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連載Cocotame Series

THEN & NOW 時を超えるアーティスト

TUBEインタビュー:「TUBEがやっているのはジャパニーズ・カントリー」【前編】

2022.08.02

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日本の音楽シーンで存在感を放ち、時代を超えて支持されつづけるレジェンドアーティストをクローズアップ。本人へのインタビューで、過去と現在の活動を辿る連載「THEN & NOW 時を超えるアーティスト」。

今回は、デビューから37年の今年、恒例の横浜スタジアム公演の33回目の開催を発表したTUBEから、ボーカルの前田亘輝とギターの春畑道哉が登場。ライブバンドとしての活動が制限されたコロナ禍の現在から、TUBE=夏のイメージに葛藤した過去まで遡り話を聞く。

前編では、ライブへの想いや最近始めたTikTokのこと、そして、名曲「シーズン・イン・ザ・サン」発売当時のエピソードを明かす。

  • TUBE

    チューブ

    (写真左より)松本玲二(ドラム)、前田亘輝(ボーカル)、春畑道哉(ギター)、角野秀行(ベース)。1985年6月1日、シングル「ベストセラー・サマー」で「The TUBE」としてデビュー。1986年に「TUBE」に改名後リリースした「シーズン・イン・ザ・サン」が売り上げ60万枚を超えるヒットとなる。1988年より、夏の横浜スタジアムでのライブが恒例となっており、今年9月に33回目の公演が開催される。

無観客だと3曲やると疲れちゃう(笑)

――今年、デビュー37年のTUBEですが、9月3日に、3年ぶり、33回目の横浜スタジアム公演が開催されることを発表しました。それに先駆けたツアー“TUBE LIVE AROUND 2022 Emotional Summer”が、先日終わったばかりですね。

前田:昨年は、コロナ禍の影響で会場キャパの半分でツアーを回ったんですけど、今年はフル。その衝撃というか、「えっ、こんなに人がいるの?」っていう圧みたいなものを久々に感じました。

春畑:でも、人がいるって良いですね。横浜スタジアムが中止になったとき、一度無観客の配信ライブをやったんですけど、それはなんかちょっと怖かったです。

前田:そうだね。まるで、ウィル・スミスの映画『アイ・アム・レジェンド』みたいで。

春畑:向こうで見てくれてる人がいるといくら自分に言い聞かせても、人のいないスタジアムの強烈さには困惑するばかりでした。

――無観客配信ライブはTUBEにとって大きな経験だったんですね。

前田:コロナ禍でなければやる気もなかったと思うんです。それを慌ててやりだして、多少知識は得ましたけど、我々世代にとっては失ったもののほうが大きかった気がしますね。どちらかというと、そういう今ふうのやり方とは乖離して生きていこうと決めていたところがあったので。だからもう、「チケットってどうやって売るの?」から始まって本当にてんやわんやでした。

春畑:僕自身も、あとで見ようと思って何とか自分で入ろうとしたんですけど、結局わからなくて、息子にやってもらいました(笑)。

前田:この10年くらいの間にデジタル化に乗り遅れて、もうイイやと思ってたことと向き合わざるを得なくなったんですよ。でも、無観客だと3曲やるともう疲れちゃうんだよね(笑)。

春畑:ライブってその場にいるお客さんの力をもらうからこそできるんだなと、ただただ思いました。「ああ、早くみんなに会いたい!」って、あれほど思ったことはなかったです。

前田:改めて大切だなと気付いたことはいっぱいありましたね。でも、このコロナ禍においての新しいデジタルチャンス? みたいなものは掴めなかった。デジタルチャンスとか言ってる段階でもうダメなんですけど(笑)。そんなこんなで、今、慌ててTikTokを始めてるんですよ。

――TikTok拝見しました。メンバーの皆さん、妙に緊張した面持ちですよね。

春畑:「TikTok始めさせていただきました」(おじぎ)みたいな感じです(笑)。

――それがすごくフレッシュで。

前田:いや、だって本当にフレッシュですから! 「これで良いのかな?」ってちょっと怯えながらやってるんですよ(笑)。「画角からはみ出さないでください」とか「カブってます」とか叱られながら。

春畑:あの縦画面に4人が入るのが結構難しいんです。

前田:ま、メンバーそれぞれいろんなことを感じたんだと思うんですけど、俺は本当に、右往左往した2年でしたね。会ってセッションすることさえできなかったじゃないですか。もちろん、技術的に一緒に奏でているような感じにはできるんだけど、なんか違う。

春畑:一番最初にステイホームが始まって音楽も止まっちゃったとき、メンバーとLINEでやりとりして、なんとかファンの人に新たなものを届けたいよねということになったんです。で、よくわからないまま僕はギターを弾いて前ちゃんに送り、そこに歌を乗っけてもらったものをミックスしてファンに届けた。手探りの実験という感じだったんですけど、正直、クオリティには全然納得できませんでした。

前田:「これ、デモテープだったらオーディションで落ちてるよな」って話してたよね。やっぱり目を見て、お互いその場で何かを感じ合ってないと、自分たちの求めるクオリティには辿り着けないんですよ。セッションというのはそういうものなんだということも痛感しました。

――今年、ひさびさに横浜スタジアムのステージに立つのが、なおさら楽しみではないですか?

前田:まず、大勢の人を見ただけで興奮しちゃうでしょうね。たぶん俺は、オーバーペースで入っちゃうんだろうなと。

春畑:毎年、ハマスタが終わって初めて、「この夏もお疲れさまでした」ってなれてたんですね。この2年間はずっと夏が終わらない感じだったので、今年はリベンジします。

「夏立ちぬ」はTUBEの名作として残っていく曲

――6月22日に、1年ぶりにリリースされた新曲「夏立ちぬ」からは、まさに“人と人とが生み出す大切なもの”ということをすごく感じました。TUBEのライブの、アコースティックコーナーのムードを彷彿とさせる温かな音で、昭和のファンタジーといった歌詞も素敵です。

TUBE / 夏立ちぬ (Lyric Video)

前田:「そう言えば見かけなくなったよな」と思う夏の風物詩みたいなものを挙げていき、それを時間軸的に通じるように並べ替えていっただけなんですけど、なぜか染みますよね。もちろん、聴く人によって感じ方はさまざまだと思うんです。僕には僕なりの染み方があって、世代の違うスタッフに聞いたりすると、また違う染み方がある。こうやってコロナ禍の2年間を振り返ってみると、「夏立ちぬ」がここでできたのも、もしかしたら偶然じゃないかもしれないなという気がしますね。お祭りをはじめ、とにかく人が集まるってことがなかったから。そこを狙って作ったわけじゃないんですけど。

春畑:僕も、昭和の感じにしようと思ってメロディを作ったわけじゃないんですけど、歌詞とサウンドが相まって、昭和レトロな、良い雰囲気に仕上がりました。使ってる楽器数も本当に少ないんです。ドラムの(松本)玲二は、アコギをひっくり返してリズムを叩いてますし。

――TikTokで見られる演奏風景のまんまなんですね。

@tube__official(新しいタブで開く) 新曲「夏立ちぬ」は聴いていただけてますか?😉💕皆さんの夏の風物詩もコメントで教えてください✨ #TUBE(新しいタブで開く) #夏立ちぬ(新しいタブで開く) #夏(新しいタブで開く) #夏の曲(新しいタブで開く) #夏の定番(新しいタブで開く) #夏に聴きたい曲(新しいタブで開く) #夏歌(新しいタブで開く) #歌うま(新しいタブで開く) #前田亘輝(新しいタブで開く) ♬ natsu tachinu - TUBE(新しいタブで開く)

前田:しかも、あれは玲二自身のギターなんですよ。

春畑:タカミネさん(高峰楽器製作所)が作ってくれた“松本玲二モデル”。

――そういうアプローチを玲二さんが選んだところにも、何かこの曲への想いが表われている気がします。

前田:なんだろうね、あの曲。レコーディングした曲はいつもは大抵ミックスまでしか聴かないけど、「夏立ちぬ」は珍しく毎日聴いてるんです。本当に毎日違う染み方をするんですよ。ま、ひょっとしたら、TUBEの名作として残っていく曲なのかもしれないね。

春畑:僕もいつもは完成しちゃうと聴かなくなることのほうが多いけど、確かに「夏立ちぬ」は散歩のときも聴いてます。

前田:俺は、家に帰ってエアコンが効き始めたころにかけることが多い。そうすると、さらにこう、涼しげな感じがするんですよ。

――曲作りにも何か変化が訪れているんでしょうか。

前田:そうかもしれない。うまく言えないけど、「夏立ちぬ」は、TUBEからファンへの、つたない手書きの手紙みたいな肌触りだなと思いますね。

“夏”と言われると、カチンとくることもあった

デビュー時のアーティスト写真(1985年)

――さて、ここから時を巻き戻させてください。TUBEのデビューは1985年。翌年には「シーズン・イン・ザ・サン」が大ヒットしてブレイク。当時のエンタメ業界というのは、バンドもミュージシャンもアイドルもタレントも、みんなごちゃ混ぜの華やかな世界でした。

前田:そのころのことで真っ先に思い出すのは、テレビでもラジオでも、出演するためには新人はすべてオーディションを受けなければいけなかったということなんですよ。

春畑:うん。面白かった、オーディション(笑)。

前田:とにかくどこの放送局でも、行って1コーラスのパフォーマンスをして、OKとなって初めて曲をかけてもらえたり、番組のゲストに呼んでもらえたりするんです。

春畑:でも、「楽器は持ってこないでね」と言われて、「えーっ! 何するの?」みたいな。

前田:そうそう。しょうがないから、4人並んで、なんかステップ踏みながら歌って(笑)。

春畑:歌の途中で、「はい、もう大丈夫です」と言われて、「大丈夫ってどういうこと?」と不安になったり。

前田:放送局側が、「ソニーミュージックからデビューしているからといって、ウチらがプロと認定するかどうかは別よ」みたいな。

春畑:すごく覚えてるのが、当時大ブームだったウーパールーパーが同じオーディション会場にいたこと。

前田:あっちは着ぐるみだからトイレで着替えてるんだけど、俺たちもちょうど同じタイミングでトイレで着替えてたら、「あの歯磨き粉みたいな衣装ねぇよな」って声が聞こえてきて。

春畑:「あの縦縞、ダッセー!」って(笑)。

前田:逆に自分たちから飛び込みで、生放送に出させてもらったこともありましたね。

――飛び込みで!?

春畑:「シーズン・イン・ザ・サン」をリリースしたてのころ、TUBEはワゴンで自走しながら、2週間で12カ所を回るという北海道ツアーをやってたんです(“夏まで待てない Sea-Side Vibration '86”)。その最中に、「シーズン・イン・ザ・サン」が1日ずつジワジワとチャートをあがっていってて、「あれ? 今日1位になっちゃうじゃん、これ」っていう事態になったんですよ。本当に漫画みたいなんですけど、車で次の会場へと向かいながらラジオを聴いてたら、その地元の放送局のマークが見えて、「あれじゃん!」ってなった。これはもう出してもらうしかないとなって。

前田:「ウチらTUBEと言いまして、今、ちょっと売れかかってるんですけど」って飛び込んだんです。警備のおじさんに「はぁ?」って顔されて、「受け付けに行って」などと言われながら(笑)。でも、最終的に生放送に出してくれましたね。

春畑:向こうは半信半疑でしたけど(笑)。

前田:良い時代でしたね。とは言え、そのチャートをあがっていく間はずっと北海道にいたので、何の実感もなかった。

春畑:本当に、メンバーが順番に運転しながらのツアーだったし。

前田:カーナビなんてないから、コンパスと地図を持って、「これ、間違えてねえか?」なんて言いながら、民家で道を聞いたり、トイレを借りたりしながらね。

春畑:そうすると、地元の人たちが、新鮮な牛乳とかジャガイモとかを「食べていきなさい」とくれるんですよ。もうその牛乳が美味しすぎて、みんなお腹壊すほど飲んでました(笑)。

――そのときはどれくらいの規模の会場を回っていたんですか?

前田:ホールでしたよ。ただ、ガッラガラ(笑)。子どもがはしゃぎまわってて、ステージのほうにも走ってきちゃう。でも、もう良いよ、好きにさせとこうという感じでした。

春畑:富士山が描かれた垂れ幕を開いてステージに出るという会場もありましたね(笑)。

前田:そうそう。「この垂れ幕は取れないんですよ」と会館の人に言われてね。あと、会館の出演台帳みたいなのに「記帳してください」って言われるところもあって。パッと見たら、俺たちの前に来たのが「岸壁の母」の二葉百合子さん。恐れ多いなと思いながら記帳した覚えがあります。

――「シーズン・イン・ザ・サン」が売れたという実感を味わったのはどの段階でしたか?

TUBE『シーズン・イン・ザ・サン@横浜スタジアム(2013年)LIVE』

前田:北海道ツアーが終わっても、そのまま全国ツアーはつづいてたんですね。その途中で、『ザ・ベストテン』への出演が決まった。そこで感じたかな。ただ、スタジオには行けず、中継でした。しかも、コンサートホールからとかではなくて、商店街から。

春畑:見に来ていた人巻きから闇雲にパンチが繰り出されたりしましたね。

前田:そう。握手かと思ったら、パンチ。

春畑:特攻服に旗の人たちもいましたし。

前田:テレビを見てた人は、演出かと思ったんじゃないかな(笑)。中継は何が起こるかわからなくて、ドキドキ感がありました。

――そういったなかで、TUBEは“夏男”のイメージが定着していきました。その見られ方に対しては、当時はどんな想いだったんでしょうか?

前田:「シーズン・イン・ザ・サン」、「SUMMER DREAM」(1987年)、「Beach Time」(1988年)という夏の3部作を出したあと、ソニーミュージックの担当者と「このままで良いのか?」みたいな話はすごくしました。アーティストイメージがスイカみたいなものだったから、音楽専門誌のインタビューとかがまったくないんですよ。俺らは22、3歳の血気盛んなころだったので、そりゃ抵抗しました。

春畑:うん。めっちゃ抵抗したよね。TUBEは夏だけじゃないと思ってほしくて、頑張って冬の時期に力作を出したり、ものすごい本数のツアーをやったり。

前田:夏が40本だとしたら、冬は70本とかやってたんじゃないかな。“夏”と言われると、正直カチンとくることもありました(苦笑)。ま、徐々に受け入れていきましたけどね。

――どこか面白みを感じるようにもなったんでしょうか?

前田:そうですね。毎年、ソニーミュージックを含めてチーム一丸となって、ひと夏の大プロジェクトをやるという感じになっていきました。テレビ局、ラジオ局の宣伝担当の人はもちろん、当時は全国に営業所もあったんで、ツアーに行くとそこのスタッフと一緒に地元の有線局に菓子折り持って行ったり、各地のレコード店へも挨拶回りに行きました。とにかくすべてがアナログでしたね。人と人が繋がってなんぼというところが。

春畑:「僕らでよければどこにでも会いに行きます」という感じでしたね。

前田:レコードのプレス工場でもライブやったよね。俺たちいつも納品が遅くて、「すごく苦労をかけてるんだよ」とスタッフから聞いていたので、工場の夏祭りがあると聞いて、「喜んで!」と。

――そうやって、TUBEを愛する人たちが増えていったんでしょうね。

前田:工場でこうやって作って、トラックのドライバーさんが運んでくれて、お店の人が段ボールを開けて、店頭に並べて、売ってくれてるんだなというのが、人とのふれあいのなかで見えてくると、俺たちの感謝の気持ちも増すんですよ。

春畑:ストリーミングですぐ聴ける今とは、全然違いますね。

後編につづく

文・取材:藤井美保
撮影:田中聖太郎

ライブ情報


 

「TUBE LIVE AROUND SPECIAL 2022 Reunion」
公演日時:2022年9月3日(土)
会場:横浜スタジアム
詳細はこちら(新しいタブで開く)

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