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担当者が語る! 洋楽レジェンドのココだけの話

オジー・オズボーン【前編】コウモリを食いちぎるマッドマンは寿司の食べ方も豪快

2022.09.14

世界中で聴かれている音楽に多くの影響を与えてきたソニーミュージック所属の洋楽レジェンドアーティストたち。彼らと間近で向き合ってきた担当者の証言から、その実像に迫る。

今回のレジェンドは、9月9日にニューアルバム『ペイシェント・ナンバー9』を発表したオジー・オズボーン。ジェフ・ベック、エリック・クラプトンら豪華ロックレジェンドを迎えたこの作品では健在ぶりを見せつけたが、ここに至るまでには数々の転機があった。音楽性だけでなく、人間性もたびたび注目を浴びる“ヘヴィメタルの帝王”の素顔を、ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル(以下、SMJI)の担当者に聞く。

前編では、ミュージシャンとしてのオジー・オズボーンとその音楽性、そして実際に目撃したお茶目な素顔を語る。

オジー・オズボーン Ozzy Osbourne

1948年12月3日生まれ、イギリス出身。英国を代表するヘヴィメタルバンド、ブラック・サバスのボーカリストとしてキャリアをスタートさせ、1978年に同バンドを脱退。その後は、ソロアーティスト、シンガーソングライターとして活動。また、2002年にMTVのリアリティ番組『オズボーンズ』で家族とともにフィーチャ―され、一般的な知名度も高まる。2022年9月9日、ソロ通算12枚目となるアルバム『ペイシェント・ナンバー9』を発表した。

  • 中西優一

    Nakanishi Yuichi

    ソニー・ミュージックレーベルズ

工場のガシャンガシャンした音がヘヴィメタルを生んだ

──まずは、中西さんとオジー・オズボーンとの関わり合いを聞かせてください。

僕は1990年代初めにソニーミュージックに入社し、最初はセールスマーケティングのセクションでした。2年目からレーベルに異動になり、洋楽のラジオやテレビの宣伝、いわゆる電波プロモーターをやっていて、オジーの宣伝マンのひとりとして携わりました。その数年後の1995年にオジーが『オズモシス』というアルバムのプロモーションで来日し、自分が担当していたJ-WAVEのある番組へのゲスト出演があって、そのアテンドをしたときがオジーとの初対面でした。中野サンプラザでファンイベントをやったり、一緒に夕飯を食べに行ったりということがありましたね。

1995年、来日時の記念写真。中央がオジー・オズボーン、左からギタリストのジョー・ホームズと中西優一。

その後、違うセクションを経て、2011年にSMJIの現在の部署に異動になったんです。そこで最初に制作を担当したのが、1stアルバム『ブリザード・オブ・オズ~血塗られた英雄伝説』と2ndアルバム『ダイアリー・オブ・ア・マッドマン』の30周年記念盤ですね。そのあとベスト盤などを担当しつつ、2020年に10年ぶりの新作として前作『オーディナリー・マン』、そして今回の新作『ペイシェント・ナンバー9』を担当しました。なので割と長く携わっていますし、自分としても節目節目でオジーの仕事をしている感じがありますね。

──そんな中西さんから見て、オジー・オズボーンとはどんなアーティストでしょうか。キャリアを辿りながら紹介してもらえますか?

オジーは、ヘヴィメタルの始祖的存在と言われるバンド、ブラック・サバスの初代ボーカリストとしてデビューしました。彼らはイギリス、バーミンガム出身のバンドです。バーミンガムは労働者階級の人たちが多く暮らす鉄鋼の街で、オジーは15歳で学校をドロップアウトして仕事を転々としながらバンド活動を始めます。

──ブラック・サバスは、ギターのトニー・アイオミがリーダーで、1970年2月の、“13日の金曜日”にアルバム『黒い安息日』でデビューしました。

1998年、再結成時のブラック・サバス。

彼らの出身地が工業都市なので、工場のガシャンガシャンした音がヘヴィメタルのサウンドを生んだとよく言われてますね。現在に繋がるヘヴィメタルの源流を辿ればブラック・サバスに行き着くと言われるくらい重要なバンドで、オジーは作詞、作曲、シンガーとして約10年間活動していたわけです。

ただ、オジーはアルコールやドラッグの問題などもあって活動がままならなくなり、1978年に解雇されてしまうんです。一時期は廃人のようになるんですけど、そこからソロ活動を開始し、1980年にアルバム『ブリザード・オブ・オズ~血塗られた英雄伝説』をリリースします。

『ブリザード・オブ・オズ~血塗られた英雄伝説』(1980年)

──そこからソロアーティストとしての確固たるキャリアを確立していきます。

文字通りの快進撃ですね。ただ、いろいろ愚行や奇行が多い人なんです。一番有名なのは、アメリカのCBSレコード(当時)のセールスコンベンションでハトを、ステージではコウモリを食いちぎったというエピソードですね。キャリアを通して大なり小なり問題もいっぱい起こしてきた人なんですけど、結局生き残って今日に至っているわけです。ヘヴィメタルというジャンルをやっているのは、大抵バンドじゃないですか。だけど、唯一、オジーだけがソロアーティストで、ずっとヘヴィメタル界のトップに君臨しつづけているという、とても稀有な存在ですね。

──自ら“プリンス・オブ・ダークネス”を標榜したり、初期は特に、悪魔的なイメージも強かったですが、そのいっぽうで、オジー・オズボーンの音楽というのは、メロディセンスが良く、キャッチーですよね。

そうなんですよ。ほんと、曲自体はすごくポップでメロディアスなんです。なんと言っても、彼が一番好きなのはビートルズですからね。まずポップセンスがあった上で、ハードなギターサウンドに乗せた音楽をやっているという印象があります。

──そして彼のボーカル自体も、ほかにないユニークなスタイルです。

一聴してすぐオジーってわかりますよね。まあ、すごく良い声だとは思わないんですけど(笑)、噛めば噛むほど味が出るみたいな感じなんですよ。歌がすごくうまいわけじゃないし、万人にお勧めできる声ではないんですが、ハマったら抜けられなくなるような独特のアクの強さがあると思います。そうした彼の声も、オジー・オズボーンという存在を際立たせる重要なパーツのひとつでしょうね。

キャッチーなメロディ、ハードなサウンド、それに奇妙とも思える独特な声、そしてダークな世界観と、そのすべてが合わさってオジーの魅力となっているのかなって思います。あと歌詞も、ダークなことを歌ってるものは多いけど、一般的にヒットするような、ポップシンガーが歌っててもおかしくない、人間味にあふれたバラードもあったりするんです。

──例えばですが、代表曲のひとつ「クレイジー・トレイン」は、彼のイメージから勢い任せでぶっ飛ばしていくような歌詞かと思いきや、クレイジーなレールから降りて、俺は自分の道を行くぜっていう内容ですよね。

OZZY OSBOURNE - "Crazy Train" (Official Video)

そうなんですよ。「クレイジー・トレイン」を発表したのが、ちょうど彼がブラック・サバスを脱退してソロになったタイミングだったので、そのときの思いを歌ったものだと思います。この気持ちって、多くの人に当てはまるものじゃないですか。例えばキャリアの転換期とか人生の分かれ目で自分の道を選択して、“こうやって生きて行くぞ”っていうときに共感できる、気持ちを鼓舞してくれる曲なんですよね。

クレイジーなオジーの裏側にある悲しみがリスナーを惹き付けた

──オジー・オズボーンがソロキャリアを確立する上で、1stアルバム『ブリザード・オブ・オズ~血塗られた英雄伝説』と2ndアルバム『ダイアリー・オブ・ア・マッドマン』(1981年)でギターを弾いていたランディ・ローズの存在も大きかったのではないでしょうか。

オジー・オズボーンとランディ・ローズ(右)。

そうですね。ランディ・ローズはオジーと2枚の素晴らしいアルバムを作ったわけですが、1982年3月に事故で亡くなってしまったんです。オジーとの活動期間はわずか2年なんですが、すごく鮮烈な印象を残していました。ちょっと自分の話になってしまうんですが、もともと僕はランディ・ローズがきっかけでオジーの音楽にハマったんです。

1980年代当時、僕はジャーニーやキッス、ヴァン・ヘイレンなどのロックバンドは聴いていたんですが、ダークなヘヴィメタルにはあまり興味がなかったんですね。でも、ギタリストが好きだったので、何かのタイミングでランディ・ローズの存在を知りました。クラシカルな雰囲気のある哀愁に満ちたフレーズを弾くギタリストで、すごいスター性があったのに、セスナの墜落事故で亡くなってしまったって、既に伝説として語られてたんです。

それで興味がわいて『トリビュート~ランディ・ローズに捧ぐ』(1987年)というランディ在籍時代のオジーのライブアルバムを聴いたら、「ミスター・クロウリー」の泣きのギターとドラマチックな曲調に強烈な衝撃を受けたんです。そこからオジーの音楽に惹かれていきましたね。愚行や奇行を繰り返すやんちゃなオジーと、美しい旋律を弾く甘いマスクのランディというすごく不思議な組み合わせなんだけど、それが奇跡的なマッチングだったんですよね。

OZZY OSBOURNE - "Mr. Crowley" 1981 (Live Video)

──まさに天使と悪魔というパーフェクトなコンビでした。

その悪魔がお茶目だっていうのがとっても良かったな、と。そうしたランディの悲劇のストーリー、クレイジーなオジーの裏側にある悲しみみたいなものも、リスナーを惹き付ける要因になりましたね。

──オジー・オズボーンの“クレイジーなマッドマン”キャラも、決して周りが作ったものではなく、本人発信で。

そうなんですよ。クレイジーなキャラが定着してますし、それ自体がある意味キャッチーだなと思いますね。とにかく彼はバカバカしい行動がすべて話題になる人なので(笑)。普通、音楽情報サイトで検索すると、新作リリース決定とかライブレポートなど、音楽に関するものがほとんどですけど、オジーの場合、プライベートなネタも次から次へとヘッドラインになるんですよね。

最近だと、彼は結構大きな手術をしたんですが、息子のジャック・オズボーンが、メディアに「オジーは大丈夫ですか?」って聞かれて、「父は愛犬とのFaceTimeを再開したから大丈夫だ」とか、そんなのが見出しになるんです(笑)。

あと、奥様でマネージャーのシャロン・オズボーンも、ついこの間までCBSテレビの昼の情報番組の司会をやってたほどのセレブタレントなので、シャロンの発言もすぐメディアに取り上げられます。オジーが浮気して離婚協議中だったときも「オジーはゲス。でも許す」といった発言すら見出しになる。音楽とは関係ないネタが、ファミリー含めてニュースに取り上げられるんですよ。そうしたところからも、世界的にオジーの行動が注目されているのがわかりますね。

──1970年代からずっと第一線で活躍しながら、音楽ファンだけじゃなく、一般層にまで名前が浸透しています。

これは本当にすごいことですよ。例えば今のポップスターのジャスティン・ビーバーとかがいかにもな芸能ネタで取り上げられるのはわかりますけど、オジーは70代のヘヴィメタルアーティストですからね。そもそもヘヴィメタルのファンって結構厳しい目を持った方が多いじゃないですか。メタルはこうでなきゃいけない、ああいうのは邪道だ、とか。でも、オジーだけは何をやっても許されるんです(笑)。

──ヘヴィメタル界の治外法権ですね(笑)。

まさに(笑)。キッスのジーン・シモンズもそういうところはありますが、彼の場合ビジネスマンとしてすべて計算してやってることをみんなが知ってる。でもオジーはそういう感じがない。ひたすら天然でやってる。それをシャロンがしっかり手綱を握ってキャリアをコントロールしてきたという感じですよね。見事なカップルだと思います。

オジーは日本のレトルトカレーが大好き

──では、中西さんがオジー・オズボーンと直接会ったときのエピソードを聞かせてもらえますか。

冒頭でお話しした、1995年の来日のときに初めてお会いしたんですけど、六本木の寿司屋に6、7人で食事に行ったんです。とにかくそのときのオジーの食べっぷりが豪快でしたね。最初は、場をわきまえてか、握りの寿司をお箸で食べようとしたんですけど、うまく使えないわけですよ。それで、確かフォークでもトライしたのかな、それでもうまく口に運べないもんだから、イラついてフォークを放り投げたと思ったら、手で寿司をがっつり掴んで醤油皿にベシャっとつけて食べるっていうのをひたすら繰り返したんです(笑)。

──なんともオジー・オズボーンらしいというか雑というか(笑)。

もうすごかったですね、その、“掴む、つける、食べる”の繰り返しが(笑)。こんな豪快というか、乱暴に寿司を食べる人は初めて見ましたね。あまりのインパクトで、その姿が一番印象に残ってます(笑)。

中西優一(左)とオジー・オズボーン。

そのあとしばらくは会う機会はなかったんですが、自分がSMJIに異動になって、2013年に日本で初開催された『オズフェスト』に、再結成したブラック・サバスのメンバーとして来日したときに会いに行きました。ブラック・サバスはレーベルが違うのですが、オジーのスタッフに「ソニーミュージックのオジー担当なんですが」って話したらご挨拶できることになって楽屋を訪ねたんですけど、だだっ広い部屋にポツんといたオジーが、ステージさながらの歩幅の狭いあの小走りで僕らのほうにやってきてくれて(笑)。一緒に行った海外渉外担当者が、オジーが日本のレトルトカレーが好きだというのを知っていて、レトルトカレーをいっぱいお土産に持っていったんです。それを渡したら「なんてこった、オレはこれが大好きなんだ!」って大喜びしてくれましたね(笑)。

──レトルトカレーで喜ぶ姿、すごく想像できます(笑)。

その次に自分が会ったのが、日本テレビのバラエティ番組『行列のできる法律相談所』で、ご当地キャラのふなっしーとロサンゼルスのオジーの家を訪ねたときですね。僕はLAの家まで行くのは初めてだったんですが、番組では、ふなっしーとオジーの企画自体は2回目だったんです。

1回目でふなっしーが大好きなオジーに会い、2回目はオジーとさらにお近付きになれるかっていう内容だったんです。オジーは番組からリクエストされたことはすべて快くやってくれた上に、ふなっしーを家のプールに突き落としたり、ホースで水をかけたりという台本にはないアドリブがどんどん出てくるんです(笑)。そういうのをやってくれる人なんですよね。

ロサンゼルスの自宅にて。

──人を楽しませるということをわかっている。

まさにそうですね。2015年の『オズフェスト』でオジー・オズボーン&フレンズとして来日したんですが、また、番組で3回目のふなっしーのロケがあって。ふなっしーとオジーが、メディアが集まるプレスエリアで再会するというシーンがあったんですが、会うなりオジーはいきなりふなっしーに、獣が飛びかかる勢いで強烈なパンチを繰り出しまして(笑)。あとライブの最後でふなっしーがステージに登場したときも泡噴射をくらわすとか、これも台本にはなかったですからね。画づらとして面白いことをいつもやってくれるんです。

──すごいサービス精神の持ち主ですね。

エンタテイナーとして求められてるものがわかってるから思いっきり遊んでくれますね。

──取材やインタビュー現場ではどんな感じなんですか。

難しいこととか真面目なこととなると集中力が持たないタイプですかね(笑)。もちろんちゃんとやってくれますけど、落ちつきがなかったり、質問に対する答えになってなかったり。長く語る、ということはないですね。でも、ちょいちょい出てくる話が面白いんですよ。

例えば、インタビュアーが「自分が出てるテレビは見ないんですか?」って質問したら、オジーは「一切見ない」と。なんでかというと「自分が何言ってるかわからないから」って。面白すぎません? 要は、滑舌が良くない自分の話が自分で聞き取れないから見ても面白くもなんともないという(笑)。

──(笑)。ロックスターだったオジー・オズボーンの名前が世間一般に広まったのは、やはり2002年に放送されたMTVのリアリティショー『オズボーンズ』が大きかったですよね。

放送当時のオズボーン家。

まさにオジーがお茶の間のスターになったのは『オズボーンズ』がきっかけですね。あれでオズボーン・ファミリーが世間に知れ渡り、オジー自身もテレビタレント的に見られるようになったんです。その時期には、オジーとシャロンの次女、ケリーがシンガーとしてデビューしたり、長男のジャックものちに映像監督、タレントとして活動することに。長女のエイミーもミュージシャンになりましたね。

極めつけが、シャロンがオジーのマネージャーだけではなく、全米3大ネットワークのひとつで番組ホストをやるまでになった。見事なまでに家族全員がショービズに携わっています。オジーのはちゃめちゃな親父っぷりや、夫婦や家族のやりとりは見ていて面白かったですし、あの番組以来、音楽を超えたところで世間の興味を引く存在になったと思いますね。

後編へつづく

文・取材:土屋恵介

リリース情報


 
『ペイシェント・ナンバー9』(通常盤)
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関連サイト

公式サイト
https://www.sonymusic.co.jp/artist/OzzyOsbourne/
 
『ペイシェント・ナンバー9』特設サイト
https://www.110107.com/ozzy_pn9/

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