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芸人の笑像

宮武ぜんた:2023年『おもしろ荘』から羽ばたく新世代ピン芸人【後編】

2022.12.31

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ソニー・ミュージックアーティスツ(以下、SMA)所属の芸人たちにスポットを当て、ロングインタビューにて彼らの“笑いの原点”を聞く連載「芸人の笑像」。

第19 回は、2023年の年明け直後、深夜0:30から放送される『おもしろ荘』で、独特のキャラネタを披露する宮武ぜんた。所属となって約8年半。コウメ太夫、ハリウッドザコシショウ、アキラ100%ら、SMAが誇る人気ピン芸人のあとにつづくべく、飛躍が期待される33歳だ。

後編では、『おもしろ荘』で披露するネタ“近道”の誕生秘話や、Twitterのプロフィール欄に記載している、写真家、映像作家の肩書についても言及する。

  • 宮武ぜんた

    Miyatake Zenta

    1989年5月26日生まれ。埼玉県出身。血液型AB型。身長173㎝。体重83㎏。趣味:アイドル鑑賞、オシャレな写真を撮りに行く、神社めぐり、散歩。

お笑いをやるならコンビじゃないとなと思ってました

前編からつづく)今でこそピン芸人として活動している宮武ぜんただが、太田プロエンタテイメント学院(現:太田プロエンターテインメントカレッジ)時代から、実はずっとコンビで活動していたという。養成所にも、小学生時代から仲の良かった同級生を誘って入所した。

「僕が憧れていた吉本芸人の方もみんな漫才コンビだったから、自分もお笑いをやるならコンビじゃないとなと思ってましたね。そのときに、実はもう漫才ネタもあったんです。例の大学時代に一緒に起業した友人もお笑いが好きだったんで、別に人前でやる予定があるわけじゃないのに、お互い趣味でネタを書いて、遊びとして見せ合ったりしていたんですよ。

そういうネタを、大学時代もひとりでコツコツとブラッシュアップしてました。それを養成所での最初のネタ見せでやってみたら、先生にめちゃめちゃ褒められたんです! 大学4年間かけて磨きあげたネタだから、出来が良いのは当然で。でもその先は、毎週毎週、新ネタを書いて持っていかなくちゃならなかったから……そこそこのものしか作れなかったですけどね(苦笑)」

当時、初めて付けたコンビ名は……ピン芸人になった今と同じ“宮武ぜんた”。

「なんでしょう、バンド名に自分の名前を付けちゃったボン・ジョヴィみたいなもんですかね(笑)。いや、単純に間違えたんです。僕の本名は宮武善太で、芸名は名前だけ平仮名にしようとずっと考えていたんですけど、養成所に書類を提出するとき、コンビ名を書く欄に個人名を書いてしまったんです(笑)。まぁその漫才コンビの宮武ぜんたも、相方が急にいなくなっちゃったんで、半年間くらいしかつづかなかったですけどね」

その後も、養成所内で相方を見付けながら、いくつかの漫才コンビを結成しては解散した。そして1年で養成所を卒業し、半年間ほど太田プロにネタ見せに通う日々がつづいた。

「といっても、正式に太田プロに所属していたわけではなくて。“預かり”みたいなのとも違う、すごく宙ぶらりんな立場だったんです。そもそも太田プロの養成所を選んだのは、卒業すればそのまま太田プロに所属できるって聞いたからなんですが、実際は違っていて。だから、正直どこでも良いから、正式に所属できる事務所に早く行きたかったんです」

そんな時期に、宮武はまた新しいコンビを組んでいた。その名は“おはなトロピカルビーチ”。宙ぶらりんな状況から脱却したいと思っていたときに、知り合いから聞いた「SMAの芸人部門だったら誰でも入れるらしいぞ」という噂に、彼は乗った。

「その人も、決して良い意味でSMAを教えてくれたわけじゃなく、むしろ悪い意味で言ってたんですよね。当時のSMAの印象ってほんとにヤバくて、この連載でスタミナパンも言ってましたけど、まさに居場所がない芸人が最後に辿り着く墓場みたいな事務所で。それでも、正式に所属できるならイイやと思ったんですね、僕は。相方は、SMAだけは嫌だと思ってたみたいですけど(苦笑)、結局、2014年の6月かな? SMA HEET Projectに所属することになりました。いざ入ってみると、バイきんぐさんやハリウッドザコシショウさんといった大ベテランが多いNEET Projectと違って、HEET Projectのほうは新人が集まっている集団で。なので、世間で言われるほどの墓場感はなかったですね(笑)」

新しい居場所を見付けたおはなトロピカルビーチは、事務所ライブでも悪くない評価を得ていたそうだが、結成から約1年、SMA入所から半年ほどして解散。2016年、ピン芸人・宮武ぜんたが誕生した。

「……なんですけど、先に言っちゃうと僕、結果的に今もピン芸人をつづけさせてもらってますが、自分のなかでは相方が見付かるまでの間、ピンをやってるっていうイメージなんですよ。やっぱり、最初の憧れのコンビがウッチャンナンチャンさんなんで、ほんとはコンビでお笑いをやりたい。だからいまだに、コンビでやる用の漫才ネタも書いていて。ちょっと良いのができたときに、他事務所ですけど、ピン芸人のつむぎ麦さんに声を掛けて、臨時ユニットを組んで賞レースやライブに出たりもしてます。そのユニットも3、4年はつづいてますかね」

妄想悪口ネタで初のテレビ出演

今の姿は、暫定的なピン芸人活動だと本人は言うが、ピンになってわずか2年で、ブレイク芸人の登竜門とも言われる『ガキの使いやあらへんで!』の“大新年会 山-1グランプリ2018”で、「TOKIOの楽屋、空調寒い」や「勝俣州和の飼ってる猫、元気ない」といった芸能人の“妄想悪口”を羅列するネタで、初のテレビ出演を果たせたのは快挙だ。

「あれは、めっちゃ運が良かったんです。それまでずっとコンビでやってきたのでピンネタの作り方がまったくわからなくて、仕方なく一発ギャグやショートコントを10本くらい作って、作家さんに見てもらったんですね。そのなかに、想像だけで悪口を言う“妄想悪口”ギャグが2本くらいあった。そしたら作家さんが、『その悪口だけで3分尺のネタを作ってみたら』と言ってくれて、“山-1グランプリ”のオーディションに持っていったんです。でも審査をしていた著名な作家さんにはウケが悪くて、一次オーディションで落ちたんですね。ところが、たまたま僕のネタ見せに居合わせていたディレクターさんが、最終段階で『あの子、良かったんじゃない?』と僕を思い出してくれて、復活できたんです。あのディレクターさんがいなかったら、テレビなんてずっと出られなかったかもしれないです」

運も実力のうちというが、ピン芸人・宮武ぜんたには、運がしっかり味方している。

「でも、もともとピンネタ作りはそんなに得意じゃないんですよ。今のピンネタも、ユニットの相方であるつむぎ麦さんに協力してもらってます。まずはキャラクターの外見やコンセプトといったパッケージを僕が考えて、具体的な中身は彼女と一緒に考えていく。……といっても、メディアに出させてもらえるような手応えのあるネタが作れるのは、3年に1本くらい。“山-1グランプリ”から今回の『おもしろ荘』まで5年も空いてしまったのは、そういうわけなんですよね」

とはいえ、毎月新ネタは作りつづけている。コロナ禍以降のSMAでは、NEET ProjectもHEAT Projectも芸人同士のネタ見せ会と事務所ライブに出す2本の新ネタを作って、毎月披露するルールがあるからだ。

「そのシステムが、マジで自分には合ってますね。正直、僕は、1カ月に新ネタは1本で良いと言われたら、本当に1本しか作らないヤツなので(笑)、2本作る機会があるというのも良いことだし、新ネタを熟成させられる良いサイクルができてるんです。まず芸人仲間に見せることでネタの良し悪しも、何が足りないかもわかるし、そこから少し寝かせた上で、芸人のアドバイスをもとに頭のなかでブラッシュアップしてから、事務所ライブに出せるというのが良い。お客さんに見てもらうネタは、やっぱりある程度、面白いとわかっているものじゃないと悪いじゃないですか」

若林さんの「結局それだけで面白い」が心に残った

そんな宮武にとっての最近の“良いサイクル”から生まれたのが、芸人人生2度目の大舞台『おもしろ荘』でも披露する“近道”のネタ。真っ白いジャケットを着込んだ運動着の男が繰り広げる、ハイテンションなキャラ漫談だ。

「 “近道”のネタは、オードリーさんのラジオがきっかけです。若林(正恭)さんが、DJ KOOさんの『EZ DO DANCE!』や藤森(慎吾/オリエンタルラジオ)さんの『君、かわうぃーね』のキメフレーズなんかは、結局それだけで面白いんだと言っていて、すごく心に残ったんですよ。じゃあ僕は、そこの枠を狙ってみようかなとマジで思って、“音を延ばして言うと面白い文字列”を探して、ヘンな男が全力で『到着~!』と叫んだら面白いよな! に行き着いた。まず“到着”ありきで、じゃあ、到着するものってなんだろうと考えたら、“近道”かなと。そういえば小学生のときに、『近道するぞ!』って言って人の家の塀の上をよく歩いたけど、あれってなんだったんだろう? なんてことも思い出しましたね」

コンビを組むまでの繋ぎのつもりで仕方なく始めたピン芸だったと彼は言うが、ピンネタの話をする彼の表情は、とても楽しそうだ。人前でやる予定のないコンビネタをコツコツと書き溜めていたり、日常のふとした出来事からもネタの種を見付けたり、いつもお笑いのことを考えている姿は、彼が吉本のお笑い番組にのめりこんでいた少年時代と、おそらく何も変わっていない。

実直なお笑い好きの一面がありながら、Twitterのプロフィール欄に“お笑い。写真家。映像作家。つまり、アーティスト”と書いてしまうような、チャラそうな自信家の一面を覗かせるのも“イキリがち”な彼らしい。

「あえて自分から“高め”に言っていこう、自己評価を高めに設定していこう、というのはありますね。カメラを買っただけでフォトグラファーと名乗ってみようとか(笑)。一度YouTubeにHEAT Projectの事務所ライブの映像を、ミュージックビデオみたいにスマホで勝手に撮ったら、それがなかなか良い出来で。どうせならもっとカッコ良い映像を撮りたいと、良いカメラを買ったんですね。でもコロナ禍になってライブもやらなくなったから、映像を撮る機会もなくなった。じゃあ、写真をやってみようかなと思って撮り始めたら、そっちにハマっちゃいまして。

僕は人を撮りたいんで、最初は後輩芸人をモデルにしてたんですけど、なんかいちいち誰かにお願いして撮らせてもらうっていうのも大変じゃないですか。だから今は、散歩しながらたまに猫を撮ったりすることしかできてない。コロナ禍になって、ヒマを持て余して4コマ漫画をデジタルで描いて公開したりもしてたんですけど……長つづきしなかったしなぁ。何かやりたいと思ってすぐ自信満々でやってみるけど、すぐ飽きるというのは、昔からの僕の習性ですね。長つづきしてるのって、マジでお笑いだけだと思います(笑)」

そんな宮武の、笑いに賭ける熱量の高さと根の真面目さを心から慕っているのが、今や売れっ子となったHEET Projectの後輩芸人・やす子だ。本連載でのインタビューの際にも、やす子が宮武を“一番の師匠”と呼んでエピソードを語ってくれてはいたのだが、文字数の都合で割愛してしまった。

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「まぁ、よく取材とかでも師匠だと言ってくれてるらしいんですけど、僕のほうが全然売れてないんで、記事でカットされることには慣れっこです(苦笑)。やす子がSMAに入ったばかりのころ、面白い子だなと思って一緒にライブやろうよと誘ってからの付き合いなんですけど、まだ実現してなくて。前はよく、僕のバイト代が入ったときに、「ご飯食べに行こう!」って奢ったりしてたんですけど、最近はやす子のスケジュールがなかなか取れないし、久々にこの間、一緒にメシ食いましたけど、今じゃやす子が奢ってくれます(笑)」

2022年は、『おもしろ荘』に出演することを目指してネタを磨いてきたという宮武ぜんた。この出演をきっかけに、2023年はブレイクが期待されるところだが、芸人としての次なる目標はなんだろうか。

「いつか良い相方を見付けて、もう一度コンビでやりたいという夢はありつつ……今はピン芸人としてもっと頑張って、テレビに出て売れたいですね。せっかく『おもしろ荘』に出してもらえたんだから、『ぐるナイ』本編にも呼んでもらえるようになりたいし、憧れの内村(光良/ウッチャンナンチャン)さんがMCの『世界の果てまでイッテQ!』にも出たい。やっぱり内村さんに笑ってもらえるのは、夢なんですよ。ネタを見てもらえる番組も内村さんはやってますけど、ネタ番組以上にバラエティの平場で笑ってもらえたら、一番気持ちイイと思うんで!」

文・取材:阿部美香

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