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担当者が語る! 洋楽レジェンドのココだけの話

エルヴィス・プレスリー【後編】「歌詞で言わずとも、彼の魂が歌で語りかけてくる」

2020.08.15

世界中で聴かれている音楽に多くの影響を与えてきたソニーミュージック所属の洋楽レジェンドアーティストたち。彼らと間近で向き合ってきた担当者の証言から、その実像に迫る。

第2回は、8月16日が命日であるエルヴィス・プレスリー。ギネス世界記録が認定した世界史上最も売れたソロアーティストであり、ザ・ビートルズ、マイケル・ジャクソン、ボブ・ディランらがその影響を受けたと公言する“キング・オブ・ロックンロール”だ。「ラヴ・ミー・テンダー」や「監獄ロック」といった楽曲を、誰しもが一度は耳にしたことがあるはず。

国内屈指のエルヴィス知識王とも言われるソニー・ミュージックアクシス(以下AXIS)の松山卓哉と、現在ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル(以下SMJI)で担当を務める関口茂に、没後43年の今も色あせないエルヴィス・プレスリーの魅力を語ってもらった。

後編では、これまでのエルヴィス・プレスリーのイメージとはまた違った、偉大なるアーティストとしての魅力を解説する。

  • エルヴィス・プレスリー

    Elvis Presley

    1935年1月8日生まれ、1977年8月16日没。アメリカ・ミシシッピー州イースト・テュぺロ出身。ロックンロールの魅力を世界中に広めたと言われる“キング・オブ・ロックンロール”。また後世のポップ・ミュージックにも多くの影響を与えた存在。長いもみあげに白のジャンプスーツというスタイルでも知られている。1954年にレコード・デビュー後、「ハートブレイク・ホテル」「ハウンド・ドッグ」「冷たくしないで」「ラヴ・ミー・テンダー」(すべて1956年)などの楽曲が大ヒット。以降、シンガーとしてだけでなく、俳優としても多くの映画に主演した、エンタテインメント界のビッグスター。

  • 松山卓哉

    Matsuyama Takuya

    ソニー・ミュージックアクシス

    ビクター音楽産業株式会社、BMGビクター株式会社などを経てソニーミュージック入社。2002〜2009年まで、BMG JAPANにて洋楽ディレクターとしてエルヴィス・プレスリーを担当。小学生のときにエルヴィス・プレスリーに魅せられ、所属レコード会社への憧れから音楽業界へ。

  • 関口 茂

    Sekiguchi Shigeru

    ソニー・ミュージックレーベルズ
    ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル

    株式会社BMG JAPANより、2009年にSMJIに転籍。松山卓哉の後任としてエルヴィス・プレスリーの担当に。現在、11月にリリース予定の4枚組CD『フロム・エルヴィス・イン・ナッシュヴィル』を制作中。

貧しさゆえに、白人と黒人の共同コミュニティが存在

――今は観光スポットにもなっている、エルヴィス・プレスリーが暮らしていたメンフィスのグレイスランド邸へは行かれましたか?

関口:僕はまだ一度も行けてないです。

松山:僕は二度ほど仕事がらみで行きました。一度目はまだビクター音楽産業株式会社(現・株式会社JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)のころ。日本ビクターが映画『ミステリー・トレイン』に出資していて、メンフィスでのロケに同行するという夢のような体験をさせてもらいました。監督のジム・ジャームッシュが、撮影に大勢の人がいるのを嫌う人だったので、毎日ひとりでメンフィス観光をしていましたね(笑)。

二度目はBMGのとき。カントリーミュージックを全世界に売るための会議がナッシュヴィルとメンフィスで開かれ、会議ツアーにグレイスランド訪問が含まれていたので再訪できました。

――カントリーミュージックで連想したんですが、カントリーの起源は労働者階級の白人音楽と言われています。今年は「ブラック・ライヴズ・マター」運動とともに全米の音楽業界でもストライキが行なわれるなど、さまざまな動きがありました。昔からアメリカのミュージックシーンと人種問題は絡み合ってきたと思います。でもエルヴィスは、もう70年も前から、そういうことも超越して音楽と向き合っていたんじゃないかなという気がします。

松山:エルヴィスは、10代前半でメンフィスに移り住むまで、ミシシッピー州のテュペロという貧しい白人街に住んでいたんです。一家はよく教会に行き、エルヴィスは白人ゴスペルの洗礼を受ける。隣にはこれまた貧しい黒人街があって、エルヴィスは物心つくとそちらの教会にも通って、黒人ゴスペルも経験するわけです。

貧しさゆえに、白人と黒人の共同コミュニティのようなものが存在していた。分け隔てのない感覚というのは、そういう環境下で自然と芽生えていったものだと思います。

――あえて融合しようとしたわけじゃないんですね。

松山:そうです。例えば、たまたまスタジオ・リハーサルの休憩中に、R&Bの「ザッツ・オール・ライト」をエルヴィスが口ずさんだ。それがプロデューサーの耳を捉えてシングルとなり、B面にはカントリー&ウエスタン楽曲の「ブルー・ムーン・オブ・ケンタッキー」が収録される。結果的にこの1枚が、黒人音楽と白人音楽の融合となったわけです。

でも、エルヴィスにとってはどちらもゴスペル経験から得てきたもの。なんの矛盾もなかったんです。そもそも1953年に、エルヴィスは母親への誕生日プレゼントと言いつつ腕試しのためサン・レコードでパーソナル・レコードを作るわけですけど、同時期に彼は、メンフィスの白人カルテットのオーディションも受けていて、そっちは落ちてる。

しかし、彼はサン・レコードからRCAに移ってからも、メンフィスの白人ゴスペル・グループを起用したりしてるんです。つまり、エルヴィスの心のなかには常にどちらのゴスペルもあって、彼が歌うバラードのエモーション、ロックのグルーヴには、白人のゴスペルと黒人のゴスペルが内在していると思います。

保守的なグラミー賞も、ゴスペルには価値を与えた

『'68カムバック・スペシャル』より

――エルヴィスとゴスペルがそれほどの絆で結ばれていたとは。

松山:彼はゴスペルにすごく感謝していたと思います。というのも、RCAからデビューして1年後の1957年、爆発的な人気が一段落したところで彼はゴスペルのレコードを作っているんです。

兵役から帰ってきた後もそう。「好きにならずにはいられない」とか「今夜はひとりかい?」などバラードの歌唱に磨きがかかったのはこの頃ですね。結婚直後の1967年や、映画『エルヴィス・オン・ステージ』(1970年)が大ヒットしたあともゴスペルをレコーディングしている。

つまり、節目、節目でエルヴィスはゴスペルに回帰し続けていたんです。1959年から始まったグラミー賞では、エルヴィスが主要部門で受賞することはなかったですが、ゴスペル部門では、1967年、1972年、1974年と、3回受賞しています。

――そうなんですか!

松山:保守的なグラミー賞も、エルヴィスのゴスペルには価値を与えたんですね。後年、入退院を繰り返しながら立ったステージでも、彼は必ず「偉大なるかな神」を熱唱していました。

「偉大なるかな神」

関口:狙って「俺はロックンロールやってるんだ」じゃなくて、エルヴィスの心と体から自然と湧き出たものだからこそ人々の心を打ち、“キング・オブ・ロックンロール”と呼ばれるようになった。音楽的背景が内在されたそのボーカルが、エルヴィスの最大の魅力だと僕も思います。

松山:よく「エルヴィスには政治的思想がない」などと言う人がいるんですけど、彼はそんなものとっくに通り越してるんですね。歌詞で何かを言わずとも、彼の魂が歌で語りかけてくる。

ブルース・スプリングスティーンは、エルヴィスの「ハウンド・ドッグ」を聴いたとき、「僕は自由なんだとわかった」と言っています。ご存知の通り「ハウンド・ドッグ」の歌詞は、「お前はただの野良犬だ。吠えてばかりでウサギも捕まえられないじゃないか」であって、“自由”なんて言葉はひとつも入ってない。でも、スプリングスティーンは“自由”というメッセージを受け取った。音楽の、魂のパワーですよね。メッセージ・ソングを歌わないエルヴィスだからこそ、たまに歌うとまたすごく響くものになるし。

曲に自分なりのプラスアルファを施して歌える人

『'68カムバック・スペシャル』より

――例えば、どういった曲がありますか?

松山:前出のロイヤル・フィルとのアルバム・タイトルにもなった「イフ・アイ・キャン・ドリーム」は、公民権運動に多大な影響を与えたキング牧師の演説「I have a dream」のアンサー・ソング的な意味合いを持った曲。大成功を収めた伝説のTV番組『'68カムバック・スペシャル』のエンディングでも歌っていました。2007年、『アメリカン・アイドル』のチャリティ番組で、“甦った”エルヴィスとセリーヌ・ディオンがこの曲を“デュエット”して、大きな話題にもなりました。

――セリーヌ・ディオンとの“デュエット”はYouTubeで見られますが、歌の包容力、説得力に驚かされます。

松山:エルヴィスはシンガー・ソングライターではないですが、曲に自分なりのプラスアルファを施して歌える人なんですね。作った人以上に曲を作っていると言っても過言じゃない。ほかのアーティストのカバーもよくしますけど、エルヴィスが歌えばエルヴィスの曲になる。やっぱり魂が宿るんですよ。

関口:曲をチョイスする力もすごいと思います。オリジナルを超えるカバーがたくさんありますから。

松山:長い間マネージャーだったトム・パーカーが、自分の儲けに都合の良い楽曲ばかりを歌わせてたけど、1967年、たまたまカーラジオでかかったジェリー・リードの「ギター・マン」にピンときて、「これ、歌いたい」と言ってからは、エルヴィス自身が歌う曲を選ぶようになりましたね。

関口:「ギター・マン」は、『'68カムバック・スペシャル』の1曲目にもなっています。ほかにも、サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」をリリース直後にカバーしたりと、まさに選曲力だと思います。

松山:ポール・サイモンも、あの曲のエルヴィスの歌の解釈を大絶賛してますね。

脂の乗り切った歌声がすばらしい

『'68カムバック・スペシャル』より

――“キング・オブ・ロックンロール”に止まらない、多角的な魅力のあるアーティストなんですね。

関口:8月16日の命日に、ソニー・ピクチャーズ エンタテインメントの海外ドラマ専門チャンネルAXNで、『AXN 行ったつもりで伝説ライブ! エルヴィス・プレスリー』という特別番組が放映されます。

先ほどから何度も出ている『'68カムバック・スペシャル』、小学生の松山さんを虜にした『アロハ・フロム・ハワイ』、エド・シーラン、ジェニファー・ロペス、ショーン・メンデスら世界的なアーティストがエルヴィスを歌う『オールスター・トリビュート』などのライブをぶっ通しで見られるだけでなく、ドキュメンタリー映画『ザ・サーチャー〜キング・オブ・ロックの魂の記録〜』も放映されるので、エルヴィスの魅力を堪能できるはずです。

あと今年は、通称“ナッシュビル・キャッツ”と言われる凄腕ミュージシャンたちとエルヴィスが行なった5日間のマラソン・セッションから50周年なので、それを記念した決定版『フロム・エルヴィス・イン・ナッシュヴィル』(CD4枚組)のリリースが11月に控えてます。

松山:アルバム『エルヴィス・オン・ステージNo.1』(1970年)、『エルヴィス・カントリー』、『ラヴ・レター・フロム・エルヴィス』(ともに1971年)の中核を成す精鋭との名演です。脂の乗り切ったエルヴィスの歌声がすばらしいですよ。

――命日と言えば、毎年どこからともなく「エルヴィスは生きていた」的な話が出てきますね。

松山:没後しばらくは、“生きている派”と“信じない派”が、本気で討論会をしていました。“生きている派”が、生きているという証拠の声を出したのに対して、「その声は僕です」と言う人を“信じない派”が連れてきて、“生きている派”の負け(笑)。今でもタブロイド紙が、嘘を承知で「生きている」という記事を載せたりしますね。それだけアメリカ人にとって、エルヴィスは忘れられない存在なんですよ。

文・取材:藤井美保

『フロム・エルヴィス・イン・ナッシュヴィル』の再生とプレオーダーはこちら

 

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