微笑むフォトグラファー阿久津知宏氏の写真
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連載Cocotame Series

音楽カルチャーを紡ぐ

ビリー・ジョエルの心をなぜつかめたのか? フォトグラファー・阿久津知宏氏がその理由を語る【後編】

2024.02.28

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音楽を愛し、音楽を育む人々によって脈々と受け継がれ、“文化”として現代にも価値を残す音楽的財産に焦点を当てる連載「音楽カルチャーを紡ぐ」。

今回話を聞くのは、約30年にわたりビリー・ジョエルを撮りつづけている唯一の日本人フォトグラファー・阿久津知宏氏。今年1月に東京ドームで行なわれた約16年ぶりの来日公演でも、エネルギッシュなパフォーマンスを繰り広げるビリー・ジョエルにカメラを向けた彼が、ファインダーを通して見たアーティストとしての魅力と、レンズを介さず直に接した際の人間的なビリー・ジョエルの魅力を語る。

後編では、ビリー・ジョエルを追いかけた約30年間で体験したエピソードと、そこから垣間見える彼の人間性を語る。

  • 阿久津知宏氏プロフィール画像

    阿久津知宏氏

    Akutsu Tomohiro

    フォトグラファー

警備の担当者が「ビリーが呼んでるぞ!」

2024年1月24日に行なわれた東京ドーム公演の様子

2024年1月24日に行なわれた東京ドーム公演より。撮影:阿久津知宏

――(前編からつづく)ライブを撮るときは、事前にリハーサルを見て演出の確認などもするんですか?

リハには僕もずっといますが、見ても本番の参考にはならないですね。ビリーはリハではあまり自分の曲はやらないんです。ザ・ビートルズやザ・ローリング・ストーンズの曲ばかりをやる日もあれば、ずっとマイケル・ジャクソンの物真似をしてる日もある。もちろん、ビリーが現われる前にバンドはいろいろと打ち合わせをしてますけどね。

そうそう、そのバンドメンバーはもちろんですけど、裏方にも、「俺はビリーと40年来の付き合いだよ」という人がゴロゴロいます。最初はちょっとうがった見方をして、そりゃみんな一度得た食いブチは離さないだろうな、などと思う部分もありました。でも、違うんです。ビリーは人をすごく大事にするんですよ。

――阿久津さんご自身が、そういった人柄を実感したことは?

あります。ビリーには、スーパーモデルだったクリスティ・ブリンクリーとの間に生まれた、アレクサという娘さんがいるんですが、彼らが離婚した直後、パパラッチに追いかけられていたせいで、当時11歳だったアレクサは極端にカメラを怖がるようになっていたんですね。

そんな彼女に心を開いてもらいたくて、「カメラは怖いものじゃないよ。自分で撮れば楽しいよ」と伝えるために、ライブ会場に来ていた彼女に一眼レフのカメラをプレゼントしたんです。アレクサはすごく喜んでくれて、すぐにそのカメラでお父さんを撮っていました。

すると、そのライブの本番直前、「トモはどこだ?」という緊急の無線が入って、警備の担当者が「ビリーが呼んでるぞ!」と飛んできました。僕は自分が何かやらかしたのかなと思って、緊張してバックステージに向かったんです。

すると、アレクサを連れたビリーが笑顔で、「トモ、素晴らしいカメラをありがとう。娘が本当に喜んでいるよ」と。僕はもうヘナヘナとなって、「ああ、ビックリした。何かやらかしたかと思った」と思わず言いました(笑)。

自身が撮影したビリー・ジョエルの写真を前に語る阿久津知宏氏

――父親としてきちんとお礼を言いたかったんですね。

こういったエピソードは僕だけじゃなく、スタッフそれぞれが持っているんです。著名なアーティストと仕事をしている人ばかりなので、楽屋裏ではよく「この前誰々と仕事したけど、アイツは俺のことを人だと思ってない」みたいな話も出る。そういう場面を見るにつけ、ああ、このプロフェッショナルな裏方さんたちは、ビリーが好きだから一緒に仕事をしたいんだなと、思うようになりました。

それと、アレクサの話にはつづきがあって。彼女はその後、アレクサ・レイ・ジョエルとして歌手デビューするんです。そのお披露目のコンサートがニューヨークのライブハウスであるということで、ビリーから「撮りに来てくれ」と連絡がありました。行ってみるとリハーサルからビリーが見守っていて、あれこれアドバイスしてるんですけど、アレクサは「お父さん、もうあっちへ行ってて」っていうモードなんですよ。

しばらくして、ビリーがいなくなったなと思ってライブハウスの外に出てみると、チケット売り場に結構な列ができていたんですね。やっぱりビリー人気もあるんだろうな、などと思ってふと見やると、なんとビリー本人がそこにちょこんと並んでるんです。静かに近寄って「何してるの?」って聞いたら、「友だちいっぱい呼んじゃったから、チケット買っておかないとマズいだろ?」と(笑)。

――お父さん、かわいすぎます!

コンサートが終わったら、ビリーが今度は出口に立って、「今日はわざわざありがとう」と、お客さんと握手してるんですよ。本当に普通に良いお父さん。

ビリーの写真を撮るカメラマンは、当時5人くらいいて、撮りたい人が撮りに行けるときにマネージャーに言ってOKをもらうという感じだったんですけど、娘さんのときだけはビリーから「来て」と言われました。完全に親目線(笑)。

そうやって長い間に撮ったなかには、僕自身もものすごく気に入っているふたりの写真があって、それは額装してビリーに贈りました。すぐに、「ベッドルームにも飾りたいからもう1枚くれ」とFAXが届きましたね。

ビリーの撮影は自分の趣味

ギターを奏でながら微笑むビリー・ジョエル

2008年11月18日に行なわれた東京ドーム公演より。撮影:阿久津知宏

――阿久津さんが、30年近くも熱量変わらず、ビリー・ジョエルを撮りつづけているのはどうしてですか?

僕、ビリーの撮影は自分の趣味だと思ってるんですよ。ビリーのプロダクションマネージャーから、「あなたの写真を全部買ってあげる」と言われたこともあったんですけど、僕は「買わないでください」と言いました。

というのも、当時はフイルムでしたから、買われたらオリジナルを全部渡さなきゃならない。それが嫌だったので、「使いたい写真があれば複製してお渡しします。ビリーの事務所が使う限りはどう使ってもかまいません。その代わり撮らせてください」というスタンスでやってきているんです。

もし、ビリーの写真を、いわゆるお金を得るための仕事にしていたら、「撮りたい」という純粋さが失われていたと思うんです。それが嫌だったので、最初の5年間は、ビリーと接点を持ったことも、写真を撮っていることも、誰にも言っていませんでした。「だって趣味の世界だもん」と思っておきたかったんです。

出会ったころのビリー・ジョエルと阿久津知宏氏の2ショット写真

出会ったころのビリー・ジョエルとの2ショット写真は、ラミネートして常に財布に入れている

ライブの際にスタッフに配られる公式ピックたち

ビリー・ジョエルがライブで使用するギターピック。このなかの1個をお守り代わりに財布に忍ばせている

――純粋な気持ちを持ちつづけることが阿久津さんにとっては重要だったんですね。でも、日本人のフォトグラファーが撮っているらしいという噂は伝わりますよね。

はい。特にファンの方たちは早かったですね。そこからはちょっと気持ちも変わりました。ファンだからといって、みんながビリーに会えるわけじゃない。だったら、僕はビリーとファンの間を繋ごうという気持ちが芽生えてきたんです。

だから今は、ファンサイトに書き込みもしますし、ファンのオフ会などから声がかかれば参加することもあります。できるだけビリーの本当の姿が見えるような情報を伝えたいなと思っているんです。

ビリーの歌はアメリカの演歌

――今年1月24日に、1日だけの東京ドーム公演が行なわれました。再会されたときに、何か言葉は交わされましたか?

ビリー・ジョエル『ONE NIGHT ONLY IN JAPAN BILLY JOEL IN CONCERT』フライヤービジュアル

オフィシャル来日公演レポートはこちら(新しいタブで開く)

今回は家族連れでしたし、日本滞在中に新曲「ターン・ザ・ライツ・バック・オン」の発表があったり、その新曲をグラミー賞のセレモニーで初めて演奏するという情報解禁前のニュースもあったりしたので、厳戒態勢の合間を縫ってほんのひと言だけ。「新曲を出すというだけでも驚いたけど、あの出だし、すごいね」と言ったら、「だろ?」ってニタッとしていました。

――「ターン・ザ・ライツ・バック・オン」は本当にシンプルで、メッセージがズシンと心に響きました。ああ、ビリー・ジョエルはまだ人間を、世界をあきらめていないんだなと。

Billy Joel - Turn the Lights Back On(Official Video)

まさにビリー節ですよね。雑な言い方をしちゃうと、僕はビリーの歌はアメリカの演歌だと思ってるんです。例えば、「ザ・ダウンイースター“アレクサ”」(1989年)という曲では、年々魚がいなくなって、漁が成り立たずに困窮しているロングアイランドの漁師の心情を歌っている。それって鳥羽一郎さんの世界観に近いですよね。

――確かに「兄弟船」みたいですね。

そう。ちゃんと漁師の叫びを代弁してるんです。ベトナム戦争を歌った「グッドナイト・サイゴン~英雄達の鎮魂歌」(1982年)でも、戦争の虚しさを兵士の目線で描いています。「彼らこそ俺らのために戦いに行った人じゃないか」ということを投げかけているんです。

ビリーは積極的に政治的発言をする人ではないけれど、曲のなかで、普通の人々が持っている社会への不満やストレスを表現している。とことん庶民目線を貫いている人なんですよ。ステージに立っているときは、手を伸ばしたらパチンと火花が飛ぶくらいのエネルギーがほとばしっていますけど、プライベートでは本当に普通のおじさん(笑)。

――オーラを消しているんでしょうか。

オンとオフが自由自在なんです。ビリーは海が好きで、自分のクルーザーを持っているからよく港にも行く。その近所の人たちは、「この前ビリーが来たぜ。ここでコーヒー買ってったよ」とか、「ビリーが釣った魚をくれたよ」なんて言ってますね。

あと、2020年ごろ、ビリーがロングアイランドの道端に捨てられてるピアノの前をふらりと通りかかった際に思わず弾いて、「これまだちゃんと鳴るじゃないか。もったいないな」なんて言っている映像もYouTubeで話題になりました。

ビリー・ジョエルの人柄について語る阿久津知宏氏

――どこかクスッとしてしまう人間くささがありますね。先日の東京ドーム公演でも、ミック・ジャガーの物真似をしたり、MCもスタンダップコメディみたいで、お茶目さが際立ってました。

ビリーはライブが立て込んでいないときは、キーボード1台担いで大学で講義も行なっているんですね。「どうやったら売れるかまではわからないけど、音楽業界のいろんな話はしてあげられるから」と、学生たちから直接質問を受ける。

あの曲のイントロはどういう経緯でそうなったかとか、このブリッジはどうやって作ったかとか、懇切丁寧に2時間でも3時間でも。その話がまた面白くて、学生たちからいつも、「あなたはミュージシャンで成功しなくても漫談家で成功しましたよね」なんて言われてますよ(笑)。

――今回のエピソードに、音楽愛、人間愛にあふれたビリー・ジョエルの姿を垣間見た気がします。今年75歳になるということで、今回が最後の来日公演だったのではないかと言われています。

ビリーの家系って皆さんご長寿なんですよ。ご両親はもう他界されましたけど、お母さんは92歳、お父さんは87歳までご存命だった。お母さんはよくマディソン・スクエア・ガーデンのライブにいらしてましたね。ご近所さんを引き連れたお母さんが楽屋に来て、「ビル! ビル! ご挨拶しなさい」と言うと、ビリーが「すいません。息子のビリーです」と御一行に挨拶しに行くんです(笑)。そんな姿も今、思い出しました。

新曲も出たことですし、今年は自身のツアーのほか、スティングやロッド・スチュワートともツーマンライブをやったりもするので、この先もまだまだ期待できると思います。

文・取材:藤井美保
撮影:荻原大志

リリース情報

ビリー・ジョエル「ターン・ザ・ライツ・バック・オン」ジャケット画像
17年ぶりの新曲「ターン・ザ・ライツ・バック・オン」
ストリーミング再生・購入はこちら(新しいタブで開く)

ビリー・ジョエル『ビリー・ザ・ベスト:ライヴ!|Live Through The Years:Japan Edition』 ジャケット画像
『ビリー・ザ・ベスト:ライヴ!|Live Through The Years:Japan Edition』
詳細はこちら(新しいタブで開く)
購入・ストリーミング再生はこちら(新しいタブで開く)

ビリー・ジョエル『ピアノ・マン 50周年記念デラックス・エディション<SACDマルチ・ハイブリッド盤 7インチ紙ジャケット仕様>』ジャケット画像
『ピアノ・マン 50周年記念デラックス・エディション<SACDマルチ・ハイブリッド盤 7インチ紙ジャケット仕様>』(3枚組:SACD+CD+DVD)【完全生産限定盤】
2月28日(水)発売
詳細はこちら(新しいタブで開く)
購入はこちら(新しいタブで開く)

関連サイト

日本公式サイト
https://www.sonymusic.co.jp/artist/BillyJoel/(新しいタブで開く)

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