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アーティスト・プロファイル

小松亮太の挑戦――“タンゴを売れる音楽にしたい”デビュー25周年を迎えたバンドネオン奏者【前編】

2023.10.20

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気鋭のアーティストの実像に迫る連載企画「アーティスト・プロファイル」。

今回は、今年デビュー25周年を迎えたバンドネオン奏者・小松亮太をフィーチャーする。タンゴの本場、アルゼンチンでも高く評価される世界的バンドネオン奏者であると同時に、クロスジャンルな企画を通して日本にタンゴの魅力を広く伝えてきた伝道師。

9月には、アニメソングの名曲をタンゴスタイルでアレンジしたアルバム『コラソン・デ・アニソン』と、ベストアルバム『小松ジャパン第弐集』を同時リリースした小松亮太に話を聞いた。

前編では、ソニーミュージックからデビューを果たすまでの道のりを深掘りしていく。

小松亮太プロフィール画像

小松亮太 Komatsu Ryota

1973年生まれのバンドネオン奏者。高校時代より才能を発揮し、伝説的歌手である藤沢嵐子の1991年のラストステージではバンドネオンのソロで伴奏を担当。1998年のメジャーデビュー以降は、ニューヨークのカーネギーホールや、アルゼンチンのブエノスアイレスなどでタンゴ界における記念碑的な公演を実現している。アルバムはソニーミュージックより20枚以上をリリース。『ライヴ・イン・Tokyo2002』が高く評価され、2003年にはアルゼンチン音楽家組合(AADI)とブエノスアイレス市音楽文化管理局から表彰された。2023年7月、デビュー25周年を迎えた。

両親の弾くタンゴを聴きながら過ごした幼少期

1973年、タンゴ演奏家の両親のもとに生まれた小松亮太。物心ついたときから、自宅では両親の演奏が聞こえていたという。子ども時代の彼は、自然と耳に入ってくるタンゴをどう思っていたのだろうか?

「普通にカッコ良いと思っていましたよ。日本でただひとり、日常的にタンゴを聴いていた子どもだったかもしれない(笑)。何しろ両親が家でリハーサルしていましたから、聴きながら“あ、良いな”って思うことは本当にしょっちゅうありました。

だから、あとになってピアソラブーム※が来たときに、“なんでピアソラのことばっかり言うんだろう?”と不思議でした。自分は子どものころからタンゴを聴いていたけれど、別にピアソラばっかり聴いていたわけじゃなかったから。ピアソラという人は、タンゴのなかのほんの一部分なんですよ」

※ピアソラブーム
アストル・ピアソラ(1921-1992)は、アルゼンチンタンゴにクラシック音楽やジャズ、ロックなどさまざまな要素を取り入れ、独自の境地を拓いた作曲家・バンドネオン奏者。1990年代後半にギドン・クレーメルやヨーヨー・マをはじめ、クラシック音楽やジャズの演奏家がピアソラの作品を取り上げたアルバムを続々発表し、ピアソラブームが巻き起こった。

小松亮太画像1

そんな小松亮太が、両親が結成したタンゴ楽団、タンゴクリスタルでバンドネオンを演奏するようになったのは、まだ15歳のころだったという。

「人手不足でやる人がいなかったので(笑)。当時はインターネットがなかったから、アルゼンチンのミュージシャンにコンタクトすることもできなくて……独学でバンドネオンを始めました。ツアーで日本に来たバンドネオン奏者のホテルを訪ねて、レッスンしてもらったことも。あれは非常に良かったですね。

バンドネオン奏者たちは、お願いすると“いいよ”って言って教えてくれるんですよ。当時のアルゼンチン人のおじいさんたちは、“若い人がタンゴに取り組むなんてことはもうないだろう”と思っていたわけです。そこに、15〜6歳の、しかも日本人の子どもが来たものだから、面白がってくれました(笑)」

小松少年が果敢に修行していた1980年代、タンゴというジャンルは既に風前の灯だったという。日本のライブハウスの客層は高齢化が進み、本場アルゼンチンの巨匠たちにとってもそれは同じだった。自分はこの先、仕事がなくなる。本来のタンゴが失われてしまう。そんな不安を小松亮太は早くも肌で感じていた。

小松亮太画像2

「いやもう、危機感なんてものじゃなかったですよ。日本だけでなく、あらゆる国で、タンゴを聴く世代の高齢化が進んでいました。ライブハウスのお客さんはもう、自分のおじいちゃん、おばあちゃんよりちょっと歳下ぐらいの人ばかり。ということは、僕が25歳になったときには、そのお客さんたちが65歳を越えているわけです。そして、あと20年経ったときにはもう、仕事なんかあるわけがない……。

とにかく何とかしなきゃいけないっていうんで、タンゴ専門ではないライブハウス──ワールドミュージック系とか、ジャズやロックをやっているライブハウスに交渉して、出演することで、タンゴ以外のお客さんを増やそうとしていました。そんなことを一生懸命やっているうちに、ちょうどインターネットが普及し始めていたこともあって、ちょっとずつお客さんが増えていったんです」

世田谷のライブハウスでの運命の出会い

ライブハウスへの営業からチケット売りまで、自ら手弁当で行なっていた時代、その粘り強い努力は少しずつ実り始め、小松亮太が23歳のとき、ついに転機が訪れる。

「1996年の年末に、世田谷のライブハウスに出たんですね。そうしたら当時、ソニーミュージックのスタッフで、タンゴファンの方が演奏を聴いてくださって。

昔は中央大学や明治大学など、あちこちの大学にタンゴサークルがあって、その方は最後の世代だったんですね。それで“今度、自分と一緒にやっているスタッフを連れて行くから、あなたのコンサートのスケジュールを教えてください”と言われました。

小松亮太画像3

ちょうどそのとき、僕は「ティアラこうとう」というホールで自主コンサートを企画しているところでした。ライブハウスではなくコンサートホールでの公演は初めて。140人ぐらい入る会場で、チケットは2,000円。もちろん手売りでね。そのコンサートの話をしたら、公演当日、別のソニーミュージックのスタッフを連れて聴きに来てくださったんです。それで終演後すぐ、その方が楽屋にいらして“あなたのCDを必ず出すから”と言ってくださいました」

そうしてリリースされたのが、小松亮太のデビューアルバム『ブエノスアイレスの夏』だ。クラシック音楽のシーンをきっかけに沸き起こったピアソラブーム。その影響が、日本にも及んでいたころだった。

「『ブエノスアイレスの夏』がリリースされたのは、1998年の7月でした。ピアソラのサポートメンバーだった人たちと一緒に録音したんです。ちょうど海外のクラシック演奏家が、ピアソラのアルバムをリリースして注目されていたころで、ソニーミュージックのスタッフが“日本人でバンドネオンを弾いてる若い人がいるんだ”って話してくださったみたいです。青天の霹靂でしたね」

小松亮太画像4

『ブエノスアイレスの夏』

いっぽうで、ピアソラブームをきっかけに“タンゴ=ピアソラ”というイメージが広まってしまったことを、小松亮太は懸念しつづけている。アルゼンチンタンゴの概念を変えたと言われるピアソラの音楽は、ピアソラ以前のタンゴを理解している前提で演奏するものだという。

「ピアソラの音楽は、譜面だけを見ると難しくはないので、優秀な楽器奏者ならすぐに音自体は弾けてしまう。でも、当たり前ですがタンゴの音楽なんですよね。“タンゴの演奏ってこういうものだ”ということがわかっていないと、本当の意味で弾けたことにはならないと思うんです。

本来のピアソラは、リズム、メロディ、フレージング、特殊奏法といった、ピアソラ以前のタンゴの演奏法を知った上で取り組むべきなんです。今はインターネットでピアソラ以外のタンゴも手軽に聴けますから、演奏する際はぜひ自分の耳で確かめてほしいなと思います」

とにかくタンゴを売りたい

運命的なデビューを果たしたあと、オーセンティックなタンゴを知るバンドネオン奏者として活躍する小松亮太。そのいっぽうで、ドラマとのタイアップ、スタジオジブリ作品のアレンジなど、さまざまなジャンルとのクロスオーバーを行なってきた。今回の新譜『コラソン・デ・アニソン』は、おもに1970〜80年代のアニメソングをアレンジしたものだが、その理由について率直な本音を語ってくれた。

「とにかくね、タンゴを売りたいんですよ。タンゴは大衆音楽、ポピュラー音楽ですから。それで、タンゴが少しでも必要とされるにはどうするべきかを考えたとき、アニメソングはやっぱり強いなと思って。みんなが原曲を知っていて、メロディが頭に入っている。しかも日本で生まれたものだから、“借り物の音楽”という感覚もない。

ポピュラーではないタンゴをいきなりやるんじゃなくて、日本人が作ったアニメソングで、“タンゴってこういうものなんですよ”ということを広めていこうと。ごく一部の人にしか聴かれない音楽、閉ざされたコミュニティ、そういうのはもう嫌なんですよ。僕はタンゴって、みんながある程度聴いていられる音楽だと信じています。今はいろいろと残念な事情が重なって、そうはなっていないですけどね……」

小松亮太画像6

デビュー以降、小松亮太が全国各地で行なってきた演奏や録音、みずから執筆した書籍(『タンゴの真実』旬報社)などもあって、日本でのタンゴの認識が少しずつ変わっていることは事実だろう。しかし、まだまだ十分ではないと彼は訴える。

「例えば、アルゼンチン=タンゴというイメージがありますが、実はタンゴはブエノスアイレスという首都の、限られた地域で演奏されている音楽。はっきり言って、今の若いアルゼンチン人は、タンゴのことなんか全然知らない人の方が圧倒的に多いんですよ。ということは、ほかの国々におけるタンゴの知名度は言わずもがなで……。

この現状をどうしたら良いかっていうと、もう売れるものをやるしかない、絶対に。そういったことを考えて、今回はアニメソング、しかも人口が多い50~60歳ぐらいまでの世代が知っている曲に焦点を絞りました」

後編につづく

文・取材:加藤綾子
撮影:干川 修

リリース情報

小松亮太『コラソン・デ・アニソン』ジャケット画像
『コラソン・デ・アニソン』
発売日:2023年9月27日(水)
価格:3,300円
収録曲はこちら(新しいタブで開く)
小松亮太『小松ジャパン第弐集』ジャケット画像
『小松ジャパン第弐集』
発売日:2023年9月27日(水)
価格:3,300円
収録曲はこちら(新しいタブで開く)

関連サイト

小松亮太 ソニーミュージックオフィシャルサイト
https://www.sonymusic.co.jp/artist/RyotaKomatsu/(新しいタブで開く)
 
小松亮太 オフィシャルサイト
https://ryotakomatsu.net/(新しいタブで開く)

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