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連載Cocotame Series

アーティスト・プロファイル

ラーメンと交差するトミタ栞の10周年での挑戦【前編】

2023.07.19

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気鋭のアーティストの実像に迫る連載企画「アーティスト・プロファイル」。

今回登場するのは、シングル「ラーメンウォーアイニー」をリリースし、今年でアーティストデビュー10周年を迎えたトミタ栞。記念的ワンマンライブ『トミタ栞 デビュー10周年ライブ~トミタ祭~』を終えた彼女に、改めてこの10年を振り返りながら、デビューまでの経緯や、新たなステージへと向かう現在の心境を聞く。

前半では、デビューのきっかけから、ラジオやTikTokを通しての活動を振り返る。

トミタ栞プロフィール画像

トミタ栞 Tomita Shiori

1994年2月1日生まれ。岐阜県出身。血液型AB型。2012年から2015年まで、音楽情報バラエティ番組『saku saku』(テレビ神奈川)の5代目MCを務める。2013年にミニアルバム『トミタ栞』でエピックレコードジャパンからCDデビュー。4thシングル「だめだめだ」は、TVアニメ『NARUTO-ナルト-疾風伝』のエンディングテーマとして起用された。新曲「ラーメンウォーアイニー」配信中。10月18日より、対バンライブ『トミタイバン vol.3』を開催。

自分を求めてくれる人がやっと見つかった

トミタ栞1

今年の6月にアーティストデビュー10周年を迎えたトミタ栞は、このメモリアルなタイミングで、“ラーメン”への想いを歌にした新曲「ラーメンウォーアイニー」を配信シングルとしてリリースした。さらに、6月25日に代官山UNITで開催されたワンマンライブ『トミタ栞 デビュー10周年ライブ~トミタ祭~』では、オープニングVTRにトミタの両親が登場し、娘を応援してくれているファンへの感謝を伝えるとともに、開会宣言を行なった。

「29歳という年齢なので、同級生たちは家業を継いだり、地元に戻ったりするっていうターンに入っているんですよね。ちょっと前までは、みんな偉いな~と、他人事のように思ってました。

でも、10周年のライブのちょっと前に自分の人生と向き合う時間があって。そしたら頭のなかに、うちの実家がもう、めちゃくちゃギャンギャンギラギラに出てきたんです(笑)。今までは、実家のことや家業のことは、わかってはいるけど、一回箱にしまって横に置いていたんですよ。でも、そのふたを開けてみたら、あまりにも光っていたんで、『こいつか!』と思って。改めて、これが自分にとって一番大事なことなのかと気付いたんです。それで、『ラーメンウォーアイニー』を制作しました」

トミタ栞2

1994年2月1日に、岐阜県飛騨高山で祖父の代からつづくラーメン店“豆天狗”に生まれ、幼少期から店を手伝っていたというトミタ栞は、高校3年生になる2011年の春にソニー・ミュージックアーティスツ(以下、SMA)のオーディションに合格し、家業とはまったく別の道に進むことになる。

「中1からずっとオーディションに応募しつづけてきました。オーディション雑誌を見て、履歴書をひたすらコピーしまくって、毎月、10社ぐらいに送ってましたね。でもどこも受からなくて、いよいよ進路を決めないといけない時期になって。オーディションをもうやってられないな、これで本当に最後かなっていうときに、初めてソニーミュージックのオーディションで最終まで行って、SMAへの所属が決まったんです」

オーディションを受けた当初は女優志望だったという。

「ただただ有名になりたかったんですよね(笑)。歌うことは大好きだけど、楽器もやってないし、作詞作曲もできないし、歌手になるレベルではないと思ってたから、一応、女優志望って書いて提出しました。でも、ソニーミュージックのオーディションだから、歌の審査もあったんですね。そしたら、『歌で所属しないか?』って言われて。当時は、有名になりたいだけだから、もうなんでも良かった(笑)。え? そっち!? っていう驚きもありつつ、所属できることがめちゃくちゃうれしくて。自分を求めてくれる人がやっと見つかって、新しい道が一本できた。有名になるまでが夢だったので、所属できたことはあくまでもやっとスタート地点に立てたという感覚だったんですけど、『saku saku』が決まったことで自分の線路が見えました。そこからは『saku saku』で求められるがままに全力でやってきて、ひたすらその道を突き進んでる感じでしたね」

生活を支えてくれたのがラジオという線路

トミタ栞3

高校卒業後の2012年4月から、テレビ神奈川の音楽情報バラエティ番組『saku saku』のMCに就任。あかぎあい、木村カエラ、中村優、三原勇希につづく5代目のMCとして芸能活動をスタートさせ、翌年の2013年には、大貫亜美(PUFFY)、田村歩美(たむらぱん)、常田真太郎(スキマスイッチ)らが楽曲提供で参加したミニアルバム『トミタ栞』でアーティストデビューを果たした。

「この10年間を振り返っても、『saku saku』の影響はめちゃくちゃ大きいです。私、今、年齢をぱっと聞かれると、『22、23歳?』って言っちゃうんですよ。『いや、25……26、この間30が近いとか言ってたな?』みたいな整理が頭のなかで行なわれるぐらい時が止まってて。自分の活動を思い返すときに『saku saku』が終わってから何年経ってるかで計算をしてるんですよね。

それくらい、自分のなかでの印象が強いし、自分のなかの仕事のルールも『saku saku』を基準にしている。だから、ちょっと変わった基準にはなってると思います(笑)。無理にしゃべろうとしないし、わかんないことはわかんないってはっきりと言う。正直でいることが『saku saku』では大事だから、自分の奥底にはその精神が少なからずずっとありますね」

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番組開始当初は、あまりの緊張ぶりに視聴者から“土器”というあだ名をつけられたこともあった。

「まったくしゃべらないそのままが放送されていたんですよ(笑)。学校ではすごく明るくて元気なタイプだったから、全然キャラが違う自分がそこにいたことに自分でもびっくりで。でも、だんだん慣れて、緊張が解けていく姿も、スタッフさんや視聴者の皆さんが見守ってくれたんですよね。決して批判的な見方をしないでもらえたことが私の人生を豊かにしてくれたと思うし、“サクサカー”さんっていう番組のファンの方々が、ライブに今でもずっといらっしゃってくれる。そういう意味でも『saku saku』への思い入れはやっぱり強いです」

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それから3年後となる2015年3月の放送をもって番組を卒業。同年にはTVドラマ『となりの関くんとるみちゃんの事象』の『るみちゃんの事象』にて主演を務めた。歌手としてのリリースも定期的にあったが、音楽業界がCDでのリリースから配信へと移行する時期でもあり、活動の軸が揺らぐ不安も感じていたという。

「リリースはあったので、CDショップなどで行なわれるリリースイベントにひたすら毎日、ひたむきに向き合っていた感じで、自分と向き合う時間が実はあんまりなかったんです。気付いたときには、自分の線路が途切れそうになっていたんですよね。新曲の発表が、CDで発売するだけじゃなくて、配信でリリースをする時代になっていったことが結構、私のなかでは大きくて。リリースにリリースイベントがついてこなくなっちゃったことで、じゃあ、何をしたら良いんだろう? って急に見えなくなっちゃった。そのときに私の生活を支えてくれたのが、ラジオっていう線路でした」

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FMヨコハマでパーソナリティを務めたラジオ『YOKOHAMA RADIO APARTMENT トミタ栞のだめラジオ』は2015年4月から2019年9月までつづいた。

「栞という名前が『栞のテーマ』という曲からきてるように、私は大のサザンオールスターズファンの家庭で育ってきたから、日本のバンドはサザンしかいないんだぐらいに思ってたんです(笑)。高校ぐらいまでは、サザンかそれ以外かの感覚で生きてきちゃってたもんですから、ほかの曲をあんまり知らなくて。なので、ラジオを始めてからは、いろんな人にリサーチしたり、いろんなものを見たりして、1週間かけて次の週にかける曲を探してました。すごくやりがいがあったし、リスナーの方たちからのメールを一つひとつ丁寧に読んで、どんな返しができるかを考えたりするのもすごく楽しかったんです。

1時間半、番組のパーソナリティとしてゲストの方としゃべる。届いたメールを自分で選んで、紹介して、そこに対しても話を膨らましていく。そんなことを4年半ぐらいやっていたので、ここだけは誰に何と言われようと、自分も楽しんでやれたっていう成功体験になりましたね」

常にエネルギーがぐるぐると回っている

そのころ、18歳でデビューした彼女も気が付けば23歳となり、5年目を迎えていた。

「デビューして最初のころは、有名になりたいとか、親の自慢になりたいっていうところにゴールがあったんですけど、ラジオで自分のことをいっぱいしゃべるようになって、トークという部分では、ある程度の小さな自信がついた。そこで気付いたのは、楽しむ気持ちの持つエネルギーは相当強いなってこと。“楽しむ”ことに向かっていくような考え方をしていきたいと思うようになったし、ただ待っているだけじゃなく、自分で人生を切り開いていきたいなっていうふうに切り替わりました。まずは自分自身が楽しいことをするために必死になることが大事なのかな、っていう方向に変わっていったと思います」

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2020年4月から2021年3月までは、オリジナル音声コンテンツ『トミタ栞の棚ぼたラジオ!』を担当し、2023年4月からは再びFMヨコハマで『ラウンジスターレディオ supported by AWA』が始まっているが、『トミタ栞のだめラジオ』が終わってから『トミタ栞の棚ぼたラジオ!』が始まるまでの半年間が次のターニングポイントだったそう。それは、コロナ禍に突入した時期とも重なっている。

「ひとつのラジオが終わって、今度は何を線路にしていけば良いんだろうって考えていたころにコロナ禍に入ったんですよね。活動をしていく上で、いろんな人に会うことも大事だと思ってたんですが、飲みにも行けなくなり、人と会うこともできなくなると、自分がどう動いて良いかがわからなくなって。そこでひとまず、それまでは躊躇していたTikTokをやってみたんです。

そもそも、TwitterとInstagramでいっぱいいっぱいなのに、あと何を発信すれば良いんだろうって思ってたし、若い学生の子たちで盛り上がってるものだと思っていたから、TikTokは見てもいなかったんですね。でも、知り合いのTikTokの関係者の方に『TikTokをやってみようと思うんだけど』って言ってみたら、すごく前向きに応援してくださったのもきっかけで。年齢を気にせず、とりあえずやってみても良いのかって飛び込んでみました。毎日投稿してみた結果、たくさん見ていただけて良かったです」

トミタ栞8

“自分の人生を楽しく生きる”をモットーにしている彼女は、たとえ線路の先がなくなりそうになっても、車輪の回転を止めようとはしなかった。小さな身体に満ち満ちているエネルギーを放出できる先を見つけ、新たな線路を作って猛進する。その行動力こそがトミタ栞の本質だろう。自粛期間中に投稿したTikTokのダンス動画が注目を集め、2020年4月から7月にかけては、「どうにかなりそう feat.トミタ栞」がTikTokで旋風を巻き起こした。

「私、自分のなかで、常にエネルギーがめちゃくちゃぐるぐると回ってるんですよね。そのエネルギーがちゃんと使われてるなって実感できないとなんか納得できない部分があって。ひたすらそれを繰り返してる感じですね。だから、コロナ禍は皆さんもそうだったと思うんですけど、家でじっとしてるのが本当に辛かったです。1日に何人もと会う予定を入れてるぐらい人に会ってたので、それが一気になくなったときに、気持ちが落ちちゃって。

食欲もないし、もちろんお酒も飲みたくないし、何の感情も生まれないことがすごいキツかった。それが爆発した結果が、毎日、動画を投稿するっていう行為。たまたまそれがいろんな方に見てもらえたんです。TikTokって即効性もあるし、数字で結果が見えるから、やっぱり楽しいんですよね。自分の“何かしよう”っていうエネルギーのぶつける先を間違えなければ、できることはいっぱいあるなっていう可能性を感じたし、その気持ちを持って10周年に向かおうという土台になったと思います」

後編につづく

文・取材:永堀アツオ
撮影:干川 修

リリース情報

トミタ栞「ラーメンウォーアイニー」ジャケット画像

「ラーメンウォーアイニー」
配信中
試聴・購入はこちら(新しいタブで開く)

ライブ情報

「武蔵野音楽祭蓮の音カーニバルプレミアム」
2023年9月9日(土)
会場:吉祥寺SHUFFLE
詳細はこちら(新しいタブで開く)
 
「MY POP TOWN」
2023年9月25日(月)
会場:CLUB CITTA'(神奈川)
詳細はこちら(新しいタブで開く)
 
「トミタイバン vol.3」
2023年10月18日(水)
会場:F.A.D YOKOHAMA(神奈川)
※詳細は後日発表

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