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芸人の笑像

ハリウッドザコシショウ:“誇張モノマネ”の裏にある、ブレないポリシーとストイックなお笑い観【前編】

2021.03.04

ソニー・ミュージックアーティスツ(以下、SMA)所属の芸人たちにスポットを当て、ロングインタビューにて彼らの“笑いの原点”を聞く連載「芸人の笑像」。第6回は、“誇張モノマネ”などの唯一無二の芸風で、お笑い界でも特異なポジションで活躍しているハリウッドザコシショウ。2004年、“3度目の正直”でSMA所属となった彼の歴史と、芸人としてのポリシーとは。

前編では、吉本興業の養成所・大阪NSC時代の逸話や “ハリウッド軍団”誕生秘話などを通して、ハリウッドザコシショウの“頭”の内側を覗いてみる。

  • ハリウッドザコシショウ

    Hollywood Zakoshisyoh

    1974年2月13日生まれ。静岡県出身。血液型A型。2016年『R-1ぐらんぷり』優勝。3月7日に決勝戦が行なわれる新生『R-1グランプリ』で審査員を務める。

どうやったらテレビに出られるかを考えないといけなかった

スキンヘッドに黒のテンガロンハットをかぶり、がっしりとした裸にプロレスラーのような黒のパンツ。ギョロリと目を見開きながら、セリフのようにも擬音語のようにも聞こえる言葉を大声で発して、派手なアクションで動き回る。2016年の『R-1ぐらんぷり』では、勢いのある大胆不敵でアグレッシブなモノマネ芸の数々で、お茶の間を爆笑の渦に引きずり込んで優勝。唯一無二の芸風で、SMA NEET Projectを代表するピン芸人として精力的に活動をつづけているのがハリウッドザコシショウだ。

インタビューの最初に、改めて、なぜ芸人を目指したのかを問うと、「なんだろうな?」としばし考えながら、「お笑い芸人をやるのが面白いからっていうことですよね。特にほかにやりたいことがなかったし……お笑いがやりたかったから」とシンプルに語る。憧れていた芸人を聞いても、「憧れていた?……マイク・タイソンですね」と、いたって真顔だ。「芸歴も長くなりましたね?」と話せば、「紀元前からですからね」と例のギョロリとした目を向けながらまたも真顔。これはボケなのか? 本気なのか?……と戸惑う我々に、ニヤリとした笑みを浮かべるさまも実にハリウッドザコシショウらしい。

そんな彼の芸人としての出発点は、地元・静岡県の同級生とのコンビ、G★MENS。高校を卒業してすぐに相方とともに吉本興業の養成所・大阪NSCに11期生として入所、1993年に芸人デビューを果たす。大阪NSCの同期芸人には陣内智則、中川家、ケンドーコバヤシなど錚々たるメンバーが揃っている。

「ケンコバ(ケンドーコバヤシ)や中川家は仲が良いですよ。ずっと変わらずにね。同門の仲間ですから。だけどケンコバはずるいんですよ。トークスキルも大体、僕と同じようなレベルでやってたんですけど、あるときから急に、芸風がトークに特化したような感じになって売れていったでしょ? あいつ、僕と遊んでるときは『俺は別に何も考えてないよ』みたいなことを言ってるくせに、陰では用意周到に準備してた。大阪吉本時代、あいつの言葉を真に受けてのほほんとしてたら、どんどん取り残されていったんですよね」

そう苦笑いしながらケンドーコバヤシと自分を冷静に比較し、分析するハリウッドザコシショウ。その舌鋒はどこまでも鋭い。

「あいつはネタはやってないけど、僕はネタをやってます。僕はトークができるキャラじゃないけど、あいつはトークができる。ギャグは僕のほうが強いのかな? 元は同じような芸風だったけど、結局、芸人として育ってきた環境も途中から違うようになったから、芸人パラメーター的には全然違うジャンル? になっていった。同門なんですけど、あいつは僕の真裏なんだろうな。だから仲良くできてるのかもしれないですね」

芸風に対する冷静な分析は、ハリウッドザコシショウ自身がライバル的存在にあたると言う芸人にも及ぶ。

「くっきー!(野性爆弾)は、お笑いのジャンル的にほぼ同じなんだけど、そのなかでも流派が違う感じですかね。僕はテクノ的なしつこさがあるんですけど、あいつは宗教的っていうのかな。袖がヒラヒラしてて鳥の仮面をかぶって儀式をやっている外国の邪神教のような頭のおかしさ。でもくっきー!もすごく仲が良いんです。

吉本時代の先輩のバッファロー吾郎A(バッファロー吾郎)さんが、“くっきー!とザコシショウはなぜ仲が良いのか”を考えたらしくて。そこでわかったのが、僕はテクノが好きで、あいつはハードコアみたいなロックが好きっていう違い。やってることはどっちも頭がおかしいんだけど、音楽的なジャンルで言うと違う方向性だから衝突しないんだ! みたいなことは言ってましたね」

勢いのあるインパクトの強い芸の印象と、本人の飄々とした雰囲気に騙されそうになるが、ハリウッドザコシショウはとても冷静にシーンを俯瞰している。多くの芸人がいるなかで自分はどういう芸を磨いていくべきかのビジョンを明確に持っている芸人だというのが、実際に話してみるとよくわかる。失礼を重々承知で「一見、何も考えずに勢いだけでやっている芸人のよう見えますよね?」とぶつけると、口元を少し上げながら真摯な表情でこう答える。

「そうやって僕は自分のプロデュースをしてますからね。何も考えてないんじゃないか? と思われるほうが、この世界は勝ちなんですよ。考えてるヤツは芸人みんなにマークされて、『絶対にこいつよりウケたらぁ!』と思われますけど、考えないヤツだと認識されれば、『適当にやってるんだろうな、こいつ。ウケてもまぐれ当たりだから』と油断する。

例えばTwitterでも、僕はよく夜中にヘンなことをつぶやくんですね。みんなは『アイツ酔って書いてるな』と思うだろうし、よくそう言われるんですけど、違うんです。実はお風呂のなかで、どうやって面白いツイートをしようか? と考えて考えてつぶやいてる。まぁ、お風呂のなかって暇だから(笑)」

徹底したセルフプロデュース術が今の斬新で破天荒な芸につながっているのだが、彼自身がセルフプロデュースを心したのは、2002年にG★MENSを無期限活動停止し、ひとりで活動するようになってからだと言う。

「自分のことを考えるようになったのは、ピン芸人になってからですね。コンビのときはケンコバに騙されたように(笑)、本当に何も考えてなかった。コンビのころからネタもそんなにしっかり考えず、ノリでやってた感じでした。そのままピンになったものだから……そりゃあスベリますよ。ひとりではどうにもこうにもいかないし、同期の連中はどんどん売れてくし、どうしよう? となった。でも、そのときはもう僕は結婚もしてたから、とにかく結果を出さないといけない。売れるしかない。必然的に、どうやったらテレビに出られるかを考えないといけなかったんです」

経験値もあるし、しんどいけどお笑いをつづけたほうがイイ

そこで見いだしたのが、ほかの誰もやらないキャラクターを演じるハイテンションなモノマネ漫談だった。2007年、一芸に秀でたブレイク前のパフォーマーが出演するバラエティ番組『あらびき団』が、彼の芸人人生に最初の光を当てた。

「コンビでやってたときもテンションの高い頭のおかしなネタをやってはいたんですが、ピンで同じことをやってもダメ。『あらびき団』に出るとき、じゃあどうしよう? と思ってやってみたのが、『キン肉マン』のキャラクターのアシュラマンが漫談をやるというネタだったんです」

ダンボールで作ったかぶり物をして、手を何本も背負ったピン芸としてのアシュラマン漫談が生まれたきっかけも、朋友・ケンドーコバヤシとの付き合いからだった。

「吉本時代、ケンコバと“ザコバ”というユニットでライブをやっていたんです。そのときにふたりでキャラ漫才しようと、『キン肉マン』の“はぐれ悪魔超人コンビ”として有名なアシュラマンとサンシャインの漫才と、新日本プロレスの実況解説をやっていた古館伊知郎と山本小鉄の漫才という2本をやったんですよ。まぁどっちもプロレスなんですけどね(笑)。

で、その後、『ケンコバって今はどんなことやってるんだろう?』と気になってYouTubeを見たら、ザコバでふたりでやってた漫才を、ひとり用の山本小鉄漫談に変えてやっていた。俺に許可なく。だから僕は、アシュラマンとサンシャイン漫才のほうをひとり用にアレンジしたんです。それで『あらびき団』のオーディションに受かったんですよ」

放送初回から出演していた『あらびき団』にハリウッドザコシショウのインパクト芸はぴったりハマり、2011年のレギュラー放送終了まで最多出場を記録した。“キング・オブ・あらびき”の称号でも知られるようになり、まさに芸人人生の転機が訪れた。

「まぁ、転機っちゃー転機ですかね。名前は売れましたからね」と彼は飄々と語るが、『キン肉マン』ファンにピンポイントで刺さるアシュラマン漫談をネタにしようという決断には、ハリウッドザコシショウらしい計算もあった。

「そんなにちゃんとではないですけど、計算してたと言えば、してましたかね。周りにはキャラクターになって何かをやるヤツが少なかったからというのもあるし、僕が素の自分で漫談をするよりは、アシュラマンでやったほうが、お客さんの食いつきも良いはず。その思い切ったネタが番組とも合っていたからか、『あらびき団』のエースみたいになりましたよね」

時は少し遡るが、『あらびき団』でのブレイクとともに、ザコシショウにはもうひとつの転機とも言えるタイミングがあった。所属事務所の移籍、すなわちSMA NEET Projectへの参戦だ。1999年、G★MENSが活動拠点としていた大阪・心斎橋筋2丁目劇場が閉館したときに吉本興業を離れた彼らは、上京してワタナベエンターテインメントに一度籍を置いた。しかし、ほどなくG★MENSは活動停止。ワタナベエンターテインメントも離れることになる。

「そのころ一度だけ、深刻に芸人を辞めようと思ったことは確かです。ピンになるかならないかのときですね。なんともしんどくなっちゃってね」

そこでハリウッドザコシショウは一度、漫画家になろうと芸人仲間に漫画の描き方を教わり、出版社に持ち込みに行ってボツにされ、またお笑いの世界に戻ってきた。

「お笑いを辞めなかったというかね……結局、いざお笑いをやらないとなっても、何をやるんだ? と。漫画だったり歌だったり、得意なもので身を立てるとか、普通に働くとか選択肢はあったけど、やっぱりずっとやってきたお笑いには勝てなくて。

経験値もあるし、しんどいけどお笑いをつづけたほうがイイやと思えたのと、SMAのお笑い部門の立ち上げの2004年あたりで、こんなにユルい事務所に出会えたから(笑)、辞めなかったんだろうなと今は思いますね」

自分の思い描いた理想をただ貫けば“勝ち” 

SMAとの出会いも偶然だった。

「ナベプロ(ワタナベエンターテインメント)で一緒だったロビンフットが、クビになったと聞いたんですね。それでどうしてるのかと思って連絡したら、SMAがお笑い部門を立ち上げたと。『ネタ見せもユルいし、別にネタがなくても全然良いところだから、兄さんも来てください』と言われて、なんとなく行った。

そして、担当の平井(精一)さんに履歴書を出して、ネタを見てもらって……からの今。だからね、SMAに入って良かったです。あのとき入ってなかったら、絶対芸人辞めてましたね、『あらびき団』で名前を売る前に。きっとバイきんぐも同じことを言うと思うし、錦鯉もそうじゃないですかね」

SMA NEET Projectに所属して良かった理由も、いたって明確だ。

「やっぱね、一番大きいのは自由にやらせてくれるところだったというのがある。あと、ツンケンしてる人がいない。SMAには、僕と同じように痛手を負った人がめちゃくちゃいるからね。普通、途中から事務所入りするとどうしても、『あいつ途中から入ったくせになんだ!』ってなるんです。僕も経験ありますから。誰とは言わないけど(笑)、急に先輩風を吹かせたりとかね。僕、そういうの大嫌いなんですよ。でもSMAにはそれがないんで」

そして「もうひとつ大事だったのが仲間なんですよね、僕の場合は」とも言う。

その仲間というのが、同じSMA NEET Project所属芸人の有志を集めた“ハリウッド軍団”。結成のきっかけは、SMA所属当初の2005年、ほとんど仕事がないなかで、同じくくすぶっていた後輩のバイきんぐと行なったユニットライブ『やんべえ』だ。

「当時SMAに入ったものの、やることって何もなかったんですよ。事務所ライブに出るだけ。コンビ時代は単独ライブもやっていたけど、ピンになってからはそれもまったくやってなかった。だから、とにかく単独がやりたかったんです。

そこで始めたのが、2カ月に一度のバイきんぐとの合同ライブ。その噂を聞きつけた、今の錦鯉、当時は桜前線というコンビだった渡辺(隆)が、『面白いことをやってらっしゃいますね、お手伝いさせてください』とやってきて、仲間になった。そこからどんどん、ハリウッド軍団の仲間が増えていった感じですね」

今ではSMA同門のバイきんぐ、錦鯉、だーりんず、キャプテン渡辺、桐野安生、フリーからは虹の黄昏らも参戦し、10組以上が集う一大勢力を築いている。ハリウッド軍団のコンセプトも、プロレス好きのハリウッドザコシショウらしい理由がある。

「要は、お笑いの梁山泊なんですよ。やっぱりお笑いにも正統派漫才じゃなきゃいけない、正統派コントじゃなきゃいけないという暗黙のルールみたいなものはあって、そっちはいわゆる正規軍。でも、僕らはそれに従わないアウトロー集団なんです。

プロレス界でもあるじゃないですか。黒い軍団を作りたかっただけなんですね。新日本プロレスで言うなら、BULLET CLUBみたいな。だって、お笑いには教科書がない。正統派はもちろんいてくれて良いけど、それに全員従う必要はないからね」

ハリウッド軍団のメンバーに、新しい芸風で注目を集めるSMA芸人が集まっているのも、ハリウッドザコシショウの芸人としての在り方と、後輩想いでアドバイス上手な人柄が大いに影響している。『M-1グランプリ 2020』ファイナリストとなった錦鯉も、いまひとつ良さを発揮しきれていなかった長谷川雅紀が、ハリウッドザコシショウから「もっとバカを出していけ」とアドバイスされたことが転機になったと語っていた。

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「取材だからそう言ってるだけですよ(苦笑)。別に、そんな大したこと言ってないもん。今はこういうご時世だから行けませんけど、僕は後輩と飲むのはもともと好きなんですよ。バイきんぐや錦鯉とは仕事が一緒になると、このあとメシでも……と。でも、わざわざ呼び出したりってことはしない。なんでかと言うと、バイきんぐや錦鯉はエリートなんですよ、結局。僕が細かいことを言わなくても自我がちゃんとあるから、こうしたい、こうやりたいということが明確にある。そこにちょっと、僕が思うことを付け加えたというだけで。もともと面白いんだから、時間はかかったかもしれないけど、自分の思い描いた理想をただ貫けば“勝ち”なことは明白だったんですよ」

だから「この2組は売れて当然」と断言するハリウッドザコシショウ。

「錦鯉も、M-1最年長ファイナリストなんて言われましたけど、それぞれが前のコンビを解散して錦鯉になってから売れるまでは、実はそんなに時間がかかってない。順調なんですよ。ピンのハリウッドザコシショウになってから売れた僕と、錦鯉になってから売れた彼らなら、僕のほうが時間がかかってますからね」

 
後編へつづく

文・取材:阿部美香
撮影:塚原孝顕

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