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連載Cocotame Series

THEN & NOW 時を超えるアーティスト

伊藤蘭インタビュー:「キャンディーズは自分の細胞のひとつ。新しい曲と並べても私自身に違和感がないんです」【前編】

2023.12.25

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日本の音楽シーンで存在感を放ち、時代を超えて支持されつづけるレジェンドアーティストをクローズアップ。本人へのインタビューで、過去と現在の活動を辿る連載「THEN&NOW 時を超えるアーティスト」。

今回は、1973年にキャンディーズとしてCBS・ソニーからデビューし、50周年のアニバーサリーイヤーを迎えた伊藤蘭へのインタビュー。2023年は、キャンディーズ50周年記念BOX『The Platinum Collection~50th Anniversary~』や3rdソロアルバム『LEVEL 9.9』のリリース、全国ツアー『伊藤 蘭 50th Anniversary Tour~Started from Candies~』開催と精力的に活動し、大晦日には『第74回NHK紅白歌合戦』への初出場が決定した。今再び注目を浴びるアーティスト・伊藤蘭が、キャンディーズ時代を振り返りながら現在の活動と心境を語る。

前編では、キャンディーズでのエピソードや、音楽への思いを聞く。

  • 伊藤蘭プロフィール画像

    伊藤 蘭

    Ito Ran

    東京都出身。1972年、藤村美樹(ミキ)、田中好子(スー)とともにキャンディーズを結成。1973年9月1日、「あなたに夢中」で歌手デビュー。「年下の男の子」(1975年)「春一番」(1976年)「微笑がえし」(1978年)など多数のヒット曲を残して1978年に解散。2019年、アルバム『My Bouquet』を発表し、ソロとして音楽活動を再開。最新アルバム『LEVEL 9.9』からシングルカットされた「Shibuya Sta. Drivin' Night」が7インチ・ヴァイナルで発売中。

メロディもコーラスも全部自分たちで歌っていた

伊藤蘭画像1

『伊藤 蘭 50th Anniversary Tour~Started from Candies~』より(撮影:近藤みどり)

――2023年は、キャンディーズとしてのデビューから50周年ということで、アルバムのリリースや全国ツアーの開催など、ソロシンガーとしての活動を精力的に展開されました。10月に日比谷野外音楽堂で行なわれた『伊藤 蘭 50th Anniversary Tour~Started from Candies~』追加公演では、キャンディーズのヒットソングはもちろん、アース・ウインド&ファイアーの「ジュピター[銀河の覇者]」やワイルド・チェリーの「プレイ・ザット・ファンキー・ミュージック」なども披露されていてとてもカッコ良かったです。当時のキャンディーズのコンサートでも洋楽のカバーをされていたそうですが、蘭さんご自身もそういった音楽が好きだったんでしょうか。

音楽の道を歩み始めたころはまだ10代半ばでしたので、自分の方向性とか将来の姿について具体的なイメージがあったわけではなくて、好きな曲を聴いては、スーちゃんやミキさんと「これ良いね」と分かち合って、いちリスナーとして音楽に接していました。

キャンディーズ画像1

キャンディーズ(写真左から)ミキ、ラン、スー

自分たちの好みが育っていったのは、キャンディーズとしての活動が始まり、スタッフがさまざまな音楽を提案してくれるようになってからですね。洋楽を歌うのも、当時所属していた渡辺プロダクションの先輩方も当たり前のようにやっていらして、例えばNHKの歌番組『レッツゴーヤング』などでも、洋楽を日本語詞でカバーする場面が必ずあったんです。

――邦楽と洋楽の垣根がなかったんですね。

そうですね。なので、自分たちのステージでも洋楽を取り入れようという気持ちが自然と育ちました。最初はオールディーズからでしたけど、そのうち3人とも洋楽のヒットチャートに夢中になって、その流れで、ディスコでかかるようなファンキーなソウルミュージックも好きになっていったんです。

――9月1日に発売された、キャンディーズ50周年記念BOX『The Platinum Collection~50th Anniversary~』を聴いて、キャンディーズはボーカルグループであると認識を新たにしました。曲調や構成によって、地声やファルセットのブレンドを巧みに変えていますよね。1970年代当時は世界的にスリー・ディグリーズやポインター・シスターズといった女性3人組が人気で、少し遡れば有名なシュープリームスもいたわけですが、そういったグループを意識していましたか?

キャンディーズ画像2

キャンディーズ『The Platinum Collection~50th Anniversary~』

キャンディーズの7枚目のシングル「その気にさせないで」(1975年)は、スリー・ディグリーズのソウルフルな雰囲気を取り入れています。歌番組ではシュープリームスを歌う機会も多かったので、やはりどこか意識するところはありましたね。実力は違うけれど、少しでも近づきたい、ハーモニーを聴いていただきたいと思っていました。

――「ウー」「アー」はもちろん、「ハウ」とか「フッフッー」とか、ボーカルグループならではのコーラスの型みたいなものがありますよね。そのニュアンスなども勉強しましたか?

私たちならではのことなのかもしれないんですけど、そういったコーラスの部分もしっかり譜面に書き込まれていたんです。なので、何の疑問もなくその通りに楽しく歌っていました。「哀愁のシンフォニー」(1976年)の“♪ダバダー”も、なんか面白いな、なんて思いながら(笑)。

メロディもコーラスも、全部自分たちで歌うということが身についていたので、ソロになって歌入れをするとき、「ここは私が歌わなくていいの?」とスタッフに何度か聞きましたね。「あ、そこはコーラスの方が……」と言われたりして(笑)。

伊藤 蘭コンサート・ツアー2020より「哀愁のシンフォニー」ライブ映像

キャッチフレーズが“内気なキャンディーズ”

――キャンディーズのころはテレビ出演も多かった時代で、レコーディングの時間を割くのは大変だったんじゃないでしょうか。

そうですね。昼間はバラエティの収録やステージ。それを終えた夜からがレコーディングでした。まだ高校生だったスーちゃんは制服のままでレコーディングスタジオに来ていた記憶があります。

それでも当時のスタッフは、一つひとつに思い入れを持って取り組んでくれていましたね。時間がかかっても3人で歌うことの意義を大切にしてくれて。私たちにとっても、レコーディングは本当に楽しい作業でした。

――先ほど譜面の話が出ましたが、レコーディングは譜面ありきでしたか?

はい。スタジオに行くと譜面が用意されていて、初見でしばらくピアノに合わせて歌って、音を確かめる、という流れでした。ソロパートについては、「ひとりずつ歌ってみて」と言われるんです。毎回オーディションみたいな感じでしたね。

デビュー曲くらいまでは、事前に譜面とカセットテープをもらっていた気がするんですけど、それ以降は、レコーディングスタジオに行って初めて譜面を見て、その場で練習して録る、の繰り返し。そんなことができるようになったのも慣れたからなんでしょうね。その“慣れ”も、今ではすっかり消えてしまいましたけど(苦笑)。

――テレビ番組やコンサートでは、モニター環境も今と比べて決して良くなかったと思います。

たぶん、今よりいろんなことが綿密じゃなかったと思うんですね。モニター環境にしても“ころがし(演者に向けて地面に置くスピーカー)”が前にあるだけで、返ってくる音のバランスも大雑把でした。

でも、それが当たりまえだったので鍛えられたというか、もし、間違ったり音程を外したりしても「気にしちゃいられない」という感じでした(笑)。実際、生放送で間違えたことも何度かあります。当時はきっと、送る側と同じくらい、お茶の間で受け取る側も大らかだったんでしょうね。SNSなどない時代でしたから。

――それでも、お茶の間で聴いてる側としては、ハモリ以上に難しいとされるユニゾンもきれいだった印象があります。

3人で歌い出すと、やっぱり阿吽の呼吸でひとつにまとまってキャンディーズの声になるんですよね。それは、4年半の活動のなかで体に染みついたことだと思います。当時のディレクターが振り返って、「3人で声を揃えて歌詞を読ませるなんてこともやっていた」って言ってました。私はすっかり忘れてましたけど(笑)。でも、そういう地味なようでいて実は大事な下準備の時間を、ディレクターなり作曲家の方なりがちゃんと取ってくださっていましたね。

――歌のレッスンもされていたんでしょうか?

歌手のしばたはつみさんのお父様でジャズピアニストの柴田泰さんが歌の先生もやっていらして、私たちもデビュー前後のころにお世話になりました。ソウルやファンクより一時代前のスタンダード曲、そう、「ムーンリバー」などを教えていただきましたね。「こういう曲も君たちのレパートリーにしていけると良いよ」なんておっしゃって。

――基礎作りに時間をかけていたんですね。

それが少しずつ積み重なって、キャンディーズとしての活動ができていたんだと思います。

――「あなたに夢中」でデビューした当時のレコード会社、CBS・ソニーでの思い出はありますか?

キャンディーズ 「あなたに夢中」

キャンディーズはCBS・ソニーの設立5周年記念タレントだったんですよね。その前に、同じレコード会社からにしきのあきらさんや郷ひろみさんがデビューされていて、会社として勢いがあるなか、次はキャンディーズでいくぞと、そんな時期だったんです。そこで担当ディレクターが考えた私たちのキャッチフレーズが“内気なキャンディーズ”。

――5周年記念という華々しさに反して控えめだったんですね。

そう。今、思うと面白いですよね(笑)。

――“内気な”は、言い得ていたんでしょうか?

3人とも割りとおとなしいタイプで、大人のなかにいるときはなおさらそうだったと思うんです。何を言われても、「はい」と。もちろん、何か思うところがあれば口にしたんでしょうけど、自分たちの気持ちと違うということは特になかったので、ずっと“信じてついていきます”という感じでした。

誰かの期待に応えていくことで成長できていた

キャンディーズ画像3

――たくさんの名曲を世に出し、お茶の間を幸せにしていたキャンディーズですが、1977年7月17日、日比谷野外音楽堂で突然の“解散宣言”。宣言後に、それぞれの自作曲(サポートバンドを務めていたMMPのメンバーとの共作)だけで構成されたアルバム『早春譜』をリリースしました。これは、三者三様の音楽性や人柄が見える、今聴いても非常に聴きごたえのある作品となっています。

この作品は、私たちよりも最後のマネージャーである大里洋吉さんの思いが大きかったです。キャンディーズに、一人ひとりの確かな個性や世界観が融合して成り立っている、奥行きがあるグループを大里さんは求めていたでしょうし、きっと私たち自身にもそれを気づかせたかったのかなと。一人ひとりを自力できちんと曲と向き合えるアーティストにしたいと考えてくださったんでしょうね。

『早春譜』の制作期間中は、3人がお互いの作業に介入しないというルールがありました。結果的に、自分たち一人ひとりのなかに眠っていたものを引き出してもらえたと思います。でも、そう気づいたのはずっとあとのことで、当時は「時間のないなかでそんなことできない!」と思うばかりでしたけど。

――それぞれかなりの曲数を担当されていますもんね。

「そんな何編もの詞、書けません」と訴えると、大里さんが「身の回りのことなんでも良いから題材にして書いてみなさい」と叱咤激励されて。それで、3人ともなんとか絞り出すようにして書き上げました。

その詞がテーブルの上にバーっと並べられて、集まったMMPのメンバーが、「俺、これやる」と手を挙げていくんです。まるで競りにかけられてるみたいに(笑)。『早春譜』は本当に、大里さんの発想と、MMPのメンバーがいてくれたからこそできた作品。私たちって常にそういうふうに、誰かの期待に応えていくことで成長できていたんだなと思います。

――ミキさんが作詞をされた楽曲に「FOR FREEDOM」という曲があります。解散コンサートでは、ステージにその文字が大きく掲げられていました。“自由のために”というのは、当時の率直な思いでしたか?

キャンディーズは大好きでしたし、お互い本当に仲が良くて、意見が食い違って困るということもなかったんですね。ただ、無意識のうちに、個人の思いとか生活みたいなことはまず置いといて、という青春時代を過ごしてしまった。ふと気づけば、そろそろ年ごろでもありましたし、このままどこまで行くんだろう? と不安にもなって。そういうなかで、ここで区切りをつけてそれぞれの人生をしっかり歩いていこうという結論に至ったんです。

「キャンディーズ メモリーズ FOR FREEDOM」映像第3弾!

――活動期間内ラストシングル「微笑がえし」のリリース、アルバム『早春譜』の制作、全国縦断ツアー『ありがとうカーニバル』を含めて、日比谷野外音楽堂での“解散宣言”から1978年4月4日の後楽園球場でのラストコンサート『ファイナルカーニバル』まで、本当にきちんとした道のりでした。

“解散宣言”は、本当にはやる気持ちを抑えられずにやったことで、その時点では私たち「再来月で辞めます」と言っていたんです。周りからしてみたら「それはないだろう!」ですよね(笑)。そこから私たちもきちんと自分たちの気持ちを話しましたし、大人の言うことにも耳を傾けました。それでお互いに納得して、ちゃんと感謝の気持ちを伝えながら終わっていこうということになったんです。

――キャンディーズの有終の美の裏には、そういうストーリーがあったんですね。

あのときは、ファンの方たちも含めて、私たちの気持ちを理解してもらえたことが私たちにとって本当に大きかったです。

後編につづく

文・取材:藤井美保

リリース情報

伊藤蘭「Shibuya Sta. Drivin' Night」ジャケット画像

「Shibuya Sta. Drivin' Night」
7インチ・ヴァイナル
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