イメージ画像
イメージ画像
連載Cocotame Series
story

THEN & NOW 時を超えるアーティスト

郷ひろみインタビュー:「順応しつつオリジナリティを出す。その“ファインライン”を探っている」【後編】

2022.03.25

  • Xでこのページをシェアする(新しいタブで開く)
  • Facebookでこのページをシェアする(新しいタブで開く)
  • LINEでこのページをシェアする(新しいタブで開く)
  • はてなブックマークでこのページをシェアする(新しいタブで開く)
  • Pocketでこのページをシェアする(新しいタブで開く)

日本の音楽シーンで存在感を放ち、時代を超えて支持されつづけるレジェンドアーティストをクローズアップ。本人へのインタビューで、過去と現在の活動を辿る連載「THEN & NOW 時を超えるアーティスト」。

今回は、今年8月に歌手デビュー50周年を迎える郷ひろみ。昨年より“50周年イヤー”と銘打ってさまざまなプロジェクトを展開し、4月からは、その山場のひとつである全国ツアーがスタート。第一線で活躍をつづける唯一無二のシンガーが、これまでの道のりと時代との向き合い方を語る。

後編では、ソニーミュージックでの50年を振り返りつつ、“郷ひろみ”たらしめるルーツを明かす。

  • 郷 ひろみ

    Go Hiromi

    1955年10月18日生まれ。福岡県出身。血液型A型。1972年8月1日、シングル「男の子女の子」でCBS・ソニーより歌手デビュー。「よろしく哀愁」(1974年)「お嫁サンバ」(1981年)、「2億4千万の瞳 -エキゾチック・ジャパン-」(1984年)ほか、ヒット曲多数。

良い時代に僕はデビューした

“HIROMI GO CONCERT TOUR 2021"Beside The Life" ~More Than The Golden Hits~”より

――(前編(新しいタブを開く)からつづく)ここからは過去にフォーカスしていきたいと思います。郷さんはデビューから50年、ずっとソニーミュージック所属ですよね。

そうなんですよ。僕がデビューしたときはまだCBS・ソニーと言っていたころで、40代になったばかりくらいの大賀(典雄)さんが社長になられたばかりでしたね。

――同じレコード会社に長くいらっしゃることで、何か独特なものが生まれたりしていますか?

いやー、どうなんだろう。あのころはもう今とはまったく時代が違いますからね。年間、シングル4枚くらいは平気で出していましたし。ま、それだけ、素晴らしい曲、素晴らしい詞が次々と生まれていたんですよね。だから今、思うのは、本当に良い時代に僕はデビューしたんだなということ。あのころじゃなければ、歌謡曲と言われるヒット曲の数々は生まれていないし、残ってもいかなかっただろうなと。

10代で「よろしく哀愁」(1974年)、20代前半で「セクシー・ユー(モンロー・ウォーク)」(1980年)、「お嫁サンバ」(1981年)、20代後半で「2億4千万の瞳 -エキゾチック・ジャパン-」(1984年)、そして、30代中盤あたりからバラードと、良い作家の方たちにたくさんの良い曲を提供してもらいました。今の時代では、こんなふうに残すのは難しいですよね。

[official] 郷ひろみ 「セクシー・ユー(モンロー・ウォーク)」 LIVE -サブスク解禁記念-

――今は求める音楽が細分化されて、日本中の誰もが歌える流行歌というのは、なかなか生まれにくくなりましたね。それがあった時代、その渦中で活躍されていたということが、今の郷さんのベースになっていると。

素晴らしい作家さんたちと出会うことができて、そして、今でも新しい方たちに曲を書いていただけてるというのは、本当に幸運なことだと思います。

――50年間の音楽活動のなかで、特に印象深い出来事を聞かせていただけますか?

「郷ひろみ」のコンセプトは、ソニーミュージックの有名プロデューサーとしても知られた酒井政利さんが、最初からずっと考えてくださっていました。当時僕は15歳で右も左もわからない。デビュー曲がどうして「男の子女の子」なのかもわからないわけですよ。もしかしたら、作詞の岩谷時子さんが僕のことを、「男の子? 女の子?」と酒井さんに聞いたのかもしれないですよね。

――独特の千里眼のようなもので、酒井政利さんが郷さんに相応しいイメージをすくい上げていらっしゃった?

はい。「男の子女の子」から「よろしく哀愁」みたいなものにイメージをシフトさせていくことも、酒井さんが僕のことをずっと見てくださっているなかで出てきたものだと思います。

――そういったイメージから生まれる楽曲とともに、郷さんは育っていかれた。

育てられましたね。楽曲をいただくたびに、「これを歌える自分になっていかなきゃいけないんだな」というふうに思っていました。そちらのほうが多かったんじゃないかな。

――ご自身の意見をしっかり伝えられるようになったのはいつごろからですか?

僕はいろんなことに興味があったので、割と早くから言ってたんですよ。デビューして2、3年経ったころには、自分の希望をどんどん言うようになりましたし、ちょっと疑問に思うことがあると「どうしてですか?」と食いついていく場面もありました。

一番忘れられないのは、やっぱり「お嫁サンバ」が出来上がっていく過程です。最初にサウンドだけを聴いたとき、僕は素晴らしい曲だなと思ったんです。

でも、それがシングルになると決まって歌詞ができてきたら、「1、2、3バ、2、2、3バ……」。まさに「なんだこりゃ!」だったんですよ(笑)。酒井さんに、「これはないんじゃないですか?」とも言いました。でも、酒井さんなりの持論があって、「この曲を明るく歌えるのはあなたしかいないんです」と説得されました。それでも僕は、こんなマイナーキーの曲を明るく歌う必要があるのかなと思ってたんですよ。でものちに、「お嫁サンバ」は結婚式の定番ソングとなって、そして今でも人々に愛されつづけてる。酒井さんに対して「この人はどうしてそれがわかったんだろう?」ってずっと思ってましたよ。

その、「お嫁サンバ」を歌って、「なるほどな」と思った経験があるからこそ、「GOLDFINGER’99」(1999年)では、もう全部「アッチッチ」で攻めて良いんじゃないかと思いました。

GOLDFINGER'99/HIROMI GO CONCERT TOUR 2021 “Beside The Life” @Rexxam Hall

――日本語詞を手掛けたのは康珍化さんでした。

康さんが書かれた歌詞には、もうちょっと英語が多かったんです。あとから知ったんですけど、康さんって歌詞を直さない人なんですよ。でも、当時の僕はそんなこと知らないから、「いやー、ここは『アッチッチ』の連発でいきましょう」と言って、それを貫きました。

何かの仕事で次に久しぶりに康さんにお会いしたとき、「今回は直さないからね」と冗談とも本気ともつかない感じで言われて、「えっ、何のこと?」と思ったんですけど、よくよく考えたら「ああっ!!」と(笑)。

――耳に残る歌詞というのは、最初に見たとき「ん?」となるものなのかもしれませんね。

そうですね。だから、自分では書けないんですよ。自分で書いてたら100%カッコ良い歌になってしまう。それでは「お嫁サンバ」は生まれなかったわけです。でもその経験が、「GOLDFINGER’99」につながった。だから、僕はツイてるんですよ。ことレコーディングだけでも、そういうたくさんのエピソードがありますね。今、シングルが106枚? でしたっけ? ってことは、カップリングを合わせるとその2倍は最低でも楽曲があるわけですから。自分はそういう時代にデビューし、育ってきたアーティストなんだなとつくづく思います。

自分自身に一生懸命しがみついている

――今、振り返ると、本当に特別な時代でした。

あの、昭和という“土の時代”に育ってこなかったら、今ある僕のモチベーションや心根は、もうとっくに失われていたのかもしれません。お袋はすごく厳しかったですからね。親からたくさんのことを教えられて、それを、いわゆる生きる指針として素直に……いや、どうかな……でも、素直だったんだろうな……に聞いてきたわけです(笑)。“土の時代”に生まれたからこそ、今の自分がいるんだろうなとは思いますね。

――西洋占星術で言うと、今は“風の時代”ですもんね。

まさにそう。カーシェアリングとかシェアスペースといったものに代表されるように、いわゆる所有しないという考え方の時代。どんどん転職することだって当たり前ですしね。もちろん、“風の時代”が悪いっていうわけじゃないんですよ。ただ、“風の時代”の人たちに“土の時代”のことを言っても、もうわからないだろうなとは思います。でも、それで良いんです。だからこそ、僕は良い時代に生まれ育ってきたんだなと今、思います。

――偶然その時代に生まれたということが、郷さんの礎になっていると?

礎。そう、精神性ですよね。今、それを言っても「何言ってるの?」で終わっちゃいますけどね(苦笑)。僕と同世代の人たちは、“土の時代”と“風の時代”のどちらの良いところも悪いところも見てきているので、ある意味幸せな世代かもしれませんね。だから、嘆く必要もない。

ただ、そういう自分のベースやオリジナリティをわかりつつ、今の時代を生きていかなきゃいけないわけで、だから、僕は、自分自身に一生懸命しがみついているんです。常にそこに戻りますね。今の時代に生きられるかどうかは、オリジナリティと時代性との間の“ファインライン”を見付けられるかどうかなんですよ。

――郷さんは、歌手としてだけでなく、俳優としても活動されてきましたが、そのバランスはどのようにとっていたんでしょうか。

例えば、この期間コンサートが入ります、会場押さえますとなったら、スケジュールはその1年、2年前には決まってしまうんですね。そして、そのために新曲をリリースする。すると、そのプロモーションで取材を受けたり、テレビやラジオの出演が増える。というふうにどんどんスケジュールが膨らんでいくので、当然歌手として活動する割合が多くなっていきますよね。でも、僕にとって歌を歌うことは演じることでもあるので、今は歌手、今は俳優といった特段の区別はないんですよ。

“HIROMI GO CONCERT TOUR 2021"Beside The Life" ~More Than The Golden Hits~”より

歌を歌うときも演じていないと、どこかルーズな、緊張感のないものになってしまうんです。例えば、歌いながら指を鳴らすときでも(実際いろいろと位置を変えながら指を鳴らして)、どこで止めるのが一番良いかを考える。つまり自分のなかで見せ方の形を作っているんですね。それも、ひとつの形だけではなく、曲に合わせたさまざまなパターンを用意しておく。そうやって考えることは、演じることと同じだと思っているので、そこは、俳優であっても、歌手であっても差異はないんです。

――どんな場合でも、見る側にとってのベストなプレゼンテーションをする。それが郷さんにとっての一番の“仕事”ということでしょうか?

はい。僕はそう考えています。もちろん、もっと細かく具体的に言っていけば、役者でいるときと歌手でいるときの違いはいろいろ挙げられると思うんですけど、大きなくくりとしてはそうですね。

コツコツやることで何かが実る

――今年8月に活動50周年を迎え、51年目に突入します。未来に向けて、今、イメージされていることはありますか?

ショウというのは、毎回毎回、毎年毎年違うんですね。冒頭で、過去のものと比較するということをお話ししましたけど、毎回、既に見せたものとは違うものを作っていかなきゃいけない。この先もそこを大事にしていきたいです。

ただ、自分の頭のなかでこうしたいと思い描いていても、照明にしても音響にしても、テクノロジーは次々と進化していく。ある日まったく想像もつかなかったものが出てきたりするので、そこに常に即応できる自分でいないとなと思います。繰り返すようですけど、やっぱり大事なのは心の柔軟性ですね。どんなものがやってきても大丈夫っていう状態を作っておくためには。

“HIROMI GO CONCERT TOUR 2021"Beside The Life" ~More Than The Golden Hits~”より

――それが、長く歩んでこられている秘訣なのかなと。

いや、必死なんですよ(苦笑)。結果的に長くなったというだけでね。たぶん、これまでも、そんなに先のことは考えてこなかった気がするんです。ただ、コツコツやることできっと何かが実るだろうということは思っていました。それもまた、昭和という時代を生きてきたからこその考え方なんじゃないですかね。

この小さな変化がいつか大きな変化を生むはずだと、そんなふうに信じていた気がします。いきなり大きな変化って生まれないんですよ。本当に積み重ね、積み重ね。そうやって何年もやってきて初めて、ある日、あるタイミングで、グンと変わるときがくる。だから、「こんなことを?」と思ってもそれを愚直に積み重ねていくことが大事なんだろうなと。そこは怠らないでやっていきたいです。だから、そんな先のことまで考えてないんですよ(笑)。

――ふと振り返ったときに「ああ」と思うことがあるんでしょうか。

そう、変化を実感するときがあります。それは積み重ねをずっとしてきてない人には見えないんですよ。昔、20代のときに定期的にアメリカに行っていたんですが、「これは時間がかかるな」と思いましたよ。現地で歌のレッスンやダンスのレッスンを受けるたびに、「腰据えてやらないと無理だ」と、溜め息が出るほどに。でも、僕がそう思ってたことは人にはわからないです。「郷さん、アメリカに行ってどうでしたか?」と、人は一瞬でその結果を求めようとしますから。

僕が「この結果はきっと、10年、20年先に出てくる」と思ったところで、人は10年、20年待ってくれないですから(苦笑)。でも、僕はそう思いつづけていました。そして、それは思った通りでした。ずっと積み重ねてきたんですよ、僕を。だからわかるんです、いかに積み重ねが大事かが。

――こうして50周年を迎えられたのはその結果なんですね。

昭和という“土の時代”に生まれ育ったことで、我慢のできる人間だからなのかもしれません。外側をこしらえるのは簡単なんです。でも、それだけではつまらない。「なかは空洞じゃん」ってある日気付くんですよ。なんとか中身のある自分にならなきゃ、と。そこから一生懸命同じことを何度でも繰り返す。すると、それがどんどん自分に染み込んでいって、いつの間にか中がちゃんと埋まってくる。そうやって作る基礎が重要なんです。基礎は応用できる。基礎を疎かにすると加減上手にはなれないですからね。僕はそれを身をもって経験してきました。だから、この先時代が変わっても、この自分の在り方は変わらないと思いますね。

文・取材:藤井美保

最新情報

“Hiromi Go 50th Anniversary Celebration Tour 2022~Keep Singing~”
日程:4月17日~10月28日
詳細はこちら(新しいタブを開く)

 

関連サイト

公式サイト
https://www.hiromi-go.net/(新しいタブを開く)
 
オフィシャルミュージックサイト
http://www.hiromigo.com/(新しいタブを開く)
 
twitter
https://twitter.com/hiromigostaff(新しいタブを開く)
 
Instagram
https://www.instagram.com/hiromigo_official/?hl=ja(新しいタブを開く)
 
YouTubeチャンネル Hiromi Go Official YouTube Channel
https://www.youtube.com/channel/UCNqlZCafj9fqb9lEChEvDhA/featured(新しいタブを開く)

連載THEN & NOW 時を超えるアーティスト