水森亜土について知っておきたい12のこと①
2025.07.16


ソニー・ミュージックジャパンインターナショナルでシンディ・ローパーを担当する佐々木洋が、シンディ・ローパーについて知っておきたい12のことを解説。
後編では、シンディ・ローパーと日本との深い絆について語る。
目次

佐々木 洋
Sasaki Hiroshi
ソニー・ミュージックレーベルズ
1953年6月22日、ニューヨーク生まれの歌手・俳優。1983年のソロデビュー・アルバム『シーズ・ソー・アンユージュアル』(日本発売は1984年2月)は、アメリカだけで600万枚、全世界で1,600万枚以上(当時)という驚異的なセールスを記録した。また、女性の社会的地位向上やLGBTQ+コミュニティ、HIV/エイズとともに生きる人々に対する支援活動などを通じて、社会にメッセージを発信し続けている。大の親日家としても知られており、2011年の東日本大震災の際には多くの海外アーティストの来日公演が中止となるなか、日本ツアーを敢行したことは、語り草になっているエピソードだ。2024年に『ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン・フェアウェル・ツアー』の開催とともに、このツアーがシンディ・ローパーにとって最後のワールドツアーになることを発表。2025年4月19日から6年ぶり15度目、そして最後のジャパンツアーを開催。
記事の前編はこちら:シンディ・ローパーについて知っておきたい12のこと①
――シンディ・ローパーは、2011年の東日本大震災の直後、多くの海外アーティストの公演が中止になるなか、日本を励ますために日本ツアーを敢行したというのは、あまりにも有名なエピソードです。
あのときは僕の大先輩である白木哲也さんが担当していたんですが、3月11日、シンディの乗った飛行機が成田の上空で着陸待機をしている間に地震が発生し、米軍の横田基地に緊急着陸したんです。
そこから別の空港に移動したシンディをスタッフが大混乱のなか迎えに行って、何時間もかかってホテルに到着しました。既にさまざまなインフラが停止し、海外のビジネスマンなどには国外退去命令が出ているような状況でした。
でもシンディは「初来日のときから自分を受け入れてくれたこの国が、大変なことになってみんな途方に暮れているのに、私は帰るわけにはいかない。少しでも勇気づけられるんだったら残ってライブをやるわ」と言って、3月15日からのツアーを予定通り行なったんです。そのときのツアーは、日本のファンとシンディとの絆をより深く、特別なものにしてくれたと思います。
2011年のシンディ・ローパー来日時の担当ディレクターによる記録
――日の丸をまとって歌うシンディ・ローパーの姿は、心にグッとくるものがありましたね。
本当に、必要とされる人に寄り添うメンタリティを常に持っている人なんだなと感じました。今回上映されたドキュメンタリー映画『シンディ・ローパー:レット・ザ・カナリア・シング』 を見ても、もともとそういったものが資質として備わっていたことがよくわかりますよね。アーティストとして成功してからドネーション(寄付)とかに目覚めて活動する人はいますけど、シンディはそうじゃなくて、もともとそういう人なんだっていう。
――2010年代以降の活動について教えてください。
2012年にミュージカル『キンキーブーツ』の音楽を担当したんですが、まずシンディがブロードウェイのミュージカルの音楽を全曲手がけることに驚きました。LGBTQ+をテーマにした自己実現のストーリーで、内容も彼女にとてもマッチしているなと。
とにかく、曲がめちゃくちゃ良かった。シンディは1990年代半ば以降はあまりストレートなポップソングを書いていませんでしたが、『キンキーブーツ』の楽曲を聴いたときに、一般層にストレートに伝わるポップソングをいまだにいっぱい書けるんだ、この人の才能は底知れないなと思いました。
しかも、彼女はこの『キンキーブーツ』で第67回トニー賞のオリジナル楽曲賞を受賞しました。アメリカのエンタテインメント界には“EGOT(イーゴット)”と呼ばれる、エミー賞、グラミー賞、オスカー(アカデミー賞)、トニー賞という4つの大きな賞があります。
それを全部受賞した人は世の中に21人しかいないんですけど、シンディはオスカー以外のEGTを達成したんです。改めてシンディはあらゆる才能を持った人なんだと思いましたし、40年かけてシンディの全体像が見えてきた感じもしました。
Kinky Boots UK | Official UK Trailer 2016
――知れば知るほど、すさまじい才能とパワーを持った人であるのがわかりますね。
何歳になってもバイタリティが尽きないし、才能にも底がない。キャラクターも含めて“人としてデカい”存在だと思います。
――しかも、自分のやりたいことを貫きつつ、あらゆる人を勇気づけ、鼓舞するという姿勢が活動のベースにありますよね。単なる自分のエゴではなく、他者をサポートし続けてるアーティストとでも言うような。
その通りですね。以前、芥川賞作家の川上未映子さんがSNSにシンディについて投稿されたことがありました。ファンとしてシンディのコンサートに行ったときに偶然ハグをしてもらって、そのときに生きる力や、自分がやりたいことに突き進む勇気をもらった経験があるそうなんです。
その後、コロナ禍に川上さんの著書の英訳版が出版されたので、シンディの手元に届くか確証のないまま手紙をつけて送ったら、なんと「ミエコ、この大切な物語を書いてくれてありがとう。私に連絡をとってくれてありがとう」という内容の手紙が返ってきたとのこと。ちなみに、実際の手紙には、大きな便箋にびっしりと言葉を尽くして、いろんなことが書いてあったそうです。
そのときに川上さんは、シンディは真摯に向かってくる人には、同じぐらいの熱量で返してくれる人なんだと実感したということを投稿されていました。それを読んだときにも、シンディの器の大きさにびっくりしましたね。
――シンディ・ローパーはこれまで何度も日本を訪れていますが、印象に残っている来日公演についても教えてください。
シンディは1984年にプロモーションで初来日をしてるんですよ。そのときは『笑っていいとも!』と『ベストヒット USA』に出演しています。初来日公演は1986年の『トゥルー・カラーズ・ツアー』ですね。そこから1990年代、2000年代、2010年代もコンスタントに来日公演を行なってきました。
2007年と2013年には『SUMMER SONIC』への出演もありました。あと、1990年の紅白歌合戦では来日して出演したり、1995年に『オールスター爆笑ものまね紅白歌合戦!!』に出たこともありましたね。
――佐々木さんがシンディ・ローパーの担当になったのはいつですか?
1996年の入社当時、ラジオ宣伝マンとして『シスターズ・オブ・アヴァロン』のプロモーションを担当していたことはありますが、直接担当になったのは、2015年のツアー『シンディ・ローパー ~30周年アニヴァーサリー・セレブレーション ジャパン・ツアー2015』からですね。
先ほども話しましたが、そのときに「東京には何回も来てるけど、地下鉄に乗ったことがないから乗ってみたい」「知り合いから聞いたおでん屋さんが原宿にあるから行ってみたい」ということで千代田線に乗って明治神宮前まで行ったんです。サングラスをかけて帽子を被っていたので、電車のなかでも意外と気づかれませんでした。
それで原宿の奥の方に行って、若い男性に『グーニーズ』の話をされたと。そのあと小さい古いおでん屋さんに行って、帰り道に「ありがとう」ってクレープをおごってもらった記憶があります(笑)。
――直接会ってどんな印象を受けましたか?
やっぱりシンディはオーラがどっしりしてるんですよ。何もかも見透かされてるんじゃないかと思うくらい。こっちが人として小さいなと感じてしまいますね。
例えばプロモーションで「こういう番組に出ます」と説明するときも、とにかく自分がちゃんと理解しないと「Yes」と言ってくれない。「これをやることの意味は?」「あなたはどう考えてこうしたいと思ったの?」と聞かれるんです。「あなたはちゃんと考えてるの?」って、常に問われているような気持ちになります。実際、問われているんですけど……。
――プロモーションにしても、単に仕事としてやるのではなく、意味のあることをやると。
そうですね。新譜やツアーのプロモーションであったとしても、「こういうメッセージをこういう内容で伝えるために出る」という説明がすごく大事なんです。ただ、僕も英語が堪能ではないので、そういう場面になるとタジタジになってしまうんですけどね(笑)。
逆に、僕が制作を担当していた『ジャパニーズ・シングル・コレクション -グレイテスト・ヒッツ-』シリーズでシンディ版を出したときは、実際の盤を本人に渡しただけで、僕があんまり説明しなくても中身を見て「あなたはこういう意図で日本のファンに向けてこのパッケージを作ってくれたのね」ってすぐわかってくれました。しかも「素晴らしい!」ってジャケットにサインをくれたときは本当にうれしかったです。
シンディは受け入れる力も理解力もすごいから、こちらが何でも見透かされているような気持ちになるんでしょうね。だからこそ、いい加減なことはできないなって気が引き締まる感じがあります。
――シンディ・ローパーは親日家と言われることが多いですが、日本との関わりについて印象的なエピソードはありますか?
やはり先ほども語った、2011年の東日本大震災の際の関わりが一番大きいと思います。予定通り行なったツアーも、ライブ自体をチャリティにしたり、募金を募ったりしていました。
翌年の2012年、2013年に続けて来日していることからも、日本のみんなに元気になってほしいという彼女の強い想いが感じられますよね。2012年のときは宮城県を訪れて、津波の被害で使えなくなったピアノをシンディが買い取ったんです。その後、修理して再び使えるようになったピアノを寄付したこともありました。
取材とかプロモーションとかまったく関係なく、シンディはいつも個人として活動していましたね。
――人へのサポートがポーズではない、というのがわかりますね。
そうなんですよ。1995年の阪神・淡路大震災の翌年に来日したときも、チャリティで生田神社の豆まきに参加したというエピソードがありますしね。
――こういうエピソードを聞くと、シンディ・ローパーが親日家だからというだけではないものを感じます。
そうだと思います。シンディが親日家なのは間違いないのですが、あのときシンディが日本ではない、どこかほかの国や地域で同じような状況に置かれたら、やっぱり同じような活動をしていたと思うんです。
僕らは日本人なので、日本人に寄り添ってくれると「親日家だ」って言いますけど、彼女自身はもっと大きい“親人間家”であるような気がしますね。寄り添う必要がある人には寄り添うというマインドが、自分の生い立ちからここまでの経験で備わっているんだと思います。
実際、彼女は自身が大事にしているポリシーのひとつに“平等”を挙げていますから。
――シンディ・ローパーのライブについても聞いていきますが、実際の会場はどんな雰囲気なんですか?
シンディがライブでいつも大事にしているのは、ファンと心でつながることです。歌で伝えるのはもちろんですが、MCに関してもすごく意識していますね。
だから日本では、英語で語りかけて言葉がうまく伝わらないことをもどかしく思っているんです。なのでMCのときに、シンディのキャラクターを理解している通訳の方が一緒にステージに立つことがよくあります。
前回のツアーのときも、取材で上手に通訳をしてくださった方が客席でライブを観ていたら、シンディに呼ばれて急遽ステージで通訳した、なんてこともありました。曲だけではなくMCも含めて、自分が発した言葉を理解してもらって、つながりたいっていう想いが強くあると思います。
それから、シンディはステージから降りて客席で歌うことも結構あるんですけど、ファンと直に触れ合うことがうれしいんだと思います。前回のツアーで「ホープ」という新曲を披露したときも、ステージから降りてファンのなかで歌っていました。
人とつながることがシンディ自身のパワーになって、それによってファンに勇気を与えるという関係性が、ライブでは感じられます。
――そしてこのたび、シンディ・ローパー最後のジャパンツアーと銘打たれた来日公演『ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン・フェアウェル・ツアー』が4月19日から25日にかけて開催しています。今回のツアーを最後にする理由はなんだったのでしょうか。
特に理由は発表されていないのですが、シンディも今年の6月で72歳になります。レジェンダリーなアーティストで70歳を超えても現役バリバリでやっている方もいらっしゃいますが、これは僕の勝手なイメージですけど、バンドよりもソロシンガーの方がよりステージでエネルギーを消耗するんじゃないのかなって。
シンディもソロだし、ステージでのエネルギーの放出の仕方が普通のアーティストとはちょっと違うんですよね。あのパワフルなステージングを続けるうえで、フィジカル的な大変さを感じてきたのではないでしょうか。
だからこそ、納得のいくパフォーマンスができる今回にすべてを出し切ろうってことなのかなと理解してます。それもあってか、今回ツアー中の取材は一切やらないんですね。ツアーを完璧な状態で完走するためにも、ライブがオフの日はオフっていうのが、今回はいつも以上である印象を受けました。やはりライブでの消耗度が激しいので、それもよくわかります。
――つまり、それだけ強い気持ちでシンディ・ローパーはこのツアーに挑むと。
そうですね。でも、本人も「最後のツアーだからって寂しいとかじゃなく、みんなと素敵な時間を共有して、一緒にセレブレイトしましょう」というメッセージを発信していました。だから後ろ向きじゃない、前向きなライブになるんだろうなって思ってます。
――ジャパンツアーは最後になりますが、音楽キャリアの引退ではないんですよね?
今後も変わらずアーティスト活動は続けていくようですし、今も『ワーキング・ガール』という、1980年代の映画を現代の視点で作り直したミュージカルの音楽を制作しています。
これはあくまで希望的観測ですけど、もしニューアルバムが制作されたら、プロモーションで来日する可能性もゼロではないですし、もしかしたらフェスなどで来ることもあるかもしれないって勝手に期待してます。ただ、今回のツアーが彼女にとって特別なものであることに変わりはないですね。
――ドキュメンタリー映画『シンディ・ローパー:レット・ザ・カナリア・シング』 もそうでしたが、シンディ・ローパーについて知れば知るほど素敵なエピソードが次々出てきて、人としての強さやアーティストとしての才能のすごさに驚かされました。シンディ・ローパーが長きにわたって多くの人たちに愛される理由が、この記事を通じて伝わったらいいなと思います。
それは僕も思います。『シンディ・ローパー:レット・ザ・カナリア・シング』を見て、なりたい自分を諦めず自分らしさを貫いて生きていく、その先に成功があるんだということを強く思ったんです。
彼女の音楽や生き方から勇気をもらう人が絶えないのはとてもよくわかります。とは言え大変なことも多いし、なかなかシンディみたいな生き様は真似できないですけどね。それぐらいすごい人だと思いますよ。本当に、“シンディ・ローパーは筋金入りのシンディ・ローパー”だなって。
記事の前編はこちら:シンディ・ローパーについて知っておきたい12のこと①
文・取材:土屋恵介
『レット・ザ・カナリア・シング <ジャパン・エディション>』
詳細はこちら
日本オフィシャルサイト
https://www.sonymusic.co.jp/artist/CyndiLauper/
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