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○○について知っておきたい○○のこと

水森亜土について知っておきたい12のこと①

2025.07.16

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1960年代からテレビ番組に出演し、両手でペンを操り、心躍る作品を次々に生み出した水森亜土。イラストレーター、画家、歌手、俳優など、今なお多分野において活躍する水森亜土は、どんな人生を歩み、どのようにして「カワイイ」を体現する存在になったのか。

水森亜土の姪であり、著作権管理やマネジメントを行なう株式会社 亜土工房の宮澤夢子氏が“水森亜土について知っておきたい12のこと”を語る。

  • 宮澤夢子氏プロフィール画像

    宮澤夢子氏

    Miyazawa Yumeko

    株式会社 亜土工房
    代表取締役

水森亜土とは?

水森亜土アーティスト写真

東京・日本橋生まれ。高校卒業後、ハワイに遊学。アクリルボードに両手で絵を描きながら歌を歌うという印象的なパフォーマンスで注目され、イラストレーター、画家、俳優、歌手など多分野においてめまぐるしく活躍。さまざまな分野で水森亜土が発信してきた「カワイイ」のカルチャーは、見る人を魅了し、世代を超えて今も多くの人に愛されている。

記事の後編はこちら:水森亜土について知っておきたい12のこと②

水森亜土について知っておきたい12のこと①:水森亜土のクリエイティビティの土台を築いたのは日本画家である母・美子の教育

──宮澤さんは、水森亜土さんの姪にあたるとのことで、幼いころから水森亜土さんと親しいお付き合いがあったそうですね。

私の母の姉が亜土で、生まれて間もないころからよく気にかけてもらっていたと聞いています。私が物心つくころには、亜土はNHKのテレビ番組『たのしいきょうしつ』に出演していましたが、昔から人を惹きつける不思議なオーラがある人でしたね。

真剣な表情で話す宮澤夢子氏

──水森亜土さんの人柄を教えてください。

いつもニコニコ笑っていて、通り過ぎる人たちが振り返るようなキラキラした存在でした。基本的には優しい性格ですが、厳しい一面もありまして。まだ小さかった私がアイロンの近くで遊んでいたのを見て、「危ないわよ!」と鋭く注意されたことが記憶に残っています。

ほかにも「コーヒーと紅茶、どっちがいい?」と聞かれたときに、「コーヒーでいいです」と答えると、「コーヒー“で”じゃないでしょう。 コーヒー“が”でしょう」と(笑)。朗らかですが、しっかりした一面もあり、私の母(水森亜土の妹)よりも厳しいところがありました。

──水森亜土さんのお母様は日本画家の森美子さんで、水森亜土さんのクリエイティビティに多大な影響を与えたと聞きました。

はい。私からすると祖母にあたる美子は、日本画家として絵を描く傍ら、お花の先生や、皇室御用達の帽子を作る仕事などもしていました。多才な人だったので、亜土も美子から大きな影響を受けたものと思われます。

──美子さんはどんな方でしたか?

とても厳しい人でしたね。礼儀作法をちゃんと躾ける人で、私が話すときもいつも敬語でした。

あと旅行に行くときは、必ずスケッチブックを持参するのがルールになっていて。私も何度か一緒に旅行をしましたが、必ず途中でスケッチをする時間が設けられるんです。福島を訪れたときには、磐梯山と猪苗代湖をスケッチしたのですが、私の描いた絵を見て「この深さの湖は、そんな色じゃない」と言われました(笑)。

あとは、ちぎり絵もよくやりましたね。旅行の道中で食べたお菓子の銀紙などを「きれいにのばして取っておきなさい」と言われ、雨で外に出られないときや、旅館で寝る前のひとときに、それをちぎって貼って絵を作る。スマホなんてない時代ですからね、今思い返すと、とても豊かな時間だったなと思います。

手を使って説明する宮澤夢子氏

水森亜土について知っておきたい12のこと②:“右向け左”がモットー

──水森亜土さんは、一貫した教育理念を持って女子学生を指導することで知られる桜蔭学園を卒業しています。勉強熱心でもあったんですよね。

桜蔭学園は、お茶の水女子大学の前身にあたる東京女子高等師範学校の同窓会・桜蔭会の方々によって設立されました。祖母の美子はそちらの卒業生だったので、亜土たちにも桜蔭学園を受験させたようです。小学生のころから家庭教師をつけるなど、教育熱心な家庭でもありました。

──中学高校時代から創作活動はされていたのでしょうか。例えば、画塾などに通っていたということはありましたか?

絵は日常的に描き、コンクールなどにもよく出品していたようですが、画塾に通っていたというのは聞いたことがありません。家には美子もいるわけですから、その必要がなかったのかもしれませんね。

──桜蔭学園卒業後はハワイに遊学していますが、なぜハワイだったのでしょう。

美術大学への進学を希望したのですが、残念ながら不合格で。周りは大学進学や就職、結婚など、それぞれ進路が決まっていたなか、亜土だけが何も決まってないという状況に、本人もだいぶ悩んだそうです。

そんなとき、美子がハワイへの遊学を勧めました。モロカイ島のハイスクールで美子の知り合いがハイスクールの校長を務めていて、「悩んでいるならハワイに行ってきなさい」と。そこで、トランクを持って船でハワイに向かいました。

──水森亜土さんが高校を卒業するタイミングというと1950年代の後半。まだ、1ドル360円の固定相場制がしかれていた時代に、娘をハワイへ遊学させようという美子さんのお考えは、かなり先進的です。

そうですね。しかも、ハワイというと皆さん賑やかな観光地というイメージが強いと思いますが、亜土が遊学したモロカイ島というのは、今でも手つかずの大自然が広がる島で、逆に言うと自然以外に向き合うものがないと言えるような場所なんです。

パソコンもメールもなくて、電話すらままならないなかで、海外のそういう場所に娘を送り出せるというのは、確かに時代と歩調を合わせた考え方ではないですよね。

でも、だからこそ水森亜土というアーティストは生まれたのかなと思っていまして。亜土の著書のタイトルにもなっていますが、彼女のモットーが“右向け、左”というもので、それは美子が日ごろから「“右向け、右”で、人と同じことをしなくてもいい。むしろ、人と違うことをやりなさい」と言い続けていたからなんです。

前のめりになって話す宮澤夢子氏

水森亜土について知っておきたい12のこと③:人生観を180度変えたモロカイ島でのできごと

──ハワイでは、どんな生活をしていたのでしょうか。

ハワイで過ごした2年間で、亜土の人生観は180度変わったそうです。

亜土は、モロカイ島のモロカイハイスクールで女子寮に入り、現地の人たちと共同生活を送っていました。寮では掃除、洗濯など何でも自分たちでやるのが当たり前で、亜土も料理係になりました。

もともと料理が得意だったというのもありますが、現地でよく食べられる、おそらくタロイモだと思うのですが、それが毎食出てきて苦手になってしまったようで。それならもう自分で料理を作って振る舞おうと思ったようです。“うどんを作ったら、みんなが喜んでくれた”という話を聞きました。

ほかにも、亜土はお風呂が大好きなんですが……どうやったのかはわからないんですけど、土に穴を掘って水を貯め、浴槽代わりに入ることを楽しんでいたらしいのです。そして、そんなお風呂タイムになると必ずやってくるカエルがいて……。そのカエルに「ジョージ」という名前をつけて友達になり、話し相手になってもらっていたというエピソードも聞いたことがあります。

──そんなモロカイ島での暮らしで、なぜ水森亜土さんの人生観は180度変わったのでしょうか。

日本にいたころは、いくら親が自由な考えの持ち主だと言っても、日本の風習を大事にする家庭でしたし、先生や目上の人の言ったことに従う“右向け、右”が一般的な世界でした。しかし、自然に囲まれたモロカイ島とそこで暮らす人々の生活は驚きが大きく、何もかもが衝撃的だったようです。

それと、亜土が最も衝撃を受けたのは、滞在中に大きな津波に見舞われたことです。そのときの光景があまりに衝撃的で、人生観が変わったと言っていました。そしてこのときに“私は、どこででも独りで生きていける”と悟ったそうです。

水森亜土について知っておきたい12のこと④:ジャズとの出会いで道が広がった

──日本に帰国してから、水森亜土さんは歌手としての活動を始めます。絵画やイラストの世界とは、また違うチャレンジですよね。

これまでの話からすると、意外に思うかもしれません。ですが、亜土の家では両親がよくジャズを流していたんです。ビング・クロスビーなどのレコードをかけては、近所の人たちを呼んで踊っていました。ですから、亜土にとっても小さいころから音楽、特にジャズは馴染み深いものだったようです。

音楽を聴く水森亜土

音楽を聴く水森亜土

さらに、亜土の父は、当時の日劇ミュージックホールなどいろいろなところに亜土を連れていき、ジャズを聴かせていました。そのうち亜土も歌いたくなり、ラジオ番組「素人ジャズのど自慢」にも出演。毎回、鐘をカーンと鳴らされて、司会の丹下キヨ子さんに、なぜか「坊や、またおいで」なんて言われながら、それでもずっと歌い続けていました。

また、近所のお兄さんがジャズのドラマーで、練習に混ぜてもらって歌っていたという話も聞きました。

そんな歌に触れる日々を過ごすなか、日劇ミュージックホールで開催されたジャズシンガーのオーディションを受け、そこで初めて合格して。それがきっかけとなり、歌い手だけでなくテレビ方面にも活動の場が広がっていきました。

水森亜土について知っておきたい12のこと⑤:天職はイラストレーター、本職はジャズシンガー

──絵画やイラストだけでなく、歌も含めて自身の可能性を探っていたのでしょうか。

そうですね。本人は、「天職がイラストレーター、本職はジャズシンガー、俳優は内職」なんて言っていました(笑)。

──水森亜土さんは、『ひみつのアッコちゃん』のエンディングテーマ「すきすきソング」、『Dr.スランプ アラレちゃん』のオープニングテーマ「ワイワイワールド」なども歌っています。軽やかで自由な表現力が感じられますね。

それもジャズが原点にあるからだと思います。ジャズは譜面通りに歌うのではなく、ちょっと前のめりで歌に入ったり、逆にあえて遅らせて入ったりしますよね。そういう表現が根づいているので、アニメソングなどでも自由な表現ができたのだと思います。

また、リズム感も良かったようで。歌に関しては「声が小さい」とよく言われたそうですが、リズムについてはとにかく褒められたと聞いています。

水森亜土について知っておきたい12のこと⑥:チャレンジ精神旺盛で漫画家を目指したことも

──先ほど「イラストレーターは天職」という話がありました。絵と歌では、やはり絵に軸足を置いていたのでしょうか。

いえ、どちらか片方を重視したわけではありません。テレビ番組はみんなで作り上げるいっぽう、絵はたったひとりで自分と向き合う作業です。よく「ジャズがなければ絵を描けないし、絵がなければジャズは成り立たない。絵とジャズ、両方が大切」と話していました。

──水森亜土さんにとって、絵を描くことはご自身の内側を見つめる作業だったんですね。

そうだと思います。彼女のスケッチブックには、絵とともにいろいろな詩がつづられています。自分がそのとき感じたことを詩にしたのか、それとも印象的なポエムの一節を書いたのかはわかりません。ですが、絵に添えられた言葉を見ても、絵を描くことは彼女にとってすごく大切な時間なんだなと改めて感じます。

絵とともにつづられた詩

絵とともにつづられた詩

──水森亜土さんは、歌手、イラストレーター、タレントなど、多分野において活躍するアーティストです。やはりチャレンジ精神も旺盛な方なのでしょうか。

そうですね。本人は「当時は、何でもやってみたい。好奇心が止まらなかった」と言っていました。若さゆえの根拠のない自信からか、「私だったらできる」と思っていたようです。その反面、いろんなことにチャレンジして「これは違った!」と気づいたこともたくさんあったようです。

──例えば?

ハワイから帰ってきたあと、雑誌にハワイの絵日記を掲載する機会があって。それと同時期に、本当に短い期間ではありましたが、漫画家も目指したことがありました。4コマ漫画を描いて、園山俊二先生をはじめいろいろな方に見ていただいたようですが、「もっとたくさん描いてから来ようか」と言われてそうです(苦笑)。本人も「私には漫画を描く才能がない」と言っていました。

後編では、両手描きの誕生エピソードなどを聞いた。

後編に続く

文・取材:野本由起
撮影:干川 修

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©ADO MIZUMORI

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