ビリー・ジョエル【前編】「『ストレンジャー』『素顔のままで』『オネスティ』は、日本でのライブだけやってくれた」
2021.02.24
2021.01.29
世界中で聴かれている音楽に多くの影響を与えてきたソニーミュージック所属の洋楽レジェンドアーティストたち。彼らと間近で向き合ってきた担当者の証言から、その実像に迫る。
今回のレジェンドは、1月10日が5周忌だったデヴィッド・ボウイ。27枚のオリジナルアルバム(内、4枚をソニーミュージックよりリリース)を残し、69歳という年齢でこの世を去った真のレジェンドアーティストの痕跡を辿っていく。ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル(以下、SMJI)白木哲也が、自身の視点と経験を交えて語る。
後編では、世界中で『レッツ・ダンス』が爆発的なヒットとなった1980年代から、ソニーミュージック移籍第1弾『ヒーザン』を経て、ラストアルバム『★(ブラックスター)』までの流れを、デヴィッド・ボウイ本人との対面エピソードを含めて聞いていく。
デヴィッド・ボウイ (David Bowie)
1947年1月8日生まれ。2016年1月10日没。イギリス出身。1967年、アルバム『デヴィッド・ボウイ』でデビュー。グラミー賞5回受賞、1996年にロックの殿堂入り。ミュージシャンとしてだけではなく、大島渚監督映画『戦場のメリークリスマス』(1983年)などで俳優としても活躍した。2016年に発売されたアルバム『★(ブラックスター)』が遺作となった。
白木哲也
Shiroki Tetsuya
ソニー・ミュージックレーベルズ
ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
マーケティング2部 ゼネラルマネージャー
1993年から洋楽制作本部、2004年からソニー・ミュージックダイレクト、2007年からSMJIに所属。2002年から担当部門でデヴィッド・ボウイに関わる。
──世界的に大ヒットした『レッツ・ダンス』のあとのアルバム『トゥナイト』(1984年)あたりから、ちょっと雲行きが怪しくなっていきますよね。
『トゥナイト』は、『レッツ・ダンス』の延長線上のゴージャス路線で、その余波もあって大ヒットしたアルバムではあるんですが、変化しつづけてきた男が、ある種、初めて変化することをやめたというか。日本では特に『ブルー・ジーン』がノエビア化粧品のCMに使われていたので大ヒットした感はあって、次のアルバム『ネヴァー・レット・ミー・ダウン』(1987年)でさらにそう感じさせました。日本盤には『ガールズ』という曲の日本語バージョンがボーナストラックで入っていて、こんなことまでやらなくて良いのにって感じでしたね。
──本人はそうした喧騒を放棄するように、1989年にいきなりティン・マシーンというバンドを組んで活動するようになりました。
これは今までのボウイの変化のなかでは、実は一番真っ当な変化だったんですよね。ロックの原点に戻ってバンドを組んで、今までの曲は全部捨てて新しいロックンロールをやるんだっていう潔さ。ただ、これが大衆には受け入れられなかった。
──日本ではどうだったんでしょうか。
1992年のNHKホールでのライブを見ましたけど、それはそれでかっこ良かったんですけどね。ただ、ティン・マシーンの曲だけとなると不満の声が出ても致し方ないのかなと。日本ではテレビ出演もありましたけど、どこか痛々しかった記憶がありますね。今やさまざまなアルバムの復刻盤がリリースされたり、再評価もなされていますが、ティン・マシーンだけは、ボウイの歴史から外されてる感じがありますし。
──時代背景も関係あったんですかね。
バンドと並行して、デヴィッド・ボウイとして『サウンド+ヴィジョン・ツアー』をやっちゃうという中途半端さもありました。こっちは過去の曲をやる最後のツアーという触れ込みでしたから、内容は当然グレイテストヒッツ・ツアー。日本は1990年5月に東京ドーム2デイズでしたね。まあ日本は完全にバブルの時代でしたし、そりゃこっちのほうがお客さんは入りますよね。いっぽうで「原点に戻ってロックをやるんだ、過去曲なんてやらないんだ」なんて言っても、そういうのが受け入れられる時代じゃなかった。というか、早すぎたのかもしれないですね。
──長く活動していると必ず来る冬の時代が、デヴィッド・ボウイにも訪れたということですね。
そうですね。でも、1993年のアルバム『ブラック・タイ・ホワイト・ノイズ』をきっかけにして、またボウイらしさが戻ってくるんですね。1990年代はセールス的には振るわなかった時期ですが、時代の一歩先を行こうとするボウイらしさがありました。1995年の『アウトサイド』はブライアン・イーノも参加した実験的作品で、ベルリン的なイメージもありましたし、1997年の『アースリング』では当時の最新のドラムンベースを取り入れ、1999年の『アワーズ』はメジャーアーティストによる初のダウンロード先行発売にトライしたりと、挑戦的だった。そこからの『ヒーザン』だったんです。
──2002年の『ヒーザン』からソニーミュージックでのリリースになったわけですが、当時どんな経緯があったんですか。
2001年にボウイが自身のレーベル、ISOを作り、ソニーミュージックと契約したんです。その第1弾作品として『ヒーザン』がリリースされることになったんですが、これが見事なほどに完成度の高いアルバムだった。アーティストとしての復活点にもなったし、僕にとっても一ファンとしてじゃなく仕事で関わるようになった作品だったので、とても印象深いアルバムです。最初にこのアルバムを聴いたときのことを今でも覚えてますよ。
──そのときはどんな感想がありましたか。
当時の担当者が飛んできて、「白木さん、アルバムの音が来ましたよ! 聴きましょう!」っていうことで、ソニーミュージック本社ビルの角の部屋の会議室に行って、1曲目の『サンデー』を聴いた瞬間、「これだよこれ!」ってガッツポーズでしたね。アルバム全体も緊張感溢れるヒリヒリする感じがあるというか、ボウイ好きにはたまらない内容でした。その最初に聴いたときの感覚、会議室の風景とか、アルバムを聴くといまだに思い出しますね。「ボウイが帰ってきた! しかもこれをソニーミュージックから出せるんだ」っていう喜びがありました。
──それはたまらないですね。
ただ、新作のプロモーションについては困ってました。その当時ボウイはまったく取材を受けてくれなかったんです。写真すらもらえない。そこで、鋤田正義さんが写真を撮るならボウイも動いてくれるんじゃないかってアイデアが持ち上がって、現地に打診したらそれがドンピシャだったんです。フォトセッションのためにニューヨークに行き、僕自身はそこで初めて生のボウイに会いました。
──生のボウイはどうでしたか。
登場のシーンから感激でしたね。僕らがスタジオで待機してたら、階段を彼が上がってくるんです。スローモーションのようにだんだんボウイの顔が出て全身が見えてこっちに近づいて来る……「いやー、カッコイイわ」と(笑)。そのときのフォトセッションの写真が素晴らしくて、マフラーを巻いたカットを全世界のソニーミュージックのパブリシティ用の写真として使わせてもらうことになったんです。(参考記事:なぜボウイはNYを愛したのか。レーベル担当者に聞く、ボウイとNYの深い関係)
最後に鋤田さんが僕らを紹介してくださったのですが、僕としては、初めてご挨拶させてもらうビッグアーティストですし、ちょっと緊張してたんです。でもニッコニコで握手してくれて、ちょっとジョークも言ってくれるような雰囲気で、あまりにもフレンドリーでびっくり。短い時間でしたけど、なんともかっこ良い登場シーンから、ミュージシャンとフォトグラファーの戦いを目の当たりにしつつ、最後のニッコリで「一生ついてきます!」って感じでした(笑)。
──デヴィッド・ボウイ最高! になりますよね(笑)。
なりましたね(笑)。それに、彼は日本のためには動いてくれるアーティストなんだなってことを感じとりました。鋤田さんをはじめ、今まで関わった日本の方々との関係性が、こういったことにもつながっているんだなってわかったんです。その当時、他国はできなくても、日本用にはインタビューを数本受けてくれましたし、先人の皆さんがボウイと日本とをつなげつづけてくれたことを実感し、改めて感謝しました。
──その翌年の2003年に『リアリティ』が出て、さらに2004年には『リアリティ・ツアー』で8年ぶりの来日公演が実現しました。
アルバムのプロモーションの一環で“インタラクティブライブ”をやったのが印象的でしたね。当時のソニーミュージック乃木坂ビルとニューヨークをISDN回線でつないで、ファンの皆さんとボウイとで一問一答を行ない、さらにライブを見るという当時としては画期的な試みでした。
そして、8年振りの来日公演が実現することになり、僕は他部門へ異動することが決まっていたんですが、最後の仕事としてがっつりと同行させていただきました。最初の記者会見がすごく印象的で。泣く子も黙るような厳しく、怖い女性のマネージャーがついていて当日までは結構大変だったんですが、ボウイ本人は当日記者会見に登場した瞬間から上機嫌。日本語が飛び出すわ、記者に逆質問するわ、やりとりがすごく面白かった。僕も今までいろんな記者会見を見てきましたけど、あれだけのスーパースターがこんなに気さくな面白い記者会見やってくれるんだってすごく驚きましたね。(参考:「デヴィッド・ボウイ来日記者会見」)
このときの来日公演は東京2回と大阪1回、どのライブも素晴らしかったです。革ジャンを基調にしたファッションで、ソリッドなロックをやってくれたツアーでした。何より、彼が体を鍛えていたので若々しく精悍だったんですね。ですから、日本公演後のツアー中に心臓発作で倒れたというのが、にわかには信じ難かったです。結果としてこれが最後の来日公演となってしまいましたね。
──そこからはほとんど公の活動がない状態が続きましたが、2013年に『ザ・ネクスト・デイ』がいきなりリリースされましたね。
これは本当に驚きました。一説には引退したという噂までありましたし。まず、2013年1月8日の彼の誕生日に『ホエア・アー・ウィ・ナウ?』が突然配信リリースになったんです。10年ぶりですよ。僕らもまったく知らされてなくて、あの唐突感はすごかった。
「Where Are We Now」
同時に3月にアルバム『ザ・ネクスト・デイ』がリリースされることも発表になったんですが、まずジャケットに驚かされました。1977年の『ヒーローズ』のジャケットのタイトルを消して、ボウイの顔を“The Next Day”と書かれた白い四角い枠で覆い隠すという、過去の自分と決別するかのようなイメージでしたが、アルバムの内容は見事なほどのデヴィッド・ボウイ、「史上最高のカムバック・アルバム」とも称されました。僕らもできる限りのプロモーションをやりあげて、完全復活をアピールしましたね。
──そして、2016年に『★(ブラックスター)』を発表し、ボウイはこの世を去ることとなってしまいました。
2016年1月8日の69歳の誕生日にアルバムが出ることになって、日本にはギリギリでアルバム音源が届いたんですが、これにまた驚かされました。ここにきて、再び違う次元へと変化したんです。ニューヨークのジャズ/クロスオーバーの最先端の人たちと組み、これまでとはまったく異なる音楽性で、タイトルトラックは10分近い壮大な作品。あの年齢にして再びこんな挑戦的な作品を作るとは、やはりボウイはすごいなとうれしく思いました。これも次々と変わりゆく彼の音楽性の新たなスタート地点なんだろうなって思っていたんです。僕らはやるべきことをやり発売日を迎え……しかし、2日後の1月10日に彼が亡くなったという一報を聞いたんです。
──アルバム発売直後だったので、まさかって思いました。
僕にとってはジョン・レノンが亡くなったときくらいの喪失感がありましたね。その後、我々に何ができるのかを考え、彼が最後に届けてくれた『★(ブラックスター)』をできる限り多くの方々へ伝えることしかない、と。当時の担当者が、さまざまなアーティストがSNSで発信した追悼の言葉をまとめたページを作ったんですが、今見てもあのときの衝撃と悲しさが甦ります。そして、あらゆる世代のアーティストたちにこれほどまでに影響を与えていたということに、改めて驚きも感じましたね。(参考:「デヴィッド・ボウイへの追悼コメントまとめ」)
──収録曲『ラザルス』のミュージックビデオが、これから迎えるであろう自分の死を自らが演じるというすごい作品でした。
ミュージックビデオが発表されたのは亡くなる前ですが、亡くなったあとにこの映像を見ると、どうしても結びつけちゃいますよね。ベッドの上で目に包帯を巻いているボウイの姿もそうですし、最後にはワードローブのなかに消えていくわけですしね。
『ラザルス』
ずっとボウイをプロデュースし、ともに歩んできたトニー・ヴィスコンティは、本作のレコーディングに際して、ボウイの病状を告げられていたそうです。つまり『★(ブラックスター)』は、本人も含めてこれが遺作になるということをわかった上で作られたアルバムなんです。すべての人々への遺書となるものを自分の音楽作品として作り上げて、かつ映像も含めて最後の最後までデヴィッド・ボウイを演じた。変化しつづけてきた彼が、亡くなる瞬間までそれをやってのけたわけですね。こんなアーティストほかにいないって思いますね。
──デヴィッド・ボウイこそ、本当の意味での“アーティスト=音楽芸術家”という感じがします。
まさにそうですね。
──では長年のファンでもある白木さんから、これからデヴィッド・ボウイを聴いてみようという人たちに向けて、改めて彼の素晴らしさを伝えるとすると。
すごく単純なこと言っちゃうと、ビジュアルもサウンドも姿勢も生き様もかっこ良い。そのビジュアルも、サウンドも時代とともにどんどん変化していくわけですが、その変容の歴史を改めて知ってからアルバムを聴いてもらえると、さらにボウイの魅力にはまると思いますね。
あと、世界的スーパースターでありながら日本を愛してくれて、日本とのつながりを大切にしてくれたというところもポイントですね。日本のお酒のCMや映画にも出たり、日本で撮影された写真も多数あります。新婚旅行やプライベートでも訪れたり、一時期は京都に家があるんじゃないか説もあったくらい(笑)。“日本を愛したボウイ”という観点から、彼のアーティスト性を紐解いてみるのも面白いかもしれないです。
なにより、前編でも言いましたが、“ほかの人と違っても良いんだよ”っていうことを身をもって体現してくれた人ということですね。それに勇気づけられた人も多いでしょうし、今でもたくさんの人が勇気づけられていると思います。レディー・ガガなどたくさんのアーティストもそう語っていますね。そうした彼の変容の素晴らしさやかっこ良さを、彼のアルバムを順番に聴きつつ、ジャケットや映像を見ながら味わってもらいたいなと思います。
また、2017年に日本で大回顧展『DAVID BOWIE is』が開催され、大きな話題となりましたが、その模様をARアプリで見ることができますから、ボウイの人生、アート、作品をそこから追体験してみるのもいいかもしれませんね。(参考記事:いよいよ発売! 大回顧展「DAVID BOWIE is」スマホ向けARアプリの見どころとは)
『DAVID BOWIE is』スマホARアプリ公式動画
文・取材:土屋恵介
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