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連載Cocotame Series

THEN & NOW 時を超えるアーティスト

佐野元春インタビュー:「アーティストはタイムトラベラーだと僕は考えている」【後編】

2021.06.15

  • ソニー・ミュージックダイレクト
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日本の音楽シーンで存在感を放ち、時代を超えて支持されつづけるレジェンドアーティストをクローズアップ。本人へのインタビューで、過去と現在の活動を辿る連載「THEN & NOW 時を超えるアーティスト」。

今回は、1980年にソニー・ミュージックエンタテインメントの老舗レーベル、EPIC・ソニー(現エピックレコードジャパン)からデビューした佐野元春が登場。デビュー当時の思い出や、41年目に突入した現在も精力的に行なっているライブや楽曲制作に込める思いを語る。

後編では、EPIC※時代からの音作りに対するこだわり、そして長く活動しつづけるアーティストとしての流儀を語る。

※本記事では、特別な表記がない場合は、レーベルの歴史をすべて網羅している総称として「EPIC」と記述。

  • 佐野元春

    Sano Motoharu

    1980年3月21日、シングル「アンジェリーナ」でEPIC・ソニー(当時)よりデビュー。あふれるリリックをロックンロールのビートに乗せ、都会の若者をリアルに描き出した楽曲群は、日本語のポップス、ロックの歴史に革新をもたらした。以来、常に時代を射抜く言葉とビートを探し求め、新たなサウンドを模索しながら、シーンの最前線で創作をつづけている。1992年、アルバム『Sweet 16』で日本レコード大賞優秀アルバム賞を受賞。2004年に独立レーベル“DaisyMusic”を立ち上げ、現在に至るまでコンスタントに重要なロックアルバムを発表、世代を超えて多くの音楽ファンから支持されつづけている。EPIC時代の全アルバムが収録されるCDボックス『MOTOHARU SANO THE COMPLETE ALBUM COLLECTION 1980-2004』が6月16日にリリースされる。

サウンド自体がそのアーティストのメッセージ

©️M’s Factory Music Publishers inc.

──EPIC・ソニーからデビュー後、プロ仕様のスタジオで作業をするようになって、何かしらカルチャーショックのようなものは感じましたか?

良いスタジオでレコーディングできるのは楽しかったけれど、いろいろなことが遅れてるなと思った。

──例えばどういった部分でしょう?

自分がデビューした1980年。国内のポップ・ロックのサウンドはあまりピンときていなかった。レコーディングや編曲の方法、ポップ音楽についての理解、全体的に何か満たされないものを感じていた。

──なるほど。そこで佐野さんはどうしたのですか。

既存の現実と戦うことでは物事を変えられない。何か変えたければ既存のやり方を時代遅れにする新しいことをやれば良いと思った。バックミンスター・フラーの言う通りだ。周りの大人たちはきっと生意気な若者だと思っていたと思う。

──具体的にはどんなところにギャップを感じましたか?

ロックンロールを感覚で知っているかどうか。それに尽きると思う。技術的なことはともかく、音を聴いた瞬間「ウェヘヘイ!」ってなる感覚だ。サウンド自体がそのアーティストのメッセージだ。でも『BACK TO THE STREET』(1980年)、『Heartbeat』(1981年)の初期の2枚はまだあまりうまく表現できなかった。 アレンジャーやエンジニアに任せていたところもあったけれど、これは自分でやっていくしかないなと思った。

──そう考えると、佐野さんにとってEPIC・ソニー時代とは“ソングライターとしての青春期”であると同時に、日本には乏しかったロックサウンドのレコーディング・ノウハウを自力で積み上げていった期間とも言えそうです。

まったくね。でも楽しかったよ(笑)。

自分が関わるすべての表現を自分でやろうと考えた

──レコーディングについては、誰から多くを学びましたか?

吉野金次さんです。 3枚目のアルバム『SOMEDAY』(1982年)を一緒に作りました。彼は当時ロック音楽を知っている唯一のレコーディングエンジニアだった。 とてもクリエイティブで、彼とならユニークなサウンドが作れると思った。このアルバムの制作を通じてレコーディング技術の多くを学びました。

アルバム『SOMEDAY』(1982年)

──そうやって求めていたサウンドのビジョンを共有できたのも、レーベルの持つ自由な気風が大きかったのでしょうか?

そうだね。クリエイティブな部分で必ずしも一致していたわけじゃなかったけれど、若い自分をアーティストとして尊重してくれました。僕のビジョンを受け入れて、自由にやらせてくれた。当時のスタッフの信頼と友情に感謝しています。

──小坂洋二ディレクターは当時を振り返ったインタビューで「アーティスト自身が主張するというのは今では当たり前だけど、当時は珍しかった」「宣伝や営業の手法も含め、従来の手法ではいけないと思った。もっと違うやり方を佐野くんと一緒に見つけていこうとした」という発言をされています。

そうだね、一緒になって新しいことをやってくれた。EPICレーベルにはそれができる若さとエネルギーがあった。 ほかのレーベルが嫉妬するくらい。マーケティングもプロモーションもそれまでにない新しいことをやった。 歌謡曲というメインストリームを倒して、それまでにはなかったポップ・ロックのマーケットを作った。 時代の新しい音楽ファンがそれを求めていた。

──1986年のアルバム『Café Bohemia』あたりからアートワークも急速に洗練されて、いわばコンセプチュアルな印象を強めていきました。

そのころ、国内のロックアルバムのアートワークはあまりクールじゃなかった。 ロックとアートワークが今のようにタイトな関係になかったんだ。 だから自分でレーベルを作ってアートワークはすべてそこでやった。自分が関わるすべての表現を自分でやろうと考えていました。グランドデザイナーは駿東宏。当時、ジャケットのアートワークで言えば、ほかでは信藤三雄が良かった。彼はのちにアルバム『COYOTE』(2007年)のアートワークをやりました。

──アートワークに関して、特に気に入っている作品をあえて挙げるとするならば?

デビューアルバムの『BACK TO THE STREET』、『Café Bohemia』、チェリーパイの『Sweet 16』(1992年)も良いな。あのパイは確か、帝国ホテルのパティシエに依頼して特別に作ってもらった。最近では『BLOOD MOON』(2015年)と『MANIJU』(2017年)。みんな良いよ。

アルバム『Café Bohemia』(1986年)

アルバム『Sweet 16』(1992年)

──今、名前が挙がった『Sweet 16』は、楽曲面でもファンの間で非常に人気の高い作品です。ポップでパワフルな佇まいと同時に、ロックミュージシャンとしての成熟、大人になることへの強い意志も感じさせる内容ですが、このアルバムに関してはどのような思い出がありますか?

『Sweet 16』は1992年リリースの作品で、自分のレーベルから出した初めての“オール・メイド・イン・ジャパン”のアルバムです。その前の『VISITORS』(1984年)、『Café Bohemia』、『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』(1989年)、『TIME OUT!』(1990年)は全部海外に行って、現地ミュージシャンやプロデューサーと一緒に作りました。

アルバム『VISITORS』(1984年)

アルバム『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』(1989年)

アルバム『TIME OUT!』(1990年)

そこで得たノウハウを応用して、日本発のサウンドを発信したかった。『Sweet 16』はその最初のトライアル。アルバムがヒットしてみんな喜んでくれた。あとでその年の優秀アルバム賞に選ばれたと聞いて驚きました。

──え、リアルタイムでは受賞をご存じなかったのですか?

知らなかった(笑)。スタッフが、僕に伝えるのを忘れていたんだと思う。でも率直にうれしかった。多くの人たちに僕の音楽が届いたんだという実感がありました。

──EPIC・ソニー時代のアルバムについてもうひとつ。1999年の『Stones and Eggs』ですが、本作は佐野さんのプライベートスタジオで、ほぼ宅録に近い形で作られています。盟友のTHE HOBO KING BANDと作られた『THE BARN』(1997年)と『THE SUN』(2004年)に挟まれてやや地味な印象もありますが、転換期の雰囲気を生々しく捉えているようにも思えます。

アルバム『Stones and Eggs』(1999年)

『Stones and Eggs』は、自分にとって初めてのHDDレコーディングだった。音楽の需要が落ち込んでレコード会社が思うようにいかなくなった。つまりレコードの制作予算があまり取れなかった。いっぽうではセルフレコーディングの質が上がってきた。そこでプライベートな録音環境を整えて、試しに作ってみたのが『Stones and Eggs』でした。

──実際に取り組んでみて、どんな発見がありましたか?

アナログなバンドレコーディングをやってきた自分にとっては、いろんな限界を感じました。 でもこのときの取り組みが、のちのTHE COYOTE BANDとのレコーディングに役に立ちました。

──時代の変化といち早く向き合って、大胆に身を投じて作る佐野さんのサウンドは、2021年の今聴くとさらにリアルに感じます。

先日、取材で一緒だった片寄(明人)くんもそう言ってくれた。自分ではどうかなと思っていたので良かったよ。

──実際、2000年前後から楽曲制作におけるレコード会社の役割も大きく変わりました。現在の佐野さんからご覧になった、メジャーレーベルの課題とはどういう部分でしょう?

その質問に答えるには時間がかかるし、僕の答えは恐らく、メジャーレーベルが運営するこのWebサイト向きではないと思うな(笑)。

メッセージは曲を受け取ったリスナーがそれぞれに見つけてくれている

──最後に、今後の活動について聞かせてください。活動41年目に入って、最近の佐野さんはさらに創作意欲を加速させている印象があります。

そうだね、そんな感じ。

──昨年は「この道(Social Distancing Version)」「エンターテイメント!」「合言葉 - Save It for a Sunny Day」と相次いで3つの配信シングルを発表。今年4月23日には、疾走感あるポップナンバー「街空ハ高ク晴レテ-City Boy Blue」が配信されました。この新曲にはどのような思いを込めたのでしょう?

いいかげん、コロナに振り回される人生ってどうなんだよ、っていう感じ。

「街空ハ高ク晴レテ-City Boy Blue」(2021年)

──(笑)。次のアルバムの内容はもう見えてきましたか?

あともう少し! もうすぐファンのみんなを迎えに行きたい気分(笑)。何曲かレコーディングしたけれどまだ満足していない。次のアルバムは新しいTHE COYOTE BANDを聴いてもらえると思う。そこに向けてフォーカスを絞ってます。

THE COYOTE BAND ©️M’s Factory Music Publishers inc.

──既に配信リリースされている4曲を聴くと、アレンジはバラエティに富んでいますが、ひとつの共通項として、ある種の軽やかさが感じられます。そのサウンド自体、コロナ禍を生きるリスナーへのメッセージのようにも思えるのですが。

この状況で重い曲は出せません。

──そうですね。そう思います。

配信リリースされた4曲。メッセージは、曲を受け取ったリスナーがそれぞれに見つけてくれていると思う。僕はただ感じたことをメロディと言葉に置き換えて、バンドで演奏して歌うだけ。そこにあまり意味を込めたりしない。

2021年3月13日『ヤァ! 40年目の武道館』より。©️M’s Factory Music Publishers inc.

──では、ポップミュージックの世界で年齢を重ねて、成熟していくことを、佐野さんはどのように捉えていますか? ポップスターとしてそこに葛藤はあったりしますか?

どうだろう。僕は、アーティストというのはタイムトラベラーだと考えています。曲作りの過程で少年にもなれるし、老人にもなれる。現実の自分が何歳かということは、自分にとってはあまり意味がない。

──先日の武道館ライブのMCでも、「自分の人生に必要なのは音楽、そしてライブ」と力強く宣言されていました。コロナ禍を乗り越えたあとがどんな世界になっても、その信念は変わらない。

そう。それがすべてです。

──アルバムの完成がますます楽しみです。

ありがとう。今年の秋か冬くらいには、新作アルバムを発表できれば良いなと思っています。もしそれがかなわない場合は、また新曲をシングルで出していく。今のTHE COYOTE BANDは最強だよ。

 

文・取材:大谷隆之

最新情報

『MOTOHARU SANO THE COMPLETE ALBUM COLLECTION 1980-2004』
2021年6月16日発売(完全生産限定盤)
 
CD BOXセット(CD25タイトル29枚/紙ジャケット仕様)+約400ページの特製ブックレット
 

 
特設サイト:http://www.110107.com/sano_collection(新しいタブで開く)

予約・購入はこちら(新しいタブで開く)
 
【収録CD】
<オリジナル・アルバム>
『BACK TO THE STREET』(1980年)
『Heart Beat』(1981年)
『SOMEDAY』(1982年)
『VISITORS』(1984年)
『Café Bohemia』(1986年)
『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』(1989年)
『TIME OUT!』(1990年)
『Sweet 16』(1992年)
『The Circle』(1993年)
『フルーツ』(1996年)
『THE BARN』(1997年)
『Stones and Eggs』(1999年)
『THE SUN』(2004年)
 
<ライブ・アルバム(※カッコ内は初リリース年)>
『ROCK & ROLL NIGHT LIVE AT THE SUNPLAZA 1983』(2013年)
『LIVE 'VISITORS' 1985』(2014年)
『HEARTLAND』(1988年)
『THE GOLDEN RING Motoharu Sano with the Heartland Live 1983-1994』(1994年)
『THE BARN LIVE '98』(2021年)
 
<コンピレーション・アルバム>
『No Damage』(1983年)
『Moto Singles 1980~1989』(1990年)
『スロー・ソングス』(1991年)
『No Damage II』(1992年)
『The 20th Anniversary Edition 1980-1999 his words and music』(2000年)
『GRASS~The 20th Anniversary Edition’s 2nd~』(2000年)
『Spoken Words~Collected Poems 1985-2000』(2000年)

関連サイト

公式HP:MWS
http://www.moto.co.jp(新しいタブで開く)
 
公式Twitter:佐野元春Web-MWS
https://twitter.com/MotoWebServer
 
公式Instagram:hellodaisyheads
https://www.instagram.com/hellodaisyheads/(新しいタブで開く)
 
YouTube:佐野元春‐DaisyMusic
https://www.youtube.com/user/DaisyMusic/featured(新しいタブで開く)
 
公式Facebook
https://www.facebook.com/motoharusano(新しいタブで開く)

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