ラファエラ・グロメスがチェロで描く“女性作曲家たちの肖像”【後編】
2023.06.22
遠い昔に生まれ、今という時代にも息づくクラシック音楽。その魅力と楽しみ方をお届けする連載「今、聴きたいクラシック」。
今回は、クラシック音楽界でひときわ注目を集めるチェリスト、ラファエラ・グロメスをフィーチャー。2017年にソニー・クラシカルの専属アーティストとして初のアルバムを発表して以降、およそ毎年1枚のペースで新譜をリリースし、そのいずれもが高い評価を得ている。そして今年6月には『ファム〜女性作曲家たちの肖像』と題したCD2枚組のアルバムをリリースした。
豊かな音楽性とテクニック、そして今という時代におけるクラシック音楽のあり方を体現するクリエイティビティを兼ね備えた新世代、ラファエラ・グロメスの魅力に迫る。
前編では、チェリストを志すまでの道のり、女性をテーマに新作アルバムを作った理由について聞いた。
ラファエラ・グロメス
Raphaela Gromes
©️Georg Thum @wildundleise
1991年ミュンヘン生まれのチェリスト。4歳より母からチェロを習い始める。2005年にフリードリヒ・グルダ作曲のチェロ協奏曲を演奏してソロデビュー。2012年、ガルミッシュ=パルテンキルヒェンにおいて開催されたリヒャルト・シュトラウス・フェスティバルの若手演奏家のためのコンクール(チェロ部門)にて優勝。2017年、ソニー・クラシカルの専属アーティストとして初のアルバム『セレナータ・イタリアーナ』をリリースし、高い評価を得た。以降、定期的にリリースを重ね、2023年6月に最新アルバム『ファム〜女性作曲家たちの肖像』をリリース。
“知情意のバランスに優れた”という表現は、彼女のようなアーティストを形容するときに使うべき言葉なのだろう――。1991年ミュンヘン(ドイツ)生まれのチェリスト、ラファエラ・グロメスの新譜『ファム〜女性作曲家たちの肖像』に収められたフローレンス・プライス※の「アドレーション」に耳を傾けながら、そんなことを考えた。
冒頭から鳴り響く優美な、しかし仄かな熱気も纏った音色。メロディラインに合わせてしなやかに変化するダイナミクス。表情豊かでありながら決して感情任せにはならない、どこまでも自然な歌心。わずか3分ほどの小品を聴くだけで、彼女がいかに深く楽譜を読み込み、作曲家と作品に想いを巡らせて録音に臨んでいるかがありありと伝わってくる。
※フローレンス・プライス(1887〜1953年)
アメリカの作曲家。アフリカ系アメリカ人女性の作曲家として初めて、その交響曲がアメリカのメジャーオーケストラによって演奏された。
Raphaela Gromes - Florence Price - Adoration
2005年、14歳のときにフリードリヒ・グルダ※のチェロ協奏曲を演奏してソロデビュー。ライプツィヒ音楽院在学中の2012年には、ガルミッシュ=パルテンキルヒェン(ドイツ)で開催されたリヒャルト・シュトラウス・フェスティバルの若手演奏家のためのコンクール(チェロ部門)にて優勝。
その優勝者コンサートで演奏したリヒャルト・シュトラウスとフェリックス・メンデルスゾーンの「チェロとピアノのためのソナタ」のライブ録音がFARAO classicsレーベルからリリースされ、好評をもって迎えられた。そして、2017年にはソニー・クラシカル専属アーティストとして初のアルバム『セレナータ・イタリアーナ』を発表。以後、およそ毎年1枚のペースで新譜をリリースしている。
※フリードリヒ・グルダ(1930〜2000年)
クラシック音楽のピアニストとしてイェルク・デムス、パウル・パドゥラ=スコダとともに「ウィーン三羽烏」と呼ばれて名を馳せるいっぽうで、ジャズピアニストや作曲家としても活動した。
両親ともにチェリストという家庭に生まれ育ったラファエラ・グロメスが、初めてチェロを手にしたのは4歳のときのことだった。
「私はひとりっ子で、小さいころから両親のコンサートツアーに同行していました。いつか自分もあの舞台で一緒に弾きたいと思いながら見ていたのを覚えています。私もチェロを弾きたいと両親にしつこくねだりつづけました。そして、ついにある年のクリスマスに、ツリーの下に分数チェロ※がぼんと置いてあったのです。これが私とチェロとの出会いでした」
※分数チェロ
子どもが身体の大きさに合わせて演奏できるように作られた小型のチェロ。1/8、1/4、1/2、3/4などがある。
初めての舞台は両親のコンサート。そのアンコールだったという。「7歳のときに両親のコンサートのアンコールで、親子3人で舞台に立ったんです。このときにステージ上で味わった“感覚”が忘れられなくて、『絶対につづけたい』と親に言いました。それからは、ますますレッスンに身が入りましたね。
プロのチェリストになる決心をしたのは14歳のころです。当時は音楽学校に行きながら、普通の学校にも並行して通っていたのですが、アビトゥーア(大学入学資格試験)を受けるころには、自分はチェリストとして生きていくと心に決めていました。既にいろいろな舞台にも立っていましたし、オーケストラと共演する機会もありました。そうした体験をしていたので、これはもう自分の天職だと感じたのです」
ジャック・オッフェンバックの生誕200年を記念したチェロ作品集『オッフェンバック』(2019)や、『クレンゲル、シューマン:ロマンティック・チェロ協奏曲集』(2020)といったチェロのためのレパートリーの録音に取り組むいっぽうで、『オマージュ・ア・ロッシーニ』(2018)にはジョアキーノ・ロッシーニの歌劇『チェネレントラ』から「悲しみと涙のうちに生まれて」を、『イマジネーション』(2021)にはアントニン・ドヴォルザークの歌劇『ルサルカ』から「月に寄せる歌」を収録するなど、ラファエラ・グロメスは声楽作品からの編曲も数多く録音している。
こうした多彩な作品を演奏できる“幅広い可能性”を秘めているところが、チェロという楽器の魅力だと彼女は語る。
「チェロは演奏面での可能性がとても幅広い楽器で、あたたかな音色も、暗いサウンドも、そして高音域ではヴァイオリンによく似た技巧的で明るい響きも奏でることができます。歌手のプラシド・ドミンゴさんが『自分が舞台で歌うときにはチェロの音を参考にして声を出すようにしている』と仰っていましたが、そういった“人間の声に近い音色”を持っているところもチェロという楽器の魅力のひとつですね。
彼がチェロの響きを参考にしているのと同じように、私も『自分が歌手だったらこのパッセージはどういう風に歌うだろうか』といったイメージを膨らませながら楽譜を読み、音楽を作り上げています」
今回登場した『ファム〜女性作曲家たちの肖像』も、ラファエラ・グロメスが奏でるチェロの「歌」を存分に堪能できるアルバムである。彼女が今、“女性”をテーマにしたアルバムを作った背景には、友人からの素朴な質問があった。
「音楽業界でイベント制作などの仕事をしている友人から『なんで作曲家というと男性ばかりなの?』という疑問をぶつけられたのが最初のきっかけでした。そのとき、確かに私も女性の作曲家についてはよく知らないなと思ったんです。クララ・シューマンやファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼル、現代ではソフィア・グバイドゥーリナくらいしか思い浮かばないな、と。学生のときに課題曲として練習した作品にも、女性作曲家の曲はひとつもありませんでした。
そこで、これは調べてみたら面白いかもしれないと思い、“女性作曲家探し”を始めたんです。ドイツとアメリカに楽譜のアーカイブがありまして、そこへアクセスして調べました。すると、実にいろいろな女性作曲家の作品が出てきました。もちろん出版されている楽譜もありますが、女性作曲家の楽譜には未出版のものが多く、今回のアルバムにも手書きの楽譜を用いて演奏したものがかなりの数含まれています」
実際にそれらの楽譜を掘り起こして弾いてみると、素晴らしい作品がたくさんあって驚いたという。
「多くの女性作曲家は、ヨーロッパでは長らく厳しい状況のなかで創作をつづけていました。音楽の勉強をすることさえ社会的に認められていない時代もあったのです。女性たちが多くの困難に立ち向かいながら作品を遺していったという事実に深く感銘を受けました。抑圧されていたぶん、“声にならない声”というものを音楽を通して表現していった、そういう女性作曲家が多いことにショックを受けましたし、これほどまでに質の高い作品がほとんど演奏されてこなかったという事実にも衝撃を受けました。探してみると、実は楽譜を遺している女性作曲家は2,000~3,000人以上もいるのです。交響曲を書いている人もたくさんいて。今後はそういったところも少しずつ探っていきたいですね」
中世ドイツで活躍したヒルデガルト・フォン・ビンゲン(1098〜1179年)の「おお、英知の力よ」から、2017年に世を去ったイタリアの作曲家マティルド・カピュイ(1913〜2017年)の「チェロと弦楽のための3つの瞬間」、さらには今をときめくポップスター、ビリー・アイリッシュの「ノー・タイム・トゥ・ダイ」まで、『ファム〜女性作曲家たちの肖像』には23人もの女性作曲家の作品が収められている。
Raphaela Gromes - Billie Eilish - No Time To Die (Cello Cover)
「今作では23人の女性作曲家を取り上げていますが、実は1曲1曲は短い曲ばかりです。中世から今日に至るまでの女性作曲家をなるべく多く、万華鏡のように紹介したかったので、ソナタや交響曲といった長い曲はあえて入れませんでした。そういった作品も、またどこかで紹介していきたいと思っています。
近年は性別の格差をなくしていこうと、さまざまなシーンで言われていますが、芸術の世界においては女性アーティストの再評価がまだまだ進んでいないように感じています。ただ、女性作曲家に注目する演奏家は近年非常に増えてきていて、これまで光の当たらなかった作曲家がどんどん紹介されるようになってきています。こうした動きが音楽に限らず、絵画や文学の世界でも、少しずつ広がってきているのはうれしいですね」
いっぽうで、単に女性作曲家の作品を並べるのではなく、オペラのヒロインなどにも目を向けて、さまざまな角度から“女性”というテーマにアプローチしているところも本盤の魅力のひとつだろう。
マリア・アントーニア・ヴァルプルギス・フォン・バイエルン(1724〜1780年)の歌劇『アマゾンの女王タレストリ』に加えて、3人の男性作曲家が遺したオペラ――ヘンリー・パーセル(1659〜1695年)の『ディドーとエネアス』、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756〜1791年)の『フィガロの結婚』、ジョルジュ・ビゼー(1838〜1875年)の『カルメン』――の編曲も収録されている。
「オペラの編曲も取り上げたのは、子どものころからオペラが大好きだったからです。カルメンと、『フィガロの結婚』のスザンナが大好きで。特にカルメンに対する私の気持ちは、年齢を重ねていくうちに変化していきました。最初は嫌な女性だなと思っていたのですが、あるとき、彼女は男性社会のなかで自由を求めて闘った強い女性なのだということに気付いたんです。それでカルメンに対する印象が変わりました。
そもそも、最初にこのアルバムを作ろうと思ったときには、これほどたくさんの女性作曲家がいるとは思っていませんでした。そのため、女性作曲家の作品だけでは足りないだろうから、女性が主人公になっているオペラの作品もミックスしていこうと思っていたんです。
ところが、リサーチを始めるとどんどん女性作曲家が出てきまして、最後に男性作曲家による3曲だけが残ったのでした(笑)。でも、よく考えてみるとディドーとタレストリというふたりの女王を、同時代に活躍した作曲家によるオペラの登場人物として対比させてみるのも面白いかなと。こうした“過程”も選曲に大きく影響しています」
文・取材:本田裕暉
通訳:岡本和子
『ファム〜女性作曲家たちの肖像』
発売日:2023年6月21日(水)
価格:3,960円(CD2枚組)
ラファエラ・グロメス(チェロ)
ルツェルン祝祭弦楽合奏団、ダニエル・ドッズ(音楽監督)[CD1]
ユリアン・リーム(ピアノ[CD2]/編曲)
収録曲はこちら
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