CocotamesearchtwitterFacebookSeriesnewsaboutarticlesstorypick up
連載Cocotame Series

担当者が語る! 洋楽レジェンドのココだけの話

ビリー・ジョエル【前編】「『ストレンジャー』『素顔のままで』『オネスティ』は、日本でのライブだけやってくれた」

2021.02.24

世界中で聴かれている音楽に多くの影響を与えてきたソニーミュージック所属の洋楽レジェンドアーティストたち。彼らと間近で向き合ってきた担当者の証言から、その実像に迫る。

今回のレジェンドは、今年ソロデビュー50周年を迎えたビリー・ジョエル。日本ではメロディアスなバラード曲で人気の巨匠がこれまでに世に出した作品群を振り返りながら、彼のアーティストとしての神髄を探る。制作担当を経験し、本人とも対面しているソニー・ミュージックジャパンインターナショナル(以下、SMJI)白木哲也に聞く。

前編では、1971年のソロデビューから、日本でも大ヒットとなった1985年のベストアルバムまでを辿りながら、ビリー・ジョエルの音楽性を考察する。

ビリー・ジョエル (Billy Joel)

1949年5月9日生まれ。アメリカ・ニューヨーク州出身。1971年、アルバム『コールド・スプリング・ハーバー~ピアノの詩人』でソロデビュー。以降、12枚のオリジナルアルバムを発表している。「ピアノ・マン」「ストレンジャー」「素顔のままで」「オネスティ」など、代表曲多数。現在はライブを中心とした活動を行なっている。
 

  • 白木哲也

    Shiroki Tetsuya

    ソニー・ミュージックレーベルズ
    ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
    マーケティング2部 ゼネラルマネージャー

    1993年から洋楽制作本部、2004年からソニー・ミュージックダイレクト、2007年からSMJIに所属。1999~2008年に制作ディレクター、2004年にはアルバム紙ジャケシリーズ制作を担当する。

バーでピアノを弾く生活のなかでできたのが『ピアノ・マン』

Photo by Jim Houghton

──今年、ビリー・ジョエルがソロデビュー50周年を迎えました。彼の作品を発表順に振り返りつつ、お話を聞いていきたいと思います。まずは、1971年のソロデビューアルバム『コールド・スプリング・ハーバー~ピアノの詩人』から、1976年の『ニューヨーク物語』までの初期のビリー・ジョエルについて、順番にうかがいたいです。

最初はバンドで活動していたんですが鳴かず飛ばずで、『コールド・スプリング・ハーバー~ピアノの詩人』(1971年)でソロデビューしたもののこれもまったく売れず……。ビリーの不遇時代ですね。でも、「シーズ・ガット・アウェイ」とか良い曲がいっぱい入っていたんですけどね。実はリリースされた当時のアルバムはマスターテープの回転数がおかしなことになっていて、ピッチが早く、ビリーの声が異様なハイトーンだったんですよ。本人もそれを気に入っておらず、のちに音がきちんと直ったものが再発されました。

アルバム『コールド・スプリング・ハーバー~ピアノの詩人』(1971年)

ビリーはニューヨーク州出身ですが、このように、デビューはしたものの売れなかったため、西海岸に拠点を移すんですね。バーでピアノを弾いて生活費を稼ぎ、そういうなかでできたのがアルバム『ピアノ・マン』(1973年)だったんです。

──『ピアノ・マン』は、初期の名作と言われてますね。

アルバム『ピアノ・マン』(1973年)

ビリーの最初のターニングポイントですね。表題曲の歌詞が、バーに出入りしていた人たちをモチーフにしているんです。登場人物はどこにでもいるような普通の人々。そんな彼らの物語、日常の情景を歌ったところが共感を呼んだんでしょうね。以降、この曲はビリーの代名詞となっていきます。

「ピアノ・マン」

そのほかにも隠れた名曲が多いアルバムです。「僕の故郷」とか、僕がビリーのベスト盤を作るなら絶対に入れたい曲がありますね(笑)。ただ、日本では当時まったく売れなかった。初回盤は『ジョエルの物語』という邦題でした。

──つづく『ストリートライフ・セレナーデ』(1974年)と『ニューヨーク物語』(1976年)も良いアルバムですね。

どちらもほんとに素晴らしいアルバムですよ。『ストリートライフ・セレナーデ』には、今もライブでやることが多い「スーベニア」「エンターテイナー」などが収録されています。

『ニューヨーク物語』は、ライブで欠かせない「ニューヨークの想い」も入っていますし、「さよならハリウッド」「夏、ハイランドフォールズにて」「楽しかった日々」といった隠れた名曲など、本当に良い曲が多くて僕は大好きですね。

アルバム『ストリートライフ・セレナーデ』(1974年)

アルバム『ニューヨーク物語』(1976年)

──初期の作品を聴くと、まさにピアノ弾き語りのシンガーソングライター然としたスタイルですが、ソロになる以前のバンド活動はどうだったんでしょうか。

ザ・ハッスルズとアッティラというバンドですね。アッティラはその後のビリーからは想像もつかないようなハードロック、サイケデリック、メタルサウンドで、アルバムには『フン族の大王アッティラ』(1970年)ってすごい邦題がついてました(笑)。過去の作品を何度か再発したいというリクエストを本国にしたんですけど、一切ダメで。レア音源集の『マイ・ライヴ』に数曲収録されましたが、そこは自分の歴史から消しちゃいたいのかも(笑)。

「ストレンジャー」「素顔のままで」がすべてを変えた

──ビリー・ジョエルの楽曲は、先ほどおっしゃられた通り、“普通”の人々の気持ちを歌うというところに重きが置かれてますね。

まさに、ビリーの歌詞にはストーリーがあるんですね。自分のことはもちろん、身近な出来事が物語になっていて、普通に生活している人々の姿が思わず映像で浮かんでくるような。それがピアノを中心にしたサウンドと美しいメロディで奏でられる。初期は特に、当時流行っていたシンガーソングライター的な位置づけだったと思います。キャロル・キングとかにも通じるものがありますね。

──エルトン・ジョンはもちろんですし、ランディ・ニューマンなどにも通じるものがありますね。

そうですね。ただ、ビリー・ジョエルは「ピアノ・マン」のイメージが強いですが、根っこはロックンローラーなので、ライブではすごくロック色が強くなるんです。アルバムで曲を聴くだけではイメージできないかもしれませんが。

──そこから、1977年のアルバム『ストレンジャー』でブレイク期に入ります。

アルバム『ストレンジャー』(1977年)

『ストレンジャー』ですべてが変わりましたね。日本では、本国よりちょっと遅れて1978年1月発売でした。当時僕は伊豆大島の中学生だったんですが、シングルカットされた「素顔のままで」は買いましたから。洋楽不毛の地、伊豆大島にもビリーが届いていたわけですよ(笑)。

「素顔のままで」(1977年のライブより)

──楽曲にそれだけのパワーがあったと。

このアルバムからフィル・ラモーンがプロデューサーになって、曲もサウンドも洗練されたということもありますが、ヘビーなギターリフが印象的な「ムーヴィン・アウト」から始まって、口笛が哀愁漂わせる「ストレンジャー」、名曲中の名曲の「素顔のままで」とつづく冒頭3曲の完璧とも言える流れとその後も含めて、とにかく全部名曲ですよね(笑)。

「素顔のままで」でブレイクしたと思われている方が多いと思いますが、日本ではその後独自にプッシュした「ストレンジャー」がビリーの日本での大ブレイクに繋がったんです。ビリーの曲はイントロが印象的な曲が多いのですが、「ストレンジャー」の哀愁の口笛、これがばっちり日本人の琴線に触れたんでしょうね。

──日本人は哀愁メロ好きですもんね。

「ストレンジャー」「素顔のままで」「オネスティ」が日本での3大ビッグヒットと言えると思いますが、海外のライブではほとんどやらないんです。でも、日本に来るとやってくれる。以前の結婚相手のことを歌っている曲もあるので本当はやりたくないのかもしれないけど、ビリーは日本のファンがこれらの曲を大好きだってことをわかってくれているんですね。

──そうなんですね。それにしても「素顔のままで」の人気は高いです。

「素顔のままで」は曲も最高だし、邦題も素敵ですよね。原題は「JUST THE WAY YOU ARE」で、アルバムの初回プレス盤では「そのままの君でいて」という直訳的な邦題でした。でも、その後シングルカットすることになり、徹夜で悩んでいたディレクターが、時間ギリギリで出社してきた女性社員の「急いでたからお化粧できなかった~」という声を聞いてハッと閃き、「素顔のままで」の邦題が生まれたそうです。

この曲でビリーは、1978年度グラミー賞の最優秀レコード賞と最優秀楽曲賞を受賞し、そのあと、急遽初来日公演が決まったんです。でも会場が空いてなくて、中野サンプラザのスコーピオンズのライブがある日の昼間ならできるって感じになったそうで。

──その日の中野サンプラザは、なかなか濃い並びですね(笑)。

そうですね(笑)。でも、急遽の形でもこのタイミングで来てくれたのは、日本にとっては大きかった。グラミー賞受賞の直後で、次作が発表になる直前でしたから。翌年の来日公演はもう日本武道館でしたし、貴重なライブになりましたね。

──そして、1978年にアルバム『ニューヨーク52番街』を発表しました。

アルバム『ニューヨーク52番街』(1978年)

『ストレンジャー』につづいて、これだけの名作2枚が1年おきに出たのはすごいですね。全世界的にも日本でも、この2枚がビリー・ジョエルの人気を決定づけました。日本での売り上げ枚数は『ニューヨーク52番街』のほうが多いんですが、これは収録曲の「オネスティ」がポイントだったと思います。

──ネッスル『チョコホット』のCMで使われてましたね。

そう、それでビリーが日本のお茶の間にも浸透し、この曲でビリーを初めて知った方も多かったと思います。収録曲のなかでも、海外のチャートを見ると「マイ・ライフ」「ビッグ・ショット」のほうがヒットしているんですが、日本では圧倒的に「オネスティ」。「オネスティ」の哀愁漂う感じがまた、日本人の琴線に触れたんだと思います。

──「オネスティ」は誰もが知ってる曲になりました。

日本では最も人気がある曲かもしれませんね。このアルバムの原題は『52ND STREET』ですが、『ニューヨーク52番街』という邦題も良いですよね。ビリーと“憧れのニューヨーク”のイメージが合致したというか。「オネスティ」は摩天楼やイルミネーションといった、日本人がイメージするニューヨークの情景に似合うようなピアノの音色とバラードなので、そういったイメージ戦略も成功したんでしょう。

──ビリー・ジョエルは日本に対してどんな印象を持っていたんでしょうか?

1979年の2度目の来日辺りから、ビリー自身も日本通になっていったと、当時のディレクターから聞きました。1981年のツアーでは日本各地を回っていますしね。日本のスタッフの献身的な仕事ぶりや、日本流のおもてなしに触れたことも大きかったと思います。

あと、彼が何よりも好きなのが神戸ビーフ。当時は「毎日でも食べたい」って言っていたようで、今の年齢だと毎日食べられるものかどうかわかりませんけど(笑)、いまだに大好きみたいですよ。『ニューヨーク52番街』というアルバムで、ビリーと日本の距離が近づいたということは間違いないですね。

Photo by Peter Cunningham

“ピアノ・マン”じゃないビリー・ジョエル

──そして、1980年発表のアルバム『グラス・ハウス』では、ストレートなロックのアプローチをしました。

1曲目の「ガラスのニューヨーク」で、ガラスが割れる音からギターのリフが聴こえてきたときはびっくりしました。日本では『ストレンジャー』『ニューヨーク52番街』のピアノバラードが好きな人が多かったと思うので、このロックへの変化は最初戸惑いもあったと思いますが、“ピアノ・マン”じゃないロックのビリーもすごくかっこ良いね、という評判に自然になっていった気がします。

ロック色が強いなかにも、「ドント・アスク・ミー・ホワイ」「真夜中のラブコール」「レイナ」などの曲の歌いまわしは、まさに“ビリー節”です。このアルバムはアメリカでは爆発的に売れました。

アルバム『グラス・ハウス』(1980年)

──収録曲の「ロックンロールが最高さ」で初の全米1位を獲得というのも意外な感じがしました。

いわゆるシンプルなロックンロールなので、これが初の全米1位を獲得するほどの大ヒットシングルになるとは、正直思っていませんでした。でも、こうした作品を作ったのは、ビリーがそもそもロックンロール好きだったこともありますが、やはり固定されたイメージから脱却したいと思っていたんじゃないかと。『ストレンジャー』『ニューヨーク52番街』で大成功したけど、ピアノを奏でるバラードシンガー的なイメージを誰もが持っていましたよね。でも、本当の自分はこれなんだよってところを、ロックに振り切った『グラス・ハウス』で見せつけた。ここもひとつの分岐点でしょうね。

──こうして1980年代に突入するわけですが、1981年には『ソングズ・イン・ジ・アティック』という過去曲のライブ盤を発表して、これもかなり売れましたね。

アルバム『ソングズ・イン・ジ・アティック』(1981年)

初のライブ盤が『ストレンジャー』以前の曲だけを集めた作品で、これがまた良い曲ばかり。僕もそうでしたけど、このアルバムで以前の曲を知った人が多かったと思います。ライブの冒頭で演奏する「マイアミ2017」とか、このアルバムからシングルカットされて大ヒットした「さよならハリウッド」など、昔の曲でもこんなに良い曲があるんだよって示したアルバムですね。

──そのあとが、1982年のアルバム『ナイロン・カーテン』になるわけですが、この作品でも大きな変化が感じられました。

やっぱりアーティストって、どこかのタイミングで周りから求められるものと自分が作りたいものがずれてくるときがあるじゃないですか。ビリーにとっては、まさにこのアルバムがその時期にあたると思います。『ソングズ・イン・ジ・アティック』で一度過去と決別し、“今、まさに作らなければならなかった”のが『ナイロン・カーテン』だったということでしょうね。彼の全部のアルバムのなかで最もメッセージ性が強く、異質なアルバムとも言えます。

アルバム『ナイロン・カーテン』(1982年)

ビリーはそれまではアーティスティックに語られることが少なかったんですが、このアルバムに関しては、アメリカ社会が抱える問題や、今こそ語られなければならない出来事への視点や想いを曲に込めていて、特にベトナム戦争のことを歌った「グッドナイト・サイゴン〜英雄達の鎮魂歌」は大きな反響を呼びました。

これは7分くらいある長い曲なので、日本企画のベスト盤を出すときに、この1曲の代わりに日本での人気曲を2曲入れさせてくれないか? って聞いたことがあったんですが、即NGがきました。どのベスト盤にも必ず収録されていますし、それくらいこの曲は彼にとって重要な曲なんですね。

『ビリー・ザ・ベスト』はいまだに売れつづけている

──なるほど。『ナイロン・カーテン』からシングルカットされた「プレッシャー」は、まさにMTV時代到来のミュージックビデオがインパクトありましたね。

「プレッシャー」

“プレッシャー”を感じる映像の数々でしたね(笑)。あと、ビートルズ的な雰囲気をこれだけ直接的に出したのは初めてではないかと。1980年にジョン・レノンが亡くなったあとに初めて発表されたオリジナルアルバムだったことも関係しているのかもしれませんが、「ローラ」や「スカンジナヴィアン・スカイ」などはまるでジョン・レノンが乗り移ったかのよう。ビリー自身も、「自分にとっての『サージェント・ペパーズ』だ」って語っていましたけど、それくらい彼にとって非常に重要なアルバムなんです。

──重厚な作品を経て、1983年に発表した『イノセント・マン』が、また大ヒットとなりました。

アルバム『イノセント・マン』(1983年)

これは「待ってました」って感じのアルバムでしたね。ドゥーワップやモータウンなど、ビリーが子供のころに聴いていた曲へのオマージュで、自分が影響を受けた音楽にリスペクトを表した作品ですね。とにかくこれは楽曲がポップで、誰でも口ずさめるような曲ばかりです。シングルカットされた曲もたくさんあって、「あの娘にアタック」「アップタウン・ガール」などは大ヒットしましたし、今でも日本でCMに使われたりしていますよね。

──そして、1985年の初のベスト盤『ビリー・ザ・ベスト』がビッグセールスを記録しました。

当時も爆発的ヒットでしたが、これはいまだに売れつづけてるんです。それまでの集大成的な作品ですが、やっぱり『イノセント・マン』の大ヒットがあったからこそビッグヒットにつながったと思います。あと、これも『ビリー・ザ・ベスト』という邦題が良いですよね。

アルバム『ビリー・ザ・ベスト』(1985年)

──原題はただの『GREATEST HITS』だったんですね。かなり『ビリー・ザ・ベスト』ってタイトルが馴染んでますよね。

“ビリー・ザ・キッド”のイメージだったのかもしれませんが、語感、語呂が素晴らしい。ビリーの作品で“ビリー・ザ・〇〇”というタイトルを見かけることがあると思いますが、大元はこれなんです。僕が担当したミレニアムのライブ盤にも『ビリー・ザ・ライヴ』ってつけちゃいました。

──やっぱり邦題の良さってありますよね。

ベスト盤でこういった大胆な邦題のつけ方はあまりないと思いますね。このアルバムは、オリコン洋楽アルバムチャートで13週1位を獲得し、日本で一番売れているビリー・ジョエル作品だと思います。あと、先ほどからちょいちょい話に出てますが、ビリーは日本と海外での人気曲がちょっと違う部分があって、それこそ『ビリー・ザ・ベスト』に「オネスティ」が入ってるのは、今は日本盤だけなんです。スーパースターでは珍しいパターンですね。

──そうなんですか。ベスト盤に「オネスティ」が入ってないと、日本人的には「えっ⁉」ってなりますよね。

海外盤では、「オネスティ」の代わりに「ドント・アスク・ミー・ホワイ」が入ってます。日本盤に「オネスティ」をよくぞ勝ち取ってくれたって思いますね(笑)。当時のディレクターに感謝です。邦題の妙と、日本人が好きなヒット曲がばっちり入っているということも、いまでも日本で売れつづけている要因になっているんでしょうね。

 
後編へつづく

文・取材:土屋恵介

<最新情報>

2021年3月4日まで、ビリー・ジョエル ソロデビュー50周年記念ハイレゾアルバムのプライス・オフ・キャンペーンを実施中。
【対象作品】
<スタジオアルバム>『コールド・スプリング・ハーバー ~ピアノの詩人~』(1971年)/『ピアノ・マン』(1973年)/『ストリートライフ・セレナーデ』(1974年)/『ニューヨーク物語』(1976年)/『ストレンジャー』(1977年)/『ニューヨーク52番街』(1978年)/『グラス・ハウス』(1980年)/『ナイロン・カーテン』(1982年)/『イノセント・マン』(1983年)/『ザ・ブリッジ』(1986年)/『ストーム・フロント』(1989年)/『リヴァー・オブ・ドリームス』(1993年)
<ライブアルバム>『ソングズ・イン・ジ・アティック』(1981年)
<ベスト・アルバム>『エッセンシャル・ビリー・ジョエル』(2001年)/『ピアノ・マン:ザ・ベリー・ベスト・オブ・ビリー・ジョエル』(2004年)
ハイレゾおよびストリーミング視聴・購入はこちら
 
楽曲「ピアノ・マン」をモチーフにしたドラマ『六畳間のピアノマン』(NHK総合)放映中。
くわしくはこちら

関連サイト

公式サイト
https://www.sonymusic.co.jp/artist/BillyJoel/

連載担当者が語る! 洋楽レジェンドのココだけの話