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連載Cocotame Series

アーティスト・プロファイル

そしてPIGGSへ。アイドル界のイノベーター、プー・ルイの航海【前編】

2023.01.27

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気鋭のアーティストの実像に迫る連載企画「アーティスト・プロファイル」。

今回登場するのは、2010年代にアイドルグループBiSのメンバーとして名を馳せ、その後も数々の話題を振りまいてきたプー・ルイ。長きにわたって活動をつづけてきたアイドル界のリビングレジェンドの道のりとはどのようなものだったのか。今年、自身が運営を手掛けるPIGGSのメンバーとしてメジャーデビューを果たし、新しい地平に踏み出した彼女に聞く。

前編では、PIGGSでの4度目のメジャーデビューから、プロデューサー・渡辺淳之介(現:WACK)とともにスタートしたBiSのころへと遡っていく。

プー・ルイプロフィール画像

プー・ルイ Pour Lui

1990年8月20日生まれ。埼玉県出身。2009年11月4日、配信シングル「限られた時間の中で☆」で歌手デビュー。2010年9月にソロ活動を休止し、アイドルグループ、BiSとして始動。体を張った活動で注目を浴びるとともに、「nerve」などの名曲を残す。2020年、会社社長に就任し、自身も参加する新グループPIGGSを結成。2023年1月11日、「負けんなBABY」でメジャーデビュー。1月29日に、日比谷野外大音楽堂でのワンマンライブ『焼豚大解放』を開催する。

通算4度目のメジャーデビュー

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約12年前、プー・ルイが「アイドルをやりたい」と、最初のアクションを起こさなければ、「nerve」といった名曲を残した第1期BiSは生まれなかったし、その後、BiSHなどを輩出したWACKは存在しなかったかもしれない。もしかしたら、現在無数にあるエモーショナルロック系のアイドルグループも生まれなかったかもしれないし、ライブアイドル界隈も今とは違う形になっていたかもしれない。

アイドル界という大海原に石を投げ、その波紋から大きな波が起きた。その石を投げ入れた人物こそ、現在32歳となったプー・ルイだ。ストレートに言ってしまえば、アイドル界の功績者としてプー・ルイはもっと評価されても良い。移り変わりの激しいアイドルシーンを生き抜き、現在も戦いの炎を燃やすプー・ルイの原動力とは。

まずは、現在のプー・ルイの主戦場であるPIGGS。PIGGSは2020年4月の結成からインディーズで活動を行ない、2023年1月11日に、ソニー・ミュージックレーベルズのアリオラジャパンからメジャー1stシングル「負けんなBABY」をリリースした。今回、プー・ルイにとって通算4度目のメジャーデビューとなる。

「PIGGSは、私の会社のプープーランドとSpotify O-EASTなどのライブハウスを経営しているシブヤテレビジョンの2社で運営しているグループなんです。メジャーデビューはPIGGSの目標のひとつだったので、メジャーレーベルを探そうってときに、シブテレの方がアリオラジャパンと橋渡ししてくださいました」

インディーズでのPIGGSの楽曲は、BRIAN SHINSEKAIの名前でアーティスト活動を行なうRyan.Bがサウンドプロデューサーとしてすべて手掛けてきた。そんななかで昨年、メジャーデビュー後の楽曲制作のプロデュース権をかけた、TEAMメジャーとTEAMインディーの対決が行なわれた。

「打ち合わせをするなかで、メジャーでの楽曲をどうするか、Ryan.Bでいくのか、ガラッと変えるのかって話が平行線のままだったんです。それをそのまま企画にしたのが、TEAMメジャーとTEAMインディーのプロデュース権をかけた“#PIGGSメジャーへの挑戦”だったんです」

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昨年7月13日に発売されたインディーズラストシングル「BURNING PRIDE / 豚反骨精神論」にはTEAMメジャーとTEAMインディーの制作した2曲が収められ、メジャーでのプロデュース権はファンの投票によって勝敗が決められた。結果、勝利を収めたのはTEAMインディーだった。

「TEAMインディーが勝ったんですけど、対決していくなかで、メジャーの方たちはインディーズの良さ、私たちはメジャーの良さを知れたんです。それで、片方の意見を通すんじゃなく、一緒に手を組んで良いものを作りましょうってことになったんですよ。河原で殴り合いのけんかをした末に仲間になる、みたいな感じでした(笑)」

PIGGS入魂のメジャー1stシングル「負けんなBABY」は、タイトル通り“負けんな”とストレートなメッセージを歌う応援ソングとなっている。夕陽をバックに、ビルの屋上で清々しい表情のメンバーがパフォーマンスするミュージックビデオ(以下、MV)は、リリース日にちなんで、メンバーが千葉県の犬吠埼から渋谷までの111kmを走ったり歩いたりする企画“111㎞負けんなBABY”にチャレンジしたあとに撮影されたものだ。

PIGGS / 負けんなBABY [Official Video]

「メッセージ性が強い『負けんなBABY』を一番よく伝えるためには、心の底から湧き出る表情じゃなきゃダメなんじゃないかなっていうのが私のなかにあったんです。それに、メジャーで最初のシングルだからこそ、PIGGSが今までやってきたもので勝負したいっていう気持ちもありました」

PIGGSは、2020年10月に公開された「クマンバチの独白」のMVで、約5時間、109回ノンストップで歌い踊りつづけたこともある。2021年10月、KINCHANが新メンバーとして加入したときには、100kmマラソンで会場に辿り着いてからツアー初日のライブを行なったこともあった。それが今回の企画につながった。

「ただ、今回はタイムオーバーで、チャレンジ失敗してしまったんです。今までの自分だったら、失敗したのに歌えないって思ったと思うんですよ。でも今回、チャレンジ失敗後にMV撮影をしてみて、新しい感情で歌えたんです。負けた上で歌う、優しい『負けんなBABY』みたいになったんですよ。あの日を境に、自分のなかでちょっと変わった感じがあって。スッキリした表情で歌えたし、負けてもいいから挑戦しつづけようみたいな新しいところに行けましたね」

100社以上オーディションを受け、どこにも引っかからなかった

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これまでもそうだったが、プー・ルイは体当たりしながら前進していくタイプの人間である。何かと過激な挑戦をしては注目を集めてきた。だが実は、彼女の持つ大きな武器は“歌”そのもの。熱さもありながら同時に切なさを感じさせるプー・ルイのボーカルは、かなり特徴的だ。

「2~3歳のころは、公園に行くよりも家で『みんなのうた』を見ていたい子だったみたいです(笑)。親が言うには、私の歌好きはそこから始まってるらしいです。それで、小学校にあがったときに地区の合唱団に出会うんですよ。その合唱団内でリードボーカルのオーディションとかがあるんですけど、毎回落ちるんですよ(笑)。小学校から私のオーディション人生は始まりました」

その後、中学で軽音楽部、高校でも仲間とバンドを組み、そのころには「プロになる!」と息巻いていたと言う。そこからオーディションを受けまくったプー・ルイは、ようやくつばさレコーズに合格。プロへの道を掴む。

「高3ぐらいから100社以上オーディション受けまくって、どこにも引っかからなかったんです。大学1年の夏にやっと受かったのがつばさレコーズでした」

インタビュー画像4

つばさレコーズでプー・ルイは、人生を大きく左右する盟友・渡辺淳之介(現:WACK代表取締役)と出会う。渡辺プロデュースの元、ソロでデビューを果たすが、残念ながら、鳴かず飛ばずだった。

「2009年11月4日に、配信シングル『限られた時間の中で☆』でソロデビューしたんですが、全然うまくいかなかったですね。それで気晴らしとして、モーニング娘。さんのライブ動画をずっと見てたんですよ。もともとアイドルは好きだったけど、そんなに熱心に見てるってわけでもなかったんです。でも、ちょうどそのときが、高橋愛さんがリーダーの“プラチナ期”とのちに呼ばれる時期で、“こんなにカッコ良いアイドルがこの世に存在するのか!”って衝撃を受けて。そこからモーニング娘。さんが大好きになっちゃったんです」

混迷期に出会ったモーニング娘。がきっかけで、彼女はアイドルをやりたいという願望に目覚めていった。

「モーニング娘。さんを見て、“私がやりたいのはこれだ!”って思ったんですよ。まあ、全然違うものになっちゃいましたけど(笑)」

アイドルのどんな部分に、プー・ルイは強く惹かれたのだろう。

「たぶん、学生時代に私がバンドのボーカルをやりたかった理由と一緒で、人と何かを作りたかったんだと思うんです。ボーカル、ギター、ベース、ドラムの4人で同じ夢を追いかけるっていうのに憧れてたんですよ。なので、アイドルもそこは同じっていう感覚だったんです。だから、そもそもソロでオーディションを受けてたのが間違ってたんですよね(笑)」

アイドルのことを何もわからない人たちが作ったのがBiS

彼女はアイドルに対して、仲間と一緒に夢を掴んでいくという『少年ジャンプ』的な熱さを感じていた。プー・ルイが先頭に立ったアイドルプロジェクトは、2010年の10月にメンバーオーディションが行なわれ、同年11月に活動を開始。アイドルを研究しアイドルになっていこうというコンセプトから、新生アイドル研究会“Brand-new idol Society”の略称であるBiSがグループ名となった。

「BiSをやり始めたときが、ちょうど“アイドル戦国時代”が到来した時期だったんですよ。それは運が良かったなと思います。私はそんなこと全然知らなかったし、渡辺さんは、アイドルはイヤだってずっと言ってましたし。で、BiSの初ライブをmorph-tokyoの『オンナノコノウタ』(2011年2月4日)っていう対バンイベントでやったんですよ。そのころ、私がソロで出てたイベントは、平日はお客さんが30人もいたら『すごい多かったね』って感じだったんです。そしたら『オンナノコノウタ』は平日なのに200人ぐらい入って満パンだったんです。そのときに、私たち全員が初めて、アイドルって今すごい人気なんだって実感して、これはちゃんとやっていこうっていう感じになったんです」

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2010年代初頭の“アイドル戦国時代”と呼ばれた時期は、AKB48が絶大な人気を誇る裏で、さまざまなスタイルのアイドルグループが全国から登場し始めたタイミングである。

「当時アイドルはすっごく盛りあがってるシーンで、日々新しい人が出るみたいな感じでした。そのなかで、アイドルのことを何もわからない人たちが作ったのがBiSだったんですよ。だから悪目立ちしたんですよね(笑)。私たちとしては純粋にアイドルを頑張ってたという感覚なんですけど、それが変に見えたっていう。それもラッキーでしたね」

マネージャーの渡辺は話題性を生む確信犯的なところがあったように見えたが、メンバーとしては自分たちなりにアイドルというものに向き合った結果、いびつになってしまったところが大きかったと言う。

「初ライブで、『レリビ』という曲でマイクを置いて走り回ったのも、面白さを狙ったんじゃなくて、メンバーにダンス経験者が誰もいなくて踊れないから、走るしかできなかったんですよ(笑)。『パプリカ』という曲でラジオ体操したのも、ダンス=ラジオ体操と思ってやってみたら曲にハマったってことだったんです。『My Ixxx』の全裸MVも、全裸だからオモロイじゃなかったです。メンバーがひとり抜けて、“ヤバい!”ってなって“原点回帰だ! 裸じゃん!”って発想だったんですよ。そういう感じで、BiSって全部がピュアだったんですよね。純粋な気持ちでやってたことが、『面白い』ってウケたのかなって感じでした」

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BiSは、全裸MVを始め、24時間耐久フリーライブ、スクール水着でのライブでステージからのダイブ、24時間100kmマラソン、特典会ではケツバット会、DDTプロレスでプー・ルイがシングルマッチ、ノイズバンド・非常階段とのコラボユニット“BiS階段”や、ファッションデザイナーのコシノジュンコが正式加入&終身名誉メンバー就任など、かなりめちゃくちゃなことをやってきた。そうした破天荒さと松隈ケンタの作る素晴らしい楽曲がブーストし、人気は上昇。研究員(BiSのファンネーム)と作りあげる嵐のようなライブは、まさにパンクバンドに負けないエナジーがみなぎっていた。

数々の話題を振りまき、メンバーチェンジを重ねながら爆走してきたBiSだったが、約3年半の活動の末、2014年7月8日に横浜アリーナでのワンマンライブ『BiSなりの武道館』で、第1期BiSは解散する。

「もともとBiSは、日本武道館に立ったら解散するというのを掲げてたんです。そしたらいろいろあって、日本武道館ではやれず、横浜アリーナになったんです。3時間半くらいの長いライブでした」

自身が発起人である第1期BiSの解散時、横浜アリーナのステージに立ったことで、“やり切った”という思いで満たされたかというと、そうではなかった。

「振り返ると、私、BiSに夢中になり過ぎて、良くも悪くも一番BiSにのめり込んでたメンバーだったんです。大きい会場でやれるうれしさはあったけど、ひたすら49曲を歌い踊って、MCもしないし、最後の『以上、BiSでした。ありがとうございました』っていう挨拶もしなかった。だからなのか、自分の想いを浄化できなかったんですよね。自分の気持ちのなかでは、BiSを解散できなかったんですよ。やり切った気持ちはあったけど、そこから、燃え尽き症候群+“まだ当たり前に自分はBiSである”っていう前提で生きちゃったというか。生霊というか地縛霊みたいな感じになっちゃったんですよね(笑)」

成仏できず、BiSの地縛霊となってしまったプー・ルイ。その後、彼女は再び迷走期に突入していくのだが、それは避けられないものだったのかもしれない。

「もう解散してるのに、自分のなかにまだBiSがあったんですよ。だから、そのあとバンドもやったけど、何やっても不感症で、“BiSより楽しくない”“こんなはずじゃない”とか、BiSの思考のままで。スタッフさんと仲良くなるためにはケンカしなきゃいけないとか(笑)、そういうモードで生きちゃったんです」

後編につづく

文・取材:土屋恵介
撮影:荻原大志

ライブ情報

『焼豚大解放』
2023年1月29日(日)
日比谷野外大音楽堂
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リリース情報

「負けんなBABY」ジャケット写真
 
「負けんなBABY」
発売中
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