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連載Cocotame Series

担当者が語る! 洋楽レジェンドのココだけの話

ジョン&ヨーコについて知っておきたい15の事柄【初級編】

2020.10.05

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世界中で聴かれている音楽に多くの影響を与えてきたソニーミュージック所属の洋楽レジェンドアーティストたち。彼らと間近で向き合ってきた担当者の証言から、その実像に迫る。

今回は、10月9日から東京の「ソニーミュージック六本木ミュージアム」でスタートする展覧会、『DOUBLE FANTASY – John & Yoko』の開催を記念して、世紀のアーティストカップル、ジョン・レノンとヨーコ・オノにスポットを当てる。彼らの存在や活動を語る上で知っておきたい“キーワード”を、ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル(以下、SMJI)の白木哲也が解説する。

初級編では、もはや常識とも言えるキーワードをピックアップ。音楽好きでなくとも抑えておきたい。

  • ジョン・レノン(写真左)
    1940年10月9日生まれ、1980年12月8日没。イギリス・マージ―サイド州リバプール出身。1962年、ザ・ビートルズのボーカル&ギターとしてデビュー。1968年からは平行してソロ活動を開始。私生活では、1962年に最初の結婚をし、息子ジュリアンが誕生。1969年にヨーコ・オノと結婚。1975年にショーンが生まれている。

    ヨーコ・オノ(写真右)
    1933年2月18日生まれ。東京都出身。銀行員だった父親の転勤に伴い、アメリカに移り住んで音楽と詩を学ぶ。その後、前衛芸術家として活動するなかでジョン・レノンと出会う。芸術活動、音楽活動だけではなく、ジョンの遺志を継いで、現在も世界中で平和運動を繰り広げている。

  • 白木哲也

    Shiroki Tetsuya

    ソニー・ミュージックレーベルズ
    ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
    マーケティング2部 ゼネラルマネージャー

    1993年から洋楽制作本部、2004年からソニー・ミュージックダイレクト、2007年からSMJIに所属。ヨーコ・オノ、ザ・クレイプール・レノン・デリリウムを担当。

1【ザ・ビートルズ】バンド末期とジョンとヨーコの出会い

ヨーコ・オノ Photo by Iain Macmillan ©Yoko Ono

――ジョン・レノンとヨーコ・オノが出会った1966年は、ザ・ビートルズは既にの大スターでした。

1966年6月にビートルズは初来日し、日本武道館公演が行なわれていますね。その2カ月後に、サンフランシスコのキャンドルスティック・パークで公演を行なうのですが、結果的にそれがビートルズとしての最後のライブとなったわけです。

ジョンとヨーコが出会ったのはそのあとで、1966年の11月7日と言われています。日本生まれのヨーコは、父親の仕事の関係で海外生活を送るうち、大学時代に前衛芸術家としての活動をスタートし、ニューヨークやロンドンで数多くの作品を発表していました。

その日はちょうど、ロンドンのインディカ・ギャラリー(※上級編にて後述)での個展が開かれようとしているところで、そこへ、友人に誘われたジョンがふらりと訪ねて来た。そして、ふと無造作に置かれていた脚立に目を留めます。

その先の天井にはキャンバスが飾られていて、虫眼鏡がぶら下がっていた。ジョンは興味に任せて脚立を登り、キャンバスに虫眼鏡を当ててみると、そこには小さく「YES」と描かれていた。そこにジョンは惹かれてしまったんです。もしこれが違う言葉だったら、ふたりは付き合っていなかったかもしれませんね。

その時期、ビートルズのメンバーは皆ライブに嫌気がさしていて、レコーディングに専念するようになっていた。まさにビートルズ自体が大きく変わるタイミング。そこでジョンとヨーコは出会ったんですね。だから余計、これまでの価値観を覆すようなヨーコの考え方に、ジョンは惹かれていったのでしょう。そして1968年、ふたりが初めて結ばれる日にアルバム『「未完成」作品第1番 トゥー・ヴァージンズ』を録音し、リリースまでしてしまいます。

アルバム『「未完成」作品第1番 トゥー・ヴァージンズ』

――これは前衛芸術の極致といった作品ですよね。

ビートルズのジョン・レノンというイメージしかなかったファンにしてみたら、ジャケットもふたりのヌード写真でしたし、驚き以外の何物でもなかったと思います。そこからはもう、ジョンとヨーコはベッタリに。ジョンはビートルズのレコーディング・スタジオにもヨーコを連れてくるようになって、四六時中一緒にいるわけですから、メンバーも快くは思っていなかったでしょう。

当時ヨーコは、東洋から来た素性のわからない女性という存在でしたし、その黒髪や黒い瞳も、向こうの人々には脅威と映ったのかもしれません。とは言え、ヨーコがジョンの人生に多大な影響を与えたことは事実なんです。

――どんな点での影響が大きかったんでしょうか?

ヨーコは、自身が1964年に出版した詩集『Grapefruit』(※上級編にて後述)を、出会ったころのジョンに渡しているんですね。そこにある、いわゆるミニマリズム=普遍的な短い言葉での表現は、ジョンの考え方、作風までも変えてしまったと言えると思います。

ビートルズ解散後初のソロアルバム『ジョンの魂』に収録されているすべての曲からそう感じられますし、「イマジン」などはまさにそうです。ビートルズの『ホワイト・アルバム』(1968年)に収録されている「レボリューション9」などは、もちろんヨーコと出会っていなければ存在していないでしょう。メンバーやファンは、当時ヨーコに大きな違和感を抱いていたと思いますが、ジョンにとっては奇跡の出会いだったわけです。

2【丸メガネ】脱・アイドル。変革期の象徴

――ヨーコとの出会いを経て、ジョンの風貌もわかりやすく変わっていきますね。丸メガネをかけているジョンのポートレートは有名です。

ジョンはド近眼だったんですけど、ビートルズが盛んにライブをやっていた時代はメガネをかけてなかった。ま、アイドルだったわけですから、少なからずイメージを気にしていたのかもしれませんね。それをジョン自身が捨てたのは、やはり1966年でライブをやめて、ヨーコと出会った辺りからとも言えます。しかも、あの丸メガネはイギリスの医療保険制度で無料配布しているような、極々一般的なものなんですよ。

――そうなんですか!

メガネ着用ビフォーアフターで、まるで別人ですよね。丸メガネは、ジョンの変革期の象徴とも言えます。一方、ヨーコのメガネでパッと思い浮かぶのは大きなサングラス。『DOUBLE FANTASY – John & Yoko』展では、そのジョンの丸メガネとヨーコのサングラスが向き合っている展示もあるんですよ。

見つめあうジョンとヨーコのメガネ Photo by Mark McNulty ©Yoko Ono

3【ダブル・ファンタジー】死の直前に見せた新境地

――ジョンとヨーコの代表作と言えば、アルバム『ダブル・ファンタジー』です。

息子のショーンが生まれた1975年から、ジョンは5年間活動を休止してハウスハズバンドをしていたんですが、1980年10月、突然沈黙を破って、まずはシングル「スターティング・オーヴァー」を、そして11月にアルバム『ダブル・ファンタジー』をサプライズ・リリースするわけです。日本で発売されたのは12月の頭。ジョンが凶弾に倒れたのは本当にその直後でした。

――サプライズだったということですが、制作はどんなふうに行なわれたんでしょうか?

曲作りは主に、1980年の初夏、ショーンを連れて休暇で訪れたバミューダ諸島で行なわれたと言われています。そこで録ったリズム・マシンとアコースティック・ギターだけのシンプルなデモを、プロデューサーのジャック・ダグラスに「どう思う?」と渡したところ、「これは絶対作品にすべきだ」となって、ジョンのアーティスト活動が秘密裏に再スタートしました。

誰の作品かを知らされないままジャック・ダグラスに集められたミュージシャンたちは、スタジオに入ってみんなビックリ。そこにジョンがいたわけですから。

興味深いのは、ジャック・ダグラス自身が手がけていたチープ・トリックのメンバーにも演奏させていたこと。彼らもビートルズの大ファンなわけですから、さぞかしうれしかっただろうなあと。結局アルバムでは使われなかったんですが、1998年にリリースされたボックスセット『ジョン・レノン・アンソロジー』に収録されています。

『ダブル・ファンタジー』は、NYの名うてのスタジオ・ミュージシャンを集めて作られ、ジョンとヨーコの曲が交互に聞こえてくるという曲順で発表されることになりました。それはジョンの希望で、『ダブル・ファンタジー』の最も核となるコンセプトを表わしているわけですが、最初は聴いた人みんなが驚いたと思います。

アルバム『ダブル・ファンタジー』

――白木さんはどこに一番驚きましたか?

1曲目「スターティング・オーヴァー」につづく、2曲目のヨーコの「キス・キス・キス」が衝撃的でしたね。もちろん、ヨーコの作品も聴いてたから、アバンギャルドという意味ではわかるんですけど、「抱いて」というあの声は、当時高校生だった僕には衝撃でした(笑)。でも、本当によくできたアルバムだと思います。

ジョンはロックンロールなイメージですから、『ダブル・ファンタジー』の海外での当初の評価は「AORっぽい」とか「優しすぎる」といった声があったのも事実。でもファンにとっては、誰もがジョンの完全復活に諸手を挙げて喜んだアルバム、それに尽きますね。そういった意味では、ロックな部分は、ヨーコのニューウェーヴ的な曲のほうから感じるかもしれないです。

それと歌詞ですね。5年間の隠遁生活で考えていたこととともに、ショーンとヨーコ、家族への愛に満ち溢れていました。「スターティング・オーヴァー=もう一度羽ばたこう」と言いながら、“今までのようなエンタテインメントの世界には惑わされないぞ”という確固たる意志みたいなものも感じます。

――なるほど。

“♪チンチン”という、日本を連想させる鐘の音で始まる「スターティング・オーヴァー」を最初に聴いたとき、曲の素晴らしさはもちろん、とにかく再出発の宣言をしてくれたってことがうれしかった。『ダブル・ファンタジー』はジョンの最高傑作ではないかもしれませんが、発表直後に亡くなってしまったこともあり、ジョン、そしてヨーコを語る上で最も重要なアルバムのひとつとなりました。

4【ダコタ・ハウス】愛の巣であり、ジョンが凶弾に倒れた現場

――結婚当初は、ジョンとヨーコはイギリスにいたんですよね。

イギリスのバークシャー州ティッテンハースト・パークにある、東京ドーム何個分かという広大な敷地の豪邸に住んでいました。でも、1971年に突然そこを離れ、ニューヨークに移るんです。ちなみにその家は、のちにリンゴ・スターが買っています。

1971年 ニューヨーク・バッテリーパークにて Photo by Iain Macmillan ©Yoko Ono

ニューヨークでは、最初はグリニッジ・ヴィレッジの狭いアパートで過ごしていましたが、1973年にマンハッタンのアッパー・ウェスト・サイド(セントラル・パーク・ウェストと72丁目がぶつかる角地)のダコタ・ハウスに居を定めました。ダコタ・ハウスは100年近くの歴史のある高級集合住宅で、映画『ローズマリーの赤ちゃん』(1968年)の舞台にもなっているんですよ。

ダコタ・ハウスの名前が世界を駆け巡ったのは、現地時間1980年12月8日。ジョンが凶弾に倒れた現場としてでした。ジョンとヨーコは1973年にそこに移り住んだのですが、その秋から1975年の初頭にかけては、いわゆる“失われた週末”(※中級編にて後述)と言われる別居状態となっています。なので、ダコタ・ハウスがふたりの愛の巣だったのは、復縁してからのわずか5年ほど。1975年に愛息ショーンが生まれ、家族3人の幸せな時間がそこで紡がれました。

ジョンが射殺されたあとしばらくしてから、ヨーコはジョンがかけていた血まみれのメガネを、ダコタ・ハウスの窓際で撮影するんです。その姿を、ボブ・グルーエンという有名な写真家がカメラに収めていて、今回の展覧会の最後のコーナーでも展示されています。見る者に改めて事実を突きつけるような、ものすごい瞬間の写真だと思います。

中級編につづく

文・取材:藤井美保

■『DOUBLE FANTASY』を日本に招致したキーパーソンのインタビューはこちら

■真心ブラザースのYO-KINGが『DOUBLE FANTASY』展を体感する【前編後編

最新情報

『DOUBLE FANTASY ‐John & Yoko』
2020年10月9日~2021年1月11日(2020年12月31日、2021年1月1日を除く)
東京・ソニーミュージック六本木ミュージアムにて開催
 
リバプールで開催された大規模な展覧会を、ジョン・レノン生誕80年の今年、東京にて開催。ジョンとヨーコによる数々のアート作品や、貴重な私物などを展示する。
https://doublefantasy.co.jp/(新しいタブで開く)
 

アルバム『ジョン・レノン.ギミ・サム・トゥルース.』
10月9日リリース
 
ソロ作品のなかから選りすぐりの楽曲を、オリジナル・マルチ・トラックから新リミックス。ショーン・レノンがプロジェクト初参加。
https://www.universal-music.co.jp/john-lennon/(新しいタブで開く)
 

映画『IMAGINE<イマジン>』
10月9日よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国順次公開
 
ジョン&ヨーコが出演、監督した、1972年制作の映画を日本初上映。
https://www.universal-music.co.jp/johnlennon-imaginefilm/(新しいタブで開く)

関連サイト

『DOUBLE FANTASY – John & Yoko』
https://doublefantasy.co.jp/(新しいタブで開く)
 
ヨーコ・オノ オフィシャルサイト
http://www.sonymusic.co.jp/artist/yokoono/(新しいタブで開く)
 
ザ・クレイプール・レノン・デリリウム オフィシャルサイト
https://www.sonymusic.co.jp/artist/theclaypoollennondelirium/(新しいタブで開く)

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