ゴスペラーズ・北山陽一&安岡優インタビュー:活動30年でグループが得た強み②
2024.12.18


12月21日にメジャーデビュー30周年を迎えるゴスペラーズ。2024年から2025年にかけて、作品のリリース、そしてライブツアーの開催と、アニバーサリーイヤーを駆け抜ける。そんな彼らのデビュー時から現在までの活動や、新作『Pearl』について、メンバーの北山陽一と安岡優に話を聞いた。
目次
ゴスペラーズ The Gospellers
(写真左から)北山陽一、村上てつや、安岡 優、黒沢 薫、酒井雄二。1994年12月21日、シングル「Promise」でメジャーデビュー。2000年、シングル「永遠(とわ)に」、2001年、シングル「ひとり」の大ヒットで、唯一無二のボーカルグループとしてその名が世に知れ渡る。以降、メンバーそれぞれがソロプロジェクトや他アーティストへの楽曲提供、プロデュースなども手がけ、幅広い活動を展開している。30周年記念EP『Pearl』発売中。12月18日、カップリングコレクションBOX『G30 -Beautiful Harmony 2-』をリリース。
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――2024年をメジャーデビュー30周年のアニバーサリーイヤーとして駆け抜けた今の心境を聞かせてください。
北山:個人的には、20周年のあと大病をして人生観が変わったということがありました。復帰して25周年を迎えたと思ったら今度はコロナ禍。そういう意味では無茶苦茶な10年でしたね。ま、ゴスペラーズの無茶苦茶は今に始まったことではないですが(笑)。30周年までのここ数年は、世の中とも激動を共有してきたなと思います。続けているといろんなドラマがありますね。
安岡:がむしゃらにやってきただけなんですが、特にコロナ禍でステージに立てないという経験をしてからは、目の前の1ステージ、1ステージをとにかく一生懸命やることしかないという思いが強くなり、よりがむしゃらに駆け抜けてきた気がします。30という数字を客観的に見たら大きいですけど、自分たちにとっては気がつけば30年という感覚ですね。
――長く続けられているのは、メンバー目線で、ゴスペラーズの何が良かったからだと思いますか?
北山:職場の人間関係などを思い浮かべていただけたらわかると思うんですけど、グループでいることってたくさんの要素を必要としますよね。
ゴスペラーズでいうと、例えばメンバーの誰かひとりが費やした2時間が、直接的にヒットにつながり、経済効果をもたらすこともあれば、いっぽうで、経済効果という意味では表に出ずとも、誰かがグループを支えるために1週間心血注ぐこともある。そのどれがどうってわけじゃないよね、という考え方で、我々はずっとギャラの5等分を貫いてきました。
実際、あるひとりの役割が固定するみたいな期間って本当にないんですよ。ライフステージが変化するなかで、昨日までできてきたことが今日はもう辛いからスローダウンするという人もいれば、逆に、今まではやってこなかったことに今日から積極的に挑戦したいという人もいる。そういう5人のアップダウンが、比較的短期間でうまいこと入れ替わってきた気がします。
当然、いろいろな場面で、それぞれが「これは俺がやらなきゃいけないだろう」という歯の食いしばり方はしてきたと思います。でも全体としては、お互いの調子を見て、チャンスを譲り合うという図式が自然とバランス良く成り立っていた。チームマネジメントみたいなことで言えば、そこだと思います。
安岡:僕らが世に出られたのは、あのころは僕らみたいなボーカルグループが珍しかったから。そこはまず間違いないと思うんです。ただ、あとから数多くのグループが出てきたなかで30年続けてこられたのは、ゴスペラーズは、全員が作詩、作曲、ハーモニーアレンジを手がけられるグループだったからじゃないかなと。
作品ができるたびに一番うれしく、報われた気持ちになるのは、何より僕ら自身なんです。あとはそれがたまたま評価されたというだけの話で。もし、自分たちで作ることを許されなかったとしたら、途中でヒット曲が出たとしても、30年グループを続けることはなかったでしょうね。
北山:幸い、作家として誰もクビにならなかった。
安岡:それぞれが、喜びも悲しみも歌にして昇華することができたし、それによって自分をケアすることもできてきた。それは本当に大きかったと思います。全員が曲を書くボーカルグループというのが、僕らの強みなのかなと改めて思います。
――ゴスペラーズのメジャーデビューは1994年。直前にメンバーチェンジがあり、安岡さん、北山さん、酒井(雄二)さんが加入。まだ全員が学生でした。
安岡:デビューのときは根拠のない自信がありました。でも、プロの世界に入ると、「この日までにこれやってね」と言われたら、“できない”という選択肢がない。僕らはデビューが12月21日だったので、すぐに生放送のクリスマス特番出演の話をいただいて。
北山:そうそう。「この曲とこの曲を仕上げられたら出られるよ」みたいに言われて。
安岡:逆に言えば、やれないんなら出さないぞという意味。もちろん、超ビッグチャンスをくださっているんですけど、正直そのときは「好き勝手なことばかり言って」と思いました。でも、「できるんでしょう? プロなんだから」と言われた途端なんかカチンときて、できるに決まってる! と逆ギレのように奮起して(笑)。愛のムチですよね。言われたこと以上のものを持っていくくらいじゃないと、箸にも棒にもかからないんだろうなとも想像できた。「怖い世界に入ってしまったものだな」と思いましたね。
北山:僕なんかは、歌も歌えない、人前で声を出したことすらない状態でデビューしてしまったので、当然ながら“プロなんだからできるよね”のハードルに、全力でジャンプしてもまったく届かないわけです。それは、その後10年くらいは続きました。
言われた通りの服を着て、言われた通りのところに行って、自分の持てる最大限を出す。それしかなかったです。ワークライフバランスなんて関係ない。生きてること=ゴスペラーズ。それでも間に合わないくらい。求められたことをいつしか超えていても、それさえ気づかないくらいの日々でした。
――当時の人気バラエティ番組『笑っていいとも!』のコーナーなどに出演して、早い段階で注目されましたが、「永遠(とわ)に」「ひとり」で楽曲が知られるようになるまでにはデビューから6年を要しました。
ゴスペラーズ 『永遠に』Music Video
北山:僕ら自身は、たかだか20歳から26歳とかなので、だいぶかかったというふうには感じてなかったんですけど、レコード会社的には長かったかもしれないです。
安岡:6年も我慢してもらえたのはありがたかったですね。当時はアルバム3枚出すまでは我慢してもらえるという説もありました。
――音楽業界がとてつもなく熱を帯びた時代で、売れる、売れないの評価区分もハッキリありました。
安岡:CDの売り上げ100万枚超え時代が始まったころにデビューしたので、まさに音楽で一攫千金が狙えると信じられていた時代ですよね。CDを買う側の熱も、売る側のモチベーションもすごく高い。僕らは『笑っていいとも!』をはじめメディアにはよく呼んでいただいていたので、CDの売り上げからすると考えられないくらいライブの動員が増えていきました。
ゴスペラーズ 『ひとり』Music Video
――グループとしての認知度は上がっていったんですね。
安岡:デビュー5年目くらいには、僕らが健康で毎日ライブをする気概さえあれば生きていける、という自信を持てていたので、この仕事を諦めるという選択肢はもうなかったです。
ただ、それはこちら側の話で、レコード会社は違います。デビュー6年目の「永遠(とわ)に」に至るプロダクトの作曲合宿のときには、偉い人がやってきて、「6枚目となる次回のアルバムで売れなかったら、7枚目にベスト盤を出して、きれいにお別れしましょう」という話をされました。でも、僕らは「だからって、全然崖っぷちじゃないよね」と思うばかりで。
北山:そう。何かを変えようとは誰も思わなかったんですよね。
――そこで揺らぐことはなかったんですね。
安岡:自分たちが信じるこの道をただ前に進めばいいと思ってたし、そう思える状況を、現場のスタッフが作ってくれていたんですよ。
北山:ライブでいくら動員があろうが、レコード会社のほうはビジネスを拡大できない。そこを担当ディレクターが、「彼らはライブであれだけ動員してるから大丈夫です」と、周りを説得し続けてくれていました。レコード会社のなかに守ってくれるスタッフがいたというのは、本当に巡り合わせですね。
そんな愛あるスタッフをもってしてでも、“もう無理かも”というところまできていて、だから、息絶えてバタッと倒れたところで、「永遠(とわ)に」、「ひとり」がヒットしたことは、本当にラッキーでした。守ってくれたスタッフと一緒に“収穫”ができた。これはすごく幸せなことでしたね。
――その担当ディレクターは今も変わらずですか?
安岡:はい。ソニーミュージックの洋楽宣伝から邦楽制作部に異動しての最初の担当がゴスペラーズだった人で、ともに30年。言ってみれば6人目のゴスペラーズとして一緒に歩んできています。
北山:初期のころ、「あなたたちは今ここにいるけど、まずはこの位置を目指すのよ」と、僕らの進むべき道を図にして、めちゃくちゃ熱くプレゼンしてくれました。
安岡:つまり、僕らと同じクリエイターなんですよ。6人で知恵を出して、努力しながら道を切り拓いていった感じです。
――ゴスペラーズは全員がソングライターであることが大きな強みという話が先ほど出ました。制作チーム全体としても、そこは最初から打ち出していこうという考えだったんでしょうか?
安岡:自分たちで作る努力はし続けようという気持ちは最初からあって、1stアルバムの制作時から作曲合宿に行かせてもらっていましたね。もちろん、この作家さんに書いてもらいたいと打診することもあったんですけど、ほぼ全員に断られました。当時はまだボーカルグループに曲を書くスペシャリストがいなかったんです。もし、素敵な曲を書いてくださったとしても、ハーモニーは僕らで考えなきゃいけなかったし。
北山:それが、考える力を養う機会にはなりましたけどね。
安岡:ま、だから、自分たち以外頼る先がなかったとも言える。
北山:担当ディレクターがちゃんと僕らのやりたいことに耳を傾けて、意欲を育てようとしてくれました。読むべき本、聴くべき音、本当にいろんなアドバイスをもらいましたね。僕ら全員、作家としてめちゃくちゃ育ててもらったと思います。もちろん、みんながみんな同じペースでスキルを上げていったわけじゃないんですけど。
安岡:それぞれの得意なところからまず伸ばしていく、みたいなね。
北山:それでバランスがとれればいいよねという感じでした。僕自身は歌手になりたいというより作曲家になりたい気持ちのほうが強かったので、喜んで作曲やハーモニーに取り組んでいましたね。
――安岡さんは最初、作詩に特化していた時期もありました。
安岡:まずそこを得意分野として、努力して伸ばそうとしていましたね。
北山:でも、作曲家としてもヤス(安岡)にしか書けないものもあるわけで。これもゴスペラーズの強みだと思うんですけど、それぞれの持ってる音楽性とかバックグラウンドが、もう“嘘だろ?”っていうくらいにバラバラなんですよ。それをそのままいかしましょうというふうにやってきました。
――作品を追うごとにそれぞれの個性が際立っていきました。
北山:素材ゴロゴロカレーだからこその化学反応が面白いんです。それぞれの味を認め合いつつ、「ここはもっとこうしたほうがいいんじゃない?」という意見があれば、みんな素直に聞く。そのあとどうするかは作った本人にかかってくるので。
安岡:助けが必要なときは、気兼ねなく求めるし、ほかのメンバーの得意分野を見て「なるほど」と思えば、シレッと盗むし。
北山:ああ、あるある(笑)。
安岡:そうできるのが、僕らのいいところ。ひとつのグループであるゴスペラーズのなかに5人分の要素が入っているので、例えば、それぞれに1の力しかないときでも、それを合わせれば3や4の力になる。曲づくりに関しては、そうやってゴスペラーズは戦ってきたんだろうなと思います。
後編では、これまでのライブツアーから得たものや、30周年記念の新作「Pearl」の制作秘話を語る。
文・取材:藤井美保

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