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木根尚登が"TMN終了ライブ"と"TM NETWORKヒットの秘密"を振り返る【特集第8回】

2019.5.16

Interview

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TM NETWORK

Artist/Talent

TM NETWORK(以下、TM)のデビュー35周年を記念して、4月21日に伝説の東京ドーム公演ライヴ・フィルム『TMN final live LAST GROOVE 1994』の1日限定プレミアム上映が実現。さらに5月22日には、未発表映像を含むBlu-ray BOX『TM NETWORK THE VIDEOS 1984-1994』をリリースされるなど盛り上がりをみせるなか、CocotameではTM×映像を大特集!

特集第8回(最終回)では、ついにメンバー木根尚登が登場。4月21日に東京・TOHOシネマズ 新宿で行なわれた『TMN final live LAST GROOVE 1994』1日限定プレミア上映会での登壇直後に、当時を振り返ってもらいながらTMN終了ライブの秘話を聞いた。

『TMN final live LAST GROOVE 1994』登壇を終えて

──今日はTMのメンバーである木根尚登として、大勢のFANKS(※TMファンの意)の前で登壇されていかがでしたか?

木根:すごく暖かい気持ちになりました。TMは昭和の終わりから平成を駆け抜けてきたからね。ずっと僕らの歴史を見てくれている人たちもいて。みんなに包まれながらお話をさせてもらいました。

──登壇の際、TMの今後について「これだけは言えるのは、今のところ3人とも元気です(笑)。そして僕らも皆さんと同じ想いだということだけお伝えします」とおっしゃられていたのが印象的でした。

木根:うん、本音だよね。デビュー当時は、こんなに長く皆さんに応援していただけるとは思わなかったから。ありがたいことです。

──1994年当時、新聞で発表した少しクール目なTMN終了の宣言文とは別で、東京ドームで販売されたパンフレットの最後のページに書かれたFANKSへの暖かいメッセージ“いつか必ず3人で新しいプロジェクトをスタートさせたいです。それは僕たちとあなたとの大切な約束です”という言葉が、予言者のようで示唆的だったんです。その後、TMが再起動したことを知っている僕は、あらためてこのテキストを読んで感動しました。

※TMN終了宣言文が書かれた1994年4月21日の新聞

※『TMN final live LAST GROOVE 1994』パンフレットでのメッセージ

木根:(ゆっくりとパンフのテキストを熟読)“100万回の「ありがとう」”って、本当だねぇ。TMはさ、デビュー前にSPEEDWAYという売れない前身バンド時代があって。1984年にTMとしてデビューしてからも3年間は売れなかった。それこそ、世間的には「Get Wild」のヒットのおかげで苦労していないように見えるんだろうけど、そんなことはなくて。だから、いろんなことがあってのデビューからの10年目の終了だったんだよね。だから、東京ドームでの2日間で10万人もの人が集まってくれたことは3人ともうれしかったんだよ。感謝してますね。

木根尚登が振り返る”TM NETWORKヒットの秘密”

──先日、TMのマニピュレーターである久保こーじさんへ取材した際に盛り上がったのが「Self Control(方舟に曳かれて)」での“教科書は何も教えてはくれない”など、歌詞におけるメッセージ性の強さでした。「SEVEN DAYS WAR」の歌詞でも“ルールと正しさの意味 わからないまま従えない”など、偽善的な薄っぺらいヒューマニズムへのパンキッシュな反抗を感じましたし、僕も当時から子ども心をくすぐられていました。

木根:僕は歌詞にメッセージ性のあるフォークソングが好きだったし、てっちゃん(小室哲哉)もアマチュアの頃から詞を書いてましたからね。当時、作家先生が作品を書いていた歌謡曲時代から、個人がメッセージを発する時代に移り変わるタイミングだったんだよ。尾崎豊君みたいなロックな表現だったり、SF的だったTMの表現からもそういう雰囲気は出ていたよね。

──その理由をどうお考えですか?

木根:ラジオのおかげだと思うな。TMが全国区で活躍する前の1986年のタイミングに東海ラジオでやっていた『SF ROCK STATION』という番組。あのとき、リクエストのハガキで人間関係に悩んでいる相談とかがたくさんあったんだよね。中学生の女の子の心の叫びがきっかけで“Self Control”という曲のタイトルが生まれたんです。

──そんな逸話があったのですね。

木根:デビューのときは自分たちの音楽がやりたくてがむしゃらだったけど、少しずつファンの子たちとの距離が近づいて、重なってきたタイミングがあったんだよ。音楽性や映像とかライブ演出もさることながら、歌詞にはとくに思い入れが強かったから。僕らを担当していたEPIC・ソニーの小坂洋二プロデューサーも歌詞の人だった。作詞家のみっこちゃん(小室みつ子)も頑張ってくれて。それこそ書き直しもたくさんお願いしたからね。そのこだわりこそが、ヒットした原因であり、今もなお聴き続けてもらえる理由のひとつなんじゃないかな?

──なるほど。TMはラジオ番組でのファンとの交流、コミュニケーションがその後のヒットにもつながっていったということですね。

木根:僕も若かったし自分のことで精一杯だった人間が、ひとまわり以上小さな子たちの悩みに答えていくわけだから。そこには、いろんな気づきがあって、僕らも成長できたよね。

──先日、放送局でオリンピック・パラリンピック関連の番組プロデューサーをやっているスタッフの方も、実はTMが大好きだという話を聞きました。しかも、プロジェクト運用の面白さや発想を学生時代にTMから学んだそうなんです。音楽だけでなく、エンタメや放送、デザイン、IT方面などなど、たくさんの影響をTMは与えているんですよね。先日の試写会にも来ていて、たくさんメモを取っていました。

木根:ありがたいことだね。たしかに、TMの場合ただ曲を作ってツアーをやっていただけでなく、作品のコンセプトを考えたり、小説を書いたり、バンドとしてリニューアルしたり、そして映像にもこだわってきたもんね。空も飛んだけどさ(苦笑)。終了するときの理由だって、結局はアルバムとツアーで『CAROL 〜A DAY IN A GIRL’S LIFE 1991〜』という壮大なプロジェクトをやって、あれを超える作品は作れないよねって。次はあれ以上のものをやらないと驚いてくれないからってTMNへリニューアルして、アルバム『EXPO』で総括して。「じゃ、とりあえず一回休もう」って、てっちゃんに言われたんだけど、そこには説得力がありましたから。僕もウツ(宇都宮隆)も、反論はなかったよね。

──その後、1999年に再始動してからも紆余曲折がありつつ、2012年に30周年シリーズでライブ『TM NETWORK CONCERT -Incubation Period-』や、2014年には2枚組アルバム『QUIT30』などに結実したことを考えると胸アツですね。たしかに、80年代末『CAROL 〜A DAY IN A GIRL’S LIFE 1991〜』ツアー以降、コンサート本数も毎年50本を余裕に超えていて半端なかったです。常に最大級のチャレンジをされていました。ある種、プロジェクトとしてTMNを終了させたことが、メンバー3人にとっても、きっぱりソロ活動やプロデュース活動へ向かう道となりましたね。

木根:その通りだね。自由を与えてもらったじゃないけど、僕らにとってはTMとしての形を残した状態で次に進めた。この辺がてっちゃんのプロデューサーとしてのすごさで「TMNは終了したけど、TMは終了していない」というね(笑)。

木根尚登が振り返る”TMN終了ライブ”

──1994年、東京ドームのステージに立たれていかがでした? ものすごい照明の光量であり、2日間で全36曲という壮大な内容でした。

木根:僕とヴォーカルのウツは動くからね。てっちゃんは、当時、ステージではプロデューサー然としてあまり動かなかったから、ウツは大変だったんじゃないかな。リハはサポートメンバーもスタッフも10年間一緒にいたメンバーばかりだから、終了ライブと言えど笑いの絶えない現場だったよね。

──今日の上映会で、東京ドームでドラムを叩かれたドラマー山田亘さん(FENCE OF DEFENSE)と阿部薫さんも、観に来てくれましたよね。

木根:そう、ふたりが来るとは知らなかったからさ、楽屋に来てくれて、あれ「登壇のゲストなの?」なんて聞いたぐらいで(笑)。うれしかったよね。無理にでも、トークで巻き込めば良かったな。

──そんなかけがえのない仲間とのシーンが記録されているドキュメンタリー・シーンを観て、どんなことを思い出されましたか?

木根:あの頃は、もう分業制だったからね。てっちゃんが打ち込みをやっているとき、僕やウツは先に帰ることを考えてたよね(笑)。

──そんなシーンがあって、ネタとなっていました。

木根:打ち込みはとにかく時間がかかるし、アレンジを変える変えないとか大変だったんですよ。TMの場合は、オケができた上で、全員で演奏するスタイルだったから。2日間で36曲でしょ? 久保こーじ君(マニピュレーター)も頑張ってたよね。時間もあまりなかったから、それこそ不眠不休で頑張ってくれたよね。あと、僕はリハでドラムを叩いたりしてね(笑)。アドリブでは叩けるんだよ。バンドとしてはできないけど(苦笑)。

──1日目の本編終了後、泣けるシーンの後に登場してびっくりしました。“平成のジョージ川口だ(昭和の名ドラマー)!”的な(笑)。

木根:あの頃よくやってたんだよね(笑)。忘れられないのはさ、フィルムだとドキュメンタリー・シーンの後に出てくるのかな? 初日、アンコールを受けて東京ドームのセンターステージに立ったんだよね。360度人がいて「SEVEN DAYS WAR」を3人だけでやって。あの濃厚な雰囲気はすごかったよね。独特の空気っていうか、見渡す限りぎっしり人がいて……。

──すごい空気感でしたよね。まるで時間が止まったかのような。あそこで「SEVEN DAYS WAR」を演奏されたのも印象的だったんです。東京ドーム公演『TMN final live LAST GROOVE 1994』、2日間の曲順を決めるのも大変だったんじゃないですか?

木根:当時、ライブのセットリストは割と3人で選んでいて。曲順を考える前に、3人一緒に集まってイメージ・ライブをやるんですよ。曲間の間をみたり、キーを確かめるために歌ったり。で、ウツが「それ2曲続くのキツイ!」とか言って(笑)。東京ドームでのラストは変にマニアックにしないで、TMの王道を見せようとしていたからね。意外と選曲はすんなり決まったんじゃないかな。ライブで人気の曲が中心だよね。

──そんななか、TMNが終了するにあたって木根さんはどんな感情を抱いてましたか?

木根:“終わっちゃうんだ”っていう、名残惜しさみたいな感情とは違ったかな。かといって“2~3年後にはまたやるでしょ”とか、そんな近い未来のことも考えていなくて。でも、なんだろうね。喧嘩別れとかじゃなかったし、ずっと一緒にいた3人だったからTMNのプロジェクトが終わっても離れ離れになる気がしなかったんだよね。だから1999年にはすんなり復活? 再始動ができたんだ。

──TM自体、もともとプロジェクト単位での活動という発想でしたもんね。良い距離感というか、個の連帯といいますか。

木根:そうなんだよ。だから1983年に「3人でやろう!」って、てっちゃんから誘われて、でも「これはバンドじゃなくプロジェクトだから」というのはなかなか理解できなかったから。「何それ?」って。「仲良く楽しくバンドやろうよ!」って話してるのに「バンドいらないから」って。「えっ、バンドじゃないの?」、「ドラムやベースはどうするの?」って聞いたら「そのとき一番上手な人にお願いすれば良いんだよ」って言ったから。ほんと驚きだよね。実際、バンドってメンバーの成長のスピードがその時々で違ってくるから、そういうときに問題が起きやすい。そういった不安も、大所帯になったときの金銭的なリスクも回避できるのがプロジェクト発想だったっていう。それがTMの始まりだったからね。

──TMには、ユニット結成に至るまでのストーリーを映画化できるぐらい、ユースカルチャーなドラマ性がありますよね。木根さんは、実際『電気じかけの予言者たち』として脚本的な本も出されてますけど。

木根:うん、今思えばそうだよね。全部が繋がっての10年後、1994年の東京ドームでの終了なんだよね。

──そして今年はTMデビュー35周年ですからね。5年前に武道館2デイズ公演『TM NETWORK CONCERT -Incubation Period-』でスタートした30周年シリーズも実は、初期10年に匹敵するぐらい濃密なスケジュールで活動されていました。

木根:やるからには、普通じゃないことをやりたい3人なんだよね。ただ曲を出してのお祭、というだけでは面白くないし。何か良い企画がひらめいたらアニバーサリーとかに関わらず集まるのがTMだと思いますよ。

5月22日リリースのBlu-ray BOXに収録される未発表アイテム

──今後の話になりますが、東京ドームの『TMN final live LAST GROOVE 1994』での映像を含む、10枚組のBlu-ray BOX『TM NETWORK THE VIDEOS 1984-1994』が5月22日にリリースされます。

木根:1985年に日本青年館でやった『DRAGON THE FESTIVAL TOUR featuring TM NETWORK』(1985年10月31日)も入るんだよね。

──『DRAGON THE FESTIVAL TOUR featuring TM NETWORK』は演劇的要素もあり、やることがいっぱいありましたよね。

木根:僕だけ3回も着替えたしね(笑)。海賊と『アラビアのロレンス』風とアーミーちっくな。それで、パントマイムまでやったから。

──そうだったんですね。ブレイク前でしたよね?

木根:そう、1985年に初の全国ツアーで1,000人弱のホールを回ったんだよね。トラスで作ったUFOから出て帰っていくような演出で。でも、仙台だったかな? 電力ホールという小屋には舞台装置が入らなくて窓から入れたりして、1時間ぐらい開演が押したからね。

日本青年館ではラストに、照明に貼るフィルムの束が落ちてきて頭に当たったんだよ、あれは痛かったなぁ。そんなことしか覚えていない(笑)。大変だったんだけど、その大変ななかに後の『CAROL』プロジェクトにつながるような演出のヒントがあったり、無駄なことなんて何ひとつないんだよね。

──竹馬とか幻想的な演劇集団リンゼイ・ケンプカンパニーの影響もありましたよね?

木根:ロンドンが好きだったからね。てっちゃんに「木根、あれやって!」って言われて、竹馬の演出やパントマイムをやることになったんだよ。それが『CAROL』プロジェクトや東京ドーム公演に繋がっている。

──5月22日に発売される、Blu-ray BOX『TM NETWORK THE VIDEOS 1984-1994』には、もうひとつ未発表アイテムが収録されます。1988年に東京ドームで開催した『T-MUE-NEEDS STARCAMP TOKYO Produced by TM NETWORK』(1988年8月25日)です。

木根:えっ、あれも入るんだ! つっこみどころ満載だよね(笑)。だって、後に『CAROL』のライブをやるために、まず主人公の女の子キャロル・ミュー・ダグラス役をロンドンで探すところからはじまったんだから。

それこそ1回目の東京ドームは、どうしても『CAROL』予告編をやりたいからって、歌詞が完成してないのにやったんだよ。普通、歌詞ついてなかったらやらないよね? どうしても、てっちゃんはやりたかったんだろうね。

──東京ドームは周年祝いなど、ベスト的なイベントで使う晴れ舞台だと思うのですが、そこで次のツアーの予告編であり、実験をやろうとするTMがすごいですよね。

木根:そう捉えてくれるとうれしいね。だからこそ35周年のボーナス収録なのかな? ほんとレア映像ですよ。

──でも、あれがあったから再演の呼び声も高い傑作ツアーである『TM NETWORK TOUR ’88〜’89 CAROL 〜A DAY IN A GIRL’S LIFE 1991〜』へ結びついたのではないでしょうか。

木根:豪華なゲネプロだよね(苦笑)。でも、良いよね振り返ることができるって幸せなことですよ。『DRAGON THE FESTIVAL TOUR featuring TM NETWORK』(1985年10月31日)は観たけど、当時の映像とは思えないほどとてもきれいに撮れてたから。ぜひ、TMのヒストリーを多くの方々に楽しんでほしいですよね。

取材・文=ふくりゅう(音楽コンシェルジュ)

写真=山本 佳代子

■TM NETWORK完全生産限定Blu-rayボックス

『TM NETWORK THE VIDEOS 1984-1994』
2019年5月22日発売/(Blu-ray BOX)32,400円/ソニー・ミュージックダイレクト
※1994年5月18、19日に行われた東京ドーム公演の映像作品『TMN final live LAST GROOVE』のほか、1985年に行われた「Dragon The Festival Tour featuring TM NETWORK」の東京・日本青年館公演や1980年代のライブ映像などを収録
http://www.110107.com/tm_network_the_videos

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