新ビジュアルで新世代にも認知を拡大――『きかんしゃトーマス』が進む次のステージとは?【前編】
2022.12.23
キャラクタービジネスを手掛ける上で、知っておきたい心得をその道のプロたちに聞いていく連載「キャラクタービジネスの心得」。
今回は、出版から120周年を迎える『ピーターラビットのおはなし™』と、その作者ビアトリクス・ポターをフィーチャーする。イングランドの湖水地方を舞台に、いたずら好きなうさぎのピーターと個性豊かなキャラクターたちが織りなす物語を描いた絵本「ピーターラビット™」シリーズ。その作品群は、100年以上にもわたり人々に愛され、読み継がれてきた。そして作品の人気の背景には、優れた観察眼とユーモアを持った才能あふれる作家であり、世界で初めてキャラクタービジネスを手掛けた人物としても知られる作者、ビアトリクス・ポターの存在がある。
そんな作者の人物像に迫るべく、埼玉県東松山市にある『ビアトリクス・ポター資料館』を訪れ、ビアトリクス・ポターの研究者として知られる大東文化大学の河野芳英教授に話を聞いた。後編では、波乱万丈の人生を送ったビアトリクス・ポターの実像に迫る。
河野芳英氏
Kawano Yoshihide
大東文化大学文学部 英米文学科 & 大学院 英文学専攻 教授
大東文化大学ビアトリクス・ポター資料館 館長
──(前編からつづく)改めてビアトリクス・ポターは、どのような人物だったのでしょうか?
菌類研究家のチャールズ・マッキントッシュと出会ってから精密なキノコの絵を描きつづけたと先ほどお話ししましたが、ビアトリクス・ポターは博物学のひとつとして菌類の研究を行なっています。彼女は興味を持ったことをとことん追求する性格で、それはやがてアマチュア研究家の域を超えるほどになりました。
1897年、31歳のとき、ビアトリクスは長年にわたってつづけた菌類研究を『ハラタケ属の胞子の発芽について』という論文にまとめて、由緒あるロンドンのリンネ協会に提出しています。しかし当時は、社会のなかで女性の活躍が認められなかった時代。周囲の協力もあって何とか論文は受理されたものの、無視されるかのような扱いで、“さらなる研究が必要”という低評価を受けただけでした。
菌類研究で成果が認められなかった彼女の気持ちは察するに余りあるところですよね。ただ、これだけでなく、その後もビアトリクス・ポターの人生にはさまざまな挫折がありましたが、彼女は決して諦めることなく前へ進んでいった、そんな人物です。
──その挫折から、別の人生が拓けていくのですね。
はい。周囲のすすめもあって、ビアトリクスは自分の家庭教師をしてくれていた人物の息子であるノエル少年に送った4匹の小さなうさぎを主人公にした絵手紙をもとに、絵本の制作を決意します。ところが無名の作家の本を出版してくれる出版社は見付からず、少なくとも6つの出版社から断られました。ならば自分で発刊すれば良いと『ピーターラビットのおはなし』を自費出版したところ、250部が完売したのです。
その実績が認められ、1902年、『ピーターラビットのおはなし』がフレデリック・ウォーン社より出版されます。濃茶色、濃緑色の厚紙装丁版と、黄色、緑色の布製デラックス版の合計4種、8,000部を同時に発売しました。無名の作家に対して、出版社は英断をしたと思います。その初版もすぐに増刷され、ビアトリクスはベストセラー作家の仲間入りを果たします。
さらにビアトリクスは、長いこと手紙で絵本制作のやり取りをつづけていた担当編集者のノーマン・ウォーンから1905年7月にプロポーズされます。親からは結婚を大反対されたものの、彼女自身はそのプロポーズを大変喜んだそうです。しかし、そのわずか1カ月後、ノーマンは急性白血病で亡くなってしまうんですね。けれどビアトリクスは、そこでも挫けませんでした。失意のなかでも絵本を描きつづけ、作品の発表をつづけたのです。
──以前、別の取材のときにもお話として挙がったのですが、ビアトリクス・ポターは「ピーターラビット」のIP化にいち早く取り組み、キャラクタービジネスの礎を築いたと言われているそうですが、具体的にはどのような取り組みがあったのでしょう?
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ビアトリクスは、自分の絵本のキャラクターをグッズとして販売するために商標登録を行ない、特許を取得するという先見の明を持った人物でした。現在、世田谷美術館で開催中の『出版120周年 ピーターラビット™展』にも、特許を取って作られたぬいぐるみの実物が展示されています。
『ピーターラビットのおはなし』がベストセラーになったとき、ぬいぐるみが許可なく作られ、販売されてしまったんですね。それで彼女は特許を取ろうと考えたのです。そのアイデアと行動力がすごいですよね。ビリアトリクスはビジネスに関してもしっかり話をする女性だったということです。質の高いグッズが人の手に渡ることによって、自分の絵本が読み継がれていく、そういった願いもあったのでしょう。
──先見の明という点では、ビリアトリクス・ポターが1895年にイギリスで設立された非営利団体、ナショナル・トラストの活動に賛同し、自然環境の保護や歴史的建造物の保全活動に取り組んでいたことも広く知られています。
ビアトリクスは絵本の印税とキャラクタービジネスの収益で、イギリスの湖水地方の美しい風景を守るために、土地や農場などを購入し(東京ドーム約360個分もの面積と言われる)、それをすべてナショナル・トラストに遺贈しました。自然のままの景観が都市開発などによって破壊されることを食い止め、さらに多くの自然を残すことによって自分の絵本の世界を後世につなぐという意図もあったと思います。
とは言え、ヒルトップ農場を購入する際は騙され、ずいぶんと高い値段で買う羽目になってしまいました。ときにはそうした失敗もありつつ、それらを教訓としてビアトリクスはいろいろなことを考えながら土地の購入を進めていきました。例えば、道路沿いの土地から購入し、その内側の土地の資産価値を低くしてから買い増しするといった方法でした。とても頭の良いやり方ですよね。
──素晴らしい作家であると同時に、優秀なビジネスパーソンでもあったんですね。
そう思いますね。その後、ビアトリクスは、1913年に弁護士のウィリアム・ヒーリスと結婚しました。彼は湖水地方の弁護士でしたが、当時は弁護士が不動産の売買も行なっていましたから、そこでの交流がきっかけでふたりは絆を深めていきます。土地を購入する際も、彼のアドバイスが非常に大きかったようです。
──彼らの尽力があったから、「ピーターラビット」の舞台になった自然は守られたと。
はい。裕福な家の生まれだったビアトリクスは、幼少期から湖水地方だけでなく、あちこちの風光明媚な土地を訪れました。寒い季節はイングランド南部、暑い季節は北のスコットランドへと。そうやって巡った美しい土地の風景を水彩画に描いたのです。僕も実際に彼女の足跡を辿りましたが、本当に素晴らしいところばかりです。
また、絵本「ピーターラビット」シリーズを読んでから現地を旅すると、ビアトリクスが環境保全をした場所は、100年以上経っても絵本で見たのと同じ風景が残っているのがわかります。ヒルトップ・ハウスのなかにも絵本が置いてあり、そこに描かれているのとまったく同じ場所を見比べることができて面白いですよ。
──現在、世田谷美術館で開催中の『出版120周年 ピーターラビット™展』は河野先生が監修をされています。見どころをお聞かせいただけますか。
今回はビアトリクスが遺した作品のなかでも『ピーターラビットのおはなし』にフォーカスした展示になっています。
まず注目してほしいのは『ピーターラビットのおはなし』の元になったノエル少年へ宛てた絵手紙です。以前、日本で開催された展覧会で展示されたのは、のちにビアトリクスが絵本を制作する際に描き写したものでしたが、今回は絵手紙の実物が展示されています。ノエル少年はもらった絵手紙を大切にしていたんですね。これはとても貴重なものです。
さらに注目していただきたいのは、シリーズ最初の絵本である『ピーターラビットのおはなし』の日本初公開の原画を含む、彩色画全点が一堂に展示されていることです。1902年にフレデリック・ウォーン社から出版された初版本や版を重ねた絵本では、一部の挿絵が掲載されていませんでした。
例えば、ピーターラビットのお父さんがパイにされた話の挿絵は、初版本には掲載されているのですが、子どもが怖がるからという理由で、その後長らく掲載されていなかったり。ほかにもページ数の問題で、オリジナルにあった6点の挿絵が削除されているんですが、今回の展覧会では、その6点の挿絵を含む『ピーターラビットのおはなし』のすべての水彩画の原画が揃います。
これはぜひじっくりと観ていただきたいですね。どんなに印刷技術が向上しても、やはり本物を見ると心が洗われますし、コロナ禍で塞いでしまった気持ちを晴らすためにも、ぜひ足をお運びください。
──出版120周年を迎え、現在先生が取り組んでいらっしゃること、加えて大学での講義を通して学生の皆さんに伝えたいこともお聞かせください。
絵本もひとつの文学ですから、学問の“学”という字が付いていますが、音楽の“楽”のように捉えて、楽しんだ方が良いと私は考えています。「文学は楽しく、本も楽しいものなので、みんなで楽しみましょう!」と学生にはいつも話しています。
それと出版120周年を機に、早川書房から川上未映子さんによる新訳の絵本「ピーターラビット」シリーズが刊行されるので、講義では従来の訳との比較ができれば面白いなと考えています。例えば“マグレガーさんの奥さん”という訳ですが、今は“奥さん”という表現について考え直そうという動きもありますよね。そういったテーマでも学生たちと話し合えれば良いなと。
──今の時代との関わり方で考えると、「ピーターラビット」をSDGsの視点から捉え直すこともできますよね。
2006年に、その当時はまだSDGsという言葉はありませんでしたが、地球温暖化の一因となる温室効果ガス排出量の削減を目指す「チーム・マイナス6% 」のキャンペーンに、環境省が「ピーターラビット」をイメージキャラクターに起用したことがありました。
その後、映画『ピーターラビット2/バーナバスの誘惑』が公開された際には、サステナブルな食料環境を目指す国連のキャンペーンに「ピーターラビット」が起用され、「フードヒーローになろう!」と呼び掛けました。フードヒーローになるための4つのアクションとして「①果物や野菜をもっと食べよう ②地元の旬の食べ物を買おう ③家で野菜や果物を育てよう ④食べ物を無駄にしない」という目標が掲げられ、「ピーターラビット」がそのお手本になったのです。
これらは当然、「ピーターラビット」が持つキャラクターとしてのイメージが、それぞれの取り組みと合致するから選ばれるわけですよね。SDGsが世の中に浸透し、サステナブルな活動の輪が広まるように、「ピーターラビット」のブランド力がもっともっと活用されると良いですね。
──学生たちにとっても、SDGsやサステナビリティといった観点は、より自分たちの未来を見据えるために重要なものになっていますよね。
環境に対して優しさを持って接することができる人は、他人に対しても優しさを持って接することができる人だと思います。ビアトリクス・ポターや絵本「ピーターラビット」シリーズを通じて、学生たちにもそのアイデンティティが伝わることを願っていますし、私自身も伝えていきたいと思います。
(TM) & © FW & Co.,2022
文・取材:石井理恵子
撮影:冨田望
「ピーターラビット™」日本公式サイト
https://www.peterrabbit-japan.com/
 
『ビアトリクス・ポター™資料館』公式サイト
https://www.daito.ac.jp/potter/
 
『出版120周年 ピーターラビット™展』公式サイト
https://peter120.exhibit.jp/
 
「ピーターラビット™」公式オンラインショップ
https://www.peterrabbit-shop.jp/
 
『Friend to Nature』キャンペーンページ
https://www.peterrabbit-japan.com/foodpaper/
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