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連載Cocotame Series

ミュージアム~アートとエンタメが交差する場所

京都市長が語る、京都からアンディ・ウォーホルを発信する意義とは?

2022.11.15

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連載企画「ミュージアム ~アートとエンタメが交差する場所」では、アーティストや作品の魅力を最大限に演出し、観る者の心に何かを訴えかける空間を創り出す人々にスポットを当てる。

今回は、2023年2月12日(日)まで京都市京セラ美術館で開催中の『アンディ・ウォーホル・キョウト/ ANDY WARHOL KYOTO 』(以下『アンディ・ウォーホル・キョウト』)をクローズアップ。京都市も主催に名を連ね、京都の街を挙げてのプロジェクトとなった同展や、文化を基軸とした都市経営、京都という街がアーティストに与える影響について、京都市長の門川大作氏に話を伺った。

  • 門川大作氏

    Kadokawa Daisaku

    京都市長

『アンディ・ウォーホル・キョウト / ANDY WARHOL KYOTO』

アンディ・ウォーホル(1928~1987年)はアメリカ、ペンシルベニア州ピッツバーグ出身。商業デザイナーとしてニューヨークでキャリアをスタートさせ、30代でアーティストとして本格的に制作を開始。1960年代以降はニューヨークに「ファクトリー」と称するスタジオを設け、目覚ましい経済成長の最中にあったアメリカの大量消費社会を背景に、版画技法のシルクスクリーンを用いた「大量生産」のアジテーションとも呼べる作品を次々と発表する。キャンベル・スープ、コカ・コーラなど当時広く普及していた人気商品や、マリリン・モンロー、エルヴィス・プレスリーなど数多くの有名人をモチーフに作品を制作し、“ポップ・アートの旗手”として活動するとともに、芸術をポップカルチャーのフィールドにまで拡張。アートのみならず音楽、ファッション、マスメディアなどさまざまなジャンルの表現に影響を与えた。2022年9月17日(土)から2023年2月12日(日)まで「京都市京セラ美術館」で開催される『アンディ・ウォーホル・キョウト』は、ピッツバーグにある「アンディ・ウォーホル美術館」の所蔵作品のみで構成される日本初の展覧会。絵画、彫刻などの約200点と映像15点の展示作品のうち、100点以上が日本初公開となる。京都のみの開催で、巡回はないという異例の大回顧展となっている。

京都市が標榜する、文化を基軸とした都市経営

──『アンディ・ウォーホル・キョウト』は、リニューアルオープンした「京都市京セラ美術館」の新館「東山キューブ」で開催される初の海外アーティストの展覧会です。京都市も主催として参画し、会期中に開催される街歩き企画『ウォーホル・ウォーキング』は、文化庁移転記念事業「ART WALK KYOTO」の一環として行なわれています。まずはじめに、文化庁の機能の一部が京都に移転される意義と、この件に関しての市長の思いを聞かせていただけますか?

1978年に、京都市は「世界文化自由都市宣言」を行ないました。これからは、文化を基軸とした都市経営を行なおう。民族、宗教、社会体制の違いを超えて、世界中の人々が平和の地・京都に集い、自由な交流のなかから新たな文化を創造しよう。これが、京都市が掲げる都市理念です。

京都は千年の都と言われ、長い歴史を誇りますが、同時に永遠に新しくありつづける文化都市でもあります。人と人、地域と地域がそれぞれ孤立するのではなく、ともに手を携えて文化を継ぎ、生み出していこうという意味を込めた宣言です。

この宣言を行なった44年前、世界はアメリカとソ連を軸とした東西のイデオロギー対立の時代でした。にもかかわらず、京都市はイデオロギーの“イ”の字もなく、今の時代を見透かしたように、民族、宗教、社会体制の違いを超え、文化による世界との交流と平和の実現を掲げたのです。そこからさまざまな取り組みを行なうとともに、当時から文化庁の京都への移転も国に提案してきました。

こうしたなか、政府が地方創生を謳うようになりました。その施策のひとつとして、明治維新以降初めて、政府機関が東京から移転されることになったのです。

日本という国の最大の強みは、私は文化だと考えます。政府の英断に敬意を表し、京都市では“オール京都”を標榜して、「文化で日本を元気にしよう、文化によって世界からより尊敬される日本になろう」という思いで、全国津々浦々の固有の文化の継承、発展に貢献できればと考えています。

また文化は、人間の根源的な営みであると言えます。現に、縄文時代、弥生時代の洞窟のなかからも素晴らしいアート作品が発掘されていますよね。日々を生き抜くのに必死な時代でも、人類は文化、芸術を大事にしてきたという歴史があります。それと同時に、文化は21世紀の平和維持装置にもなり得ます。今、ウクライナで大変な戦争が起きていますが、文化は多様性を認め合い、包摂性のある社会を作るという役割も担っており、平和を創造する力にならねばなりません。

そして今、世界は脱炭素社会を目指しています。CO2ゼロ、プラスチックごみゼロ、ファッションロスゼロ、食品ロスゼロという4つのゼロに京都市も取り組んでいますし、2025年に開催される大阪・関西万博でもSDGs達成が大きなテーマになっています。文化とは、こうしたことも重要なテーマであり、京都市もSDGs達成に貢献し、日本全国や世界の方々とも連携しながら取り組みを推進していきたいですね。

民間との連携で生まれるイノベーション

──文化を基軸とした都市経営に関する具体的な取り組みについてもお聞かせください。

取り組みは多岐にわたりますが、現在、大きなプロジェクトとして進めていることのひとつが、京都市立芸術大学と美術工芸高校の移転です。2023年に、現在のキャンパスがある西京区大枝沓掛から京都駅東部の崇仁地区に全面移転します。これは単なる大学と高校の移転ではありません。文化を基軸とした都市経営の礎となる取り組みです。

京都市立芸術大学の前身にあたる京都府画学校は、明治13年に京都御所のなかにできた日本初の芸術大学です。明治維新で首都が東京に移ったとき、洛中の6割が焼けてしまって、京都の人口が3分の2になり、衰退の危機に瀕しました。そんななか、京都の人々がまず行なったのが小学校の創設です。まだ文部省もない時代に、地域住民が協力して全国初の小学校を作り、運営したのです。つづいて設立したのが画学校です。また、日本で最初の工業高校も創設。芸術の振興、そして当時の基幹産業である西陣織や京友禅、京焼・清水焼、漆芸などの工芸の質を高めるという目的がありました。

今、日本は“失われた30年”と言われるバブル経済の崩壊から始まった経済の低迷で、新たな価値を創出しなければ立ちゆかない状況です。かつての京都の基幹産業は、アートとものづくりの融合から生まれました。私たちも先人の思いを大事にして、サイエンス、テクノロジーを用いてイノベーションを起こし、社会課題を解決するスタートアップにつなげていく必要があります。

文化庁の機能が京都に移転すれば、文化と経済の融合がさらに進むでしょう。そこで、京都市立芸術大学と美術工芸高校を移転し、周辺一帯から、さらに京都全体を社会課題解決のためのイノベーションの拠点にしていきたいと考えています。また、この一帯に、チームラボやアメリカ・ニューヨークで大人気のアート施設「Superblue」などの進出が決まっています。そして隣接の菊浜学区は任天堂発祥の地でもあり、新たな文化の拠点に。まさに文化と芸術、スタートアップの拠点に生まれ変わろうとしています。京都市立芸術大学と美術工芸高校の移転により、さらにこうした動きを活性化させて、京都に一大文化・産業エリアを構築していきたいと考えています。

──官民一体となって文化事業を行なうこと、それによって生まれる発展性についてもご意見をお聞かせください。

芸術というのはあらゆるところから生まれ、その価値を融合することでさらなる価値が生まれます。我々、行政においてはそういったマッチングのお手伝いをすることが大事な役割だと思っています。京都市立芸術大学の移転先に隣接する市有地についても、どのように活用すべきか市民の皆様や企業の方々からアイデアや構想を募集し、多くの創造的な提案が寄せられました。また、開発を行なう事業者も公募します。

京都市の財政は厳しい状況にありますが、令和3年からの3年間を集中改革期間として、覚悟を決めて改革を進めており、市民、事業者のご協力で大きく前進しています。同時に、私は未来への投資を止めてはならないと考えています。「大学は周辺エリアに移して、市の中心地は商業開発すべき」との声もありましたが、京都は文化・芸術の街であるというのは自他ともに認めるところです。文化が栄えることで、人が育ち、クリエイティブな街になり、商業もさらに繁栄し、豊かになる。民間と連携することで、より創造的なイノベーションを起こしていきたいですね。今回の『アンディ・ウォーホル・キョウト』や『京まふ』(京都国際マンガ・アニメフェア)で、ソニーミュージックグループの皆さんと協業させていただいているのも、そうした考えが根底にあるからです。

ソニー・ミュージックソリューションズが運営に携わるマンガ・アニメを中心としたコンテンツの総合見本市『京まふ』は、コロナ禍においても感染対策の徹底や出展内容を適正化することで開催をつづけ、西日本最大規模に。今年も盛大に開催された。

アンディ・ウォーホルも愛した歴史都市“京都”

──では、門川市長が『アンディ・ウォーホル・キョウト』をご覧になった感想をお聞かせいただけますか?

私も、アンディ・ウォーホルと近い時代を生きているんですよね。生活のなかに、今でいう現代アートがある。そういった同時代性を感じました。また、京都への2度の旅がウォーホルの作品に大きな影響を与えていることにも感激しました。京都の街並みを楽しんでおられたんでしょうね。金箔や生け花、着物などからインスピレーションを受けたと思われる作品、スケッチのなかにはお寺や神社、舞妓さんもあって、とてもうれしくなりました。

──アンディ・ウォーホルに限らず、京都に特別な思いを抱く芸術家は世界にたくさんいます。芸術、文化の観点から京都の魅力がどこにあるのか、門川市長の考えをお聞かせください。

確かに、多くの芸術家が京都を愛し、多くの作品にさまざまな影響を及ぼしていると聞きます。また、芸術家だけでなく、アメリカをはじめとする世界のスタートアップで成功した方々の多くが、京都の地でアイデアが閃いたという話もよく聞きます。禅寺で庭を観ながら着想を得た、京都の生活や文化に触れて新たな発想が生まれたという例は、枚挙にいとまがありません。

ほかにも、筆が止まってしまった小説家が京都で静かな生活を送ることで、再び筆が動き出したとか、スランプに陥ったスポーツ選手が立ち直ったという話もあります。やはり京都の1,000年の歴史、そこに息づく自然の力、宗教都市としての精神文化などが人々を包み込んでさまざまな力を引き出すのではないでしょうか。

京都は、多様性と重層性を重んじ、そして自然とともに生きる歴史都市です。世界にも歴史都市がたくさんありますが、1,000年を超えて文化が一度も遮断されることなく継承、発展されている街は稀有で、大都市では唯一と言われています。『アンディ・ウォーホル・キョウト』では、1956年と1974年にウォーホルが京都を訪れたときの写真も展示されていましたが、その風景は今と変わりませんよね。私も、下鴨神社を散歩していたら、宮司から「そこは1,000年前、紫式部が見たのと同じ風景ですよ」と言われたことがあります(笑)。1,000年前の作家と同じ景色を共有できる……そういう歴史都市だからこそ、京都に惹かれる芸術家が多いのかもしれませんね。

暗闇のなかで、心の奥を照らすのがアート

──京都市は、行政の政策として芸術家、音楽家、クリエイターなどが住みやすい街にすることにも取り組んでいます。その意図をお聞かせください。

最近、ボヘミアン指数(人口に占める芸術家等の割合。リチャード・フロリダが提唱)が注目を集めていますよね。芸術家が数多く居住することで、その場所はアートや文化の発信地になります。京都は、日本の大都市において人口10万人あたりの芸術家の居住者数がもっとも多い街です。芸術家がたくさん住んで活躍していることは、その街の寛容性、開放性、さらには新たな価値の創造性にも非常に大きな影響を及ぼし、スタートアップ・エコシステムにもつながります。

さらに、最近は企業が京都市に研究開発拠点を置く動きも多く見られます。京都に拠点を作れば、欧米の研究者やデザイナーも招致しやすい。近くに住む研究者が自転車で会社に行くような街は、素敵じゃないですか。

また、京都は街全体で歴史と文化を守ってきたことから、総じて保守的な考えに染まっていると思われがちですが、そんなことはなくて。例えば、京都市立芸術大学の前身である画学校は、明治13年の創設当時から男女共学を実現した学校だったんです。ほとんどの大学が男女共学化したのは戦後ですから、京都の街の、そして画学校の先進性がわかります。

ちなみに、女性初の文化勲章受章者で、美人画の大家である上村松園は画学校で学びました。松園はシングルマザーとして息子である上村松篁を育て、彼ものちに日本画家として活躍し、文化勲章を受章。さらに孫にあたる上村淳之京都市立芸術大学元副学長も今年文化勲章を受章しています。あるシンポジウムでこのことを例に挙げて「京都は明治初期から女性が活躍しています」と話したら、「いやいや、1,000年前から紫式部が活躍していただろう」とブーイングが起きたこともありました(笑)。京都には未来を見据え、多様性を認め合う文化をいち早く受け入れる土壌があると私は感じています。

バブル経済が弾け、極めて厳しい状況になったときも、京都市はほかの都市にはない基本構想を掲げました。多くの場合、自治体が掲げる基本構想の骨格は、産業、教育、福祉、都市基盤整備等を今後どうしていくのかというビジョンを描きます。でも、京都市の場合は“市民の生き方”を最初に示しました。1,000年を超えて大切にしてきた市民の生き方にもう一度着目し、京都市民が得意なことについてみんなで議論したんです。

そして、本物を見極める“目利き”、物事をとことん極める“極め”、精緻なものづくりを行なう“匠”、新しいことに挑戦する“試み”、もったいない精神の“始末”、そして“おもてなし”という「6つの得意技」の価値を再確認し、それをいかし、実践しようと考えました。これこそが文化の継承だと思いますし、地球環境に配慮し、人間の生活をより豊かにするサステナビリティの考えやSDGsにも通底するものではないかと思うのです。そして、こうした基本構想を推進してきたからこそ、京都は文化、芸術の街として広く認知されるようになったのではないでしょうか。

──最後に、読者へのメッセージも兼ねてお伺いしたいのですが、『アンディ・ウォーホル・キョウト』のオープニングセレモニーで、門川市長は「コロナ禍において、当初、文化やアートの取り組みは不要不急のものとして扱われることが多かったが、決してそうではない。人間が人間らしく生きていくために芸術は絶対に欠かせない」とお話しされていました。京都市は、今回の『アンディ・ウォーホル・キョウト』の主催にも名を連ねていますし、コロナ禍においても『京まふ』を休むことなく開催しつづけてきました。やはり門川市長は、エンタテインメントやアートは不要不急ではないという強い思いがあって、こうした取り組みをコロナ禍でもつづけてこられたのでしょうか。

その通りですね。アートは、人間にとって必要不可欠なものだと考えるからこそ、京都市では、全国に先駆けて、コロナ禍で窮するアーティストに上限30万円の支援金の交付などを行ないました。これもアーティストや表現者に対する支援が手薄だと感じたからですが、文化、芸術の振興に積極的な京都市の取り組みだからこそ多くの方の共感を呼ぶことができ、文化庁などにも評価いただきましたし、全国紙の社説でも紹介されました。

『アンディ・ウォーホル・キョウト』のオープニングセレモニーで自身の考えを語る門川大作市長。

『京まふ』の開催も同じで、外出を自粛しようという時期にあの規模でイベントを開催した際には、「安全に生きていくために必要なイベントなのか」という声もありました。しかし、今ではつづける意義や価値が認められ、「止めないでくれてありがとう」「つづけてくれてありがとう」という声をたくさんいただいています。

東日本大震災が発生したとき、現地でボランティア活動を行なった京都市立芸術大学の学生の方々は「アーティストを目指す私たちに、何ができるんだろう? アートの力ではなんの役にも立てない」と無力さを感じていたようです。しかし、現地の人々とのふれあいから、暗闇のなかで心の奥を照らす、人の心を動かせるのがアートだと痛感したと聞きました。批判を恐れず、そのときにやるべきことを行なう。それが文化、歴史都市である京都市の大事な使命だと思います。

文・取材:野本由起
撮影:干川 修

開催情報

『アンディ・ウォーホル・キョウト / ANDY WARHOL KYOTO』

開催期間:2022年9月17日(土)~2023年2月12日(日)
休館日:月曜日(ただし祝日の場合は開館)、12月28日(水)~1月2日(月)
開館時間:10:00~18:00(入場は閉館の30分前まで)
会場:京都市京セラ美術館 新館「東山キューブ」(京都市左京区岡崎円勝寺町124)
入館料:一般・土日祝:2,200円(当日)
一般・平日:2,000円(当日)
大学・高校生:1,400円(当日)
中学・小学生:800円(当日)
※すべて税込
※20人以上の団体割引料金は当日券より200円引き
※障がい者手帳等をお持ちの方(要証明)と同伴される介護者1名は無料
※未就学児は無料(要保護者同伴)
※会場内混雑の際は、今後、日時予約をお願いする場合や入場までお待ちいただく場合がございます。

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