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連載Cocotame Series

THEN & NOW 時を超えるアーティスト

大江千里インタビュー:「最初から変化しつづける音楽小僧だった」【前編】

2022.06.27

日本の音楽シーンで存在感を放ち、時代を超えて支持されつづけるレジェンドアーティストをクローズアップ。本人へのインタビューで、過去と現在の活動を辿る連載「THEN & NOW 時を超えるアーティスト」。

今回は、2023年5月のデビュー40周年に向けて、アニバーサリーイヤーに突入した大江千里。1983年にデビューし、数多くのヒットソングを世に出したポップアーティストから一転、2008年に渡米し、47歳でジャズの大学に入学。現在はニューヨークを拠点にジャズピアニストとして活動する彼へのインタビューで、時代もジャンルも超えて活躍してきた大江千里のアーティスト生活を振り返る。

前編では、学生とアーティストを両立させたデビュー期から、人気絶頂のポップアイコンだったころの状況や心境をリアルに語る。

  • 大江千里/Senri Oe

    1960年9月6日生まれ。大阪府出身。1983年5月21日、シングル「ワラビーぬぎすてて」、アルバム『WAKU WAKU』でEPIC・ソニーよりデビュー。現役の大学生とシンガーソングライターを両立していた。ポップ感あふれるルックスと楽曲で、時代のアイコンとなる。「REAL」「格好悪いふられ方」「あいたい」などヒット曲多数。現在は拠点をニューヨークに持ち、ジャズピアニストとして活動中。2022年6月22日、初のシングルコレクション『Senri Oe Singles』をリリース。

ジャズもポップスも手を繋いでる

――デビュー40年目に突入された心境から聞かせてください。

5月25日に、最新のジャズアルバム『Letter to N.Y.』(2021年)のアナログ盤と、1988年のアルバム『1234』に収録されていた楽曲「Rain」の7インチシングルを同時にリリースするという素敵な企画ができて、6月22日には初のシングルコレクション『Senri Oe Singles』をリリースしました。

『Letter to N.Y.』(完全生産限定盤アナログレコード)

『Rain』(完全生産限定盤アナログレコード)

Senri Oe Singles ダイジェスト -Disc-1-

僕は今、ジャズピアニストとして活動はしているけど、音楽を愛する人間として、“ジャズもポップスも手を繋いでる”という心境で演奏する仕事ができています。そういう意味では、今、とても幸せだなっていう気持ちでいますね。率直に言って、40年ってすごいなという感慨深さもあります。

先日、僕のレーベル、PND Recordsで一時期インターンをしてくれていた学生のコンサートで演奏を手伝うために、再び通っていたジャズ大学の門をくぐったんですね。久しぶりに、20歳ぐらいの人たちのなかに入って演奏することになった。自己紹介で「47歳のときに2度目の大学生を始めようと思って、この学校に入学したんだ。今、62歳だよ」と言ったら、「OH!」って驚いてくれた人たちは、40年前の自分と同じ年齢なんだよね。

2016年、ブルーノート東京での公演より。

――デビュー当時のご自身と重なって、そのころを思い出したりしましたか?

しましたね。当時、僕はまだ関学(関西学院大学)の大学生で、北堀江にあった大阪のソニーミュージックの営業所に行っていたのを覚えてます。まだ本当にデビューできるかどうかもわからないというときに、顔を出してた程度で。そこで、スタッフの方に「君もこれからデビューするんだから、俺たちと一緒に飯食いに行こうぜ」って誘ってもらったあの日が、つい最近のように感じるんですよね。今、その過去がすごく色濃く甦ってきていて。1983 年のデビューの年は、巡り巡って、意外に今、最近の出来事のように新鮮に思えるというか、近いと感じるというか。惑星のようにぐるぐる回っている感覚で、単純に、40年前=遠い出来事という感覚ではないなって思いますね。

――学生とミュージャンを両立されていて、「日本一忙しい大学生」と言われていたりしました。

リバーシブルでしたね。大村憲司さんプロデュースで音楽を作って、東京の六本木スタジオや信濃町スタジオで録ったカセットテープを神戸に持って帰って。それを、関学の学生会館で軽音学部の連中と一緒にウォークマン®で聴いたりして。「ドラム誰なの? 林立夫! 良い音してんじゃん」「ベースが後藤次利? チョッパー、良いね~」みたいな、生意気な会話をしていました(笑)。学生がプロの人たちに混じって、いろいろと経験させてもらってましたね。そこで仕入れた音楽の“ネタ”を、関学の仲間とシェアしたりしてました。

「日本一忙しい大学生」と言えば、オリコンの取材で荻野目洋子ちゃんと対談したことも思い出します。荻野目ちゃんは、当時堀越高校の学生で、「日本一忙しい高校生」って言われてて。「我々は今、学生とエンタテインメントとの間を行ったり来たりしてる。リバーシブルライフなんだよね」っていう記事を作ってもらった。本当にその言葉通り、敷居を跨いで、行って戻って、行って戻ってを繰り返してました。それを身軽にできたことが幸せだったし、どんなに忙しくても両側から楽しんでいた。体力的にも、発想的にも、楽しめていたというのが、いまだに覚えているインプレッションですね。

ディープサウス大阪の実家、大学のある神戸、そして東京

1stアルバム『WAKU WAKU』(1983年)

――「大変だった」よりも、「楽しかった」という記憶のほうが強いんですね。

そうですね。ティーン誌の取材で、「飛んでください」なんて言われて、当時、エピックがあった青山一丁目のツインタワーの高い場所で、ポンとジャンプしたところを撮影してもらったり。そこから電車を乗り継いで、東京駅から新幹線に乗って、大阪の最寄り駅に停めてある自転車の鍵の施錠を解いて、田んぼを走って。実家の部屋に着くのは、もう夜中の1時とか。「さっきまで、東京の青山でスタッフに囲まれて飛んでたんだな」なんて不思議な気持ちになりながら、ヘッドホンでレコードを聴いて寝て、翌日の午前9時にまた関学に行く。

だから、デビュー曲の「ワラビーぬぎすてて」や、1 stアルバム『WAKU WAKU』(1983年)に収録されてる「天気図」なんかは、プロとアマチュアの両方に居場所があるからこそ感じる、ひと粒で2度おいしいお得感とか、もうすぐ大学生活が終わる切なさとか、まさに学生ならではの最後の時間が詰まってますね。

また、僕の場合は、3つのキーステーションがあって。ディープサウス大阪の実家、大学のある神戸、そして、新大阪を経由しての東京。あと、活動を始めたころは、2週間に1回、STVラジオでレギュラー(『サンデージャンボスペシャル』内の「千里のポパイズ・カレンダー」のコーナー)をやらせてもらっていた札幌っていうのもあって。自分の知らない世界が、パチンコ台で大当たりが出たように開いて、いろんな玉が流れ込んでくる感じだったんですよね。それを全部、つかんでやるぞっていう貪欲さがあったし、毎日毎日新しい人に出会える刺激もあった。斎藤誠さんとか、村田和人さんとか、プロのミュージシャンの友達が増えていく楽しさもありました。

どこかで爪痕を残したいと思っていた

――本当につい最近の出来事のようにありありと思い出せるんですね。

うん、「BOYS & GIRLS」(1984年)なんて、名古屋から新横浜を越えるときくらいに、新幹線のなかで小さいキーボードを使って書き上げましたね。

「BOYS & GIRLS」が収録されている2ndアルバム『Pleasure』(1984年)

修学旅行生がいっぱい乗ってきて、わーって騒いでるなか、ひとりだけヘッドホンして、“♪二日続きのHOLIDAYは”で転調して、最後“ラストは君と”まで作ったところで、「次は東京~東京~」っていう車内アナウンスが流れて。「できたできた」って言いながら、慌ててキーボードをしまって、駅におりて、そこから電車を乗り継いで、銀座線でエピックに向かう。そしたら待ち合わせしていたエピックの人に「QR(文化放送)にタクシーで移動するよ」って言われて、「え? タクシーに乗せてもらえるんですか? ルンルン~」みたいな。まさに『ルンルンを買っておうちに帰ろう』ですよね。

――(笑)。1982年に出版され大ヒットとなった、林真理子のデビューエッセイ集のタイトルですよね。大江さんのキャッチフレーズ「あたしの玉子様。スーパースターがコトン‼」を作ったのが、林真理子さんでした。

当時はコピーライターをされていました。今や直木賞作家であり、歴史物も書かれていて国民的大作家ですけど、当時の印象は、心が躍るものを瞬間にキャッチしてそれを切り取り、第三者にわかりやすく伝えるのが天才的。とにかくお会いするたびに会話が楽しくていつも笑ってました。デビュー後に、青山一丁目の交差点かどこかでばったり会ったことがあったんだけど、そのとき、僕がステンカラーのコートを着てたから、エッセイに「やっぱり大江千里はポパイ少年だった」って書いてらしてうれしいような恥ずかしいような(笑)。

僕自身は、汗と涙でぐしょぐしょになりながら、泥まみれで走っているようなところがあったんだけど、そんな僕でも彼女が持ってるフィルターを通して客観的に見るとポパイ少年になっていた。トークショウでもご一緒したりできて、良い時期にジョイントすることができた経験は、素晴らしいものだったと思います。

――1976年にシティボーイ向けのファッションカルチャー誌として創刊した『POPEYE』になぞらって“ポパイ少年”と呼ばれたり、ポップアイコンとして見られていたのは、ご自身は嫌ではなかったですか?

いやいや。自分もどこかで爪痕を残したいと思ってましたから。自分の音楽を聴いてもらうためには、ジャンプもするし、「ワラビーぬぎすてて」をカラオケで歌うときには音源がフェードアウトのエンディングだったので、しゃがみながら自身も小さくなって消えてフェードアウトもする(笑)。でも、林さんは最初、間違えたんですよ。当時、エピックにDREAMS COME TRUEを担当していた若手のディレクターがいたんですが、彼がすごいハンサムだったから、彼と僕が並んでると、彼を指差して、「この子でしょ! 大江千里は‼」って(笑)。

――(笑)

「すみません、こっちの僕が実は大江千里です……」って謝ったりして(笑)。あのころは、ベイ・シティ・ローラーズみたいな折り返しがチェックのチノパンを履いたりしてました。だから、僕は、拳をあげて歌うような男性ロックアーティストじゃない、新しいポップアーティストを目指しました。ボストンメガネをかけて、プレッピーで、汗の匂いがしない。入り口はライトな感覚のところから切り開いて、中身が面白い音楽を作っていれば、新しい層に向けてアピールできるんじゃないだろうかって、10代のころからずっと考えていたアイデアを、周りのスタッフにぶつけまくってました。

それで、“大江千里DJパーティー”というキャンペーン名を書いた大きな看板と音楽を持って、みんなで、鹿児島だ、広島だ、札幌だ、旭川だ、小樽だって移動してました。大江千里の音楽をひとりでも多くの人に聴いてもらおうっていう思いだけで全国を飛び回ってました。それが、すごく楽しかったですね。

中編へつづく

文・取材:永堀アツオ

©PND Records & Music Publishing Inc.

リリース情報


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関連サイト

デビュー40周年プロジェクト スペシャルサイト
https://www.110107.com/s/oto/page/Senri40?ima=0759
 
PND RECORDS & MUSIC PUBLISHING
http://peaceneverdie.com/
 
note公式:senri garden
https://note.com/senrigarden

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