DEENインタビュー:「ずっとDEENの背中を追いかけていた」【前編】
2023.03.07
日本の音楽シーンで存在感を放ち、時代を超えて支持されつづけるレジェンドアーティストをクローズアップ。本人へのインタビューで、過去と現在の活動を辿る連載「THEN & NOW 時を超えるアーティスト」。
今回は、デビューから37年の今年、恒例の横浜スタジアム公演の33回目の開催を発表したTUBEから、ボーカルの前田亘輝とギターの春畑道哉が登場。ライブバンドとしての活動が制限されたコロナ禍の現在から、TUBE=夏のイメージに葛藤した過去まで遡り話を聞く。
後編では、「シーズン・イン・ザ・サン」のヒットを経てからTUBEとして活動していく上での葛藤や、これからのバンドの在り方について想いを語る。
TUBE
チューブ
(写真左より)松本玲二(ドラム)、前田亘輝(ボーカル)、春畑道哉(ギター)、角野秀行(ベース)。1985年6月1日、シングル「ベストセラー・サマー」で「The TUBE」としてデビュー。1986年に「TUBE」に改名後リリースした「シーズン・イン・ザ・サン」が売り上げ60万枚を超えるヒットとなる。1988年より、夏の横浜スタジアムでのライブが恒例となっており、今年9月に33回目の公演が開催される。
(前編からつづく)――制作面では、1989年の「SUMMER CITY」からメンバー主導に変わっていきます。
前田:もともと曲は作っていたので、やっぱり自分たちの曲でいきたかったんです。ただ、夏っぽい曲なんて4人とも書いたことがなかった。ブルースとかハードロックをやってたんですから(笑)。でも、TUBEがブルース書いても、企画が通るわけがないじゃないですか。だから、自分たちでTUBEを勉強したんです。
春畑:ファンはどんな曲を喜んでくれるのかなと。
前田:そう。先に歩いていってしまったTUBEのイメージを理解して表現するところまでいくには、結構時間がかかりました。
――それまでは、「シーズン・イン・ザ・サン」(1986年)をはじめ、当時シンガーソングライターとして活動していた織田哲郎さんが楽曲提供をしていました。
春畑:実は、僕たちデビュー前から織田哲郎さんが好きで、角野(秀行)が「この曲コピーしない?」と持ってきた織田さんのレコードを参考に、グルーヴを合わせる練習をしたりしてたんです。だから、「シーズン・イン・ザ・サン」で織田さんが曲を書いてくれるってなったときは本当にうれしかったんですよ。
前田:その織田さんも、本来自分がやってる世界とは違うものを書いてきましたよね。もっとシティポップみたいなのがくるのかなと思ったら、夏全開の「♪Stop the Season~」ですから。
春畑:織田さんには、僕らが10代のころからレコーディングの進め方とか、アレンジの仕方とか、ずっと見せてもらってました。とにかく、僕らのレコーディングの現場は、プロデューサーもディレクターも含めてギタリストだらけだったんです。「このポジションからここにスライドしてみて」とか「ここで半音チョーキングして」とか、めちゃくちゃ細かい指示が飛ぶんで、こっちがちょっともたついてると、「ほら、貸してみろ」と、その先輩のおじさんたちが弾き始めて盛りあがっちゃう。僕はポツンと取り残される、みたいな感じでした(笑)。
前田:今日は早く終わったからと思って家に帰ろうとすると、おじさんたちに、「おい、これから事務所に行って昔のレコード聴くぞ」と言われてね。
春畑:ホントに毎日が勉強会。先輩たちがよく教えてくれました。それがあったからこそ、自分たち主導でやっていこうってなってもなんとかできたんです。ま、「そろそろお前たち自分でやれ」と、いきなりほっぽり出されたというのが正確なところなんですけど。
前田:今思えば、おじさんたち、飽きたんだろうね、俺らに(笑)。
春畑:うん。新しい人たちのほうに興味が移っていったんだと思う。あのときは僕たち、「やっと自由になれた!」と思ったけど。
前田:実は捨てられたんだな(笑)。
――そうなると今度は、全部自分たちで決めていかなきゃならないわけですよね。
前田:そうですね。以前より現場は閑散としましたけど、ディレクターとかプロデューサーはもちろんいたので、そのふたりに対して、何か課されたものをクリアしていくという作り方になりました。「即OK」ということは絶対なくて、必ずいちゃもんつけられてました(笑)。
春畑:ただ、そういう第三者目線の人はやっぱり重要なんですよね。冷静な大人の意見で、やんちゃすぎるところは直したり、逆に「もっとやんちゃにいけ」というお墨付きがつけば、そのまま突っ走ったり。
前田:歌詞に関しても、“俺”にするか“僕”にするかで、5時間ぐらいやりあったりしました。「“俺”で良いんじゃない?」っていう人と、「いや、まだこいつらガキだから“僕”だろう」という人がいて、俺自身はその間で、「どっちでも良いんですけど」と思ってるという(笑)。“君”なのか“あなた”なのか“お前”なのかっていうのもありましたね。
――そのやりとりが、その後のTUBEのベースを作っていったんでしょうね。
前田:当時は“超無駄”と思ってたんですけど、その無駄こそがあとあと生きたわけです。そんな基礎を叩き込まれた時代があったので、今、若い人がやっていることを見ると気になってしょうがないんですよ。ノリだけで言葉を乗せていて、歌詞カードでは全然意味がわからないというようなのを見ると、「5W1Hっていうのがあってね」などと言いたくなります。今や自分たちが、あのころの“おじさん”なのかなと(笑)。
――前田さんも春畑さんも、TUBEでデビューから2年後にはソロ作品を出されてますね。
春畑:はい。なんと、デビューしてすぐ「ソロ出す?」って言われましたね。
前田:そもそも俺たちって、事務所のオーディションみたいなコンテストで引っ掛かったんですよ。お互い全然違うバンドで。ハルはツインギターのロックバンドをやってて、俺は俺でブルースを歌ってた。
春畑:「これで勝ったらLOUDNESSみたいになれるぞ」と勇んで受けて、決勝戦まで行ったんですけど、結果“該当者なし”で。そのときに、前ちゃんがベストボーカリスト賞、僕がベストギタリスト賞を獲ったんです。
――TUBEの制作スタッフはそういう経緯を知っていて、おふたりのクリエイティブの出口をTUBEとは別に作ってあげたいと思われたんでしょうか。
春畑:たぶん、そうですね。前ちゃんは、そのオーディションで歌ってたようなブルースのアルバムを作って、僕はギターインストのアルバムを作った。で、「TUBEではお前たちがやりたいことは入れるなよ」と(笑)。
前田:TUBEでは、ギターソロのフレーズまで、例えば「ビーチ・ボーイズのこういう感じで」みたいに言われるわけです。コーラスの重ね方も、俺自身が勝手にやると「違う」ってなる。「そこはTUBEカラーで統一するから、自分たちの好きなことはソロ作品でやりなさい」ということですね。今考えると、そのソロさえ地獄でしたけどね。「お前はブルースがわかってない」とか先輩方に叱られまくって(笑)。
――でも、それである意味バランスが取れていた?
前田:大人の戦略にまんまとハメられたんですよ(笑)。そうこうするうちに、メンバーとしてというより、制作チームの一員として、一緒にTUBEを作るという意識に変わっていきました。毎年だいたい年明けぐらいからスタッフと集まって、「今年の夏はラテンかな」とか、そういう雑談からその年のTUBEの夏が始まります。
――夏を感じさせる新鮮なタイトルを考えるのだって、毎年となったら大変ですよね。
春畑:タイトルは本当に毎回悩みます。
前田:タイトルで思い出すのは「あー夏休み」(1990年)ですね。最初あのサビの部分は、“Oh! Summer Holiday”だったんです。だから、タイトルも横文字の予定だった。ただ、制作陣がうんと言わなかったので、苦し紛れに「“Oh! Summer Holiday”を訳したら“あー夏休み”ですよね」と言ったんです。そしたら、「ちょっとそれ、歌ってみて」と言われて、制作陣全員が「良いね」となった。こっちは「マジっすか?」ですよ(笑)。
春畑:僕が覚えてるのは、あのとき「N・A・T・S・U」という曲が並行してあって、カックン(角野)はそれをシングルにしたくて、「絶対“あー夏休み”じゃない」って必死で抵抗したこと。いつの間にか「あー夏休み」に巻き込まれてましたけど(笑)。
前田:その辺は、ちゃんと多数決なんですよ。
――制作チームによる合議制でTUBEができているんですね。
前田:で、曲が完成すると、今度は「あー夏休み」を色付けしていくのに、マネジメントも入ってくる。「じゃあ、日本語タイトルのシングルだし、浴衣でいこうか」ってね。「ギターもうちわで弾いてくれる?」みたいな(笑)。
春畑:それは断りましたけどね(笑)。
前田:いろいろ揉めた末に浴衣でいくことになったんですけど、その浴衣も普通ではつまらないっていうんで、当時大人気だったオーストラリアのデザイナー、ケン・ドーンとコラボレーションすることになるんです。あまり話題にならなかったけど(苦笑)。しかも、ハルなんか、体に幅がないから、浴衣着たら人間ドックみたいになっちゃうんですよ(笑)。
春畑:そうそう。浴衣の下にバスタオルをいっぱい仕込んで、貫禄あるようにしてもらってました。
――毎回葛藤がありつつ、そうやってアイデアを持ち寄って1曲1曲生まれていたんですね。
前田:最初は「勘弁してください」って抵抗するんですけど。
春畑:最終的には面白がってやれちゃう感じでした。
前田:その延長で、ライブにも振付師が入りました。ギターとベースが背中合わせでクルッと回ったら面白いとか、ちょっとよくわかんない世界になってきた(笑)。でも、そこからTUBEの野外ライブの見せ方みたいなものができてきたんですよ。
春畑:「お客さんに笑ってほしい」というのがメンバー内には常にありましたね。バラードの前後にそういう場面があると、効果的だったりもするので。
前田:笑いを欲しがるというのも、TUBEのエンタテインメント性の特徴かもしれないですね。
――シングル曲で言うと、1989年の「Stories」以降、基本的に、前田さんが詞を書いて、春畑さんが作曲をされています。ソングライターとしてのコンビ歴がこんなに長いのも珍しいですよね。
前田:そう言われてみるとそうかもしれない。ボーカルが両方を書くパターンが多いのかな。
春畑:ギターが曲を書いて、ボーカルが詞を書くのが当たり前と、LOUDNESSファンである僕は思っているけど(笑)。
前田:ジャーニーもそうだったよね。
――基本的に曲先が多いですか?
前田:そうですね。詞先のことも何度かあったけど。
春畑:うん。「ハル、俺こんなの書いたわ、よろしく」みたいなね。それで曲を作るのも新鮮で楽しいんですよ。
前田:あとは、お互いにかぶりチェックはします。メロディや詞ができたら、何か似ているものはないかってね。それは周りの人にもやってもらいます。
春畑:「このメロディ、今までにあった?」って絶対聞きます。これだけ長くやってると、自分では編み出したつもりでも、何年か前と同じです、みたいなこともなくはないですから。
――TUBEには、誰もが知っている国民的ヒット曲があり、ライブ会場には3世代で来ているといったファミリー層もたくさんいます。音楽で時代を繋げる役割を担っている感覚はありますか?
前田:TUBEがやっているのはジャパニーズ・カントリーだと思ってるんですよ。みんなが「なんかこれ、聴いたことある」という曲を大事にして、年を重ねていきたい。それしかないだろうなと。横浜スタジアムや甲子園などでドーン! と野外ライブをやるというのは、いずれ俺らもやれなくなる時期がくるだろうし、ファンの人たちもキツくなると思う。そしたら、夏は涼しい高原で、というふうに場所を移しても良いのかなと。
春畑:良いね、良いね!
前田:そんなふうにシフトする時期はくるだろうけど、「TUBEがやっているのは、ジャパニーズ・カントリーです」と、そこは変わらないと思います。
――TUBEの音楽が受け継がれていくんですね。
前田:ずっと聴いてもらえたらうれしいですね。
春畑:以前、メンバー4人の雑談で言ってた話があって。もし、誰かが「もう、しんどい。辞めたい」って言ったら、そのメンバーの担当楽器のオーディションをするんですよ。「夏縛りでツラいけど良い?」なんて聞いたりして。そうやってメンバーを補充していきながら、永遠にTUBEを終わらせないんです(笑)。
前田:俺たちが若いころ、周りでグチグチ言ってたおじさんたちに、俺たち自身がなるんですよ(笑)。
春畑:TUBEに解散はなく、未来永劫継承されていく。
前田:こうじゃなきゃいけないってことがあるバンドではないし、これを伝えるために生まれてきたってバンドでもない。「みんなで楽しくなれれば良いんじゃない?」というところから始まった。だから、TUBEの夏はつづいているんだと思います。
文・取材:藤井美保
撮影:田中聖太郎
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