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芸人の笑像

コウメ太夫:破天荒な芸風と控えめな人柄が共存する、類まれなる自然体【前編】

2021.07.29

ソニー・ミュージックアーティスツ(以下、SMA)所属の芸人たちにスポットを当て、ロングインタビューにて彼らの“笑いの原点”を聞く連載「芸人の笑像」。第8回は、白塗りの女形スタイルでシュールなネタを繰り広げ、お笑い界で唯一無二の存在感を放つコウメ太夫。SMA初のブレイク芸人とも言われ、以降一途に「チクショー!!」と叫びつづけてきた。今や理解や理屈を寄せつけない孤高感すら漂うベテラン芸人の胸の内を聞く。

前編では、エンタメ界を目指したきっかけや、劇団員を経てフリーの芸人になるまでを語る。

  • コウメ太夫

    Koume Dayu

    東京都出身。血液型O型。身長176㎝。特技:マイケル・ジャクソンふうのダンス(2013年に神奈川県相模原市で行なわれた“第1回ムーンウォーク世界大会”のお笑い部門で準優勝)。7月28日にスタートしたSNSドラマ『対決落語 supported by Yay!』(毎週水曜・日曜配信/全6話)に出演中。

2005年、“エンタ芸人”として一夜にして売れっ子に

最近、お笑い界で最も勢いのあるもののひとつに“SMA芸人”という言葉がある。人気バラエティ番組『アメトーーク!』でも特集され、今や“第7世代”に次ぐホットワード的存在になっている感もある。この『芸人の笑像』もこれまで、強烈なインパクトのキャラクターが目白押しの“SMA芸人”の生の声を届けてきた。そのなかでも、まさに孤高の存在と言えるのが、コウメ太夫。一度見たら忘れることができない芸人だ。

コミカルな白塗りの化粧とチープな日本髪カツラ、花魁もどきのド派手な女形姿で、扇子を手にして♪チャチャカチャンチャン~と、素っ頓狂な裏声でお囃子を歌いながら舞台を動き回る。そこから繰り出されるネタの内容も、独特だ。「〇〇〇かと思ったら~、×××でした~、チクショー!!」といった、意味があるようでまったくないセリフが炸裂。「だからどうした!」と視聴者が思わずツッコミながらつい笑ってしまう“スベリ芸”ギリギリのひと言漫談の数々は、脳裏に焼きついて離れない魅力を放っている。

そんなコウメ太夫がお茶の間に降臨したのは2005年。リズムネタ、ショートコント、ショート漫才など、スピーディで軽妙なお笑いで人気を博したお笑い番組『エンタの神様』に、当時は“小梅太夫”の芸名で“エンタ芸人”としてレギュラー出演、大ブレイクを果たす。のちに、当時の月収は400万円だったというコメントが話題になったほど、一夜にして売れっ子芸人となった。

ネタは、どれもこれもボロクソに言われて、まったくうまくいかなかった

「『エンタの神様』で、本当に運命が変わりましたよね。あの番組がなかったら、僕はきっと芸人を辞めてましたよ」

そう語るように、『エンタ』以前のコウメ太夫は誰からも見向きもされない超マイナー芸人。2004年に平井精一が立ち上げたSMAのお笑い部門に、バイきんぐ、だーりんず、錦鯉らにつづいて、“貴けんだー”というコンビのひとりとして所属を決めたコウメ太夫だったが、入所早々にコンビは解散。途方に暮れていた時期だったと言う。

「相方とうまくいかなくてコンビを解散したんですけど、当時、平井さんには『きみはピンでやるのはちょっと……』と言われてました。『えー、そうなの? マジか!』と思って相方を募集したんですけど、誰も組んでくれない。すごいショックを受けましたよね(笑)。

それで、仕方なくピンのネタを考えなきゃなと思って、作家さんにネタ見せをするんですけど、どれもこれもボロクソに言われて、まったくうまくいかなかった。僕は凹みやすいんで、あーどうしようかな、やっぱりもうつづけるのは無理だなぁ、と思って、『もう芸人は辞めます!』って事務所に言ったんです」

だが、そんなコウメ太夫を救ったのは、ピン芸人は向いてないと本人に告げていた平井本人だった。

■SMAの平井精一が当時を語る関連記事はこちら
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「平井さんが、別の作家さんにネタを見てもらったらどうだ? と声を掛けてくれたんです。SMAの事務所ライブはレベル別で、お客さんの投票によってレベルが上がる仕組み。もちろん僕は、びりっけつのほうにいたし、舞台にもほとんど出してもらえないくらいのレベルで。今でもそのレベルは、おそらくびりっけつのままじゃないかと思うんですけど(笑)、そんなにデキない芸人を引き留めてくれるところなんて、なかなかないじゃないですか。

そのあとの1~2カ月で“チャンチャカチャンのチクショー!!”を考えて新しい作家さんに見せたら評価された。平井さんから電話がかかってきて、『きみ、あのネタなら上のほうに上がれるよ』って言われました。そしたら、その“上のほう”っていうのが事務所ライブじゃなく、『エンタの神様』になっちゃったんですね(笑)」

『エンタの神様』に出演が決まったのも、信じられないほど突然の出来事だった。

「急に、テレビのネタ番組のオーディションがあるからと言われて行ったら、次の日が収録だと言われたんですよね……。『エンタの神様』がどんな番組で、何をすれば良いのかも知らないで受けたオーディションだったので、『まさか!』と。翌日はもう収録。寝ないでネタを練習しましたよ」

そこで完成したのが、現在の芸風。ネタの締めを「チクショー!!」に統一する、出囃子と名乗り口上を加える、台詞をリズム良くし、決めセリフの「チクショー!!」をもっと大声で言う……といった細かいアドバイスを受け、今の芸は、そこでほぼ完成。ほかにはないネタを披露する、唯一無二の芸人・コウメ太夫が誕生し、その破天荒な芸風を、彼は、15年以上貫き通すことになる。

「あのとき、SMAを辞めなくて良かったなとホントに思いますね。最初にダメを出してくれた作家さんがいたから、ネタも変えられた。今思えば、あれは自分が変わるキッカケを与えてくれた、天の声だったんだな。当時は『嫌だ嫌だ、何言ってんのこの人?』と思ってましたけど(苦笑)」

もともとは学校の授業でも、先生の言ってることが何ひとつわからなかった

そもそも、コウメ太夫が白塗り・和服という出で立ちを見出したのは、彼の波瀾万丈な経歴があったからだ。芸能プロデューサーの父、元女優の母という芸能一家に育った彼は、子どものころに見たマイケル・ジャクソンに憧れ、エンタテインメントの世界に入りたいと願うようになった。「マイケルのようなエンタテイナーになりたい」という思いは強く、少年時代はジャニーズ事務所に履歴書を送ったこともあるという。

「もともと学校の授業でも、先生の言ってることが何ひとつわからなかったから置いてきぼり。周りからはバカだバカだと言われつづけていた」と言うコウメ太夫。一度は大学に進んだものの中退。20代の彼は「人前で歌いたい、歌手になりたい!」という夢に一歩近づける道として、25歳で大衆演劇の雄・梅沢富美男劇団に入団した。

「歌手のオーディションをいくつ受けても受からなくて。そんなときに知ったのが、梅沢富美男劇団だったんですね。舞台に出て歌が歌えるかもしれない、もしかしたら梅沢さんのようにCDを出せるかも?……なんていう理由で、2年半くらいですかね? 月に20日は地方公演に出て、ホテル泊まりで全国を回ってました。250公演くらいは出演したと思います。

この白塗りも、梅沢さんや劇団のお兄さん方から教わって。芝居も教えてもらって、ちゃんと役者として舞台にも出させてもらっていたんです。女の人にお金を使いすぎて、最後は破綻するアホな旦那役とか、龍神の神の子役とか(笑)。当時あった大阪中座の公演では、出だしで歌を歌って、その僕の歌で梅沢さんが踊ってくれたこともありましたね」

マイケル・ジャクソンのようなエンタテインメントと、日本ならではの大衆演劇は、かなりかけ離れているとも思われるが。

「いざ劇団に入ってみると、当時の梅沢劇団は、座長も和と洋を合体した新しいものをやりたがっていましたし、若者にも興味を持ってもらえる要素を取り入れていたんです。だから、マイケル・ジャクソンも役立ちましたね。お兄さん方が舞台でダンスもやっていたから、僕もダンスを習ったりしてました」

順調な劇団生活だったが、そこでコウメ太夫はふと自分が本当にやりたかったことを思い出すようになっていた。

「このまま梅沢富美男劇団にいて良いのかな? と考えるようになったんですね。当時はお給料もちゃんといただけてましたし、ときどき、上の方から結構な額のお小遣いをもらえたりもしていたんで、十分生活できたんです。でも僕には、エンタテイナーになるという夢があった。お金も欲しいけど、夢も叶えたい。だから思い切って劇団を辞めさせてもらったんです。

でも、今さら歌をやるのは、ライバルもいっぱいいるし、そもそもどのオーディションも不合格だったくらいなのでとても無理。そういや、昔はユニークな子供だと言われて、面白いことを言ってふざけていたなと思い出したんですね。だから、お笑いをやってみようかなと。単純ですよね(笑)。お笑いなら歌手よりも競争相手が少ないのかな? と思ったんですけど……やってみたらそんなことはなくて、焦ったんですけどね(笑)。『これは道を間違った! でもまぁいいや……』と、フリーで芸人を始めたんです」

2005年にSMAに入所するまでも、紆余曲折はあった。

「たまたまおふくろとマセキ芸能社の社長が仲良しで。で、息子がお笑いをやりたがってるというので、当時組んだコンビでマセキにネタ見せに行かせてもらったんです。だけど、舞台に出てもひとつもウケない。単なるコネなんだから当たり前なんですけど、最後はマネージャーに“もう来るな!”くらいの勢いで怒られて……。事務所入りは諦めて、またフリーになりました。

そのあとですね、“アベくん”という相方とコンビを組んだころに、あのソニーミュージックがお笑いを始めた、どうやらオーディションなしでも入れるらしい……というのを聞いて、あまり気乗りのしない相方を引っ張って、履歴書を出しにいったんです。そのときは、僕はほとんどのお笑い事務所のオーディションを受けていて、全部ダメだった(笑)。もうここしかなかったんですね。それが、2005年の5月とかだったかなぁ」

 
後編へつづく

文・取材:阿部美香
撮影:塚原孝顕

関連サイト

コウメ太夫 公式HP
https://sma-owarai.com/s/beachv/artist/n023?ima=0953
 
Twitter
https://twitter.com/dayukoume
 
YouTube
コウメ太夫のちゃんちゃかチャンネル
https://www.youtube.com/user/shotti01
 
コウメ太夫のクックショーDIRT1600チャンネル
https://www.youtube.com/channel/UC0-bl1zmCvGuOvHvhbC7bbw
 
Instagram
https://www.instagram.com/koumedayu/

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