キャロル・キング【前編】『つづれおり』は今に繋がるポップスの礎
2023.04.20
世界中で聴かれている音楽に多くの影響を与えてきたソニーミュージック所属の洋楽レジェンドアーティストたち。彼らと間近で向き合ってきた担当者の証言から、その実像に迫る。
今回のレジェンドは、12月21日に『ジャパニーズ・シングル・コレクション -グレイテスト・ヒッツ- 』が発売され、12月23日には、映画 『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』が公開にされたホイットニー・ヒューストン。1980年代に彗星のごとく現われ、一時代を築いた不世出の歌姫の生涯を追いながら、全盛期に日本でのプロモーションを手掛けたふたりの担当者に話を聞く。
後編では、2009年にリハビリから復帰したあとのホイットニー・ヒューストンについてや、今も語り継がれる名パフォーマンスと彼女の功績を語る。
ホイットニー・ヒューストン Whitney Houston
1963年8月9日生まれ、2012年2月11日没。ファッションモデルとして活動後、アリスタ・レコードの社長、クライヴ・デイヴィスに見出され、アルバム『そよ風の贈りもの』で歌手デビュー。2ndシングル「すべてをあなたに」のヒットで一躍時の人となる。1992年には、ケビン・コスナーと共演した映画『ボディガード』の主題歌「オールウェイズ・ラヴ・ユー」が大ヒットし、代表曲となる。私生活では、1992年に人気R&Bシンガーだったボビー・ブラウンと結婚(その後離婚)。2000年代に入ると、さまざまなスキャンダルの影響もあり、活動は停滞する。その後も歌手活動、映画出演をつづけるが、2012年、ホテルの浴室で倒れているところを発見され、48歳という若さでこの世を去った。
北澤 孝氏
Kitazawa Takashi
フジパシフィックミュージック
中武宣廣
Nakatake Nobuhiro
ソニー・ミュージックレーベルズ
(中編からつづく)──ホイットニー・ヒューストンは1990年代の後半から公私ともにさまざまなトラブルがあり、2006年にはボビー・ブラウンと離婚しました。そこからリハビリを経て、2009年に約7年ぶりのアルバム『アイ・ルック・トゥ・ユー』をリリースします。
中武:あのときはロンドンで記者会見をやったんです。僕ら海外のレーベル担当者も呼ばれて、プロデューサーのクライヴ・デイヴィスが「ホイットニーがカムバックしてアルバムを作ったんだ。実は今日ホイットニーを連れて来てる」って、本人を各国、各地域の担当者と挨拶させて、僕も一緒に写真を撮らせてもらいました。
北澤:そのときのホイットニーはどうだった?
中武:リハビリで完全に戻っていて、以前のようにすごく明るく元気な感じでした。
──そして、2010年にはワールドツアーを行ない、最後の来日公演となった『ナッシング・バット・ラブ・ジャパン・ツアー』がありましたね。
中武:そのときのパフォーマンスを観ましたが、声は戻ってなかったです。それは本当に残念でした。既にアルバムのセールスは厳しくなってましたけど、やっぱり知名度はあるんで、コンサートには人が入るんですよ。ただその分だけ、来てくれた人をがっかりさせちゃったツアーでしたね。
──2010年のライブ映像を見ると、「オールウェイズ・ラヴ・ユー」の“♪エンダァァァ~~~”の前に長いブレイクが入るんですね。最大の見せ場の溜めという感じではありつつ、声が出るのかどうかをすごく探ってるように見えます。
北澤:僕も来日公演を観ましたけど、必死に“♪エンダァ”ぐらいまでは出すんだけど、そのあとバックコーラスがフォローして歌うんだよね。そうせざるを得ないんですよ。でも、あの曲は歌わないわけにはいかないですからね。
中武:ほかの曲も声の艶がなくなってましたね。オーディエンスにマイクを向けて歌ってもらうってこともすごくやってたし。制作側もいろいろ考えてライブを作ってたんじゃないですかね。
──その後もあまり良い話がないまま、ホイットニー・ヒューストンは2012年2月11日に亡くなってしまいました。
北澤:そこまでの経緯はなんとなく知ってたから、かわいそうだな、残念だなって思いましたね。
中武:本当に残念でしたね。晩年は暗い話題ばかりでしたし。でも、2009年に彼女がアメリカの人気トーク番組『オプラ・ウィンフリー・ショー』でカムバックしたじゃないですか。日本ではあまり広く知られてないですけど、アメリカではものすごいインパクトがあったんです。
──アメリカのエンタテインメントでは、テレビショウきっかけで復活するということがよくありますよね。
中武:まさに彼女もそうだったんです。日本だとどうしても曲とアーティストってところにフォーカスされるんですけど、本国だと彼女のライフストーリーも含めて見られるわけですよね。彼女は家庭や仕事でトラブルがあってボロボロになって、そこからリハビリして久しぶりのカムバックを果たした。そのストーリーはものすごいインパクトがあったし、支持を集めたんです。
彼女は、何曲もヒット曲を出したシンガーっていうこと以上に、ひとりの人間として、苦難を乗り越えてカムバックしたっていうところにすごく共感を得てるアーティストなんだと思います。特にホイットニーは、なんでも包み隠さず話す人ですしね。それでオーディエンスも、人種など関係なくあらゆる層にファンがいて、国民的な存在。よくよく考えると稀有な存在だと思いますね。
──国民的なアーティストということでは、1991年のスーパーボウルで披露した『星条旗よ永遠なれ』のパフォーマンスは、今でも語り継がれています。
北澤:あれは歴史に残る歌唱ですね。
中武:そうですね。タイミングとしては湾岸戦争が始まった10日後で、国中でアメリカの結束を高めようとしているなかでの、今までとはまったく意味合いが違うスーパーボウルだったんです。そこにホイットニーが出てきて、まさかのトラックジャケットを着て歌うっていう。やはり中東の戦地に向かっている方のことなども考えて、ドレスじゃないって感じだったんだと思います。それで、あの素晴らしいパフォーマンスですよ。『星条旗よ永遠なれ』をああいうアレンジで歌ったのも、それ以前にはなかったんじゃないですかね。
──ゴスペル的でなおかつドラマチックな壮大さがありました。
中武:ファルセットに抜けていく高音とか、とにかく彼女のボーカルが素晴らしい。そのあとシングル化されて発売されましたね。12月23日公開のホイットニー・ヒューストンの伝記映画『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』でも描かれていましたが、あのパフォーマンスは、強烈にアメリカ中の心を掴んだと思いますよ。
映画『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』より
──では、改めておふたりが思うホイットニー・ヒューストン最大の魅力と、彼女が現在にどんな影響を残したのかをお聞きしたいです。
北澤:やっぱり、歌の表現力のすごさじゃないですかね。まず、ゴスペルシンガーだったシシー・ヒューストンがお母さんで、やはりアメリカを代表する歌手のディオンヌ・ワーウィックが従姉妹で、っていう環境がすごいじゃないですか。小さいころから、自然と人の心に入ってくる歌というものが育まれていたんじゃないのかな。
単に歌がうまい人はいるけど、彼女の場合はあとから勉強したものじゃなくて、まさに天から与えられた“ギフト”だなと思いますね。たいがい素晴らしいアーティストは、小さいころからいろんな音楽を聴いて、自分の体にいろんな要素を溜め込んでるんですよ。例えば、エイミー・ワインハウスとか、レディー・ガガもそうだよね。そういう人たちは、なんでも歌えるんですよ。
ホイットニーが、カントリーだろうがポップソングだろうが、何も差別をする必要はないという発想ができるのは、体のなかに全部の音楽の要素があるから。私はこれしか歌えないってことではなくて、自分の表現力があればなんでもできちゃうっていう自信があるんだと思います。そういう意味では、体に入ってる音楽の要素が人種の壁を超えるというのを、ホイットニーの歌には感じます。
──中武さんはいかがですか?
中武:ホイットニーの代名詞として“THE VOICE”と言われますけど、やっぱりあの声ですよね。パワーがあって音程のレンジも広くて、同時にきれいさだけじゃなくちょっとハスキーさも入って、ソウルフルであるという。あの歌い方ができるのは、シシー・ヒューストンから受け継がれたものと、聖歌隊に入ってゴスペルを歌っていたことで培われたものですよね。ポップスもソウルもゴスペルも歌えて、聴いてすぐホイットニーだってわかる、本当に唯一無二の素晴らしい声だなと思います。それに、2000年代になって、人種による音楽のジャンルの境界が取り払われたのは、ホイットニーのようなジャンルの壁を乗り越えてきたアーティストがいたからだと思いますよ。
──ホイットニー・ヒューストンの、自分自身を枠にはめず、自分の意思を持ってやっていくという姿は、まさに今の時代に当てはまるメッセージですね。
中武:確かにそうですね。ホイットニーは2000年に「イフ・アイ・トールド・ユー・ザット」という曲でジョージ・マイケルと共演してるんですけど、これはまさに象徴的ですよ。ジョージ・マイケルは、ワム!でポップシンガーとしてセルアウトしたと言われ、ソロになってからも、1989年のアメリカン・ミュージック・アワードで受賞したときに、なんでルーツが違うのにR&Bシンガーとして評価されるんだとか批判されたりした。その葛藤や境遇は、ホイットニーとすごく近い部分があるんですよ。きっとお互いに、そうした部分にシンパシーを感じたのかもしれないですね。
──お話を聞いて、ホイットニー・ヒューストンのようなアーティストがいたことで、今の時代性が築かれてきたということがよくわかりました。
中武:人種やジャンル、時代を超えて愛される声の持ち主だったってことですよね。
北澤:そういう意味では、今の音楽を作ってくれた人のひとりですよ。今のディーヴァ系とか、人種とかジャンルとか関係ないじゃないですか。ジェンダーフリーが叫ばれている時代で、ビヨンセなんかもいろんなことをやってるし、リゾなんか完全にポップじゃないですか。それは良いことなんじゃないかなって思います。そのルーツに、ホイットニー・ヒューストンがいたということなんだと思います。
文・取材:土屋恵介
撮影:荻原大志
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