への想いと未来を語る【前編】

2023.09.25

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それぞれが自分だけの音を持ち寄り、ともに音楽を奏でるために集まった集団=バンド。そんなバンドの原点となる“場所”にスポットを当てて、その原風景を紐解く連載企画「The Band ~始まりの場所~」。

連載初回は、2023年9月25日でメジャーデビュー10周年を迎えたKANA-BOONへのインタビュー。

彼らの原点である大阪府堺市のライブハウス・三国ヶ丘FUZZ(以下、FUZZ)でのエピソードを中心に、それぞれが迎える現在とこれから先に描く未来像を聞く。

前編では、“ホーム”であるFUZZでの思い出と地元への想いを語る。

KANA-BOONプロフィール画像

KANA-BOON (カナブーン)

(写真左から)小泉貴裕(Dr.)、遠藤昌巳(Ba.)、谷口鮪(Vo./Gt.)、古賀隼斗(Gt.)、からなる大阪府堺市出身のロックバンド。 2012年4月、「キューン20イヤーズオーディション」にて4,000組の応募のなかからグランプリを獲得し、後日開催されたASIAN KUNG-FU GENERATIONのライブでオープニングアクトを務めたことで話題となった。2013年9月メジャーデビュー。1stアルバム『DOPPEL』がオリコン初登場3位を獲得。2014年に地元大阪にて、初の野外ワンマン『KANA-BOON野外ワンマン ヨイサヨイサのただいまつり! in 泉大津フェニックス』を開催し1万6,320人を動員。2023年9月20日にニューシングル「ソングオブザデッド」をリリース。11月からは全国ツアー『KANA-BOON 47都道府県TOUR “47 SKIP STREET”』がスタートする。

10年目でバンドの特別感をいっそう強く感じる

──9月25日でメジャーデビュー10周年を迎えます。今のご自身たちの状況は、10年前に思い描かれていた通りのものでしたか。

KANA-BOON写真1

谷口:いや、まったく思い描いてないですね。でもバンドならではの経験はたくさんしてきたので、今のKANA-BOONを見たら10年前の自分たちも「おお、かっこいいやん」って言ってくれるとは思います。個性も何もかも違うメンバーが集まり、だからこそ上手くいかないこともたくさんあって。でも、逆にこのメンバーだからこそのマジックも起きたりとか、本当に山あり谷ありいろいろ味わってきましたね。

その上で今、バンドというものの特別感を10年目にしてよりいっそう強く感じられています。素直にバンドって楽しいなと思えている自分たちの姿を見て「ああ、ちゃんとバンドをやってきたんやな」って、10年前の自分たちは思ってくれるんじゃないかな。

古賀:今、10年目にして最初にバンドを組んだときの感覚がだんだん戻ってきてる気がしてるんです。もちろんサウンド面とかは進化してるんですけど、バンドを始めたころの素直に生きてた感覚みたいなのが今またすごくあって。10周年の開幕を記念したライブのときとかも、自分だけじゃなくメンバー全員からそういう感じを受けたし、最近は、メンバー同士で話していても「みんな素直に生きてるな」って思うことが多いんですよね。

古賀隼斗写真

小泉:僕も今が一番良い状態だなって感じてますし、そう感じられていることが何よりだなと思います。マーシー(遠藤昌巳)が加入してからはよりいっそうKANA-BOONの結束力が増した気がするんです。

──遠藤さんは、2022年4月にKANA-BOONに正式加入されて、ともに10周年を迎えるということについてどう感じていらっしゃいますか。

遠藤:10年前には想像できなかったことですよ、本当に。当時からKANA-BOONはもちろん好きでしたし……まあ、入りたいと思わないこともなかったですけど(笑)、それ以前に友達としてずっと仲が良くて。僕としては自分のバンドで隣に立ちたいっていう気持ちのほうが強かったかもしれないですね。だけど、KANA-BOONは常に一歩先を行っていて、ちょっと悔しさも感じたりして。

だから今、こうやって一緒にバンドをやってるなんて10年前の自分が知ったらびっくりすると思います。2020年からサポートメンバーとして同じステージに立つようになり、正式加入してからはまだ1年ですけど、割と自然にメンバーになれたなって気もするんですよ。みんなはどう思ってるかわからないんですけど。

谷口:大丈夫。自然も自然、ドゥルッドゥルの状態やから(笑)。

遠藤:それぐらい馴染んできてるのかな(笑)。バンドメンバーになってからは本当に1年がめちゃくちゃ濃く感じたんですけど、ほかの3人はそれを10年繰り返してたんやなって思うとすごい人生を送ってるなと。僕は正直まだ10年の重みというものを時間感覚では捉えきれてないと思うけど、だからこそこの先の10年をこの4人で過ごしていくこと、さらにその先が楽しみなんです。

遠藤昌巳写真

──バンドのなかに入ってみて「思ってたのと違う!」みたいなことはありました?

遠藤:いやもう、こんな大変やったんやって(笑)。

古賀:何が?

遠藤:活動自体が。でも大変やけど、すごく楽しい。サポートし始めた当初も「こんなに大勢の人の前で何日も連続してライブができるってすごいな」と思いましたけど、コロナ禍で、それこそ最初の1年なんて有観客でやることも難しかったじゃないですか。そこから一緒にいちから手探りで作り上げていけた感覚もあって。

もちろん教わることが圧倒的に多かったけど、メンバーとして同じ目線になれた気がしたというか。なので10周年イヤーのスタートになった初の日比谷野音ワンマンでコール&レスポンスができたときの感動はすごかったです。こんなに気持ち良いことをずっとやってたんや、これは離れられないなって感じましたね。

──この4人で10周年の新たなスタートラインに立った感慨もあったのではないですか?

谷口:そうですね。マーシーが正式加入して1年経ちましたけど、いまだに新鮮なんですよ。もちろんずっと友達として一緒にいた感覚もあるんですけど、いまだフレッシュさもあって、そこはちょっとお得やなって(笑)。

KANA-BOON写真2

「大阪の堺、三国ヶ丘FUZZから来ました、KANA-BOONです!」

──ここからは、本連載の主旨であるKANA-BOONにとって原点となる“場所”にフォーカスしてお話を聞かせてください。やはりKANA-BOONといえば地元である大阪府堺市のライブハウス・三国ヶ丘FUZZですよね。どんな経緯でFUZZがホームグラウンドとなったのでしょう。

谷口:当時、堺市にはライブハウスが4つぐらいあって、高校時代とかはそこを中心にあっちこっちのライブハウスに出入りしてたんですよ。そのあと、高校を卒業してから真剣にバンドで食っていこうってなったタイミングで、軽音楽部だった先輩のバンドのサポートで初めて僕がFUZZに出演したんです。そのときのブッキングマネージャーの方に「実は僕、もうひとつ本命のバンドをやっていて……」ってKANA-BOONのことを紹介したのがきっかけで、出させてもらえるようになったんですよね。

しかも、割と早い段階に「バンドとしてどうなりたいの?」って聞かれて、「メジャーデビューしたいです」って答えたら、それを真摯に受け止めてくれて。普通、まだ20歳にもならない若造が、何の計画もなく「メジャーデビューしたい!」とだけ言っても本気で耳を傾けてくれる大人ってそうはいないじゃないですか。だけどFUZZの方たちは「じゃあ、それを叶えようよ」って言って、最初からかなり真剣に「僕らがメジャーデビューするためには、どうしたら良いか」を一緒に考えてくれました。

KANA-BOONライブ写真

古賀:まずはフライヤーを作ったんよな。安くコピーができて、フライヤー用のマシーンもある文具店をFUZZの方から教えてもらって。

谷口:あと、ライブするごとにアンケートを配ろうってことになって、アンケートで希望してくれた人には次のライブのお誘いを自分たちからメールしたり。そういう地道だけど、効果的なプランを一緒に考えてくれたんですよ。でも、だからといって「ずっとウチに出つづけてくれよな」みたいな見返りを求められるような感じは一切なくて。むしろ「ウチで力をつけて大阪市内のライブハウスにもどんどんチャレンジしなよ」「ゆくゆくは遠征とかも行けるようにならないとね」みたいな。ときにはFUZZの皆さんが背中を押してくれて出演できたイベントもあったりもしましたから。

──すごく心強い味方だったんですね。

谷口:まさに“ホーム”でした。最初に言った「バンドとしてどうなりたい?」っていうのは、確かKANA-BOONとして初めて出させてもらったライブのあとに聞かれたはずなんですよね。誰にでも聞いてるわけではなかったと思うので、KANA-BOONの曲を聴いて何か可能性を見出してくれたのかもしれないんですけど。自分たちにとっては、本当に特別な出会いでした。

KANA-BOONイベントボード画像

──FUZZでの初ライブは覚えていらしゃいます?

古賀:そのころってライブに出たからには何か爪痕を残さなきゃっていうマインドがあったんですね。MCでちょっと面白いことをするとか、そういうのが当たり前になってた時期で。今振り返ると変なことしてたなって思うんですけど(笑)。

谷口:ステージで鮭フレークを一気食いするとか(笑)。

古賀:やってた(笑)。あと漫才の小ネタみたいなことをやったり。

谷口:スベり倒してたけどな。

一同:爆笑

谷口:お客さんもまだ全然少ない上にスベりにスベって。

古賀:あのころはオモロイことが正義みたいなところがあったから。でもFUZZの担当の方は音楽を聴いて今の路線じゃあかんよって思ってくれたのかもしれない。

──ちゃんと音楽だけで行けるんだよって。

遠藤:大正解やったな。

古賀:ホンマに(笑)。

小泉:僕は初ライブで失敗したのをめちゃくちゃ覚えてますね。ライブのときにサブのスティックを用意しておくって知らなかったんですよ。演奏中に片一方のスティックが飛んでいってしまって、客席までそれを拾いに行くっていう。

一同:爆笑

小泉:そのときに、ドラマーはみんなサブスティックを用意してるってFUZZの方に教えてもらいました。

小泉貴裕写真

──そんなことまで(笑)。遠藤さんは当時のライブってご覧になっていたんですか。

遠藤:初ライブは観てないんですけど、所々で大事なライブ、それこそFUZZで初のワンマンライブとかは観てますね。バイトか何かの帰りで、スーツ姿でそのまま行った記憶があります。当時の僕からしたらワンマンやれるってだけですごいことなんですよ。どんな感じなんやろ? と思って観に行ったら、お客さんがパンパンで。「すげぇな」って思いながらも……もちろん友達としては喜ばしいんですけど、その光景を素直に観られない自分もいたりして。

──FUZZで初ワンマンをするというのも計画に組み込まれていたんですよね、きっと。

谷口:計画のなかでも重要なトピックというか、まずはここを目指そうというポイントがFUZZでのワンマンだったから、実現できたときはスタッフの人たちと一緒になって喜び合いました。確かその日は台風が来ていて、リハのときにFUZZが漏電してしまって。もしかするとライブができないかもしれないって状況だったんですけど、なんとか本番までには復旧できて。

古賀:「おはようございます」ってFUZZに入ったら真っ暗で、「あれ? 間違えた?」みたいな(笑)。それくらい荒れた天気だったんですけど、そんななかでもたくさんのお客さんが集まってくれたんです。

三国ヶ丘FUZZワンマンライブボード写真

──初ワンマンの大成功でメジャーデビューもグッと現実的に?

谷口:いろんな機会を得られるようにはなりましたね、間違いなく。大きな出発点になりました。箔がついたというか、いろんな人たちの見方がそこから変わった気がしますし。同時進行で、大阪の『MINAMI WHEEL』っていうFM802が主催しているサーキットイベントを狙いに行こうっていう計画も進めていて、ワンマン成功の影響もかなりあったと思います。

──FUZZ以外でライブをするときの心持ちというのはやっぱり違うのでしょうか。

谷口:特に大阪市内、心斎橋とかでライブをするときは緊張しましたね。単純に人前に立つことへの緊張もありましたけど、FUZZを背負っているって意識も徐々に大きくなってきてたので、そこに対する緊張というか。

ずっと言ってましたから、「大阪・堺、三国ヶ丘FUZZから来ました、KANA-BOONです!」って。そういう緊張感、自分たちだけのライブじゃないっていう感覚はありました。そのぶんFUZZに帰ったときはのんびりしてましたけどね(笑)。自分たちのライブがない日もFUZZに遊びに行って、打ち上げも朝までいたりして。

小泉:出てないのに(笑)。

“帰る場所がある”っていうのは良いものだなって思う

──ちなみに三国ヶ丘周辺で、お気に入りスポットなどはありました?

谷口:基本的にライブハウスのなかで過ごしていたので、思い出は隣のローソンしかない!

一同:爆笑

谷口:あとは堺東のSTUDIO COLD TURKEYっていうリハーサルスタジオにはよく行ってましたね。ロック好きなおじさんオーナーがひとりで経営されているスタジオで、マーシー(遠藤昌巳)もよく入ってたから、ばったり会ったりして。ここも第2のホームという感じで散々お世話になりました。

──情報によるとスタジオ帰りによく“グリルトミー パート2”というお店に立ち寄られていたそうで。

古賀:エンジニアさんに「美味しい洋食屋さんがあるよ」って紹介されて、特に僕とこいちゃん(小泉貴裕)はよく行ってましたね。とにかくお腹いっぱい食べさせてくれるんですよ。

小泉:基本、なんでもおいしくて。フライ系も、オムライスも料理は全部。

古賀:大体、全部乗せみたいな感じになってたもんな(笑)。

──思い出の街、思い出の味ですね。

谷口:バンドばっかりやってたから、それに紐づいた思い出しかないんですけど、やっぱりライブハウスにすごく良くしてもらったので、それで街ごと好きになったっていうのもあるかもしれない。

谷口鮪写真

──2014年の『KANA-BOON野外ワンマン ヨイサヨイサのただいまつり! in 泉大津フェニックス』や2018年の『野外ワンマン ヨイサヨイサのただいまつり!2018 in 堺』など、折に触れて大きなイベントを地元で開催されているのは、やはり恩返し的な気持ちも大きいですか。

谷口:故郷に錦じゃないですけど、そういう気持ちはありますね。FUZZでも『Go Back Home』っていう5日間連続ライブをやったりとか。やっぱり帰る場所があるっていうのは良いものだなって思います。その場所が存在しつづける限り僕たちも辞めるわけにはいかないなって思えるし、逆にKANA-BOONがありつづけることでFUZZもありつづける、みたいになれば良いなと思います。堺に住んでいる10代の子たちが、出たいと憧れるライブハウスでいつづけてほしいですね。

三国ヶ丘FUZZ

三国ヶ丘FUZZイメージ写真

画像提供:三国ヶ丘FUZZ

大阪府堺市、三国ヶ丘にあるライブハウス。1999年4月オープン。南大阪に現存しているライブハウスのなかで最初に設立された。ライブハウスの要となる音響、照明も充実しており、PA機器の電源には200Vを使用するこだわりと、照明機材はパーライトに加えムービングライトやレーザービームなど常設し幅広いジャンルに対応。著名なアーティストも多数出演している。

後編につづく

文・取材:本間夕子
撮影:大塚秀美

リリース情報

「ソングオブザデッド」ジャケット写真
「ソングオブザデッド」
発売中
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ライブ情報

『KANA-BOON 47都道府県TOUR “ 47 SKIP STREET ” - LIVE HOUSE ANTHEM -』
『KANA-BOON 47都道府県TOUR “ 47 SKIP STREET ” - ALL TIME BEST HALL -』
 
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