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担当者が語る! 洋楽レジェンドのココだけの話

マライア・キャリー【前編】「来日時は、成田空港に着いてから帰る日まで、毎日がお祭りでした」

2020.12.24

世界中で聴かれている音楽に多くの影響を与えてきたソニーミュージック所属の洋楽レジェンドアーティストたち。彼らと間近で向き合ってきた担当者の証言から、その実像に迫る。

今回のレジェンドは、毎年この時期になると『恋人たちのクリスマス』のキュートかつ抜群の歌唱力が街中に響くマライア・キャリー。デビュー30周年を迎えた彼女が日本で最も知られる洋楽アーティストのひとりとなった裏には、日本スタッフの奮闘があった。ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル(以下、SMJI)白木哲也が、その華やかなイメージを裏付けるエピソードの数々を語る。

前編では、マライア・キャリーのアーティストとしての魅力を確認しつつ、ビッグスターに成長した彼女が巻き起こした騒動の数々を明かす。

マライア・キャリー (Mariah Carey)

1970年3月27日生まれ。米国・ニューヨーク州出身。1990年、アルバム『マライア』で、“7オクターブの音域を持つ歌姫”というキャッチフレーズでデビュー。数々の全米No.1ヒット曲を持ち、グラミー賞ほか、多数の音楽賞を受賞している。定番クリスマスソングとして知られる『恋人たちのクリスマス』(1994年)は、2020年に全米と全英チャートで1位を獲得し、今なお人気である。

 

  • 白木哲也

    Shiroki Tetsuya

    ソニー・ミュージックレーベルズ
    ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
    マーケティング2部 ゼネラルマネージャー

    1993年から洋楽制作本部、2004年からソニー・ミュージックダイレクト、2007年からSMJIに所属。1997年から1999年までマライア・キャリーを担当。

マライアのシンデレラストーリーが日本で受けた

──白木さんが初めてマライア・キャリーに仕事で関わったのはいつごろでしたか。

1990年のデビューのときですね。80年代後半って洋楽が結構辛い時期で、大物は売れるけど、新人があまり出てこなかった時代だったんです。当時僕は大阪営業所の洋楽担当をしていて、ある日、東名阪の営業担当が5〜6人集められた試聴会があったんです。そこで聴いたのがマライア・キャリーで、会社としては新人のトッププライオリティーでやる方向だけど、まず営業の意見を聞いてみようってことだったんですよ。それで、ファーストアルバムに収録されている『ヴィジョン・オブ・ラヴ』という曲を聴いたら、そこにいた全員が諸手を挙げて「これ良いね」って感じでした。

『ヴィジョン・オブ・ラヴ』
Mariah Carey - Vision Of Love

王道のバラードでとにかく声が素晴らしくて、その段階でこれはやりましょうよって話になったのを覚えてます。なので、最初から洋楽のセクションと営業が一体となってやろうって感じでしたね。

──マライア・キャリーは、ファーストアルバム『マライア』からスタートダッシュがすごかったですよね。

アルバム『マライア』(1990年)

そうですね。日本では男性ボーカルよりも女性ボーカルのほうが強い傾向がありますし、マライア自身のシンデレラストーリーによって、日本でのマライア像がうまく作り上げられていったと思います。ファースト、セカンド、サードと、雪だるま式に大きくなっていって、クリスマスでバコーンって感じでした。

──その“シンデレラストーリー”を改めて聞かせてもらえますか。

マライアがとあるパーティー会場で、当時のソニー・ミュージックエンタテインメント(米国)の社長のトミー・モトーラに自分の歌が入ったデモテープを渡したんです。そしたら彼が帰りの車でそれを聴いて、急いでマライアのいる会場へ引き返したっていう、有名な話ですよね。

──これは事実なんでしょうか。

これは本当の話です。『ヒア・ウィ・ゴー・アラウンド・アゲイン/ラヴァーボーイ (Firecracker Original Version)』という限定シングルカセットをリリースする際に、現在の担当者が海外の担当者や、マライア・コレクターの方にも確認したんですが、まさに“トゥルーストーリー”とのことでした。

初デモテープ音源が収録されている『ヒア・ウィ・ゴー・アラウンド・アゲイン/ラヴァーボーイ (Firecracker Original Version)』(2020年)。

──デビュー時の彼女の歌声は衝撃的でした。

“7オクターブの歌姫”っていうキャッチフレーズもありましたが、圧倒的でしたね。さらに、デビューアルバムのバックカバーのボディコンの写真がアイコニックで、日本では統一のメインビジュアルとして露出されていました。シンデレラストーリー、7オクターブの声、ビジュアルがすべて一致して、90年代の始まりとともに、新たなスターの誕生を予感させました。最初は数万枚からのスタートだったんですが、デビューアルバムとしては大成功を収めたと思います。

あとマライアが素晴らしかったのは、毎年アルバムを出してくれたことなんですよね。デビュー翌年の1991年には『エモーションズ』を出し、1992年には『MTVアンプラグド』を発表し……。今のアーティストだとなかなかないですけど、毎年何らかの作品をリリースして忘れられないようにしてくれたことも、その後の日本での成功の大きな要因のひとつだったと思います。

1994年に『恋人たちのクリスマス』が大ヒット

──白木さんはマライア・キャリーのどのような展開に携わっていたんですか。

マライアのデビュー時は、大阪の営業としてアルバムの新譜受注をしたり、レコード店内の“一等地”を確保してディスプレイ展開をしたり、という感じでしょうか。当時、東京では盛り上げ企画として、全国の営業所の皆さんを巻き込んで、社内報で“マライア・キャリーなりきりコンテンテスト”なんていうのもやりましたね(笑)。ボディコン衣装とマイクが各営業所に配られて、男性も女性もマライアの真似をするっていう(笑)。あと、各営業所の独自施策というものもあって、大阪ではダジャレで、“マライア・カレー”っていうものを配ったりしてました。僕は頭にターバンを巻いて、ボディコンを着た女性と一緒にレコード店や媒体を回ったり。今ではできないでしょうけどね(笑)。

──では、白木さんが制作担当ディレクターになったのは?

僕が実際に担当したのは、1997年のアルバム『バタフライ』なんですよ。デビューアルバム『マライア』(1990年)のときは大阪営業所、セカンドアルバム『エモーションズ』(1991年)と『MTVアンプラグド』(1992年)のときは販売推進部でした。その後洋楽のセクションに異動になり、マライアの直接の担当ではなかったものの、そばでさまざまなことを目の当たりにしておりました。

1993年のアルバム『ミュージック・ボックス』でマライアはプロモーション来日するんですが、当時の高輪プリンスホテルの飛天の間で、ものすごい規模のコンベンションが行なわれたり、1994年のアルバム『メリー・クリスマス』では、収録されている『恋人たちのクリスマス』がドラマ主題歌となり、メガヒットとなりました。そして、1995年のアルバム『デイドリーム』で頂点に上り詰めましたね。そのあと僕は宣伝担当になり、1年間、テレビ、ラジオを担当するんですが、まさにその1996年にマライアの初来日公演が決まって……。

──日本での初ライブが1996年の『デイドリーム』ツアーですよね。まさに待望の来日って感じですね。

そうなんですよ。“待ちに待った”という感じで、最高のタイミングでの初来日公演で。東京ドーム3公演即完で、チケット争奪戦にもなりました。日本のマスコミの皆さんも“待ってました!”って感じでしたし、マライアが成田空港に着いたときから帰る日まで、毎日がお祭りみたいでした。ただ、これが大変だったんですよ、現場の人間にとっては(笑)。

──当時のマライア・キャリーに直接会った印象はどうでしたか?

1993年のプロモーション来日のときは、かわいい、可憐な感じだったんですよ。1996年のときはもはや全世界的大スーパースターですから、前回とはホテルも違うし、本人の対応もまったく違いました。スーパースターを出迎える準備も大変でしたし、マライア側からの要求もすごかったです。

東京ドーム公演で披露された『恋人たちのクリスマス』
Mariah Carey - All I Want for Christmas Is You (Live at Tokyo Dome)

幻のディズニーランド事件

──1996年の来日公演のときはどんなリクエストがあったんですか。

事前にあったリクエストとしては、ファンと触れ合いたいという希望があって。あとは“大騒ぎ”を起こしたいっていう感じでしたね。最初は確か、オープンカーでパレードができないのかって言う要望がきたんです。さすがにそれは諸事情あって実現しなかったんですけどね。でも最初から、マライアを出迎えるために成田空港に1000人ぐらいのファンが来ちゃって……。

──それは大変ですね。

すごかったですね。マスコミも来ていたので、シャッターチャンスを作るために、税関を出たところでマライアに花束を渡して立ち止まってもらったんですが、ファンの皆さんも花束を渡そうとしたり、サインをお願いしたりで、もう、殺到、絶叫(笑)。マライアもファンを大切にするから、自分から寄っていっちゃったりして、さらにそれを撮影したいマスコミが押し寄せて、もうグシャグシャで……。怒号が飛ぶなか、マライアは人をかき分けかき分け、ようやく車に乗った感じでした。なかにはマライアの車をタクシーで追いかけてくるつわものもいたり。ホテルに着いたら、またファンの皆さんが集まっちゃってて、大変でしたね。

1996年の初来日公演のダイジェストが見られる『フォーエバー』のミュージックビデオ
Mariah Carey - Forever (Live Video Version)

──それをさばくのだけでもかなりの労力ですよね。

でも、これはほんの序の口だったんです。1996年の来日時は、時系列的には、到着翌日の記者会見に前代未聞の数の報道陣が集まり、カメラ位置を決めるだけでまた怒号が飛んで。そのさらに翌日が初日公演、それからNHKの『ゴールドディスク大賞』に出演して『オープン・アームズ』を歌ってと、毎日のように新聞やテレビで朝から晩まで露出されて。そうした最中に、ファンと直接触れ合いたいって話がまた持ち上がったんです。パレードができなかったので(笑)。

──それはどうしたんですか。

当時、渋谷の公園通りのPARCOの横が駐車場だったんですが、そこに4tトラックを入れてステージにして、ファンを呼び込んだラジオの公開生放送をやったんです。2日くらい前に告知したにも関わらず、大変な人数が集まって、最終的には駐車場が人でぎゅうぎゅう詰めで、ものすごいことになってました。

来日してからというもの、毎日何かしらのことがあり、ニュースにもなり、こっちがパニックという感じでした。よく、スポーツ紙でバーンと出て、テレビのワイドショーでその話題が取り上げられるパターンがあるじゃないですか。そのひな型を作ったのがマライアだったような気がします。あと、もう一個大きいことがあったんですよ。

──何でしょうか。

ディズニーランド行く行かない事件ですね。「マイケル・ジャクソンは貸し切りましたよね」って話から始まって、さすがに貸し切りにはできないけど、なんとかオフの日に行きたいと。

そうなると、当然僕らもマスコミを入れたいので、テレビ局とスポーツ紙にスタンバってもらってたんです。テレビ局なんてヘリを出していて。ディズニーランドの上空で飛んで待ってるみたいな感じでした。ですが、結局本人は行かなかったんです。

──マライア・キャリーの東京ディズニーランド来園は幻になったと。

翌日、“マライア、ディズニーランドに行かず!”って感じで、ヘリからの空撮映像とともにニュースになっちゃったりして(笑)。そうやって突然いろんなことが起きたり、取材対応やらなんやらで、現場の人間にとっては怒涛の10日間でした。そのときは、僕は宣伝担当だったのでその程度でしたけど、そのあと制作担当になってからが、寿命が縮まる話ばかりです(笑)。

──既に怖さを感じます(笑)。

僕がマライアの制作担当になったのが1997年の『バタフライ』からで、そのときはまずアルバムのアートワークが全然完成しなくて、海外からもらう素材が郵送では間に合わないから、それを取りにいくためだけにニューヨークへ人が飛んだりしていました。超短期間で制作作業をしなくてはならなかったので、ほとんど睡眠をとれない毎日を過ごしつつ、社内の各セクションの皆さんにご迷惑をかけて、謝って。追い打ちをかけたのが、プロモーション来日が決まっていたにもかかわらず、来日1週間前に本人の喉が不調ということでドタキャンになったんです。

ただ、某音楽番組への生出演が決まってて、既に“次週はマライア出演”って予告が出たあとだったんです。もう最悪の事態ですよね。関係各所に土下座状態でしたけど、「なんとかしてください」と言われ。じゃあ、来ないなら行くしかないってことで、急遽、ニューヨークへと飛んで、収録することになって。パフォーマンスは収録だったので問題なく終わったのですが、番組MCとのトーク部分は日本時間に合わせてやるという話になったので、深夜、ニューヨークのスタジオと東京のスタジオをつなぐことになりまして。ここからが地獄絵図でした。

──相当な状況でしたか。

まず、今ほど回線状況が良くないので、会話にタイムラグが出てしまって話が噛み合わないんですよ。しかも当時、マライアは寝っ転がってインタビューを受けるスタイルだったので、ソファーに横になってシャンパンを飲みながらトークをすることになっちゃったんです。日本的にはどうかと思っても、誰も何も言えず……。最初はなんか良い感じだったんです。でも、当然日本側からは「寝っ転がってシャンパン飲んで」っていう“ツッコミ”が入りますよね。でもマライアのほうには“ツッコミ”って概念がないんですよね。

さらに、日本のスタジオのほうで展開してる“ツッコミ”も映ってるので、それを見たマライアが怒っちゃって。そこからはもうバトルになっちゃって、一旦休止しましょうってことになったんですが、マライアは楽屋から出てこないし、マライア側のスタッフは怒ってるわ、日本側スタッフも怒ってるわ、番組ゲストの方も怒ってるわで……。つまり、僕以外のそこにいた全員が激怒してるんです。四面楚歌ってこういうことを言うんだなって思いましたね。とにかくひとりで、あらゆる方々に謝りあげるしかない状況でした。そんな感じだったんで、もう失意のどん底で帰国したんですけど、実際のオンエアは編集がうまくて視聴率もすごく良かったみたいだったんです。帰ってきたらみんなニコニコで「よかったねー」って言われて。僕だけが何か釈然としないまま、グッとすべてを飲み込むという、何とも言えない気分でしたね。

ドタキャンはしても、やっぱり騒ぎは起こしたい

──それは思い出したくないですね。でも、マライア・キャリーは、その『バタフライ』から雰囲気が変わりましたよね。

はい、『バタフライ』はマライアが変わった瞬間だったんですよ。トミー・モトーラと別れて自我を出し始めたときで、音楽的にはヒップホップに寄っていった時代だったんです。2種類のジャケットもサウンドも良かったんですけど、ただ、予想したほどは売れなかったです。とは言え『デイドリーム』が200万枚超えで、『バタフライ』が当時120万枚くらいだったので、それでもすごいんですけどね。でも、こんな地獄のような思いをしてヘトヘトになってるなか、「『バタフライ』、イマイチ売れなかったね」なんて言われると悔しかったですね。

そのあと、1998年に『The Ones』というベスト盤で日本洋楽史上最大のセールスを記録して。360万枚くらい売れたんですけど、それで個人的には『バタフライ』の悔しさは挽回できました。ただ、『The Ones』が出る前、1998年の1月に東京ドーム公演をやった『バタフライ』ツアーが、また強力だったんですよ。

アルバム『バタフライ』(1997年)

──もっと強力なことがあったんですか。

マライアが東京をジャックするという企画をやろうって話があったんです。お昼の生放送に出演し、当時できたばかりの新宿の某百貨店の入り口に大きなセットを組んで、ファンが観覧できる形でのラジオの生放送特番イベントに出演し、そのあと渋谷のレコード店でファンイベントをやるという、丸一日東京ジャックのスケジュールを組んだんです。そしたらですね、その日東京はなんと何年ぶりかの大雪になっちゃったんです。あれは、忘れもしない1998年1月15日、成人の日でした。で、マライアが、こんな大雪のなか外に出たくないと言っている、と。

本人がやりたくないとなったら当然できないですし、ライブのために来日してるので風邪でもひかれたら、それこそ申し訳が立たない。こうなったら残念ながら中止です。しょうがないですよね。でも、そのあと僕らはひたすらお詫び行脚。渋谷の公園でお客さんに整列してもらうために雪のなか立っていたスタッフの方は凍傷寸前だったとか……。ごめんなさい……。

ただ、東京ジャックはできなくなったけど、やっぱり騒ぎは起こしたいっていうのはマライア側にあったんですね。それで後日、イベントが中止になった某百貨店に行こうってことになったんです。マライアは買い物しまくり、僕はマライアから商品を受け取って、レジで精算する係りでした(笑)。買っては追いかけ、受け取って、また買っての繰り返し。同じくテレビのカメラマンも追っかけてお客さんも追っかける。マライアが動けばみんな動くので、店内はものすごいことになっていました。そのときマライアが、ハローキティのクッションとともに写った絵柄や、プリクラにもトライしたりと、とてつもなく素晴らしいネタにはなったんですけど、まあ現場は大慌てでしたね。

1998年の来日時に撮ったプリクラ

 
後編へつづく

文・取材:土屋恵介

関連サイト

公式サイト
https://www.sonymusic.co.jp/artist/MariahCarey/

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