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エンタテインメント・イズム

木村麻里子のイズム:エンタメの仕事は人と人のコミュニケーションから生まれる

2024.12.16

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音楽、アニメ、ゲーム、キャラクター、ソリューションなど、幅広いエンタテインメントビジネスを手がけるソニーミュージックグループで、各ビジネスを統括するマネジメントクラスが自身の“エンタテインメント・イズム”を語る。

今回は、ミュージシャン、俳優、声優、お笑い芸人など、多才なタレントが所属し、今年で会社設立50周年を迎えたソニー・ミュージックアーティスツ(以下、SMA)の代表取締役執行役員社長・木村麻里子が登場。音楽の宣伝、制作業務の現場で得た学びや、エンタテインメント業界で働くことの醍醐味を語った。

  • 木村麻里子のプロフィール写真

    木村麻里子

    Kimura Mariko

    ソニー・ミュージックアーティスツ
    代表取締役執行役員社長

ラジオ番組制作のアルバイト時代にエンタメ業界に出会う

――木村さんは大学卒業後、1994年にソニーミュージックグループに入社し、今年でキャリア30年の節目を迎えています。まずはこの会社を志望した動機を教えてください。

ソニーミュージックに入社したいと思った直接のきっかけは、大学生時代に3年ほど務めたラジオ番組の制作会社でのアルバイト経験です。ラジオ番組の制作現場には、レコード会社のプロモーターさんや所属事務所のマネージャーさんが、ゲストのミュージシャンの方とともに同行されていました。私はそこでエンタテインメントを支える裏方には、いろいろな職種があることを知りました。

就職活動を始めたとき、実は最初に志望していた職種は、テレビのドキュメンタリー番組の制作だったのですが、こちらの内定はまったくもらえず……(苦笑)。少し希望と離れるかもしれないけれどソニーミュージックグループも、十分に幅広いエンタテインメントビジネスを行なっている会社でしたし、番組制作以外にも挑戦してみたい職種があったのでエントリーを決め、運良く入社することができました。

――具体的な職種としては、何を希望していたのですか?

アルバイト時代にマネージャーさんの仕事を垣間見たのをきっかけに調べていくと、裏方の仕事が奥深そうな気がしたので、就活のエントリーシートの第1志望にはSMAと記入して提出しました。

ところが入社後の配属はまさかの販売促進部(宣伝)。そう思い通りにはいかない社会人の現実を感じるスタートとなりました(笑)。

――そもそもマネージャーをやりたいと思ったのは、どういう理由からですか?

ひとつの理由としては、マネージャー職はアーティストや俳優、タレントの皆さんがより活躍できる場や方向性を考え、最終判断をする役割であるところが魅力だなと感じていました。

そして、ライブやイベントなどの企画や制作、メディアPR、グッズ制作、ファンクラブ運営など、アーティストに関係する360度、全てのカテゴリに携われる仕事。大変だけれど、ほかの職種以上にやりがいを感じられる、絶対に楽しい仕事に違いないと感じていました。

もうひとつは、なんとなく私自身が、才能を持つ人や活躍する人のそばで“支える、人をサポートする”ということが好きだったこともあったと思います。

――映像制作会社でドキュメンタリーを担当したかったという当初の希望も、その“人との関わり”に関係しますか?

まさにそうです。ドキュメンタリーといっても、ジャーナリズムの視点というよりかは、事件のドキュメンタリーとか個性的な人を追うドキュメンタリーとか、“人”にフォーカスした番組に携わりたかったんです。結果形は違えど、“人”と深く関わることができる、ソニーミュージックグループに入社できたことは、自分にとってとても良かったと思っています。

最初に配属された販売促進部(宣伝)、のちに配属された制作部、ともに売っているものは音楽や映像の商品でしたが、そこでは作品とそれを作っている“人”の想いを、色んなメディアを通じてひとりでも多くの方々に伝え、ヒットを目指すのが仕事でした。

そして、4年前に異動したSMAでのプロダクションの仕事は、文字通りタレント、アーティストととの“人”のつながりがより一層深くなり、信頼のうえに成り立つコミュニケーションがもっとも重要となる仕事です。

自分自身の30年間の仕事を振り返ってみると、そこには常に“人”とのつながり、コミュニケーションが軸となって成立してきていたんだなと、改めて感じているところです。

宣伝、制作業務を13年ずつ経験して得た学びとは?

――木村さんのソニーミュージックでの足跡を追っていきます。最初に配属された販売促進部(宣伝)には13年間在籍しています。どういった仕事を経験しましたか?

当時、私が配属されたレーベルには、ユニコーン、プリンセス プリンセス、米米CLUB、橘いずみさん、SCANCH。キャリアのある方では五輪真弓さんや浜田省吾さん、渡辺真知子さんなど、錚々たる皆さんが所属されていらっしゃいました。

その方々の作品を、雑誌やラジオ、テレビなどのメディアにプロモーションすることはもちろん、シングルやアルバムの発売時は、特別なキャンペーンやタイアップ施策を実現することも大切な業務でした。

また、今はA&Rやアーティスト担当は専任制であることが多いですが、当時はプロモーターがアーティスト担当のサブ的な立場を担うこともありまして。私も浜田省吾さんの事務所の後輩である大森洋平さんや区麗情さんのアーティスト担当をやらせていただいていました。

――仕事の幅も広かったんですね。

そうですね。メディア担当をしながらアーティスト担当も……となると、本当に大忙しで。でもそのおかげで、いろいろな部署や外部の方とご一緒する機会も多く、視野も広がりました。今でも当時出会ったたくさんの方たちと、お仕事をご一緒させていただいています。

――販売促進部(宣伝)時代、特に印象的だったアーティストは誰ですか?

私の仕事に対する向き合い方の原点であり、もっとも鍛えられたできごとは、ポルノグラフィティのデビューですね。先輩が、因島出身でいいバンドがいると発掘したのが、ポルノグラフィティでした。

私たち若手スタッフもデビュー前の段階から「ぜひ見ておいたほうがいい」と言われて、同じチームの何人かで大阪のライブハウスに行き、レーベルが彼らの可能性を確信して、ソニーミュージックとの契約へと進んでいきました。

デビューに至るまでの準備期間から、1999年の「アポロ」のリリース、メジャーデビュー後のチーム一丸となったプロモーション活動と、ポルノグラフィティの快進撃をスタッフの一員として体感できたことは、20代で本当にいい経験をさせてもらったなと感謝しています。
 
――そこで得た学びは何だったのでしょうか?

ポルノグラフィティの音楽レーベルはSME Recordsですが、マネジメントを担当されているのはアミューズの皆さんです。プロダクションは、アーティストの売り出し方、見せ方においてレーベルと異なる視点を持つことも多く、ここがとても勉強になりましたね。

――特に印象的だったことは何ですか?

“常にファンファーストであれ”という考え方が徹底されていたことです。レーベルとプロダクションのチームリーダーが指揮を執り、アーティスト本人はもちろんのこと、マネジメントチーム、レーベルチーム、ファンクラブやグッズ、ライブ制作の担当など、関わりある全てのチームメンバーが、コンセプトとビジョン、そしてルールを共有し、ポルノグラフィティをもっともっと世に届けるんだとチーム一丸となっていたのを思い出します。

そのほかにも、販売促進部(宣伝)時代の13年間は、新人アーティストからキャリアのある方まで、それぞれ異なる戦略でたくさん仕事をさせていただきました。エンタテインメントを世に届けるスキルだけでなく、失敗してみないとわからない数々のシビアな場面もあったので精神的にも鍛えられましたね。

人と深く関われることがエンタテインメント業界で働くことの醍醐味

――そんな宣伝プロモーターとしてのキャリアを、次に木村さんは制作部でいかすことになります。

はい。販売促進部(宣伝)に13年在籍後、制作部に異動になりました。制作部は作品のコンセプトやプロモーション戦略の立案など、よりアーティストに深く関わりながら、実際に音源や映像を制作していくことが仕事です。

――宣伝部とはまた違う立場で、アーティストの想いを具現化することになったわけですね。

はい。アーティストの皆さんは特に制作面での思いを強く持っていることが多いので、販売促進部(宣伝)のときよりもう一歩、密なディスカッションや戦略計画が必要になりました。

作品を生み出していく際に、レーベルの制作としてはこういう作品を作ってほしいという希望はありますが、アーティスト本人の意思と100%マッチするかというと、そうではない場面もあります。

そこでディスカッションをして、今回はどうするべきか? コンセプトや制作方法を練り込んでいく。その過程や経験からは学ぶことがとても多く、この仕事の醍醐味でもありました。今でもこの経験がいかされているなと実感しています。

――周りの方からは、どんなことを学びましたか?

この業界に入って、とにかく好奇心旺盛な人が多いことに最初驚いたんですが、皆さんいろんな遊びや経験をしていて発想豊かな人が多いんですね。何かを提案、意見するときも、“なるほど! それ、面白いかもね”というアイデアを出せる先輩や仲間がたくさんいて。いろんな発想や言葉の引き出しをたくさん持っておくことも必要だなと強く感じました。

それを解消するためにも、自分の興味があるなしに関わらずクリエイティブの刺激になるような映画や音楽、カルチャーに触れてみようと心がけてはいました。実際はなかなかできていないのですが……(苦笑)。

――最近はSNSやサブスクリプションサービスで音楽や映画を楽しむ機会も増えましたが、ユーザーの好みに合わせたおすすめAI機能が充実していると、自分の興味外の物ごとに触れる機会がどんどん減ってしまいますが、それでは自分の引き出しが広がりづらい。そうではない経験、体験がクリエイティブには必要だということですね。

自分ではなかなか手を出さないものに触れる機会、“本物”をリアルで体験する機会は、どんなジャンルのエンタテインメントでも大事なことだと思います。

今まで見たことがなかった公演なども、実際に足を運ぶと本当に皆さんの歌声が素晴らしくて、何回も鳥肌が立つ経験をしました。ほかでは得られない感動があり、全てが自分の糧になっています。芸術作品もそうですが、時代に左右されない“本物”を知ることで、さまざまなエンタテインメントへの興味が深まります。若い皆さんにも、ぜひおすすめしたいですね。

会社設立50周年を迎え、改めて思うこと

――木村さんはソニーミュージックの販売促進部(宣伝)、音楽制作を経て、2020年に入社当初に配属を希望していたSMAに異動となりました。

はい、私が49歳のときですね。50歳という節目を目前にして、宣伝を13年、制作を13年経験し、このままずっと同じ畑で仕事していくのは、どうなんだろう? 違うフィールドに身を置いてみることも必要なんじゃないか? と直感して、当時の上司にその気持ちを伝えました。

と言っても、どの部署に移りたいという具体的な希望があったわけではなかったので、周りの皆さんに客観的に見てもらって、私に向いていると思う部署で働きたいとお願いしたんです。そうして新たな配属先になったのがSMAでした。

――SMAでは4年間の管理職経験を経て、今年春にSMAの代表取締役執行役員社長に就任となりました。

はい。私はこれまでチームのなかでそれぞれが責任を持ち、チームプレイで結果を出していく仕事に携わってきました。なので、現在の立場をいただくことになったことには戸惑いもあったのですが、自分にできることを後輩の皆さんにお伝えする役割も大事だと思い、お受けしました。

――SMAという会社の起源であるエイプリル・ミュージックは1974年に設立され、SMAは今年で設立50周年を迎えました。節目の年での就任となりましたね。

会社としても設立50周年を盛り上げるべく、2025年3月までを50周年イヤーとして、所属アーティストや俳優、タレント、声優、お笑い芸人などが集結し、さまざまなライブやイベントを開催している最中です。

以前は、音楽アーティストが主軸のプロダクションでしたが、現在は音楽アーティストと並んで俳優やお笑い芸人の活躍に対して、「SMAはとても元気ですね」と周囲の皆さんからはありがたいお言葉をたくさんいただいています。

そんな今があるのも50年という歴史を積み上げてきた先輩方や所属の方々がいて、しっかりとバトンを渡してくださったから。つないでいただいたSMAらしさを、しっかり受け継ぎながら、私たちも次の世代にバトンを受け渡していきたいですね。

エンタテインメントに必要なのは人と人のつながり

――最後に、木村さんのエンタテインメント・イズムを改めて教えてください。やはり人と人とのコミュニケーションということになりますか?

そうですね。そして人と人のつながりから得られるもの、生み出されるものが、エンタテインメント業界では非常に大きいと思います。

私が今、ここにいられるのも、人とのご縁と環境、そして運に恵まれたから。この30年間、仕事の厳しさ、難しさに泣き、つらいと思うこともたくさんありましたが、全てが自分の糧になり、エンタテインメント業界で仕事を続けるモチベーションにつながっています。

エンタテインメントから得る感動は大きく、本当にやりがいのある仕事だと私は感じているので、これからエンタテインメント業界を目指す方々にもぜひ味わっていただきたいと思います。

真剣な表情で話す木村麻里子

文・取材:阿部美香
撮影:増田 慶

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