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連載Cocotame Series

担当者が語る! 洋楽レジェンドのココだけの話

アース・ウインド&ファイアー【後編】「アースの曲を聴いて難しい顔をする人はいない」

2020.09.19

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世界中で聴かれている音楽に多くの影響を与えてきたソニーミュージック所属の洋楽レジェンドアーティストたち。彼らと間近で向き合ってきた担当者の証言から、その実像に迫る。

第3回は、今年結成50周年を迎え、楽曲「セプテンバー」にちなんで、9月21日が記念日に認定されたアース・ウインド&ファイアー。今なお世界中で人気のディスコチューン「セプテンバー」をはじめ、「宇宙のファンタジー」「レッツ・グルーヴ」など、70~80年代中心にヒットを飛ばした彼らの魅力を、来日時の様子を交えてソニー・ミュージックジャパンインターナショナル(以下SMJI)の歴代担当者、有田尚哉と佐々木洋に聞く。

後編では、フロントマン、フィリップ・ベイリーほかメンバーの素顔や、アース・ウインド&ファイアーと宇宙との関係、そして80年代当時は当たり前だった日本盤のみの邦題誕生秘話などを語る。

Photo by Yuki Kuroyanagi

アース・ウインド&ファイアー(Earth、Wind&Fire)

前身は、1969年に故モーリス・ホワイトが結成したバンド、ソルティ・ペパーズ。その後活動拠点をロサンゼルスに移し、1970年にアース・ウインド&ファイアーに改名。1972年にフィリップ・ベイリー(ボーカル)とラルフ・ジョンソン(パーカッション)が加入。現在の正式メンバーは、初期メンバーでモーリスの弟、ヴァ―ダイン・ホワイト(ベース)とベイリー、ジョンソンの3名。サポートメンバーを含めた大所帯で演奏するスタイルで活動を行なっている。ヒット曲に「シャイニング・スター」(1975年)、「セプテンバー」「ブギー・ワンダーランド」(ともに1978年)、「レッツ・グルーヴ」(1981年)などがある。

 

  • 有田尚哉

    Arita Naoya

    ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル

    2009年よりSMJI所属。2012年にオリジナル・アルバムの紙ジャケ再発や、アルバム『フォーエヴァー』(2013年)などを担当。

  • 佐々木 洋

    Sasaki Hiroshi

    ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル

    1996年よりSMJI所属。9月23日発売の、アース・ウインド&ファイアー結成50周年記念ベスト 『ジャパニーズ・シングル・コレクション:グレイテスト・ヒッツ』を担当。

カリスマ性のある、“ザ・スター”フィリップ・ベイリー

2012年5月17日に行なわれた東京国際フォーラムでの公演。 Photo by Yuki Kuroyanagi

──有田さんはアース・ウインド&ファイアーが来日したときに直接ご本人たちと会われているんですよね。

有田:2012年に日本デビュー40周年コンサートと銘打って、東京国際フォーラムで1日だけ来日公演があったんですけど、そのときにグループとしては初めてお会いしました。

──お会いしたときのリアルなメンバーの素顔についてお聞きしたいです。

有田:やっぱりフィリップ・ベイリーはスターですね。ほかのメンバーとは明らかに立ち居振る舞いが違うんです。嫌な感じではないんですけど、カリスマ性がありましたね。ピリッとした雰囲気もあって、でもメディアに出るときはしっかり最高の笑顔でした(笑)。その辺はプロって感じでしたね。逆に、ヴァーダイン・ホワイトとラルフ・ジョンソンはスター的なオーラを出す感じもなく、明るくて気さくで、すごく感じの良い人たちでした。ずっとその3人でやってるから、バランスが取れてる感じはしましたね。

フィリップ・ベイリー Photo by Yuki Kuroyanagi

──スターのフィリップ・ベイリーを立てつつ、2人が支えるみたいな役割があるんでしょうね。

有田:そうだと思います。いつかのライブで、打ち上げを居酒屋でやったんです。ヴァーダインとラルフはそこに来てバンドメンバーとワイワイしてましたけど、フィリップは来なかったんじゃないかな(笑)。彼はライブが終わったらすぐ帰るタイプ、一番最初に楽屋を出るタイプの人ですね(笑)。

──それはスターの証ですね(笑)。ラルフのエピソードはありますか。

ラルフ・ジョンソン Photo by Yuki Kuroyanagi

有田:これは完全に裏話ですけど、フィリップに雑誌のインタビューをお願いしていたら当日にすっぽかされたんです。もうインタビュアーさんたちが来てるのに「やりたくない」って(笑)。現場が大慌てになって急遽ラルフにお願いしたら、「いいよ、行くよ」って言ってくれて、そつなく取材をやっていただいたことがあります。そういう優しいタイプですね。

──ヴァーダインはどうですか。

ヴァ―ダイン・ホワイト Photo by Yuki Kuroyanagi

有田:ヴァーダインは、とにかくめちゃめちゃ陽気な人です。2013年の来日のとき、“SUMMER SONIC”出演のあとにニューアルバムのプロモーションの一環で、読売巨人軍の阿部慎之助選手に会いに東京ドームに行ったんですよ。阿部選手が打席に入るときのテーマソングが「セプテンバー」なので、それにかこつけて対談をセッティングしたんです。

──なんと、ジャイアンツの阿部選手とアース・ウインド&ファイアーの対談ですか。

有田:そのときに阿部選手が「実は自分の両親もアースが好きだった」って話をしたら、ヴァーダインが「じゃあ、オレらがいなかったら君は生まれて来なかったんだな」って返してましたね(笑)。そうやっていつも冗談を言ったりして、笑顔が絶えない人です。

──印象通りの人ですね。やはり、ヴァーダインが今のバンドのキーパーソンなんですかね。

有田:そうですね。ライブのリハーサルを見てると、ヴァーダインが中心になって「こういう感じでいこう」ってバンドをまとめてたりしますし、アースのサウンドのキーであることは間違いないですね。

「MIGHTY MIGHTY」の邦題が「宇宙よりの使者」

──9月23日発売の結成50周年記念のコンピレーションアルバム『ジャパニーズ・シングル・コレクション:グレイテスト・ヒッツ』では、ブックレットでリリース当時の日本盤シングルジャケットが網羅されています。時代性がすごく伝わるし、見てるだけでも面白いですね。

『ジャパニーズ・シングル・コレクション:グレイテスト・ヒッツ』

佐々木:当時の日本版シングル・ジャケットって、キャッチコピーやフォントとかにすごく時代感が出てるんですよね。なので、曲を聴きながらブックレットを見て、そのころを思い出してもらったり、こんな時代だったんだって想像してもらったりすることができるんじゃないかなと思ってます。

──邦題も良いですよね。

佐々木:そうですね。どう逆算してもそうはならないだろうっていうものもたまにありますけどね(笑)。「THAT'S THE WAY OF THE WORLD」も「暗黒への挑戦」ですからね。日本で最初にリリースされたシングルが「MIGHTY MIGHTY」なんですけど、この邦題が「宇宙よりの使者」っていう(笑)。そしたら、その後のジャケットの絵柄がだんだん宇宙寄りになっていくんですよ。

──1977年のアルバム『太陽神』から1983年のアルバム『創世記』まで、ヒットを連発してたころのジャケットを手掛けていたのは、世界で活躍した日本のグラフィックデザイナー、長岡秀星さんでした。

有田:2012年にアースのアルバムを紙ジャケで再発したんですけど、そのときに長岡秀星さんにお会いしました。2015年にお亡くなりになったので、今思えば貴重なインタビューでした。そのときに、「70年代当時は宇宙とかピラミッドとか神秘主義的なものがすごく身近で、アルバムのテーマになりやすかったのかな」とおっしゃってました。長岡秀星さんに至っては、ご本人がエキセントリックなザ・アーティストって方でビックリしましたね(笑)。

──かなりパワーある方だったと。

有田:はい。僕とライターの方と小田原の自宅にお邪魔したんですが、5時間くらいおひとりでずっと話してくださいました(笑)。「ルーカスから『新しいことやらないか?』って連絡が来てるんだよ」「ルーカスってどちらの?」「ジョージ・ルーカスだよ!」とか、すごい話がさらっと出てくるんです(笑)。

あと、そのタイミングで70年代当時のCBSソニーのディレクターだった、我々の大先輩にも話を伺ったんです。邦題を付けるのにものすごく苦労されたみたいですね。今みたいに英語をカタカナにするのでは許されなかったみたいで、歴史の文献とか聖書とかいろいろ読み漁って、良いワードはないかって考えたと言ってました。

「太陽の戦士」。原題は「SERPENTINE FIRE」。

「旋風(かぜ)の使者」。原題は「Can’t Let Go」。

楽屋ではピラミッドのなかで瞑想

──昔の邦題のインパクト勝負感は最高ですね。これは、日本の洋楽ファンだけしか味わえない楽しみだなと。

佐々木:それはありますね。それになぜか70年代後半の作品って宇宙イメージの邦題が多いんですよ。TOTOのデビューアルバム『TOTO』(1978年)の邦題も『宇宙の騎士』なんです。まあ、ジャケットが宇宙と剣ではあるんですけど(笑)。ジャーニーのデビューアルバムも『宇宙への旅立ち』(1975年/原題:JOURNEY)で、ボストンのデビュー曲も「宇宙の彼方へ」(1976年/原題:MORE THAN A FEELING)ですし。もしかすると、スケール感を表現するのに「宇宙」という言葉は良かったのかもしれないですね。

──それこそアース・ウインド&ファイアーの70年代や80年代前半のライブ映像を見ると、宇宙船やピラミッドからモーリスが降りてきたりしてますしね。

中央がモーリス・ホワイト

有田:実際、1979年に初めて日本で行なったライブのときは、楽屋のなかにピラミッド型の空間を組み立てて、そのなかに入って瞑想してたみたいですよ。

──本当に入ってたんですね!

有田:当時はモーリスもメンバーもピラミッドパワーに傾倒していたり、ベジタリアンだったりしたそうなんです。そういう世のなかの流れがあったんでしょうね。音楽やアートをやっていたら、そこは避けては通れなかったんでしょう。

オバマ元大統領「パーティーの記憶を思い出させてくれる」

──さて、50年に渡って世界中に愛されつづけているアース・ウインド&ファイアーですが、その理由は何だとおふたりは捉えていますか?

有田:アースって、日本のソウルミュージック、ブラックミュージック好きの方からは一段ランクが下に捉えられていると思うんです。もちろん、すごく人気もあるし、ヒット曲も多いし、みんなが曲を知ってる。でも、ロック的なシリアスな感じとかは無いし、別に政治問題も語らない。だから今のブラック・ライヴズ・マターの流れのなかでも、アースの曲ってなかなか出てこないんですよね。

だけど、モーリスが亡くなったときにオバマ元大統領がFacebookにコメントしていて。“アースの音楽は家族の誕生日パーティー、休みの日のバーベキューパーティーとかの記憶を思い出させてくれる、あらゆる場面で我々をひとつにしてくれる”って書いてあったんです。

80年代のアース・ウインド&ファイアー

──“グルーヴの力で、老いも若きも、黒人も白人も、すべての人をダンスフロアに誘えたのは彼だけです”といったことも書かれてましたね。

有田:アースの歌ってそんなにシリアスなことを言ってるわけじゃないんですよね。だから曲を聴いて難しい顔をしてる人はいないし、ライブではみんなアホみたいに踊るし、それで良いと思うんです。それで50年やってるってすごいよなって。アースの音楽の本質は圧倒的な幸福感、そこに尽きると思いますね。

佐々木:僕もアースの音楽は、ソウルやR&Bって意識するよりも先にポップソングとして聴いていたので、ほんとに今聴いてもエバーグリーンな曲が多いなって思います。なので、“大衆性”は彼らのクリエイターとしての最も素晴らしい資質のひとつだと思いますね。

どんどん楽曲を聴いていくと、実はこんなにグルーヴがかっこ良くて気持ち良い曲があるんだ、こんなジャンルレスなサウンドも演奏してるんだって、どんどん掘っていける、音楽を知る面白さもあると感じてます。

──納得です。そして、9月21日は『アース・ウインド&ファイアー 「セプテンバー」の日』として日本記念日協会に正式に認定されたんですよね。

佐々木:そうなんです。「セプテンバー」の歌詞の冒頭が“9月21日の夜のことを覚えてるかい?/あの夜、僕らは本当の愛を知った”って歌詞なので、これはと思って申請しました。結成50周年に、日本でアース・ウインド&ファイアーの記念日が認定されたのは僕らとしてもうれしいです。

──本来であれば大きなツアーも行なっていたでしょうね。

有田:そうですね。でも、新型コロナの状況が落ち着いたら、きっと2~3年かけて50周年ツアーをやると思いますよ(笑)。そのときは日本にも来て、最高に楽しいライブで日本のファンを笑顔にしてくれると思います。

文・取材:土屋恵介

関連サイト

ソニーミュージックオフィシャルHP
https://www.sonymusic.co.jp/artist/EarthWindandFire/(新しいタブで開く)

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