人気絶頂期のオアシスの素顔と30周年を記念する日本独自企画盤に込めたこだわり➁
2024.11.13


1990年代に世界的ブームを巻き起こし、このほど再始動が発表された英国出身のロックバンド、オアシス。当時、人気絶頂だった彼らを担当したディレクター・KAZY伊藤と、デビューアルバム発売から30周年を迎えた彼らの音楽的レガシーを称える作品『コンプリート7インチ・シングル・コレクションBOX』を担当したソニー・ミュージックジャパンインターナショナルの佐々木洋が、これまでの制作の裏側や、ふたりが目撃したギャラガー兄弟の素顔を語る。
目次

KAZY伊藤
Kazy Ito
ソニー・ミュージックエンタテインメント

佐々木 洋
Sasaki Hiroshi
ソニー・ミュージックレーベルズ
(写真左より)ノエル・ギャラガー(Gt./Vo.)、リアム・ギャラガー(Vo.)。ノエルとリアムのギャラガー兄弟を擁する、英国・マンチェスター出身のロックバンド。1991年結成。1994年、1 stアルバム『オアシス』(原題:Definitely Maybe)を発表し、一躍人気となる。「ホワットエヴァー」「ワンダーウォール」「ドント・ルック・バック・イン・アンガー」などのヒット曲を世に放つも、たびたび兄弟の不仲が報じられ、2009年に活動停止。このほど15年ぶりの再始動と2025年のライブツアー開催が発表された。アルバム 『オアシス(Definitely Maybe) 30周年記念デラックス・エディション』、『コンプリート7インチ・シングル・コレクションBOX Vol.1』発売中。『コンプリート7インチ・シングル・コレクションBOX Vol.2』が11月13日発売。
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──オアシスのデビュー30周年を記念した完全生産限定の『コンプリート7インチ・シングル・コレクションBOX Vol.1』が10月30日に発売され、『コンプリート7インチ・シングル・コレクションBOX Vol.2』が11月13日にリリースされます。まさかのオアシスの再始動が発表されて、そのお祝いとも言える日本独自企画作品になりましたね。
佐々木:いつかは再始動もあるかもしれないと思っていましたが、まさかのこのタイミングで。でも、デビュー30周年という大きな節目の年ですし、記念碑的なものを世に出したいと思うと同時に、次の世代にも聴き継いでいってほしいと願って企画した作品ですので、最高のタイミングになりましたね。
──今回はその『7インチ・シングル・コレクション』をはじめ、8月にリリースされた『オアシス:30周年記念デラックス・エディション』など、オアシスのカタログを担当している佐々木さんと、1990年代に担当ディレクターとして携わった伊藤さんに、オアシスにまつわるエピソードや、『7インチ・シングル・コレクション』の実現に至るまでの話を聞いていきます。まず、伊藤さんがオアシスを担当していたのはいつごろでしょうか。
伊藤:僕は当時、ソニーレーベルの洋楽部に在籍していたのですが、エピックレーベルの洋楽部でイギリスのロックバンドを担当していた前任者の異動に伴って、後任として異動したのがきっかけでした。
アルバム『モーニング・グローリー』(1995年)から「ドント・ルック・バック・イン・アンガー」がシングルカットされたときなので、1996年ですね。佐々木は同じタイミングで、新入社員としてエピックレーベルの洋楽部に配属されたんだよね?
佐々木:そうです。入社する前の年、就職活動が終わったあとに『モーニング・グローリー』がリリースされて、入社した年には、伝説となったネブワースでのライブが行なわれました。
当時は主にラジオ局周りの宣伝を担当していて、翌年には3作目の『ビィ・ヒア・ナウ』(1997年)からの先行シングル「ドゥ・ユー・ノウ・ワット・アイ・ミーン?」の試聴盤をたくさん持って、各局を回っていました。
──伊藤さんも佐々木さんも、オアシスが人気絶頂を迎えているときに携わるようになったわけですね。
伊藤:僕個人は既にブレイクしているアーティストを担当するのは正直、あまり気持ちが上がらないんです。それよりはまだあまり知られていないアーティストを上昇気流に乗せて伝えていく作業のほうが楽しい。既に売れているアーティストは売れて当たり前、売れなかったら自分の責任ですから。
ただ、オアシスのような世界中で盛り上がってるバンドが巻き起こしている大きな渦のなかに自分もいるという醍醐味は感じていました。
──伊藤さんは自身が担当する前、オアシスをどのように見ていましたか?
伊藤:ソニーレーベルの洋楽部ではパール・ジャムを始め、インディーズ時代のニルヴァーナらを擁したレーベル・SUB POP所属のバンドを担当していて、当時、ロックシーンを席巻していたグランジ一色に染まっていたので、オアシスをはじめとするブリットポップに対しては“向こう岸でも何か盛り上がってるな”という感じだったんです。
それが、異動とは言え、ある日突然、自分が橋を渡って向こう側に行ってしまったというのは、意外でしたが面白かったですね。グランジはヘビーでダークなトーンでしたが、ブリットポップはわりと明るい感じで真逆(笑)。もちろんオアシスは圧倒的に曲が良く、シングルを買って聴いていたので、担当できたのはラッキーだったんでしょうね。
──佐々木さんは入社前、学生のころはオアシスを聴いていたんですか?
佐々木:そのころはまだ『モーニング・グローリー』のリリース前で、ロック好きの友人から教えてもらって名前を知っている程度だったんですが、入社したころにはとんでもなく売れていることを知ってびっくりしました。『ビィ・ヒア・ナウ』の発売日に渋谷のタワーレコードに行ったら、レジに大行列ができていたのも驚きましたね。みんな手に『ビィ・ヒア・ナウ』を持っているんですよ。
今、伊藤さんが売れた作品の次は大変だとおっしゃいましたが、日本での当時の売上げを調べたら『モーニング・グローリー』が30万枚、『ビィ・ヒア・ナウ』が70万枚で、倍以上の枚数が売れているので、大成功なんじゃないでしょうか。
伊藤:いや、日本では世界的に売れたアルバムの、次のアルバムが売れるという傾向があったので、誰が担当だったとしてもたぶん数字はあまり変わらなかったんじゃないかな。
──それでもオアシスサウンドの金字塔とも言える『モーニング・グローリー』を追い越すために、いろいろと仕かけたり、力の入ったプロモーションを繰り広げたりしたのではないですか?
佐々木:『ビィ・ヒア・ナウ』のプロモーションプロジェクトが始まったとき、宣伝部の全員を集めて伊藤さんがホワイトボード一面に「オアシスは今はこういう位置で、この曲でこうなって、今回はここまで上に行くんだ」と書いてプレゼンをされていたのが印象的でした。「おお、ディレクターって、こういうことを考えているんだ」って感動したのを覚えています。
「ロックファンやUKロック好きを取り込んで『モーニング・グローリー』はヒットしたけれど、さらに上を目指すにはその外側にいる人たち、お茶の間レベルにまで広げていかなくてはいけない」と話されていたことも記憶しています。
伊藤:うーん、そんなことを言った記憶がまったくない(笑)。でも、今、佐々木が言ったお茶の間レベルというのは、オアシスに限らず洋楽、邦楽関係なく考えることですよね。
そのとき、収録曲の「ドント・ゴー・アウェイ」がドラマ『ラブ・アゲイン』の挿入歌に起用されたんですが、主題歌を担当したthe brilliant greenのファンにもオアシスの楽曲を浸透させようというアプローチをしましたね。
その「ドント・ゴー・アウェイ」は王道の展開を持つ曲でしたが、アルバムの先行シングル「ドゥ・ユー・ノウ・ワット・アイ・ミーン?」はヘビーなトーンの曲で、ラジオ班は苦労するだろうなって思ったことを覚えてます。
Oasis - D'You Know What I Mean? (Official HD Remastered Video)
──しかも、8分近くある曲ですよね。
伊藤:7インチ・シングルのバージョンでも6分もあるんですよ。だから、まるまる1曲をラジオでかけてもらうのは厳しいというのはわかっていたので、日本では別の曲を先行シングルにしようとか喧々諤々したんですが、あえてこの曲を先行シングルにした彼らのパンク的なアティチュードを感じたので、やっぱりこの曲を推していこうとなったんです。
佐々木:ただ、そのあとに、先ほどのいわゆるお茶の間層にもアプローチできる「スタンド・バイ・ミー」で勝負をかけようというのは明確に決まっていました。
──ラジオ局に「ドゥ・ユー・ノウ・ワット・アイ・ミーン?」を持っていったときは、どのような反応でしたか?
佐々木:ラジオ局にもロックファンの方がたくさんいるので大歓迎してくれるいっぽうで、「イントロも長くて曲調もヘビーなのでたくさんOAするにはちょっと難しいよね」とすごく言われましたね。
いやいや、このあとものすごくキャッチーな曲が控えていますんで、とアルバムのリリースまで期待感をキープしてもらいつつ、大きくジャンプできるタイミングを待っていました。
──セールスが70万枚に達したということで、お茶の間層にも届いたという実感はありましたか?
伊藤:『ビィ・ヒア・ナウ』を携えたツアーで日本武道館3日間が即完売するくらいだったので、ある程度は届いたかな、という印象はありましたね。発売日の光景で、タワーレコードのフロアがオアシスのロゴの旗で埋め尽くされてたのを今でも鮮明に覚えています。
販売促進や営業の人たちのアイデアと尽力で、洋楽コーナーだけじゃなく、いろんなジャンルのコーナーに旗が立っていたのはまさにロックファンを超えて浸透しつつあることを表わしているようでした。
──その2年前の1995年には、オアシスの「ロール・ウィズ・イット」とブラーの「カントリー・ハウス」が同日にシングルとして発売されることになって、英国の公共放送BBCがその勝負の行方を放送するなど、既にブリットポップが社会現象になっていました。
Oasis - Roll With It (Official HD Remastered Video)
Blur - Country House (Official Music Video)
伊藤:オアシス対ブラーという対立の構図があったのは面白かったですよね。ソニーレーベルのときに担当していたパール・ジャムもニルヴァーナがライバルでしたし。そういったプロレス的な“場外戦”も楽しめるバンドってなかなかいない。
佐々木:作品だけに限らず、すべてがエンタテインメント。まさにオアシス劇場でしたよね、当時は。
後編では、1998年に来日したギャラガー兄弟のエピソードや、『コンプリート7インチ・シングル・コレクションBOX』のこだわりを紹介する。
文・取材:油納将志
撮影:荻原大志

映画『オアシス:ライヴ・アット・ネブワース 1996.8.10』
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