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THEN & NOW 時を超えるアーティスト

大江千里インタビュー:「最初から変化しつづける音楽小僧だった」【中編】

2022.06.28

日本の音楽シーンで存在感を放ち、時代を超えて支持されつづけるレジェンドアーティストをクローズアップ。本人へのインタビューで、過去と現在の活動を辿る連載「THEN & NOW 時を超えるアーティスト」。

今回は、2023年5月のデビュー40周年に向けて、アニバーサリーイヤーに突入した大江千里。1983年にデビューし、数多くのヒットソングを世に出したポップアーティストから一転、2008年に渡米し、47歳でジャズの大学に入学。現在はニューヨークを拠点にジャズピアニストとして活動する彼へのインタビューで、時代もジャンルも超えて活躍してきた大江千里のアーティスト生活を振り返る。

中編では、EPIC・レコード(現、エピックレコードジャパン)のレーベルメイトたちとの関係性やプロとしての苦悩などを明かす。

  • 大江千里/Senri Oe

    1960年9月6日生まれ。大阪府出身。1983年5月21日、シングル「ワラビーぬぎすてて」、アルバム『WAKU WAKU』でEPIC・ソニーよりデビュー。現役の大学生とシンガーソングライターを両立していた。ポップ感あふれるルックスと楽曲で、時代のアイコンとなる。「REAL」「格好悪いふられ方」「あいたい」などヒット曲多数。現在は拠点をニューヨークに持ち、ジャズピアニストとして活動中。2022年6月22日、初のシングルコレクション『Senri Oe Singles』をリリース。

「千里、千里」ってかわいがってくれた

前編からつづく)――当時のEPIC・ソニーは、大江さんから見てどんな雰囲気でしたか?

僕はちょうど大沢(現・大澤誉志幸)さん、(ストリート・)スライダーズさんとほぼ同期なんです。僕と大沢さんがデビューした、1983年5、6月ころは、レコード店の店頭に回転して絵柄が変わるポップを飾ってもらって。僕の宣伝文句は、「こんにちは、大江千里です。ファーストキッチンのパンプキンパイ。ラポンペールのチーズケーキ。これ、なんだか知ってる? ぜーんぶ、千里が好きなものさ。関西学院大学の4回生なんだって。ポップにデビュー」なんていって、蛇腹が自動的にクルクル回ると、今度は「大沢誉志幸、クールにデビュー」に変わる。レコード店に行くと、蛇腹が回転の途中で引っかかってて、ポップな大江千里のまま、大沢誉志幸のクールな目だけになってたりして。近付いていって、直したりとかしてましたね(笑)。

僕が、“大江千里DJパーティー”と書かれた大きなキャンペーン用の看板を抱えながら、当時のレーベルの担当と「ただいま!」ってエピックに戻ってくると、今度デビューする渡辺美里さんが打ち合わせをしていたり、大先輩の河合夕子さんが、「千里さん、身体壊してない?」って心配して声をかけてくれたり。地下のうどん屋に行くと、シャネルズのメンバーの皆さんが食事をされていて、マーチン(鈴木雅之)さんが、「この間、デビューしたんだよな。スタッフから聞いてるよ。頑張れよ」って声をかけてくれたりして。

――ジャンルは違ってもアーティスト同士の交流があったんですね。

初期はそうでしたね。内海美幸さんという演歌歌手の方もいらして。今、ニュージーランドにいらっしゃるんだけど 、Facebookで繋がって。「千里くんどうしてるの? 元気?」っていうやりとりを今も変わらずさせてもらってます。社長や専務にも、廊下やトイレで会うと「頑張ってよ。エピックの将来を背負うんだから」って言われたりしました。そんなふうに、偉い人も「千里、千里」って同じ目線で僕たちをかわいがってくれて、毎晩のように飲みに連れて行ってもらったりもしました。

プロデューサーの小坂(洋二)さんが行きつけの三軒茶屋の店、“ダック”に、僕とデスクの女性と、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドのメンバーの方と一緒に行ったこともあって、プロとはなんぞやのレクチャーを受けたありがたい記憶もあります。宇崎竜童さんには別の機会に、「千里くんの詞が好きなんだよ」って褒めてもらったりとか、音楽の深い話を何度もさせてもらったり、部活のノリで、先輩後輩もなくプロの世界に自分も混ぜてもらっているのがむちゃくちゃうれしかったし楽しかったですね。僕は一番年下で、神戸から来たおしゃれなつもりを演出していてもバレバレで、「お前は神戸というよりも、どっか大阪っぽいんだよな」って先輩方に愛を込めて言われながら(笑)、後ろからちょこちょこ必死にみんなのあとをついて行ってましたね。

ブレイクしなかったらどうしよう

――それが、1983年から1984年のことですよね。6枚目のシングル「十人十色」がヒットして、1985年にリリースした3rdアルバム『未成年』はオリコン5位になりました。

『未成年』(1985年)

TBSラジオで松宮さん(アナウンサーの松宮一彦。平日の深夜12時からの音楽番組『SURF&SNOW』を担当していた)が「十人十色」をかけてくれて。そのあと、深夜1時からの自分のラジオ番組『スーパーギャング』に入る準備を別室でしてるときにオンエアが流れて「次にブレイクするのは大江千里だよね」ってどなたか音楽評論家の方と話してくださってるのを聞いて、「えー、松宮さんたち、そんなことオンエアで言っちゃって。ブレイクしなかったらどうしよう」ってドキドキしながらもやっぱりうれしかったのを覚えてます。

その次のシングルが「REAL」だったんだけど、“リアルに生きてるか/誰にも邪魔されず/憎む全てが消せなくて/泣いたりしていないか”というフレーズがどうしても書けなくて。一口坂スタジオに「おはようございます」って入っていって、ボーカル録りをスタッフが待ってるなか、最後の何行かができてないものだから、トイレの個室に駆け込んで。「憎む全てが、憎む全てが」って何度も繰り返しながら、「泣いたりできないか……泣いたりしていないか、できた!」みたいな。

――大学を卒業し、プロのシンガーソングライターになって、生みの苦しみも味わったんですね。

本当に曲ができない、歌詞ができないっていう悩みはありましたね。周りには、この世界の天才ばっかりがいて。(中島)みゆきさんもユーミン(松任谷由実)さんもすごすぎるし、小田(和正)さん、(南)こうせつさん、伊勢(正三)さん……実際に自分がプロの世界側に入ると、昔聴いてたときよりも何百倍も手が届かないくらいすごい人たちばかりで、なんでああいう曲がきちんと書けないんだろうって思いながら、本当にそれでもチャンスがあるのだからとだましだまし、その世界にちぎれそうになるいかだの木片をくくりつけて、片手で溺れないように捕まりながら、作っていた節があリます。

“リアルに生きてるか”の歌詞で本当に良いのかな? みんな引かないかな? って迷いながらレコーディングしたけど、聴いて「千里くんのその言葉で救われました」なんて言ってくれる人がひとり出てきて、ふたり出てきて。そこで勇気をもらって、また性懲りもなく新たに曲を作って。今、そういう曲たちが、ストリーミングライブで「ジャズふうでも良いからやってください」ってリクエストしてもらえたりするんですよね。たくさんの人の心にそうやって残ってる曲を作った瞬間が一個も消えないでここにある。全部、ビビッドに覚えてます。

――つづいてリリースされた、「YOU」(1987年)や、アルバム『1234』(1988年)収録の「Rain」はいろんなアーティストがカバーしていて、今も歌い継がれています。

大江千里 - Rain (2022 Remastered) -Official Audio-

学生時代のストック曲は2ndアルバム『Pleasure』(1984年)でとっくになくなっちゃって。「YOU」の“コンコースをぬけだすのさ”は、青山一丁目の駅をマネージャーに手を引っ張られて、上がったり下がったりして、半蔵門線から銀座線に乗り換えるっていう、僕から見た東京の「すごいなあ」という景色を書きました。「Rain」はテレコに歌いながら一気に録音して作ったのを覚えてます。“Ladyきみは雨にけむる”、カチャ、“すいた駅を”、カチャ、“少し走った”、カチャって。カセットに“どしゃぶりでもかまわないと”って入れて、途中で止まったらまたそこから上へ書き込むように録音して、だいたい15分くらいで全部あのままの状態ができた。だから上書きの「カチャ」がなければ、できなかった。MDだと「うんにゃ」で多少時差が出てインスピレーションが逃げちゃいますもんね。カセットだからできた曲なんですよね。

『未成年』のあとに、『AVEC』(1986年)、『OLYMPIC』(1987年)、『1234』とアルバムをリリースして、あっという間に最初のベスト『Sloppy Joe』(1989年)。そのあたりでドラマに出演して、映画にも出て。映画『スキ!』のテーマ曲として「あいたい」(1990年)を書いて、ドラマ『結婚したい男たち』主題歌の「格好悪いふられ方」(1991年)があって……。そのころには、僕はニューヨークに気持ちが半分いっちゃってました。

いまだに花火のようにスパークしてる

――『Sloppy Joe』がオリコン2位、9thアルバム『APOLLO』(1990年)がオリコン1位、「格好悪いふられ方」が2位と、絶好調のときですよね。その時期に、既にジャズに気持ちがいっていたのが意外です。そんななかで、役者として映画やドラマに出演していた心境を聞かせてもらえますか。

僕がデビューしたエピックというレーベルは、大江千里という新しい音楽の芽、命を全身全霊で守って、俺たちが育てるんだって意識をずっと注いでくれている人たちの集合体だったんですよね。「わっしょい、わっしょい」と神輿の上に乗っけてもらって。でも、ポップの世界、つまり、コマーシャルの世界っていうのは法則があって。次から次に新しい芽は出てくるわけです。やがて僕は、自分で自分を担いでいかないといけない時期が来るわけです。

そういうときに、たまたまチャンスがあって、ドラマや映画に出たり、NEC の「98NOTE」やSUZUKI「カルタス」といったCMに出演させてもらった。そのころエピックの丸(丸山茂雄)さんが僕のところにきて、「大阪に出張に行ったんだけどさ、新大阪の駅に降りるとさ、ドン! と大きい看板に千里がいてびっくりしたよ」って言うので、「そんなびっくりしないでくださいよ、僕は一生懸命に走ってるんですから」って。だけど、丸さんをはじめ、スタッフはみんな、千里はどこまで走っていくんだろうって感じてたんだと思う。吉本新喜劇の「わしゃ、止まると死ぬんじゃ~」じゃないけど(笑)、もう止まれなかったんですよね。

Photo by Tracy Ketcher

――1作目の映画『君は僕をスキになる』(1989年)の脚本は野島伸司さんでしたね。

その前年に出演した初の連続ドラマが、『君が嘘をついた』(野島伸司の連続ドラマの脚本家デビュー作)でした。野島伸司さんには「大江さんは、大江千里という素材を自分でプロデュースして、今、時代を動かしている。どうしたらそうやって、たくさんのものを回していけるんだ」って長電話の最中聞かれたことがありました。いや、僕は回してるんじゃなくて、もういかだが流れて、海まで行こうとしちゃってるから、そのいかだにつかまって乗っかって、溺れないようにしているだけだよって言ってました。自分ではもうその動きを止めようがなかったから、止まるまでは行くしかないかなって。

映画『君が僕をスキになる』は、加藤(雅也)くん、くにちゃん(山田邦子)、(斉藤)由貴ちゃん、僕の4人で主演だったからまだ良かったけど、その次の『スキ!』は僕が主演になっちゃって。大規模なお正月映画で、こけると全部、僕にかかってくるというプレッシャーもありました。そのころはもうヘトヘトでしたね。でも、時代は時代で、次の新しいもの、“渋谷系”へと向かっていってました。

――ヴァージン・メガストアやHMVといったレコード店の日本第1号店ができたのが1990年で、そのあたりから渋谷系ブームが始まったと言われてます。

意地悪く、「もうあなたは時代の先端にはいないってことを自分でわかってるよね?」って直に言ってくる評論家もいました。僕は、実力的にはこのままではダメだから、ニューヨークで何か具体的に見えないけれども鍛え上げて、0からもう一度始めなきゃいけないってことを自分で認識していたんですが、屋台骨を築いてきた大江千里というブランドをここで閉めるわけにはいかないっていう強い意識が自分にありましたね。

だから、決死の覚悟で、それまで行ったり来たりしてバランスを取ろうとしていたニューヨークのアパートを1994年くらいに引き払い、日本に完全に戻って、大江千里をもう1回突き詰めるために自分の音楽と格闘しました。それが、30代から40代の頭くらいまでだったんですが……29thシングル「夏の決心」(1994年)をリリースしたあとくらいですかね。もう、10代で開眼したジャズをやりたくてやりたくて仕方なくなってきた。これをつづけるとか、こうあらねばいけないとかではなくて、10代のころの“音楽が大好きで発想が自由”だった、あのころの “小僧”の自分をもうここへ来て止めることはできなくなっていました。

大江千里/ Senri Oe 『Poignant Kisses』

結局、ジャズをやらない限りは死ねないって気持ちになって、47歳のときにすべてをストップさせて、ジャズミュージシャン、ジャズピアニスト、コンポーザーになるためにアメリカに渡りました。今は、コロナによってジャズだ、ポップスだと言うことさえももうそんなの自分のなかでは大した区別がなくなって、「生きること自体が職業だ」というような感覚になっています。ジャズメンなんだけども、音楽を愛している人たちの息吹きを感じながら、今も走れる喜びのなかにいて。しかも、“大江千里ポップ”っていう花火も、ジャズっていう花火もまだ落ちきってない、まだ消えきってない。

今やっと、10代のころにやりたかったジャズだったり、音楽家としてやらなきゃいけないことをやれてるんだけど、ここに来るまでに、あまりにたくさんのことが起こりすぎて、いまだに僕のなかではいろんな出来事が花火のように自分の目に映る空でスパークしてるんです。あの、横浜スタジアムで上がった花火の最後の雫がまだ落ちきっていない状況のままで62歳になろうとしてる。(渡辺)美里さんに「ちょっと待ってよ。俺、まだ23とか27とかの感覚が残ってるよ。そんなこと言ったらいじめる?」なんてLINEをすると、「いじめないよ~」って返してくれました(笑)。

――まだ、恒例だったスタジアムライブ『納涼千里天国』の花火があがってる最中なんですね。

そうですよ。雨の『納涼千里天国』のときに、「YOU」の“離さない離さない”のところで、コーラスの濱田“Peco”美和子さんとステージの高いところですれ違って、最後の“WOO~WOO~”で、滑り棒でストンと一瞬のうちに地上ステージまで降りるという演出があったんだけど、僕たちが雨で滑らないように、滑り棒のところにセミみたいにしがみついて、布巾で一生懸命ふいてくれている舞台監督の星野さんの姿が、イントレ(舞台装置の足場)で交差する最中に見えるわけです。その瞬間の映像、「決めのところまでに滑り棒にたどり着いてしまう! 星野さーん」って思ってるときの緊張が、まだ残ってますよね。でも滑り棒が濡れててももう落ちるしかない。そんな命をかけていた瞬間の鮮やかな映像がすぐそこにあるような感じで思い出せます。

後編へつづく

文・取材:永堀アツオ

©PND Records & Music Publishing Inc.

リリース情報


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関連サイト

デビュー40周年プロジェクト スペシャルサイト
https://www.110107.com/s/oto/page/Senri40?ima=0759
 
PND RECORDS & MUSIC PUBLISHING
http://peaceneverdie.com/
 
note公式:senri garden
https://note.com/senrigarden

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